風呂で万華鏡を見る方法。

青野はえる

風呂で万華鏡を見る方法。

 それは、センター試験を目前に控えた、12月の上旬の出来事。

 受験生ともなると、やはり遊びに出かける時間というのが、とれない。とれないというか、精神的な戒めとして、故意に禁じているという意図もある。

 僕の至福の時間の一つはカラオケに行って歌うこと。マイクを離すことを惜しむくらいのカラオケ好きな僕だったが、それでもセンター半年前、受験の天王山と言われる夏休みを目前にして、僕はカラオケ通いを一時中断したのだ。


 それでも、人間の欲求というものは難しいもので、歌いたいという感情は、日に日に蓄積され、爆発しそうになっていた。

 これでは受験に差し支える。かといって、カラオケに行くのは、自分の決断を裏切る行為で、よくない。少なくとも来年度から通う大学が決定するまでは、カラオケはお預けなのだ。

 そこで僕は、欲求不満の解消法を、風呂に見出した。風呂の湯船に使って、歌う。こんなに気持ちいいことはない。

 それに風呂というのは湿気が多く、喉が潤いやすいので、余計に歌いやすいのだ。

 事実、風呂での歌唱を始めてから、僕の欲求不満は段々と解消されていった。それでもたまに、カラオケ行きたーい、と音を吐くこともあったが、以前ほど過剰なものではなくなった。


 僕は様々な歌を歌った。大好きなバンドの歌。某電子音系の歌。某同人ゲームのBGMを利用して作曲された歌。

 温かい湯船に浸かりながら、目を瞑って喉を軽快に震わすこの時間、僕の思考は、次元を超えていた。別世界にいた。欲求が満たされないはずがなかった。


 するとある日、事案発生の日──以後Xデイと称す──の前兆とも呼べる、出来事が起きた。

 僕はその日、午後9時半に風呂に入ったはずだった。

 そしていつものように歌い潰し、上がってみたらあら不思議。リビングの置時計の短針は、11を指しているではないか。

 そんなに長く入っていたのか。僕は驚きのあまり、しばらく時間の概念を疑った。しかしいくら疑えど、僕が1時間半もの間風呂に入っていた事は、変わることのない事実としてそこにあった。

 幸い、僕の体調にはさしたる変化がなかったので、何事も無かったかのように、その日僕は眠りについた。

 むしろ、何事も無かったことが、この出来事を招いたのかもしれない。


 そして迎えた、Xデイ。

いつも通り欲望のままに歌い続けた僕は、身体を洗おうと湯船から身を乗り出し、脇にシャワーのかかった鏡の前に立とうとした。

 まさに、その時のことだった。


 突如、立ちくらみがした。風呂で立ちくらみをするのはよくあることで、すぐに治るだろうと、僕はタカをくくっていた。通例通り、その場で直立して、じっと耐える。そうすれば、治まる話なのだ。

 しかし、一向に治る気配はなかった。それどころか、視界は真っ暗になり、身体が鉛みたいに重くなって、ブルブルと震えだした。目の前の鏡に手を当てていないと、立つこともままならない状態だった。

 僕は言うことをきかない身体をじっと固定して保ち、意識を失わぬようじっと気を張り続け、過剰なまでに深呼吸を行った。心臓がバクバクと悲鳴を上げていた。

 そのうち、全身を襲う妙な圧迫感が抜けた。

 だが、真っ暗な視界は明ける気配を一切匂わせず、そのうちまた圧迫感が復活し始めた。


 まるで身体を焼かれているかのような、異常なほどの熱量と身体の震えの中で、そんなやりとりを続けること数回。多少精神的に余裕の出てきた僕は、目前に広がる景色が、決して真っ暗ではないことに気づいた。

 なんと言えばいいだろうか。思考を巡らせるうち、僕はある言葉を思い出した。

 万華鏡。

 華のような模様がいくつもつながって、くるくると蠢いているその姿は、万華鏡と呼ぶに相応しいほど、神秘的だった。

 あるいは、真っ黒な大地に咲く、白く光る花畑、とでも表現しようか。

 恐怖感。高揚感。そして、ミステリアスな世界の中で、僕はただ、声も発さずに佇んでいた。


 どのくらい時間が経ったのかはわからない。長いかもしれないし、一瞬かもしれない。ただ僕は、このままでは、この万華鏡の世界に取り込まれてしまうのではないかという、絶妙な恐怖を抱いた。

 そうだ、逃げ出すのだ。この世界から。

 僕は、まだマッサージチェアに感覚を侵されているみたいに無力な四肢を、やっとのことで動かす。そして、何千日も入り続けた感覚だけを頼りに、ドアノブを見つけて開け放つと、冷温な外の世界へと、身を投げ出した。

 その時の僕にとって、洗面所は、南極にも等しかった。南極の過酷な環境に耐えきれなかった花達は、少しずつ、その姿を消していった。

 僕の目の前には、溢れ出る湿気に真っ白になった洗面台の鏡と、台所へつながる引き戸が、日常と変わらぬ佇まいで存在していた。


 バスタオルで拭いながら、自分の肌を見て僕は驚いた。雪のように真っ白な肌。とてもさっきまで風呂に入っていたとは思えないほど、綺麗な白。

 リビングでは、両親がこたつに身を埋めてだるそうに、某写真投稿アプリに晒す写真を撮るために、世界を渡り歩くという内容の、奇っ怪なテレビ番組を見ていた。

 僕は結局、二人にこのことを話すことはしなかったし、和室に備え付けてあるテレビで某男性五人組アイドルの番組を見ていた妹にすら、何一つ口にしなかった。


 自分の部屋にこもり、電気ストーブの放つ心地よい熱を浴びながら、僕は今こうして、事実と心情をつづっている。実際、風呂でめまいがして視界が閉ざされるなんてのは、ただのぼせ過ぎたというだけで、あまり特別な体験ではないのかもしれない。

 だがそれでも、あの美しい万華鏡がフェイドアウトしていく瞬間、僕は妙な感慨を覚えたのだ。

 またあの万華鏡を見たい、なんていう欲求がわかないこともない。とはいえ、命を危険に晒してまで同じ過ちを故意に繰り返すほど、僕は狂人ではない。

 風呂で歌を歌うと、それだけ酸素が消費される。

 歌に熱中すると、時間の経過など、地球の裏側を飛ぶハエの存在と同価値だ。

 ここしばらく、風呂で歌を歌うことは、恐らくしないと思う。


 ところで喉元を過ぎても忘れない熱さというのは、確かに存在するが、それとていつまでも覚えていられるわけではない。未来永劫、僕が二度とあの華の世界と対面することはない、などという保証は、どこにも存在しないのだ。

 そんなことを、人生の教訓に加えてみるのもいいだろうと、高校生ながらに、思った次第である。

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