機甲傭兵 かやくごはん
豊口栄志
【かやくごはん】
その傭兵が中国の歴史上、幾度目かになる軍事クーデターに参加したことは偶然だった。
たまたま彼の所属する傭兵団が奉天の軍事工廠から直売されている横流し品を買い付けに来たとき、その一帯を取り仕切る人民軍が中央政府へ反旗を翻したのだ。
あるいは偶然ではなく傭兵団の誰かが企図した織り込み済みの計画だったのかもしれない。とはいえ、クーデターに火が点いたのは彼の意図ではなかった。
そもそも傭兵には決定的に選択肢が欠けていた。大型運搬車の荷台に積み込まれた立体機動単座戦車の操縦座面に肉体を固定され、いつも寝返りさえ打てない格好で何日も機内に閉じ込められている。まるきり棺の中の死体のように。
むろん傭兵は生きている。鼻と口から喉の奥までパイプを通して酸素と栄養を外部から供給されて生かされている。排泄のほうは機内を満たす緩衝液に垂れ流しだ。
口のほうのパイプからは決まった時間に流動食が流し込まれる。
普段は匂いのしないベビーフードのような物だが、戦闘が近づくとそれにドラッグが混ぜ込まれる。その実体は
傭兵がまだ操縦者でなく少年兵だった頃は、野菜クズの浮かんだ味の薄いシチューに火薬をまぶした食事を配られたものだ。
食事の後には大人たちに言われるまま、激しい銃撃戦のある映画を観せられた。たいていランボーだった。
幻覚がキマって朦朧とした意識で映画を観ていると、少年時代の傭兵は、スタローンが自分の父親ではないか、と妄想することがしばしばあった。
傭兵に両親の記憶など無い。物心ついたときには武器を持って、大人の言うままに戦っていた。
けれど、単座戦車乗りになってからは少しだけ変わったことがあった。
戦闘が近づいて、いつものように火薬のブレンドされた流動食を流し込まれた後は、ときどき夢を見るのだ。
自分が幼い子供になって、小さな家庭で育てられる夢だ。
全く身に覚えはないが、ひどく懐かしい気持ちを掻き立てられた。
夢の中で傭兵は青ざめた色の天井を見上げていた。見渡せば、周囲を木製の格子に囲われている。ベビーベッドの上にいるのだろうか。
ふと、ベッドの中をひとりの女が覗き込んできた。視界がぼやけていて年嵩は分からないが、黒い髪で柔らかな声をした女だ。
彼女は傭兵を抱き上げ、腕の中に包み込む。その格好に深い安らぎを覚えた。
そのまま食卓まで連行された傭兵は、女に差し出された木匙に口をつける。
味のついた粥だった。香ばしい匂いと塩気。それから少しの甘酸っぱさ。
傭兵が何事かを呟いた。
それに応えて、女がほわほわと笑い返した。ように見えた。
何故、彼女は笑ったのだろう。
傭兵が取りとめもなくそう考えたとき、彼の指先に外部からの通信の反応が走り、目が覚めた。
即座に全身に血がめぐり、怒りに似た興奮が総身を支配する。
団長が作戦と命令を伝えてくる。いつもと同じだ。作戦は遊撃。命令は排撃。
すでに展開を始めた叛乱軍の機甲大隊らに随行し、彼らが撃ち漏らした敵を排除する。
傭兵からそう遠くない場所で赤黒い爆炎が巻き上がり、黒煙が空に昇る。
開戦の狼煙は単座戦車の外装を伝って傭兵に届いていた。
単座戦車の能力の全ては彼の指先の神経束に接続されている。
索敵、火器管制、戦闘機動、通信――機体のあらゆる装置は操縦座面に組み込まれた中枢演算装置を介して触覚情報へと変換され、操縦者の指の神経に入出力される。
そのため操縦者は一種の共感覚として情報を処理することになる。指先の感覚で敵を視て、距離を読み、地を踏みしめて疾走し、弾を撒いて炎を噴き、風のうねりさえも見通す。
操縦者は機体を手足のように操るのではない。そのもの手足として動かすことが出来るのだ。
立体機動単座戦車は戦車と名がついてはいるものの、部隊編成上は装甲歩兵小隊に分類される。小隊規模の戦力にまで拡張された強化装甲服に過ぎない。
ただしその形態に最適解は無く、使用者の望むように改変が可能である。極論すれば、操縦者を搭載する密閉槽と、機体を動かす動力部さえあれば、後の設計は自由だ。足は四輪駆動でも無限軌道でも二足歩行でも構わないし、腕や頭が生えていても何も問題はない。実用性と予算が融通する限りは……。
傭兵の駆る単座戦車の核となる本体部は、動力と操縦座面をまとめた、わりあい一般的な構造をしている。本体下部には固定武装として大口径ガトリング砲を懸架してあった。
