第7話
昭和五十六年一月十日、有限会社「コーノス」のスタート。
まずまずのスタートとなった。予定通り、昼は入り切れないほどのお客さんが来てくれた。
その年には私は、まだ結婚していなかった。三十歳までに店を開店させることを優先させることを守った。
御徒町店を手に入れることだった。専務のメニエール病は、一種の神経症で特効薬は無く、完治しにくい病気だからである。
そこの店長である五味さんを手懐けておいた。逐次打ち上げの報告をするようゴルフで接待もしていた。
私の店は順調で、二年目には目標の売り上げを出すようになった。それに比べ、御徒町店の売り上げは減るようになってきた。
三月のある日、風の強い日であった。御徒町の五味さんから「専務が倒れた!」という報告があった。
店は、まだ私を見捨ててはいなかった。買い時だと思った。
その頃にはバブル崩壊の波が、日本中を座巻していた。山一証券が破綻し、北海道拓殖銀行が倒産していた。
バブル時の投資が裏目に出たのであった。三百万円もしたNTTの株券も三十万円になり、六千万円もしたゴルフの会員券が、手数料さえ出ない有り様だった。
そのゴルフ会員券を買った田中制服店の社長が店を畳み、タクシーの運転手になった。
石和にあった別荘までも売って穴埋めしようとしたが、それだけでは間に合わなかった。
それでも彼の馬券買いは止まらなかった。彼には台東二丁目に貸しビルが二棟残されていたからである。
ついに、彼の従業員が御徒町店で、私に愚痴を零すようになるまでになった。社長は、会社の財産を食い潰して行くと。
彼は残った賃貸物件を売り尽くした。彼は、それからは、私の店に現れなかった。己の尻に火が付いたようである。
上野店の上客であった。休憩時間には必ず三千円の出前があったのだから!
その後は、御徒町の店でも上野の店でも売り上げが急速に減っていった。
私は、上野の店を開店する時、既に五店舗を持つことを夢見ていたのだから……。
その目的の店、神田船団が倒産したのである。
その頃だった。船団の社長が上野の店を訪ねてきたのは。
「銀座店と田町店を買ってくれないか!」との要請があった。
私はそれらの店を訪ねてみて、二点の寿命が残り二年間と近づいていたことを知った。
両店の周りにもドトールコーヒーとスターバックスに攻め立てられているのを知ったのだから……!銀座の店の夜はビアホールになっていたのだから……!
私は、その時初めて、目標の十店舗を持つことを諦めたのだから。
「事実上、私の十店のチェーン店化する、という夢は、潰えたことになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます