第六話.さらなる変化

 「武内ちはや」が初潮を、「武内馨」が精通(なぜかアソコから出た液体なのに妙に白っぽかった)を迎えたことによる影響は、本人達は元より周囲にも幾つもの波紋を投げかけた。


 まず、週末に予定されていた田川邸での撮影会はちはやの体調を考慮して延期となった。

 「ごめんね、ククルちゃん。せっかくセッティングしてくれてた、おばさまにも謝っておいてもらえるかな」

 「いいんですよ。それよりちはやさんのお身体の方が大事ですもの。初めての時は長引くものですし」

 申し訳なさそうなちはやの言葉に、お嬢様育ちなククルはおっとり答える。

 「まぁまぁ、「アレ」なら仕方ないよ。それにしても、ちはやちゃんに“来て”」なかったのは、ちょっと意外かな。言われてみたら確かに、苦しんでたトコ見た記憶ないけどさ」

 秋枝の言葉に真っ赤になるちはや。

 「えっと……う、うん。あの、ふたりは、もう?」

 「ええ、わたしは昨年の秋ごろだったでしょうか」

 「あたしは、今年の春先からかな~。わかんないコトがあったら何でも聞いてね!」

 ちょっと得意げに「女の子の日の先輩」として胸を叩く秋枝の様子が微笑ましい。

 「あはは。うん、そうだね。何か困ったことがあったら教えて」


 そして担任の天迫星乃は、これまで以上にちはやのことを気にかけてくれるようになった。

 「あの……ありがたいですけど、どうして?」

 先生がえこひいきしたら、マズいですよね? と首を傾げるちはやに、星乃は苦笑する。

 「ええ、確かにそうなんだけどね。ま、先生も身に覚えがあるから……」

 「?」

 「前に言ったでしょ。先生、元男だったって。でも、高校時代に女の子に“なって”る時に生理が来て、男に戻れなくなっちゃったのよ」

 ある事情から特殊な生体スキンスーツで女子に変装していたところ、それが皮膚と一体化し、細胞レベルで浸食されてしまったらしい。

 「え、えーと、ぼくはすぐに元の立場にもどるつもりなんですけど……」

 そもそも体自体は変わってないはずですし、と付け加えるちはやに、意味深な視線を投げる星乃。

 「そうね。戻れるといいわね」

 「は?」

 「先生も、当初は別に女の子になるつもりは毛頭無かったんだけど……世の中にはハプニングとかアクシデントってものがあるからね~」

 「ふ、不安になるようなコト言わないでくださいぃ!」

 「あら、ゴメンなさい」

 うるうると涙目になるちはやを尻目に、星乃はコロコロと楽しそうに笑う。

 「大丈夫。女の子もね、慣れると楽しいものよ」

 「──それは、まぁ、わかりますけど」

 両肩に手を置いて優しく諭す星乃の言葉に、ちはやも、ついポロリと本音を漏らしてしまう。

 (あらら……コレは、もしかしたらもしかするかもしれないわね)

 無論、それをあえて指摘しないのが、「大人の優しさ」というヤツであった。


 武内家に関して言うなら、母親がそれまで以上にちはやに家事の手伝いをさせようとするようになった。

 以前の「かおる」はそんな母の言葉を柳に風と受け流していたのだが、そこまで要領の良くないちはやの場合は、なんやかんやで結局手伝わされるケースが多かった。

 しかし、災い転じて福と言うべきか。

 「それでね、ボウルはよく洗ってから、乾いたふきんでよく拭いておくの」

 「なんでー?」

 「余分な油分や水分があると、ちゃんと固まったメレンゲにならないからね」

 「へぇ~」

 「それで、卵白を泡立てるときは、泡立て器だけを動かすのじゃなくて、空いている手でボールも動かしてみてね。空気を含ませるの」

 「こ、こう、かな、お母さん?」

 「ええ、そんな感じ。上手よ、ちはやちゃん。ここまで来たら、まずはお砂糖を半分入れて、さらに泡だててみて」

 「はーい」

 「そうそう、いい感じ。そこまできたら残りの砂糖と、レモン汁も入れて、さらに混ぜ合わせて……」

 「んしょ、んしょ……」

 「はい、そこまで! うん、上出来よ。ほら、ちはやちゃん」

 母親が指先でひとすくいしたメレンゲをちはやの前に差し出す。“彼女”は躊躇いなくそれを口にした。

 「あ、美味し」

 シンプルながらまろやかな甘みとほのかなレモンの酸味のおかげで優しい味がした。

 「ふふふ、このままでも十分食べられるけど、せっかくだからオープンで焼いてクッキーっぽくしましょ。搾り袋に入れて、オーブンの天板にちょこっとずつ並べてみて……そうそう。あとはこれをオーブンで焼けば完成よ」

 「わーい、早く焼けないかなぁ♪」

 本来の千剣破は「貴方作る人、僕食べる人」を地でいくグータラ少年だったが、母親に褒められおだてられつつ励む内に、「ちはや」としては少なくともお菓子作りに関してはそれなりの興味を示すようになったようだ。


 逆に父親の方は、以前にも増して娘に甘くなった。「ちはやもレディ予備軍として、おしゃれにも気を使わないといけないだろうから」と、いきなりお小遣いを3000円アップしてくれたくらいだ。

 「──だからって、そのアップ分をおやつにして食べちゃうのはナシだぞ?」

 「ぶぅ~、お父さんヒドい! ぼく、そんなことしないもん!!」

 おやつは自家製で賄うようになったので、まぁ確かに買い食いはしてないワケだが。


 一方、バレー部幽霊部員で半帰宅部のため、“妹”に比べて劇的な変化には乏しかった馨のスクールライフも、とある破天荒な先輩との出会いから新たな色彩が加わろうとしていた。