本体後部には各種火器を搭載した武装部位が接続され、駆動系は本体から伸びる四つの脚と本体上部に搭載された二基のワイヤーアンカーが担い、機体各所に配置された噴進装置が空中機動を補助する。
本体の頭胸部と武装の腹部に、長い脚と吐き出した糸で移動するその姿は、鋼鉄の蜘蛛を連想させた。
傭兵の操る青銅色の蜘蛛が戦闘の渦中へ駆けつけると、戦車を前面に押し立てて進軍する叛乱軍と、それを迎え撃つ人民軍の人型単座戦車部隊とがすでに衝突していた。
装甲と火力に優れる旧来の戦車は、機動力と汎用性に勝る単座戦車に対して、戦力的に引けはとらない。
電子戦能力と随伴歩兵の携行火力を含めれば、叛乱軍の機甲大隊は強力無比な戦闘力を有している。
ただし戦場を設定する権利は迎撃する人民軍の手にあった。
首都・北京へ続く山沿いの幹線道路を塞ぐ形で敵の単座戦車部隊が配置されている。
白色の巨人たちは横並びになって左手に盾を構え、突出した戦車の鼻っ面へ火線を集中させるつもりだ。
両側を山に挟まれた地形を利用し、人民軍の手近な基地から守備隊を編成したのだろう。叛乱軍の足止めと消耗を狙った戦術だと、団長からの通信が傭兵に入る。
反乱軍の機甲大隊ならば敵の守備隊を突破可能だろうが、時間を食えば人民軍の航空戦力がやって来るはずだ。そうなれば上空からの攻撃で戦車に随伴する歩兵は全滅する。大隊の維持が困難になり、この先のクーデター計画に支障が出てくる。
とはいえ傭兵に大局を見る目など無い。彼がやるのは命じられた戦闘行為。それだけだった。
戦車部隊の横合いから飛び出して、人民軍の人型単座戦車の正面に傭兵はその身を晒す。一瞬、火砲の射線が殺気の矢となって外装を貫いたふうに錯覚する。その殺気が破壊の形を表す前に傭兵の単座戦車は切り立った山の斜面へ走った。
両アンカー射出、噴進装置起動、機体下部の可動砲で牽制の制圧射撃。それらを同時にこなし、単座戦車は大地を蹴った。
機体が浮かび上がった瞬間、小さく吐息を漏らした噴進装置が高圧のガスを一気に噴き出す。斜面に突き刺さったアンカーを高速で巻き取り、ワイヤーの張力で機体を支えながらガスを噴かす。
左右のワイヤーの巻き取りを絶妙に操作して、巨大な青銅色の蜘蛛は振り子のように宙を滑った。
単座戦車の四つの脚が斜面に着地したとき、傭兵の正面には人民軍の人型単座戦車たちが脇腹を並べていた。
蜘蛛の腹の上部が開口し、蜂の巣のように並ぶ連装噴進砲が露わになる。
傭兵の指が引き金を引き、砲口が溜め息をついた。
ロケット弾の雨が単座戦車部隊の肩口に降り注ぐ。大口径ガトリングの制圧射撃が敵を釘付けにして、鉄と炎の濡れネズミを作り出す。
傭兵の撹乱で陣形を崩された人民軍の単座戦車たちは、たちまち叛乱軍の戦車隊の餌食となった。まるで子供に蹴飛ばされた人形のように、戦車砲の直撃を受けた巨大な人型兵器たちは空中でバラバラに砕けて燃えた。
敵を平らげ気勢を上げる叛乱軍を見下ろして、傭兵は表情ひとつ変えず、指先の感覚だけで安堵の微笑を浮かべた。
叛乱軍は北京へと進軍するかに見せかけて、部隊を東へ転進した。
彼らはクーデター開始時から、侵攻が進めば人民軍が首都の防備を固めると読んでおり、元々この隙に手薄になった都市を制圧する腹積もりだった。
本当の目標は上海の制圧である。首都・北京よりも発展した都市である上海を軍事力で押さえることは大きな示威行動になると共に、巨大な経済圏の奪取に繋がる。その地の人間の生存圏を確保してしまえば市民にとっては首から上がすげ替わるだけに過ぎない。
上海にクーデター政権が樹立する。大きな抵抗運動は起きないだろう。この国の人間はいつだって長いものに巻かれる主義なのだから。
そのための第一歩として、大連を攻略する運びとなった。
大連のある遼東半島の先端・旅大半島の目と鼻の先には、山東半島が突き出している。目の前に横たわる渤海を渡れば、陸路で北京を迂回せず上海に侵攻可能となる。
戦力の中核を戦車が担う叛乱軍が海路を征く理由など本来は無い。だが先だっての彼らの勝利に呼応して、檄を飛ばした各地の反政府勢力らを糾合できた。それらを戦力として再編成し、上海攻略のために柔軟に運用する必要が生まれた。
大連の制圧は叛乱軍の戦力を明確に増強するための小休止を作るものとなるだろう。
謀反の一里塚を前にして、傭兵は単座戦車の操縦座面で夢を見ていた。
