第72話 僕とボク -02

    二



「……何でいるの?」


 男の友情の余韻に浸りながら車まで辿り着いた時に発した最初の台詞には、疑問詞があった。そこにあった車は、僕の家の車であり、その後部座席には予想通り、広人と真美と奈美がいた。

 しかし、意外だったのは――僕のお母さんが助手席にいたことだった。

 当然、助手席で運転など出来ない。

 では、誰が運転するのか。

 その答えは、その当人の顔を見ずにも判った。

 判ったけど、信じられなかったのだ。

 だから、疑問を口にした。


「いるからいるんだろうが」


 軽く微笑しながら、その人は答える。

 まだ現実を受け入れていない僕は、質問を続けた。


「会社は?」

「夜だろう? もう上がって来たさ」

「いやいや、夜だからって帰ってこられるような仕事ではないでしょう?」

「そうだったな。でも、何故だろうな。今日だけは早く上がれたんだよ」

「どうして……」


 僕は運転席の人物に訊ねた。


「どうしてここにいるの? ……


「お前を助けに来たんじゃないか」


 お父さんは、にかっと笑った。

 俄かに信じられなかった。

 お父さんは仕事が忙しくて、家にもなかなか帰って来ないほど働いている人だ。会社の外交関係を任されているから、日本にいること自体が珍しいとも言える。ということは……


「……まさか」

「あー。勘違いするなよ。クビになんかなってないからな。お前が逮捕されたからって世間体を気にして解雇されるような、そんな下っ端でも上の方でもないからな、俺は」


 そう言いながらお父さんは、右手の親指を立てて後部座席に乗れというジェスチャーをする。


「早くしないと、飛行機の時間に間に合わんぞ」

「……うん」


 三列ある座席の真ん中の列にいる広人の横に座ると、車は静かに発進した。

 車内では沈黙が走っていた。広人や真美や奈美に話し掛けることも出来ず、僕はただ座っていた。

 そんな中、最初に口を開いたのは、お父さんだった。


「何を黙っているんだよ、英時。そのお嬢さん二人に感謝しろよ」

「え?」


 真美と奈美に?


「何で?」

「何でってお前、に入れるようにしたのも、うちにマスコミや野次馬や何やらの攻撃が来なかったのも、お前がこんなにも早く退院出来たのも、全部このお嬢さん達が工作してくれたからだよ」

「へぇー」


 そんな工作出来るほど権力があるんだ、この二人。


「それは、本当にありがとう」

「「どういたしまして」」


 二人は表情を変えず、いつもの感じで淡々と返した。

 しかし、ここで一つ疑問がある。

 どうして真美と奈美は、ここまでしてくれたんだろう?

 真美と奈美が僕にここまでしてくれる義理も何もないはずだ。だから訊ねてみた。

 すると真美が、つまらなさそうに答える。


「別に遠山君の為じゃない。佑香のためだよ」

「佑香のため?」

「そうだよ。遠山君がひどい目にあったら、佑香が悲しむじゃない」


 淡々と、奈美が爪を弄りながらそう言う。


「……そうか。ありがとう」


 僕はその二人の言葉の真意に気づき、二人に礼を述べた。

『佑香が悲しむ』ということは、佑香はまだ僕のことを見捨てたわけではないということを、暗に示しているのだ。二人はこの短い言葉の中でそう教えてくれた。

 だが、解釈を間違えているやつもいた。


「お前ら、なにをツンデレってるんだよ。素直に英時のためって言いなよ」

「うるさい、広人」

「黙っていなよ、広人」


 案の定、二人に冷たく言葉を投げられ――

 ……って、え?


