第53話 僕と懺悔と怒りと白い世界 -07
七
次の日。
というより、続き。
題名をノートに書いたその時、既に朝日が僕に挨拶をしていた。
つまり、徹夜をしたわけだ。
しかし、こんな理由で学校を休むわけにも行かないので、眠い眼を擦りながら学校へと行った。というより、ぎりぎり辿り着くことが出来た、という表現の方が正しいだろう。その後の授業もほとんど頭に入らなかった。
やはり――佑香の席は空白だった。
佑香は病気でしばらく入院することになったという旨だけが、先生の口から語られた。それは、昨日のことは寝不足による幻想ではなく、本当にあったことなのだということを強く実感させた。
加えて、今日から学校に来るはずであった真美と奈美も、何故か学校に来ていなかった。そのことについて広人に尋ねたが、彼は首を横に振った。
――その理由は後に分かったのだが。
そして僕は学校が終わるなり、その足で病院へと向かった。佑香の病室を受付で聞くと、「はい。遠山さんですね。ならば面会は大丈夫です」と、僕以外ならば大丈夫ではないという言い方であった。しかし面会出来ることに変わりはないので、気に留めずに歩みを進める。その道中で「……そういえばお見舞いの品を忘れていたな」ということに気が付いたが、今さらどうにも出来ないので諦め、佑香の病室を開けた。
「……」
その瞬間、僕は言葉を失った。
病室には、小さく寝息を立てて眠っている佑香がいた。昨日言われていたから、まだ眼を覚ましていないんだろう。それは予測がついていたから、大して驚かなかった。
だが、傍にいる人物が、予測外だった。
傍にあったのは、よく見た顔。
それも二つ。
「……」
僕は、ただ唖然として立っていた。二人も僕の顔を見ているだけだったが、やがて一人が口を開いた。
「遠山君。久しぶり」
「……久しぶりだな」
そこにいたのは、真美と奈美だった。真美は寝ている佑香の左手側で本を手に持っていて、奈美は佑香の右手側でりんごを食べていた。
……成程。
佑香が面会謝絶じゃないのには、きっとこいつらが何かしたんだな。自分達が入るために、何らかの工作をしたんだな。
だから僕はいつものような口調で二人に問う。
「お前達、学校行かないで一体何をやっているん……」
パンッ!
突然、目の前が光り、頬が熱くなった。だが、僕は瞬時に何があったのか、理解できなかった。
その内、じわじわと、頬には痛みが巡って来る。
そこでようやく――理解した。
僕は頬を――真美に叩かれたのだ。
「駄目だよ」
制止する奈美の声が聞こえた。いや、奈美だろうか……判らない。僕の目には、床しか見えなかった。
「こっち向け! 遠山っ!」
襟首をぐっと掴まれ、強制的に僕は僕を掴んだ人物の顔を真正面から見た。
僕の襟首を持っていたのは、やはり真美だった。
真美がこんなに感情を剥き出しているのは初めて見た。
「お前は何をしていたんだよ!? 佑香があんな目にあっていたっていうのにお前は!」
「……」
あぁ、そうか。
真美は僕が佑香に振られたことを知らないんだ。
でも、それは言い訳にならない。
僕は黙っているしかなかった。
「……っ!」
真美は目をかっと開いて、僕を掴む手を離すと、怒りを露わにして言葉を吐き捨てた。
「もういい……お前の、佑香に対する気持ちはそんな程度しかなかったんだな」
「それは違う!」
「違わないだろ!」
「違う!」
僕は声を荒げて反論した。
ここで叫んでいるのは、子供の時のように相手が怒鳴っているから怒鳴り返している、というわけではない。
僕が怒鳴っているのは――怒っているから。
『佑香に対する気持ちがそんな程度しかない』。
その言葉に怒っている。
『そんな程度の気持ち』と言えるような軽い気持ちだったら、逆に佑香をあんな眼に合わせる前に気がついただろう。『そんな程度の気持ち』じゃなかったから、悩んで、迷って……だから、気がつかなかったんだ。
他の人から見たら、『そんな程度の気持ち』だと思われることであることは、頭では分かっている。
でも、他人からどう見られようが、どう思われようが……僕の気持ちは『そんな程度』と言われるようなものではない。
これだけは譲れなかった。
「……そんなに違うって言うんならさ、証明してよ!」
いつの間にか奈美に羽交い締めにされている真美は、僕を睨みながらそう叫んだ。
「証明……?」
「そう証明だよ! お前の佑香への気持ちがそんな程度じゃないって言うんならそれを証明してみせろよ! それが出来るまで顔を見せるなっ!」
「……」
証明。
僕の彼女への気持ちの強さを。
そんなことが出来るものが――
「あ……」
出来る。
あれだ。
――あの小説だ。
あれさえ完成すれば――真美にもきっと納得してもらえるだろう。
僕に出来るのは今……それしかない。
僕は立ち上がった。
「……分かったよ、真美」
首を縦に振る。
「時間が掛かっても、必ず証明してみせるよ」
そう言い放って僕は踵を返し、病室を後にした。
と。
病室を出たすぐの場所に、あの先生――伊南先生が壁にもたれかかっていた。
「よぉ」
「こんにちは」
僕は返事を口にして、そのまま立ち去ろうとした。この人と話をしている暇はない。一刻も早く家に帰らなくては……