夢の中の傭兵はまだまだ幼い。揺りかごのような女の腕の中に抱かれて、閑散とした部屋を彼女のゆったりとしたスイングに合わせて眺め下ろしていた。
ふと部屋の入口が目に留まる。ドアの陰から小さな子供が顔を覗かせていた。
小さいといっても女に抱き上げられる今の傭兵ほどではない。五、六歳ほどのイガグリ頭の男児だ。身綺麗な子供服にむっちりとした身体を詰め込んでいる。
その子供がむっとした顔つきでじっと傭兵を睨みつけていた。
中国は、第二子以降の出産に際して多額の税を課したり、昇進を制限する、いわゆる一人っ子政策を、施行したり、または撤回したりを繰り返し、いびつな人口ピラミッドを維持していた。
この二十年ほどは撤回されずに施行され続けているはずだ。
一人っ子の横行する時代は、長子が蝶よ花よと育てられ、幼い自尊心をフォアグラのように肥大させるという。
ドアの陰の子供に気付いて、女は傭兵を幼児用の脚の短い椅子に降ろす。
子供のほうは赤い頬をますます紅潮させて鼻息荒く傭兵に歩み寄る。
女が何かをする間もなく、子供は傭兵に掴みかかり、椅子の上から硬い床に引き倒した。無力な傭兵は抵抗できない。されるがまま黒い髪を掴まれて引きずり回される。
この夢に痛みは無かった。
ただ湧き上がった女の甲高い悲鳴だけが耳に痛かった。
単座戦車の操縦座面で傭兵は目を開けた。耳の奥で女の悲鳴が響いた気がした。
気のせいだ。緩衝液に満たされた密閉槽に外部の音はほとんど届かない。内臓器官を圧迫保定する緩衝液の水圧で鼓膜が震えるはずがないのだ。
今は指先から拡張した触覚が耳の代わりに音に触れている。
脚の間に突き出した中枢演算装置を介して、単座戦車の外装の振動やパッシブセンサの反応が伝わってくるだけだ。
傭兵の単座戦車を積載する大型運搬車両の走行する鈍い振動が緩やかに止まる。ディーゼルエンジンの震えを残して運搬車両は停車した。
大連への侵攻が始まるのだと、傭兵の仕事意識が告げている。
十指の先に団長からの命令が届くと、それが導火線に火を点けたかのように、通信の感触が神経を遡って、眼の奥が熱を持つ。
青銅色の蜘蛛は立ち上がり、運搬車両の荷台を滑り降りた。
市街地戦闘が予想されるため、四脚の先端を独立駆動式の車輪に換装していた。可変式で、脚部に装着した車輪を足先に引き出して、歩行形態と走行形態を自由に切り替えることが出来るため、電撃的な展開速度を持ちながら、本来の機動力を失っていない。ただし空中機動に際し、駆動輪がデッドウェイトになるという欠点が新たに生じることとなった。
本体下部の固定武装であるガトリング砲はそのままに、後部武装部位にターレットランチャーを追加。小型噴進砲の火力を補うロケット砲に、場面に応じて使い分けられる特殊弾頭を詰めた弾倉を仕込んである。
おまけに密閉槽のある本体前面を保護するためにラッセル状の前面装甲を追加した。見た目は短いくちばしを付けた蜘蛛である。だがセンサ類の性能を妨げる追加装甲は、傭兵にとっては全部の指にコンドームをはめられているようで、すこぶる不評であった。
叛乱軍は行き交う一般車両を顧みることなく大連への道を進軍する。絶え間なく降り続く雪のように、全てを塗りつぶすがごとく障害を踏み潰して、着実に街へ侵攻してゆく。
戦車大隊は随伴歩兵を伴って進軍するため、電撃作戦とはいえ爆発的速度で侵攻することはできない。
――が、それはあくまで整然とした行軍での話だ。
道路が都市部に合流した途端、手綱から解き放たれた猟犬さながら、戦車隊の随伴歩兵を搭載した機動戦闘車が戦車を追い越して街に雪崩れ込んでいった。
現代の戦闘は大きく分けて二種類しかない。長距離爆撃からの制圧戦と、アドリブに富んだゲリラ戦だ。
叛乱軍は後者を選択した。機動力に富む機械化歩兵部隊による奇襲で大連に浸透し、後詰めにやって来る戦車の火力で有象無象の抵抗勢力を吹き飛ばすつもりだ。
傭兵の単座戦車は機動戦闘車と戦車の隙間を繋ぐ位置を走って市街地へ滑り込んでいった。
大連は十分に発展した都市だがその景観はいささか奇妙だ。かつてロシアや日本の支配下にあったせいか、現代建築がどれほど中華風の装飾に彩られていても、どこか異国の風を漂わせている。
その無国籍の街角には、災害を警報する街頭スピーカーから中国語の注意喚起が流れている。傭兵には何を言っているのかさっぱり分からない。