「広人って……お前達……」


 まじまじと三人を見ると、広人が手をお腹に当て、ポッと顔を赤らめた。


「そうよ。英時。実は……出来ちゃったの。もう三ヶ月なのよ」

「何もかもが違う」

「全ての意味でお前とは出来ていない」

「そ、そんなぁ……」


 容赦ない二人のツッコミに、広人はがっくりと項垂れる。

 懐かしいな、と僕は口元を緩める。

 広人も真美も奈美も、微笑する。

 と――そこで気が付いた。


「……一人、足りなくない?」

「いやいや、それは鈴原さんでしょ。そのためにお前はアメリカに行くんだろうが。またみんなで、こうして笑い合えるように」

「いや広人、言っていることは格好いいし正しいし王道の漫画っぽいんだけどさ……何か違うんだよ」


 そんな話じゃなくて、リアルに一人欠けている気が――

 と、その答えは、お母さんが教えてくれた。


「そういえば、あの地味な子、置いてきちゃったね」

「それだ!」


 地味―シオ。


「すっかり忘れていたよ」

「まぁ、いいじゃん」

「別に支障ないし」

「……相変わらず、お前ら二人はひどいな」

「それにしても……」


 お母さんは、うーんという唸り声を上げる。


「あの子、昼間からどこに行っちゃったんだろうね」

「え? どこって……少年院の中にいたけど……」

「何で?」

「いや、脱走計画のことを僕に伝えに……」

「脱走? あんたまさか、脱走したの!」


 お母さんはひどく驚いていた。

 それに対し僕は驚いた。


「え? 何? そうじゃなきゃ、ここにいないじゃん」

「そうじゃなくても、あそこを出られたのよ」

「……はあ?」


 呆ける僕に、馬鹿だねぇと、お母さんは笑った。


「あの後ね、堺市長の汚職や、あんたへの圧力が全部バラされたのよ。加えて、みんなの嘆願書のおかげで、異例中の異例で、あんたは今日の夜七時、退院するはずだったんだよ」

「……マジですか?」

「全部、桜さん達のおかげだよ」


 そう言えばさっき、お父さんもそんなことを言っていたような気がする。


「簡単だったよ」


 奈美は自慢げにではなく、これまた淡々とした口調で言った。


「あいつの汚職を明かすのは一日も掛からなかったし、堺一家は何もしなくても弾圧されていたしね。馬鹿な娘が駅前で元気に演説したせいで」

「あとはマスコミにそれらを伝えるだけで、終了ってわけだったんだよ」

「広人。あんたは何もしていないじゃん」

「そんな風に言うなよ、真美。嘆願書の八五パーセントは俺が集めたんだからさ」

「ありがとう……広人、真美、奈美」


 僕は三人に、頭を下げる。


「……だが、それはそれとして」


 顔を上げながら、恨みがかった眼で僕は恩人を思いっきり睨んだ。


「お前ら……地味ーシオに伝えていなかっただろ。このこと」

「お、俺は知らなかったんだからな」と広人。

「うん。そうだよ」と真美。

「しかも、所長さんには話しておいたから」と奈美。

「……どういうこと?」と僕は眉を潜めた。

「だから、地味ーシオに脱走計画を提案させて、あの少年院の職員の人に協力してもらったんだよ。一番壁の低い場所――普段は看守が必ず見張っているその場所を解放させてもらったりね」

「つまりは……どういうこと?」


「「つまりはこの脱走劇の職員は全部演出だってこと」」


 演出?

