第4課 プラーフカ(本当に)


それからしばらくして。

ロズミウわかった。シューマ・レープよくムルヴィートはなしがネー・マギできない

腕を組んで、部屋に入ってきた男性――グーマの父親だということだ――が、重々しくそう言う。あれからしばらく、グーマとしたものと近いやり取りを通して少しだけ言葉を覚えた。本当に最低限だけ。

ついでに男性の名前はバゾだとも覚えた。覚えたけど、覚えづらい。

二音の名前って我々の口に中々なじまないと思うんだ。韓国人の名前とか短すぎるとフルネームで頭に入るよな。

…随分年上だし、バゾさん、と呼ばせてもらおう。二文字は頼りないから敬称で都合よく延長する作戦だ。バゾさん。いい響きじゃないか。

熊を思わせるがっしりした体格に太い腕。どう見ても第一次産業系のオヤジさんだ。

それでいて薄い灰色の目はどこか優しさを湛えていて、穏やかにしていれば怖くはない。


筆記具も借りて自分なりにローマ字でメモも取ったが、それらの文字を見たグーマたち親子二人は「見たこともない」という反応だった。ローマ字を見たこともない民族って世界中でもかなり限られてくるぞ。帰れるのか、俺。


ノーだが・グーマ。 シューマ・マギラ・ロビートできたのかプロシェーニェまほうがプラーフカほんとうか?」

イェルはいアーチェとうさまプロシェーニェまほうをロビーラやりました


断片的に理解可能になった会話の端々に『プロシェーニェ』という言葉が飛び交う。

さっきの現象をプロシェーニェ…半信半疑だが、『魔法』と仮にしておこう。

魔法…、そう、魔法だ。呪文をひとつ唱えれば、山をひっくり返し河をちょうちょ結びにする、不思議で可思議な謎パワーを指す、無粋なスラングだ。違うか?

目の前で起きたことを説明するのにこんなにワンダーに溢れた語彙もそうそうない。

俺は、それが使

勝手な想像で恐縮だが、魔法ってそれなりに特殊な技能だろ。違うか。

長年の修行とか魔法の素質とか血筋とかイケニエとか血の契約とかそういうのだろ。

そこまで行かないにしても、精神の集中とか、神への帰依とか、そういう。

「言えば済む」なんてやすやすと行使されちゃたまんないんじゃないんですか。



「シューマ。…ロビアーイ・ト・ズノウ」

バゾさんが俺に何かを命じたようだが、俺は動けない。

「…ネ・ロズミーシュ? …ンンー…」

困ったな、というそぶりを見せるバゾさん。言葉は通じなくても戸惑いは伝わる。

…この辺の感情の隠せなさはグーマと似たもの同士だ。

「…ポーシェどうぞ

グーマが、そっと燭台を差し出す。プロシェーニェしてみろってことか。

俺は手を蝋燭にかざして、はっきりと発音する。


火よイグニス来たれヴェニー!」


「ぼあ…」と気の抜けた音がして、蝋燭に大きめの炎が灯る。


「スタースナ! ヴェルカー・ヴェトラーほのお!」

「エン・ラズ…、スタースナ…」


賞賛するグーマ、呆然とするバゾさん。「ヴェトラーほのお」しか聞こえなかった。でも多分「スタースナすばらしい」は間違いないな。

――俺はラテン語で話しただけだ、本当に。

脳裡に燃え盛る炎のイメージも浮かべていないし、体を魔力が巡っている…なんてこともない。いつも西洋古典購読の授業でやるように、アクセントと母音の長さにちょっと気をつけて、簡単な命令文を読み上げただけだ。何もしてない。

どういうことだ、訳が分からない。

混乱から恐怖にシフトしつつある精神をなんとか平静に保とうとするけど、うまくいかない。怖い。俺は何故火が出せたのか。あの火はなんなのか。俺が何をした。


プロシェーニェまほうがマギーシュできるのね!」


今のは分かった。「マギー」が「できる」だ。分かる。分かるんだよ、舐めるな。

もう学んだぞ、最後に「シュ」がついてるのは「あなたが」って意味だろう。腐っても言語系だぞ俺は。そんな腐った俺をグーマがキラキラした目で見ている。暗い鳶色の目が、俺が生み出した炎を反射して揺らめく。その視線すら、いささか怖い。


「ティ・スターサンみごとにプロシェーニェまほうを…」

「黙ってくれ!」

「っ! シューマ…?」


思わず日本語で怒鳴り、グーマの言葉を遮る。

俺は怖かった。そうしてひとたび抱いた恐怖は、滲み出す冷水のように広がりだす。

言葉が分かったとかコミュニケーションが取れたとか、無邪気に喜んでる場合じゃない。推論まみれの薄氷の上に立たされている。

確かなものは何もなく、確たる説明も一切なされない。あるのは怪しい親子の発する謎の言語だけ。


「シューマ、ネー・タケー…」

「やめろ!日本語で話してくれ!日本語だ!ニホンゴ!」

「ニーホ…? ネ・ネロズーミウわからないムルヴァイはなして・ヤケー・ニ・マギーミ…」


狼狽え、怯えたように話すグーマにすら怒りがふつふつと湧く。

俺はいま一体どこにいるんだ、何が起きていて、俺はまだちゃんと森野秀真なのか?

こいつらは誰だ? グーマとバゾ。名前しか知らないし、言葉だって禄に通じない。

何を安心していたんだ、俺は? 俺はこの二人の何を知っている?

相互理解なんかほとんど生じてない。実質知らない人間が二人いるだけだ。

俺の知る人間はここにはいない。友人も家族もいない場所に俺は今いるのだ。


「畜生、…どうしたらいいんだ。ここはどこだ。なあ。どこなんだよ…」

「シューマ…ヤーズわたしは…」

「うるさい!」

「…スルハーイきいてヤーズわたしはネー・ロズミウわからない・トーヤ・ヤザークン・レスム、アレージ・ティ・レプよく・プロバーラ・ロズミートわかる・ヤザーク・モヤー!ティ・ロビーラしたロビーシュするレプよく!」


グーマの言葉は、最後のほうは叫ぶような声で聞き取れなかった。…聞き取れた部分にしたって半分も理解できなかったけど、最後の「レプよく」だけが妙に頭に残る。さっき同じ言葉で俺のことを褒めてくれたことも。


「…グーマ…?」

ロズミーウわかるわ、ティ・イマーシュもっている・フラース…ヴェルカー・ヴェルカー・フラース。ノー・ヤズでも わたし・イン・アーチェとうさん・モヤー・イェ…トゥカイ・ス・ティ」


滔々と語るグーマの言葉はやっぱり半分も分からないが、込められた感情だけはうっすらと読み取れる。

論理的でないことは分かっている。コミュニケーションの主軸は語彙と文法、それにスパイス程度のエモーションだ。スパイスだけで料理が出来ないように、感情だけを先走らせてもコミュニケーションはままならない。分かっているはずなんだ。


――それでも、涙が出た。




グーマの隣に無言で佇んでいたバゾさんは、泣き出す俺を叱るでも笑うでもなく、ただ、代わりにうんと優しい目をして言う。


ウ・ヴィうちにスターイとまってけ…、プロシェーニェまほうがトーコ・マギーできるひとイェレーパよいひとだ…」


バゾさんは、俺が分かりやすいようにごくゆっくりと話してくれた。

感情むきだしのグーマの言葉とはまた違う、よく聞き取れば分かる程度に言葉で組み立てられた文。

俺の分かる簡単な言葉だけで織られた言葉は、平易さのゆえに、むしろ心に深々と突き立てられた。



――言葉が分かるということの安堵感。断片的な手探りのレベルを超えて、ようやく内容がすべて理解できた。答え合わせはできないが、バゾさんとグーマの表情を見ると、恐らくそう間違ってはいないのだろう。俺は理解できた。

…張り詰めた精神に、これは効いた。

急速に発達した安心感が俺の精神を覆うのがわかる。

涙を止めることもできず、浅い呼吸の合間になんとか声帯を震わせて。

ファーラありがとうプラーフカほんとうに…」

それだけ、絞り出すように言った。





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