第4話
それから半月ほどして、曾根兵六が帰国した。はたして兵六はかすり傷ひとつ負っていなかった。宇佐と斬り合って深手を負ったのは加治彦作で、加治は江戸屋敷に留まって怪我の手当てを受けているということだった。
宇佐甚九郎を打ち取るどころか、一人は落命し、藩内には嘲りと非難の声が巻き起こった。藩ではとりあえず曾根兵六に謹慎の処分を下した。
こういう事情を、路は夫の仲次郎から聞いたのである。上意討ちの無残な失敗には城内の恰好の話題になったらしく、仲次郎は急遽行った間取りの結果まで耳に入れていた。
三人の討手の指揮を取ったのは瀬田源八郎である。瀬田は緑高も多い上に、三人の中の一番の年高だったので、出発する時からその役目を振り当てられていた。
「これで、甚九郎には連れていまい」
宿はずれにひっそりと宿を取ったあと、つぶれた肉刺に火照る足を、濯ぎ盥の水に漬けながら瀬田が言った。だが兵六には、旅のどこかで宇佐甚九郎を追い越してしまった感覚があった。
もう一度宿外れの仁藤まで戻り、そこに宿を取ったのである。
すでに日は傾いていた。
「一杯やって旅の疲れを取ることが肝心じゃ」
瀬田の言葉に、あとの二人も異存はなかった。三人は旅の汗と埃にまみれて異臭を放つ身体はそのままに、浴びるほど酒を飲み、その夜は枕を高くして寝た。しかし翌日は早起きして、交代で雁金屋の見張りに付いた。
だが数日経っても、宇佐は姿を現さなかった。甚九郎が現れない理由について、三人はたびたび意見を交わした。考えられるのは、江戸に立ち寄ってそのまま留まっているか、あるいは最初から江戸にも掛け川にも向かわず、まったく別の方角に行ったかということだった。後の場合なら、掛け川に網を張っていても全くの無駄骨折りである。
「しかし、いずれは資金が尽きる」
と瀬田は言った。宇佐がどこに行こうと、いずれ暮らしの金に詰まって雁金屋に現れるに違いないから、こちらは路銀が尽きたら、一人は江戸屋敷まで戻って、その後の指示を仰げば良い。
瀬田の意見は明快だった。あとの二人もその意見に従ったが、事情がそういうふうに変わってくると、今日か明日かと斬り合いに備えたはじめの頃の緊張感は失われた。昼夜を分かたず酒は飲んではいたものの、一人は、決して飲まずに見張っていた。
その後、後始末のために掛川まで行った江戸屋敷の者が
「宇佐は掛川の手前の日坂の宿に半月も滞在して、討手の様子を探っていたらしい。向うが一枚上手だったということだ」と言っていた。
路の仲次郎はそう言うと、嘲るように冷ややかな笑いと顔に浮かべた。
「曾根兵六は臼男殿の高弟と聞いておったが、何の役にも立たぬ男じゃな」
路は慎ましく沈黙した。しかし学問は出来ても兵法に縁のなかった夫が、兵六だけでなく死んだ父まで軽んじるような言葉を吐くのを、いささか腹に据えかねる思いで聞いた。夫の憎まれ口は癇に障るものだったが、言ってることは路も同感だった。なんと滑稽な人だろうと、路は兵六の事を思った。
「それで・・・」
路は顔を上げて夫を見た。夫への反感も押さえきった。
「曾根さまの処分は、どのような事になるのでしょうね」
「軽くはなかろう」
夫はひややかに言った。そしてそれが当然だろうと付け加えると、身体を回して書見に戻った。
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