 「バードマン研究所? なんです、ソレ?」

 「HAHAHA! 武内くん、キミは鳥人間コンテストというのを聞いたことはないかい?」

 「えぇーっと、確か某テレビ局が主催している人力飛行機の大会でしたっけ。

 ──ああ、なるほど、だから“バードマン”なのか。察するに人力飛行機を作ろうとしている同好会ってトコですか?」

 「うむッ! 察しが良くて助かる」

 「はぁ、それで日輪先輩……でしたか。その同好会の方が僕に何か?」

 「無論、スカウッツだ! 武内くん、キミはまさに我が研究所が求める理想の人材なのだよ」

 最初はふんふんと聞き流していた馨だが、人力飛行機の操縦者としては「小柄で軽量だが、運動能力はべら棒に高い人間が最適」と説明され、熱心に勧誘されるにつれて、少しずつ心を動かされる。

 バードマン研究所(バー研)は、さながら某春風高校の如くフリーダムな部活の多い都蘭栖高校においても、トップクラスに変人の集うサークルであったが、それは同時に「退屈とは無縁な毎日」をも意味する。

 気がつけば馨は、意外にメカ好きな友成やフリーダムさなら負けていない龍司ら悪友とともに、いつの間にか放課後、バー研に顔を出すようになっていた。

 「──当分は、助っ人ってことで、お手伝いさせていただきます」

 さすがに、本来この場にいるべき妹(正しくは兄)の千剣破の意志を無視して入部したりはしなかったものの、どうやら馨もまた「高校生らしい(?)青春」に邁進するようになったようだ。


  * * *  


 さて、そんな幾つかの変化が発生しつつも、表面的にはしごく平穏に“兄妹”ふたりの日常は流れている。

 翌週の月曜にはちはやの生理も終わり復調していたが、残念ながら大雨のため、体育はプールではなく体育館で行われた。

 跳び箱やマット、平均台といった器械体操の基礎だが、柔軟性と敏捷性、そして体のバネに優れたちはやは大活躍。クラスの女子の憧憬と、男子の約半数の羨望と興味を集める(ちなみに、残り半分は「女子に負けること」が素直に認められない意地っ張り少年達だ)。

 6-Bにおける「武内ちはや」の株は、もはやストップ高状態だった。


 水曜日のプールの授業で、無事に25メートル泳ぎきったことで、ナミからの“課題”もクリアーできた。

 もっとも、先週から延期されたククルの家での撮影会が土曜にあるうえ、翌週月曜からトラ高の期末試験があるため、結局ふたりが元の立場に戻るのは、桜庭小が夏休みに入る7月下旬まで持ち越されることとなった。


 「はぁ……やっぱり。こうなるんじゃないかと思ったんだよね」

 水曜日の夜、ちはやから課題達成の報告と一緒に撮影会の件も聞かされた馨は、あきらめたような呆れたような溜め息をつく。

 「うぅ……ごめんなさい、馨兄さん」

 縮こまるちはや。

 客観的に見れば、初潮を迎えたこと自体については“彼女”に非はない。

 そもそも、いくら「立場交換」したからと言って、(他人から見える姿はともかく)身体そのものは元のまま、れっきとした男のコなのだ。それなのに、まさかその状態で月経が始まるとは、術をかけたナミにとっても想定外だったのだから。

 しかし、ククルの家でククルママの押しに負けて撮影会に同意した件は、完全にちはやの責任だろう。

 無論、初対面の大人の女性の強引な勧誘を断りきれないのは無理もないとも言えるかもしれないが、その反面、「可愛い格好してモデルをすること」に対して、ちはやがまるで興味がなかったと言えば嘘になる。その分、拒絶の言葉に真剣味が足りなかったのも事実だ。 

 だが、よりによって学生にとって一番憂鬱な行事である定期試験を、兄(本来は妹)に押し付けてしまったことに、ちはやは強い罪悪感を覚えていた。

 「まぁ、いいさ。僕としても、自分の今の学力がどれほどのものか知りたい気持ちはあるからね」

 その結果自体では、今後の身の振り方も考えないといけないし……という言葉は、馨はあえて口にしなかった。


 『話はまとまったかえ?』

 「あ」「ナミちゃん」

 兄妹の会話が一段落したと見て、小さな守り神様も姿を見せる。

 『まずは、チハヤ、我の課した課題を達成したことは褒めてつかわそう。これで汝らが元の立場に戻るための条件は満たされたことになる』

 「えっとね、ナミちゃん。そのことなんだけど……」

 『よいよい、先刻の話は聞いておった』

 鷹揚に頷いたのち、ふとナミは首を傾げる。

 『それにしても……チハヤよ。汝が本来は“兄”であることは、きちんと自覚しておるのか?』

 この三者が顔を合わせれば、本来の立場の自覚が促されるよう、以前条件付けしたはず(だからこそ、ナミはあれからちはやの前に現れなかった)だが、“彼女”の様子は“普段”と変わりなく見える。

 「へ? あ、うん。そりゃ、もちろんわかってるよ。さっきも元に戻る時期の事、馨兄さんと相談してたんだから」

 ちはやの答えは理にかなっているようで、どこかズレていた。

 (我は、“知識”ではなく“意識”の問題として問うたのじゃが……まぁ、よい)

 ココで下手なことを指摘して狼狽させても、せっかくうまくいっている日常を壊すだけだろう……と、ナミはあえて指摘しなかった。

 あとになって考えると、その判断がその後の流れを確定させたのだが……神とは言え、しょせんは一家系の守り神でしかない須久那御守にその事を予見しろというのは少々無茶だろう。

 いや、あるいは「そう」することこそが、この兄妹の幸せに繋がると、守護者としての本能で予感していたのかもしれないが。

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