第5話

謹慎していた曾根兵六に対する藩の正式の処分が決まったのは、暑い夏が過ぎて城下に秋風が吹き始めたころである。その知らせは叔母の茂登が持ってきた。

 「加治の家は代替わりしました」

 と叔母はまず、同じ組屋敷の加治家の話しを路に聞かせた。叔母はこの秋の法事のことで菩提寺に行った帰りに、久し振りに実家である路の家に立ち寄ったのだが、太り過ぎているせいか、それとも馴れない遠歩きに疲れてか、しきりに汗を拭くので、路は婢を呼んで冷たい濡れ手ぬぐいと一度は片付けた団扇を出させた。

 「六つの子供が跡目を継いだのです」

 加治彦作は、応急の手当ての後、掛川から江戸屋敷まで駕籠で運ばれた。傷はかなりの深手だったが、江戸屋敷では近ごろ腕のいい蘭方医を抱えていたので、手厚い治療を受けることが出来た。そして彦作は一時は床に起き上がれる程に回復したのだが、傷から入った菌が元で突然に高熱を発し、弱った身体がその熱に耐えきれずに夏の終わりに江戸屋敷で死亡した。藩では加治家が上げた跡目相続の願いを受理し、当年六歳の子供が家を継ぐことを許して、掛川宿の失策を咎めなかった。

 藩では、彦作が不意を襲われて手傷を負いながら、よく応援して宇佐甚九郎を退けたことを認めたのだろうと、普請組では話ししていると叔母が言った。

 「曾根の方は無傷で戻っただけにお咎めは無しですまなかったようですよ。減石の上に大阪の蔵屋敷に役替えが決まったそうです」

 「まあ、大阪に・・・」

 「まず数年は戻れますまい。もっぱらそういう評判ですよ」

 叔母はようやく汗が引いたらしく、団扇を下に置いて茶をすすった。それから路が皮をむいて出した梨を噛んで、「おや、これは懐かしい味だこと、屋敷の梨ですね」と言った。末次の屋敷に柿もあれば、梨も栗もあり、秋には競って実をつける。

 「曾根の減石はいかほどに?」

 「三が二。残りは十石少々という事です」

 「おや、それは手厳し御沙汰ですこと」

 「前のこともありますからね。これは家の親爺様が外で聞いた来た話ですけれども、御中老の中鉢多聞さまが、曾根の事をこれ程物の役に立たぬ男も珍しいと申されたそうですよ」

 叔母は何気なく言ったようだったが、路は中鉢の言葉の中に、重職たちが兵六に対して抱く苛立ちと憎しみを嗅ぎつけた気がして心が冷えた。叔母の言うとおり前の一件が絡んで、重職の間で兵六の心証は極めて良くないのだと思った。

 しかし重職の気持ちもわからぬではないが、中老の言い方は少々酷ではないかと路は思うのだった。

 路は考え込んでいたので、曾根兵六の上片出発は五日後になるらしいという叔母の言葉を、うっかり聞き逃すところだった。叔母はそれで、さきに腰痛に苦しんだ人には見えない軽い身ごなしで帰って行った。

 兵六が明日は出発するという前日、城から下がって来た夫から路が聞いたことは、叔母がした話とは異なっていた。

 「他に洩らすでないぞ」

 一本釘を差した後で、夫の仲次郎はいつも取りすました顔に、わずかに興奮の色をのぞかせながら言った。

 「例の曾根の事だが、守谷の叔母どのが言った大阪へ左遷は事実の半分でしかない」

 「半分」

 「今日確かな筋から耳にしたのだ。曾根に討手が放たれる」

 「討手ですと・・・」

 路は呆然と夫を見た。思いもかけなかった展開である。

 「なぜにわかに、そのような厳しいことに?」

 「瀬田の本家が動いたのだ。瀬田は当主を失った上に家禄を二十石を削られた。それが業腹で、たった一人の生き残りである曾根も共に地獄に引きずり込もうという訳だろう」

 討手の指揮を取るべき立場にいながら、瀬田源八郎は宿の借着を着たまま、一合も斬り結ぶ暇もなく宇佐に斬殺された。武道不覚悟と藩上層部には極めて評判が悪い。二十石減石の沙汰になったのである。

 「源八郎が武道不覚悟なら、無傷で戻った兵六は何だという事で、瀬田の本家が直接に江戸の殿に向けて、兵六の無能ぶりを糾弾したらしい。だから討手を放つことには殿のご意見が入っている」

 瀬田源八郎の家は浅井という組頭で姓は異なるが瀬田家の本家である。むざむざと男盛りの当主を失った上に、禄まで削られた瀬田家の気持ちはわかるが、その憤懣のはけ口を兵六に求めるのは筋違いだと路は思った。

 筋違いだが、今度の一件で兵六は藩の重職達の目の敵にされている。江戸から届いた討手の沙汰に、密かに溜飲を下げた重職もいたのではないかという気がした。

 「哀れだが、曾根兵六もおしまいだな」

 「臼男どのの無外流も、これでおしまいかの」

 いいえと路は思った。夫は羽織を着せかけるために立ちながら、路はやはりその時が来たと思った。父はこの事を見通していたのだろうかと思い、眼がくらむような興奮に襲われていた。

 

 

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