ひとつ分かることは、状況に翻弄される市民たちの中にも敵の斥候がいて、警句をがなり立てる街頭スピーカーの喉元にいるそいつらを殺さなければならないということだ。
白昼の大連を無辜の人々が逃げ惑う。ビジネス街だからか、蜘蛛の子を散らすように走り去るスーツ姿が多く目につく。その中で足を止めて物陰で携帯端末を操作する男を見つけ、傭兵は考える間も無く彼に向かって引き金を引いた。
ブオン、とガトリング砲が盛大なクシャミかますと、大口径ライフル弾がスーツの男に殺到する。豆腐を突き崩すようにビルの角が削れ飛び、射線が足下から脳天までをなぞって物陰の男を左右に引き裂いた。衝撃で血も肉も吹き飛び、路地には腕と脚だけが一組ずつ転がった。
人ひとり殺すためにえらく弾を消費した。ガトリング砲の連射性能も考え物である。
単座戦車で人間を狙い撃つのは割に合わない。かといって傭兵の単座戦車は、人間を轢き殺すような構造をしていない。
さりとて敵守備隊の単座戦車が現れるまでは疑わしき市民を殺戮しなければならない。
推定死罪の原則を掲げて傭兵の単座戦車は逃げ惑う人の群れを追った。
彼らの一部は単座戦車の入り込めない路地にネズミのように逃げこんでいく。
鋼鉄の蜘蛛はすかさずそれを追う。独立駆動の四輪が機体を横滑りさせて路地の前でピタリと停まった。
群がるアブラムシのように細長い裏路地にびっしりと人間が詰まっていた。路地の先まで逃げおおせた者は幸運だったろう。これから起こる殺戮を知ったのならば。
傭兵は人の波を貫くつもりでガトリング砲を撃ち放つ。ほんの短い咆哮で手前の人間は挽肉に変わり、貫通した弾が後の人間に重傷を負わせる。かすっただけで肉の吹き飛ぶ大口径弾だ。一瞬で路地に悲鳴と呻き声と血と肉が溢れた。
傭兵は後部武装部位のターレットランチャーを起動する。ロケット砲の砲身に装着された弾倉がガチン、ガチンと順繰りに回転し、赤い色の特殊弾頭を選択する。砲身の内部では共通弾体に特殊弾頭が結合されている。
傭兵は引き金を引いた。
砲口から特殊弾頭の先端だけが飛び出した。不発ではない。赤い三角錐は負傷して身動きの取れない市民の頭上を飛び越えていく。その尻からは銀色に光る糸のようなものが螺旋状にほどけて伸びていた。弾頭が路地の先まで届いて地に落ちると、遅れてあの銀糸がふわりと人々の上に載せられる。それはわずかに粘度を持ち、ジグザグに伸ばした横糸の間ににちゃけた細い縦糸を引いていた。
その糸のぬめりと鼻につく臭いを嗅ぎとった者は、負傷をおしてその場を逃げ出そうともがく。だがもがけばもがくほど糸同士が互いに細い糸を引き直し、糸の範囲を広げていく。
ランチャーの砲口から遅れて糸の繋がった砲弾が発射される。それは単座戦車の手前、ほんの二メートル先に落下した。
瞬間、炎が巻き上がった。
燃焼剤を編み上げた糸の上を炎が走り抜け、瞬く間に路地を紅に染め上げる。空気を切り裂く数十人の悲鳴が断末魔の叫びへと声調を変え、燃え盛る炎が酸素をむさぼると、それさえも立ち消えた。
傭兵は炎の中に、幼い我が子を抱きしめる母親の姿を見た。助かるはずもないのに子供の身体を火の着いた腕の内に抱き込んでいく。
糸は弾体の燃焼剤を吸い上げ、さらに火勢を増す。炎は温度を高め、熱源と赤外線を見張るセンサを真っ白に塗りつぶす。傭兵の指先はその白塗りの景色の向こうに、見覚えのない光景を幻視する。
これは夢だ。
夢の傭兵は幼い子供で、彼は女の腕に抱きしめられている。
彼女は涙声で叫んでいた。声の向かうほうを見れば、男が傭兵の細い腕を強い力で掴んでいる。
女は泣きながら何かを訴えている。男は力任せに彼女を蹴り飛ばすと、女が抱く傭兵を奪い取って、引きずるようにどこかへと連れて行く。
中国では一人っ子政策の重税を避けるために、第二子以降の出生届を出さない家庭があるのだという。戸籍の無い子供たちは
傭兵の指が鋭く動く。ターレットランチャーが背後に向けて放たれる。
躯体を急速旋回させると、飛びかかってくるロケット弾を一刀のもとに切り払った人型単座戦車の姿が目の前にあった。
先日、噴進砲の雨を浴びせたものと同じ型の人民軍の量産機だ。
しかし歴戦の傭兵には解る。この敵はあれらとは違う。機体の反応速度も操縦者の練度も比べ物にならない。
遮蔽物の多い市街地での戦闘は単座戦車にとって遭遇戦を引き起こしやすい。とはいえ傭兵が敵機にここまでの接近を許したのは、あの夢に浸っていたせいだ。
