第40話
紺色のドレスの胸がはだけた女性は頬杖をつき、辺りは暮靄に深まり、消散してしまった慎ましやかな家庭生活と、喪亡した夫の思い出に耽る。生きる気力が消沈しないために。 脱線法
舳先に立って蒼茫とした海原の波立ちを見ながら、先へ進むか、後へ戻るか、しかし航路がわからない、誰かが指針を授けてくれるなら……、祥瑞はここ数日見られず、仲間への心火が燃え立つばかりだ。 躊躇逡巡法
風車小屋の清々しい姿が丘の向こうに見えたので、爽涼とした坂道を少女は掛け出す。おじいさんに会ったらどういう仕草をしよう、いきなり飛びつこうか、拗ねた顔して突然笑顔をみせようか、もったいぶって母親の後ろに隠れてもじもじしようか、それとも不意打ちに水鉄砲をかけようか、嗄れた優しい声が懐かしい、嫋嫋と風が少女の髪を揺らす。 躊躇逡巡法
夕飯の支度が悪かった、食器選びがまずかった、材料選びに手落ちがあった、妻への弁解をあれこれ考えていると、種まきしていた農民は蹌踉としてしまった。常套の詫び言になるだろうが、性悪な女房だから普通は受け入れまい。 躊躇逡巡法
苛められた子供のように祈っているから、白いベストを着る中年男子に惻隠を感じた。しょげ返っているわけではなく、焦れ込んでいたわけでもない。 直喩
ファクシミリから文書を手に取ると、スーツの男は内容に即応して縞柄のシャツを着た男を呼びつけた。かれはゲリラのように即応して仕事をこなす男として有名だった。事物の消長を鋭く見極めて、周到に立場に応じた手配をする。 直喩
懸念していた病気も治り、幼子の息災を喜んで、父親は帽子を手に高く、腕を虹のように振った。病は猖獗しなかった。体への障碍は無しだ。 直喩
床屋でだってうっかりした事は口にしてはいけない。俗耳は空気のようなもの、音に現れたが最後、あっと言う間だ。そう、情宜をあてにしちゃいけない、習俗は思うよりも恐ろしいの。 追加法
この町は俗臭に満たされていて、鼻が曲がりそうだと彼女は常々口に掛ける。さらに、醜陋な男しかいない、純良なんて言葉はすでに死語になったと漏らしていた。 追加法
横たえられた干からびた老人を目にして、その娘は惻々として打ち沈んでいた。愁眉は見られず、愁嘆する気力もないといったさまだ。 追加法
布切れを敷いて寝転ぶ女は、やってきた子供に足労を労って蜥蜴をあげた。いや、足労と言っても、豹に跨ってきたのだが。 訂正法
友人の苦言と恋人の弁解に齟齬があるので、彼女は疑惑の目を向けた。もしくは、疑心を目に表した。 訂正法
小川の流れる芝の上では粗忽に踊りが行われ、粗忽に罵ったりして、粗忽が礼儀となっている。いや、賞美されている。 訂正法
そこばくの筒付き車がこの街を蹂躙し、そこばくの命が奪われた。粛然とした雪景色の町の廃墟に、蠢動する虫けら扱いされた人々の悲鳴は止んだ。 提喩
好き好んで変な顔をしているわけではなく、素志を守り続けていたら口が腫れてしまったのだ。そのせいで親戚の娘から賞翫されて、息子から称揚されていた。 提喩
母親は陰惨な光景を息子に見せないために、胸に抱え込んでしまった。素地の固まらない多感な時期に強い衝撃を与えると、どんなしこりが残るかわからない。大人になってから詳密に伝える。叙景して教えるのはまだ早い。 提喩
真面目な髪型の男の子は父親の進めた物理学を祖述するつもりだ。山間部で須臾を憩い、十全に演繹する予定だ。 転位修飾法
気落ちする手紙を読んだ女性は阻喪した。醇乎たる情意はどこへいったのか。情愛は。 転位修飾法
朽ち果てた木造家屋の前に、厚かましく粗相な着古しに身を構えた男が立っていて、粗相なことに、道路を走る車を確認せずに不意に飛び出し、チョーク遊びしていた子供を蹴飛ばして、転んだ拍子に粗相した。粗相しては、消閑している場合でない、近くにいた人からキャバレーへ行こうと慫慂されていたが、別の者に精神科へ行くべきだと助言された。 転位修飾法
町外れの丘に座って空を眺めていると、東の空に暗雲が広がってきて、洗濯物籠を持った女が近くの小道を遽走る。わたしも急いで家に向かって駈け出した。通りで立ち話していた主婦連を尻押しして、走りながら手を開くと、掌上にぼとんと雨粒が落ちた。 転喩
粗大なフィルムしか残っていないが、粗大な車両だと誤認することはできない。入念に調べていないのだ。それで彼に瞋恚を持つのだから、恕することはできない。 転喩
彼の描く絵は卒爾だと品定めされても仕方がない。隣のクラスのとある女性の裸体画しか描いていないのだ。他の生徒の絵と比べて商量するまでもなく、淫猥な性根を見て取れる。 転喩
ハイソックスを穿いたユニフォーム姿の男──野球選手として生きている男が、率然と公園の芝生に現れて、率然としてヘッドスライディングした。近くに座っていた女性は奇態なプロポーズを峻拒して、伸ばしていた体を収斂させた。 同格法
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