 ということは、あの脱走の最中に追いかけてきたのは……僕にあんな風にさせるためだったのか。


「……何でそんなことをしたんだよ?」

「「面白いから」」

「感動を返せ!」


 一気に疲労感が訪れた。


「……ったく、何のためにあんなに苦労したのか……」


 こいつらの手の上で踊らされていたのか。とても釈迦には見えないこいつらに。

 はぁ、と僕は大きな溜息をつき、背もたれに寄り掛かる。

 しかし、それなら――よかった。

 僕が元々退院出来て職員の人の演出なら、脱走したところで、何もあいつらに罰はないだろう。あっても、想定していたことより厳しくなることはないだろう。

 本当に、良かった。

 安心の息を吐いた所で、車はスピードを落とした。眼だけを動かしてゆっくりと車の外を見ると、電飾で飾られた街中のような光景が、そこにはあった。


 いつの間にか、そこは成田空港。

 つまり――みんなと、別れる場所に着いていた。


「……」


 僕は車を降りる。

 晩秋とは思えないほど暖かい空気が僕を包み、飛行機と風が起こす音は、会話を遮らない程度に小さく鳴り響いていた。


「佑香の病院の場所や行き方、英語での訊ね方とか、これに全部書いてあるから」

「これがチケット。ノートは持っているね?」

「あ、ああ」

「財布と地図と……よし。終了」

「「はい」」


 真美と奈美は、てきぱきと確認をし、僕にリュックサックを渡した。


「この中に全部入っているからさ」

「あぁ。分かった」

「「よし、じゃあ……」」


 二人は最後に一言だけ、告げると、今まで見たことのない――満面の笑みを見せた。


「「佑香によろしくね」」

「……あ、あぁ」


 その笑顔に対してあまりに驚いてしまって身動きを止めていると、広人がじとーっとした目で睨んできた。


「お前、今の笑顔に惚れたんじゃねぇだろうな?」

「あぁ、そうかもしれない」

「マジかよ!」

「マジじゃねぇよ」


 あまりにも焦る広人の様子が、とても可笑しかった。広人は一瞬膨れると、すぐに真面目な顔になって呟く。


「そっか……もう、しばらくの間はこんなやり取りもないんだな」

「……」


 僕は、返事を返せなかった。

 しかし広人はすぐに顔を上げると、笑顔を見せた。


「なんてな。帰ってくるまでにたくさんネタを用意しておくからな。ツッコミの覚悟しておけよ」

「……あぁ。そっちもな」


 僕も笑顔で、そう返した。

 僕達は拳をぶつけ、また笑い声を上げた。

 先程のが友達との別れ。

 これが親友との別れ。


 次が――両親との別れ。


「英時」

「英ちゃん」


 その呼び掛けに視線を向けると、二人の表情は暗かった。

 僕は、笑い掛ける。


「そんな顔しないで。佑香と一緒にすぐに帰ってくるからさ」

「英時」


 しかし、お父さんは真剣な表情で、僕の名を呼ぶ。


「私と母さんはお前のことをよく知っている。お前が生まれる前から、お前と一緒にいたからな」

「……」


 ……気が付いていたのか。

 さすがお父さんとお母さん。

 隠しきれなかったか。


「……そうだね」


 僕は目を瞑って頷く。

 するとお父さんは力強く、僕の肩を掴んだ。


「だから言う。そのお前が考えていることは――間違っている」

「……そんなことはないよ」


 僕は首を横に振り、ふっと小さく息を漏らす。


「僕のことは僕が一番分かっているんだから」

「そうかもしれない」


 だが、とお父さんは続けた。


「お前も分かっていない部分はある。そこを私達は知っている。だから言うんだ。――『間違っている』って」

「……」

「お前は確かに賢い。こんな子供がどうして私とお母さんの間に生まれたかは分からない。私が何もしなくても、お母さんが何もしなくても、自分で正しいことを見つけていったよな……でも、やっとこう言えるよ」


 お父さんは、すぅっと息を、まるで深呼吸をするかのように大きく吸い、そして言葉に乗せて全て吐いた。


「自分を完璧に知るなんて、自分を含めて誰にも出来ないんだよ。この――馬鹿息子」


「……」


 その言葉は、衝撃的だった。

 今まで僕は、お父さんに馬鹿と言われたことはない。

 褒められたことしかない。

 だから、衝撃的だった。

 でも、ネガティブなショックではない。

 嬉しかった。

 嬉しい、衝撃だった。

 家族。

 家族がそこにあった。

 馬鹿息子。

 この短いその言葉には、大きな意味が込められていた。


「……っ!」


 僕は我慢した。

 だけど――駄目だった。

 僕は顔を上げ、そして――


「ごめんなさい」


 初めて父親に謝った。

 笑顔のまま涙を流すという、無茶苦茶な表情で。


「いいのよ」


 その声と共に、暖かい感触が身体全体を包んだ。

 お母さんが僕を抱き締めていた。

 気を付けてねと、お母さんは小さく言った。

 誰にも聞こえない、蚊の鳴くような

 震えた声で。

 僕はお母さんの胸の中で。

 小さく、呟いた。

 うん、と。


 そして。

 真美と奈美から渡されたリュックを背負い

 広人とぶつけた拳をぎゅっと握り締め

 お母さんの暖かさを感じながら

 お父さんの言葉を信じ

 僕はみんなに涙を拭いて――笑顔でこう言った。


「じゃあ――またね」



 こうして僕は、アメリカへと旅立った。

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