意識を眼前の敵に切り替え、両のアンカーを正面に射出。ワイヤーアンカーは敵機の両脇を過ぎて向こう正面のビルの壁面に突き刺さる。
ワイヤーを巻き上げると同時に噴進装置を起動。駆動輪を全力で加速させる。
相手の逃げ場を無くした上で最速で懐に突っ込む。ラッセル状の前面装甲を衝角代わりに相手の土手っ腹に突き立てれば、後は固定武装のガトリング砲を密着状態で撃って終わりだ。よしんば反撃されても前面装甲の傾斜で受け流せる。
傭兵の最短最速の攻撃を、敵は対戦車蛮刀を大上段に振りかぶって迎え撃つ。
単座戦車の質量と加速は格闘装備では止まるはずがない。傭兵の指先はすでにガトリング砲の引き金に掛かっている。
勝利を確信したとき、影のようなものが機体の上方を横切ったかと感じた。
瞬間、敵機の蛮刀が前面装甲に食い込んでいた。
敵は蛮刀を振り下ろすと同時に機体を前宙させていた。飛び上がって機体の重量と回転速度を刀身に乗せて、傾斜した前面装甲の中央に正確に刃先をぶち当てた。
高い判断力と精密な操作、素早い決断。間違いない。この操縦者は本物だ。薬物と改造手術で感覚を拡張した傭兵とは違う、本物の達人だ。
おそらく長年に渡って武術や格闘技の修行を積んできたのだろう。その感覚を指先で再現している。そのための『人型』なのだ。
追加した前面装甲の接続部が歯の折れるような嫌な音を上げて壊れる。蜘蛛に付け加えたくちばしが剥がれ落ちる。
その短い時間に、傭兵は武装部位の連装噴進砲を起動する。装甲が口を開け、無数の砲口が未だ空中にいる人型単座戦車を一斉に睨みつけた。
避けられるはずのないこの隙を逃さず、傭兵は噴進砲を斉射した。白煙を上げて小型ロケット弾の束が空に上がる。
同時に、傭兵の機体に奇妙な荷重が掛かる。ほんの一瞬。操縦座面のある密閉槽の真上に。
トス、と軽い音が傭兵の隣に立った。不思議なことに、ロケット弾の群れを浴びるはずの空中の機影が感知できない。
ロケット弾たちは敵機を見失い、虚空を突き進んで遥か上でビルの屋上を吹き飛ばした。
剥がれた追加装甲が対戦車蛮刀を突き刺したまま地面に落ちたとき、傭兵の隣に敵機の反応があった。
敵は空中で蛮刀を手放し、そのまま傭兵の機体の上で側転を打って噴進砲を回避せしめたのだ。
傭兵が取りうる最速の反撃を、いとも容易くすり抜けて見せた。
弾かれたように傭兵は飛び退く。敵と距離を取らねば格闘だけで四肢をもがれて殺される。
敵の追撃を防ぐように、噴進砲が破壊したビルの瓦礫が両者の間に雪崩れて落ちる。
傭兵はガトリング砲で睨みを利かせたまま、後ろ向きに機体を走らせる。駆動輪のおかげで速度は稼げた。
緩やかに湾曲した路地を抜けると急に空間が開け、複数の道路が合流する円形の広場に出た。
街から広場に流れ込んだ十本の道路たちが広い
だが今は閑散としていた。大昔の日本人が設計に携わったという古風な建築物には無残な穴が開き、そこから煙が噴いている。青々とした芝生も戦車の履帯の形にめくれ上がっていた。ここにはもう敵も味方も、逃げ惑う市民もいない。
留まるか、逃げるか。この場にはふたつの選択肢だけがあった。
怪物じみた敵機から逃げて味方と合流するか。逃げ道は九本も用意されているのだ。加勢があれば、あの狂気の沙汰を倒せるかもしれない。
もしくはここであの強敵を始末するか。敵機の来る方向は分かっている。迎え撃つならばここしかない。単座戦車の機動力と火力が活かせる空間も確保されている。だが戦闘が長引いたとき、後からやって来る増援が敵か味方かは予想できない。
選択肢はふたつだ。
そう……本来ならば。
この単座戦車を駆るのが、この傭兵でなければ、選択肢はふたつもあったのだ。
しかしこの傭兵には選ぶべき選択肢など無かった。
傭兵にはいつだって決定的に選択肢が欠けているのだ。
単座戦車の操縦座面にくくりつけられて、一体どこへ逃げるというのか。
戦って戦って、壊して殺して、そうして生きてきた。
命令があって、戦場があって、武器があって、傭兵がいる。
戦うことしかできない。あるのは自分より強い敵をどうやって殺すかという思案だけだ。
傭兵は親を知らない。兄弟を知らない。自分がどこで生まれ、どこから転げ落ちていったのかを知らない。いつの間にか死に損なって、今もまだ転げまわっている。
知っているのは、命の削り方と、まずい飯の味だけ。
傭兵はターレットランチャーの特殊弾頭を選択する。
こんな器用貧乏な兵器を載せるくらいならロケット弾をたくさん撃たせてくれ、と思いながら、あの蛮刀使いが来る路地目掛けて引き金を引く。
発射された青色の弾頭はロケット弾らしい弾道で地を這うように宙を走ったかと思うと、空中で急停止して頭から地面に突き刺さった。
束の間、不発弾のように不動の姿勢を取ると、やにわに弾頭に開いた穴からまとわりつく濃霧のようにねっとりとした白煙を吐き出した。
あらゆる情報を触覚で処理する単座戦車に対して有効性を持つ煙幕である。純アルミニウム粉末を空気中に滞留させ、電磁波計測によるセンサ類を妨害する。単座戦車の操縦者からは真っ白な壁が現れたように感じるかもしれない。
温度や音波を頼みに空間を走査すれば、この発煙筒の位置は知られてしまう。ところが火器でこれを吹き飛ばそうものなら、煙幕に混じった弾体の燃焼剤に引火する。燃焼剤に含まれる酸化剤と煙幕の純アルミニウム粉末がテルミット反応を起こし、白煙はたちまち赤炎へと変わるだろう。霧の焼夷弾である。
傭兵は十字路の中央であの人型単座戦車を待った。
そう間を置かず、睨みつける煙幕の一部が不意にくにゃりと歪んだ。
白煙を突き抜けて金属塊が高速で飛来する。火器ではない。対戦車蛮刀を投げつけてよこしたのだ。
まっすぐ向かってくる蛮刀を、傭兵は咄嗟にワイヤーアンカーで迎撃する。アンカーが蛮刀の勢いを削ぐと同時にワイヤーが絡みつく。即座にワイヤーを巻き上げて軌道をずらした蛮刀はワイヤーを巻き込んだまま地面に突き立てられた。
そのとき白煙の向こうからビルの壁面を蹴り上げて人型単座戦車が空中に躍り出た。
傭兵はすかさず発煙筒に向けてガトリング砲を発射。霧は紅蓮に燃え上がる。
人型単座戦車は空中で巨躯を翻し、鉄をも融かす高熱の炎の障壁を飛び越えて行く。
地面の舗装を融解させて燃え盛る炎を背に、人型単座戦車は片手を突いて着地した。
顔を上げる。敵機頭部に詰め込まれたレーダー群が無数の視線を傭兵に飛ばしてくる。
敵の電子戦攻撃が目に見えない波動となって密閉槽の内側に浸潤し、傭兵の身体をなぞったかに感じた。
殺気にあてられたのだ。
恐怖にかられて発狂する程度の平常な人間の神経など、傭兵は持ち合わせていなかった。それでも反射的にガトリング砲の引き金を引いていた。
空間を横切る大口径ライフル弾の羅列を自機が感知したとき、敵機はすでに着地点から駆け出していた。巨人が巻き起こした風にあおられたかのように燃焼剤を食い尽くした炎が霧散する。
砲口が敵を追う。巨人は右へ左へまるきり身軽に飛び跳ねて軽やかに弾雨を逃れる。
野生の獣のようにしなやかで俊敏な高速機動。敵機の操縦座面には常人ならば気を失いかねないGの嵐が吹き荒れているはずだ。
傭兵の制圧射撃と、高速機動がもたらす目に見えない暴力を同時にいなし、敵機は距離を詰めてくる。
石畳の路面を蹴り砕いて猛進する人型単座戦車は、傭兵に肉薄するとその身を宙へ翻す。
傭兵の胸に赤く熱した焼きごての触れる感触が走り抜ける。一瞬の冷たさとその後に訪れる燃え上がる灼熱の痛み。命を鷲掴まれる本能的恐怖である。
固定武装のガトリング砲は単座戦車の下部に懸架されていてほとんど仰角が取れない。連装噴進砲も射線が合わない。ターレットランチャーの弾速では弾き返される。
たった一度の跳躍で反撃の手が消え失せた。
ほんの数瞬の隙だ。ただしそれは致命的な数瞬に他ならない。
傭兵は口の中に挿入されたパイプをきつく噛んでいた。緩衝液を傭兵の指が鋭く掻いた。
瞬間、ワイヤーアンカーが高速で巻き上がった。
地面に突き刺さった対戦車蛮刀が絡んだワイヤーに引き抜かれ、意志を得たように宙に飛び上がる。
噴進装置が鋭い咳払いをして機体の重心を揺らす。ワイヤーに連なる蛮刀が背負い投げの原理で空中に弧を描いた。
その分厚く大雑把な切っ先が持ち主の首元へ吸い込まれるように走った。
人型単座戦車はこともなげに
単座戦車の重量を乗せた一撃は分厚い装甲を貫き、密閉槽に亀裂を走らせる。
敵機が着地したとき、密閉槽を満たしていた緩衝液が機体表面に噴き出した。
装甲に刺さった蛮刀の根本から、薄めた血のように赤い液体が一度に流れ出し、機体表面を伝って粘り気をもった雫がわずかに糸を引いて地面に滴る。
緩衝液の漏出が止まると、機体の足下には一面赤い水たまりが広がっていた。
青銅色の蜘蛛は沈黙した。
人型単座戦車は蜘蛛の頭に突き刺さった蛮刀を引き抜く。絡みついたワイヤーを器用にほどいて取り除くと、緩衝液に濡れて妖しく光る愛刀を大上段に振り上げた。
傭兵の乗る密閉槽へ再び蛮刀が振り下ろされようとしたときだった。
ガトリング砲が吠え声を上げた。脚を刈り取る射撃を、敵機は片脚をひょいと上げてかわして見せる。
傭兵は密閉槽の中で文字通り息を吹き返していた。密閉槽に至る一撃は致命打ではなかったが、パイプからの空気供給を断たれた。操縦座面から賦活剤が無痛注入される。口中に残った緩衝液を吐き出して久方ぶりの自発呼吸を行う。鼻粘膜にこびりついた緩衝液と鼻腔に挿入された呼吸用チューブのせいでひどく息苦しい。
ほとんど息を止めて、傭兵は再び単座戦車を駆る。手始めに本体と武装部位の連結を解除した。
敵機の片脚が浮いた隙を突き、身軽になった機体で相手の側面へ回り込む。敵の蛮刀が一瞬前まで傭兵のいた虚空に振り下ろされた。
円運動の生み出す遠心力は緩衝液を失った傭兵に相応のGをもたらす。仰臥した姿勢で首がもげそうになった。
ワイヤーアンカーを巻き上げて、からげたワイヤーに敵機が気を取られているうちに寝台状の操縦座面を変形させる。傭兵は強張った肉体を機械の座席に折り畳まれるようにして抱き起こされ、中枢演算装置の出っ張りにまたがる形で座った。レーシングバイクを駆るような極端な前傾姿勢は、その実、傭兵を背中から抱き込むように変形した座面に拘束具で磔にされている状態だ。
手元に突き出した安定棒を握り込み、両手の位置を固定すると、指先が流れるように動いた。単座戦車が履く駆動輪を引き上げ、剥き身の四脚を露にして後ろに飛び退る。
間一髪、噴進装置の吐息を引き裂いて、振り返りざまに敵機の蛮刀が斬りつけた。
密閉槽に開いた亀裂からは陽の光がチラチラと煩わしく射し込んできて、傭兵は触覚に集中するために目をつぶった。
不意に瞼の裏に見知らぬ光景が浮かんだ。夢だ。生きるか死ぬかの最中に、傭兵は指先を戦場に触れたままで、夢を見ている。
黒い髪の若い女が幼い傭兵に木匙を差し向ける。傭兵はチューブの詰まった口をもごもごと動かして夢の中の飯を頬張る。
塩気のついた柔い粥にほんのりと甘酸っぱさが混じる。夢の中で何度も食べた味だ。あたたかい味だ。
傭兵の口が何かを話して、女が柔和に微笑み返す。アンカーの巻き取りが完了した。
即座にその片方を射出。射線を見切った敵に僅かな所作でかわされたアンカーは、広場に根を張る樹木に突き刺さってワイヤーを空間に張り渡した。
ゆらりと攻撃に転じてくる敵機に向けて傭兵は再び引き金を引いた。
ガトリング砲ではない。アンカーでもない。切り離したターレットランチャーを遠隔操作で発射したのだ。
傭兵は敵との距離を保ったまま横に飛ぶ。敵は一瞬背後を振り返るも、張られたワイヤーに脇腹を押されて傭兵に意識を向けた。
遅れてランチャーの弾頭が飛来する。それは敵機の頭上を越えて傭兵の脇に落下した。
赤い特殊弾頭である。
弾頭の尻から伸びる銀色の糸がふわりと敵機に降り掛かる。敵は肩を揺すり、腕を回してそれを振りほどこうとするが、糸はねとねとと細い糸を伸ばすばかりで離れない。
炎の壁を飛び越えて広場に降り立った敵機は、その折に背面を焼かれていた。背中のセンサ群は用をなしていない。それでもまっすぐ向かってくる悪意であるならば、目の前の怪物は気配を察知したかもしれない。
傭兵はそれを見越してあえて曲射弾道を描く弾速の遅い特殊弾頭を放ったのだ。
敵機は自らを顧みず傭兵に向かって蛮刀を振り上げて踊躍する。
残ったアンカーを真正面に打ち出す。蛮刀が見事に切り払ったとき、炎が舞い上がった。
銀の糸を伝って燃え上がった炎が敵機の上半身を包み込む。傭兵の瞼の裏で泣き叫ぶ女の声が轟いた。
男の太い腕に抱かれて、傭兵は叫声を上げる女を見つめた。
装甲に損傷の無い敵機に炎は効かない。ただその熱が全身のセンサを機能不全にする。
炎の目眩ましを施され、それでも向かってくる敵に、傭兵はガトリング砲の引き金を引いた。
女は火が着いたように泣きじゃくり男に掴みかかるが、大きな拳で殴り飛ばされる。
傭兵は男の腕の中に掴まれたまま女を見ていた。部屋の壁に叩きつけられてぐったりとうなだれ、さめざめと泣く女の姿が遠ざかっていく。
人型単座戦車の炎に彩られた部分が白く不明瞭なかたちに感じる。
その白抜けしたところに倒れ伏す女の顔がぼやぼやと浮かんでは消え、映ってはくすむ。
ゆらゆらと陽炎をまとって近づく敵機に、大口径ライフル弾の群れが殺到する。
炎と火の粉を散らす機体に火花が弾け、ひきつけを起こしたように敵機の全身が火の中に踊った。
白抜けに浮かぶ女の顔が一瞬はっきりと見えたかと思うと、傭兵の目の前で狂気じみた強さを誇っていた敵が膝をつき、ゆっくりとくずおれていく。
カラカラ、と密閉槽の亀裂から鳴き声が侵入する。ガトリング砲が弾を吐き尽くした音だ。
怪物を始末するために傭兵の単座戦車は戦力のほとんど全てを出し尽くしてしまった。傭兵は傭兵団の本隊に通信を入れて、戦線の離脱と機体回収の要請を伝えると、機体からの脱出を試みる。
蛮刀の一撃で上部装甲が変形している。正規の乗り込み口は開放されない。非常脱出口を作動させる。
ガタガタと震えながら、大きな顎を開くように密閉槽の底部装甲が剥がれ落ちる。
操縦座面が露になり、陽光が足下から溢れ出して傭兵を包んだ。
指先から入力される機体情報と、炎上する敵機の熱をはらんだ生暖かい外気の感触とがないまぜになって、傭兵の触覚を束の間惑わせた。
傭兵はおもむろに自分の鼻口に挿入されたチューブを掴むと、一瞬顔をしかめて一息にそれを引き抜いて打ち捨てる。喉と鼻腔を傷つけるおかげで口の中に血の味が広がった。
鉄の匂いのする空気を胸いっぱい吸って、傭兵はそろりと地面に足を下ろす。ひやりとした土の感触が素肌を伝わる。痩せた脚を繰り出して歩く。一歩、二歩。青白い肌を直射日光があぶる。細い腕の先に生え揃ったピアニストのように長い指先には単座戦車の操縦装置が外科手術で埋め込まれていて、そこから伸びる長いケーブルを引きずったまま、傭兵は太陽の下に裸体を晒した。
もうずいぶんと傾いた鋭い西日が広場を照らしていた。今少しすれば日が暮れるのだという現実が、傭兵には妙に新鮮に感じられた。
ほのかに潮の香りの混じった風が吹き渡る。
風にあおられて傭兵の長い濡れ髪が流れる。
長い、金髪が。
ふと傭兵の緑色の瞳にあるものが映った。
広場の隅に置き去りにされた移動式の屋台だ。屋台といっても屋根も無ければ座席も無い。乳母車ほどの大きさをした荷車が一台横転している。荷車に搭載された保温器からは昼飯時に販売されていた弁当が転げ出ていた。
傭兵は指先から伸びるケーブルを引きずりながらそれに近づいた。
しゃがみ込んで荷の中のものをひとつ掴み出す。
竹の皮で包まれた正四面体をしたそれは、まだ熱をもったままの、ちまきだった。
ちまきを縛る紐を歯で噛みちぎり、封を解く。皮の中には蒸された米がみっちりと詰まっている。
傭兵は湯気を立てるその頂点にかぶりついた。
もっちりとした餅米の塩気に舌が驚く。味のないペーストをチューブで喉奥に流し込まれていた口は味覚を忘れていたらしい。出汁の沁みた飯粒に香ばしい油気がよく絡んでいる。
口の中でほどけた飯からは弾力のある鶏肉がまろび出る。噛むほどに滋味深い肉の存在感が舌の上に広がっていく。傭兵はそれを噛みしめて、飲み込んだ。
チューブを引き抜いて傷ついた喉を食べ物が流れ落ちていく。ぬめりをもったその感触はひりつく喉に心地よかった。胃の腑に達すると、じわりと腹が温かくなる。
もう一口。かぶりついたちまきからは、ほくほくとした栗が現れる。歯に触れると途端に崩れて、噛むたびに砕けた栗の甘味が飯に溶けていく。その奥からは椎茸が顔を出す。くにくにとしたキノコ特有の食感と、強い味と香りがちまきの味に奥行きを広げる。
嚥下して、ほぉっと長く息を吐いた。血の匂いに混じってちまきの香気が鼻を抜けていく。
「
口をついて出た自分の声が耳慣れない言葉を紡ぐ。
傭兵は擱座した機体を振り返った。
指先から伸びるケーブルの先には露出した操縦座面があって、そこから薄墨色の樹脂で固められた中枢演算装置が突き出している。
射し込む夕陽が曇った樹脂を透かした。
硬化樹脂の中には人間の子供の脳が浮かんでいた。
ふと目が合った気がして、傭兵は脳のかたちを見つめながらちまきを平らげた。
街ではまだ遠くで戦闘の音が響いている。耳馴染んだ殺戮と破壊の音だ。
傭兵は黙ってふたつめのちまきを取り上げた。
かやくごはん 完
機甲傭兵 かやくごはん 豊口栄志 @AC1497
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