「ちょっと待て、少年」
「……何ですか? 急いでいるんですけど」
「まぁ、これやるからちょっと聞け」
先生は右手にある缶コーヒーを振る。相手に飲み物を与えるのは、相手を引き留めたい時であると何かの本で読んだことがある。
……仕方ない。
僕は短く息を吐いた。
「いらないですけど、聞きます」
「そうか。こりゃ儲けた」
先生は淡々とした声でコーヒーをポケットに入れ、ポツリ、と言葉を落とす。
「なあ少年。お前は……『奇跡』を信じるか?」
「信じます」
「うわ。即答かよ」
先生は苦笑する。
「その根拠は?」
「根拠も何も……『奇跡』はどこの国でも起きている、いや起きたと言われているじゃないですか。ここまで世界的に広まったことを信じないというほうがおかしいでしょう?」
「ほぅ。そうか」
先生はうんと頷くと、
「では、少年。一つ教えてあげよう」
真剣な表情で僕を指差し、はっきりとこう言った。
「『奇跡』なんていうものは――ない」
「……その根拠は何ですか?」
「簡単な話だ」
先生は手をポケットに入れ、小さく息を吐いた。
「いいか。この世には必然と偶然しかないんだ。んで、いい方向に傾いた偶然を『奇跡』と呼んでいるだけなんだよ」
「……」
「『奇跡』なんて、人間が考えた後先の理屈だよ。そこに神様やら何やらくっつけてさ。全く、馬鹿らしい」
ふん、と先生は鼻で笑うと、自嘲気味に小さく呟いた。
「……『奇跡』は起きても、起こせやしないんだ」
「どうして、そんなことを言うのですか?」
「……」
先生は横目でちらりと僕を見ると、下を向いて首を振る。
「……少年には、はっきりと言っておく」
「何をですか?」
「佑香は、もう治る見込みはない」
「……っ!」
その言葉は、衝撃的だった。
信じたくなかった。
「どういうことですか?」
「……どうもこうもねぇよ」
そういう先生の声は、淡々としていた。
「後戻りが出来ないところまで再発している。昨日、ああは言ったが、本当は――もう、先は長くない」
「――っ!」
嘘だ。
さっきだってあんなに穏やかな顔で眠っていたのに。
そんなことは――
「だから本来面会謝絶であるべきなのに、面会をOKにしてあるんだよ」
「……あれは、先生のおかげだったんですか」
「そうだよ。面会謝絶にしたところで何も変わりゃしないからな。どうせならその最後まで、会いたい奴は会わせてやろうと思ったんだよ」
「最後……」
佑香が死ぬこと。
……嫌だ。
生きるって言ったじゃないか。
僕の本が完成するまで。
だから、何か……
僕は思わず、先生に訊ねていた。
「助かる方法はないんですか?」
「ない」
先生は即答した。
「心臓の代わりの機械や、心臓病が即効で治る薬があったら助かるが、生憎そんなものはこの世にはない」
「……」
嘘だと思いたかった。
何か、治る方法があるものだと思いたかった。
でも、分かっていた。
医者である先生が「治る見込みはない」と言っていたのだから、もうないのだろう。
『奇跡』が起きる以外には。
……ちょっと待って?
昨日、確か佑香のお母さんがこう言ってなかったか?
『この病気が治せるのはもう……心臓移植しかなかったんだ』
「先生っ!」
「……何だ?」
「佑香の病気は……心臓移植なら直せるんじゃないんですか?」
僕は期待感たっぷりに先生の反応を待った。
「……そうだな。確かに治せる確率が高い、と言えよう」
頷く先生。しかし、その眉は何故か潜んでいた。
「だがな、分かっているか、少年?」
「何がですか?」
「心臓移植も……さっき言った奴と同じ位の『奇跡』なんだぞ」
「え……?」
「だから、心臓移植で治す手段も……『奇跡』が起きないと出来ないんだよ」
先生は舌打ちをして、乱暴に言葉を吐き出した。
「お前も分かるだろうが、心臓移植には色々問題があってな。HLAってのが適合していないと、薬を大量に使用しなくてはいけない上に、その薬の副作用で死ぬパターン多いんだ。だから、完璧に『治る』ためには、HLAがほぼ完ぺきに合ってなくちゃいけないんだ。だが、心臓の臓器提供者は少ないし、それが適合する確率は数万分の一だ。適合する心臓が近いうちに見つかり、しかも佑香の所に回ってくる可能性なんて無いに等しい。これを『奇跡』と言わずに何と言うんだ?」
「……」
僕は言葉を失った。
確かに、そうだ。
心臓移植なんて、そうそう出来るものではない。
少し考えれば分かるのに……佑香が治る可能性があったと思いついただけで言葉にしてしまった。
でも。
心臓移植は、唯一の希望だ。
奇跡が起きる可能性が一番高いものだ。
だから、僕は願う。
佑香に適合する心臓が現れることを。
だから僕は信じる。
『希跡』を。
そのために、精一杯足掻こう。
可能性がいくら低くても、自分が出来ることをしよう。
だから、僕は彼女に小説を書く。
……でも。
小説を書くだけで、足掻いていると言えるのだろうか?
そんなことよりも他にやるべきことが――
「……ある」
「ん?」
「……僕にはやれることが――たった一つだけある」
「どうしたよ、少年?」
「先生」
僕は先生に向かって頭を下げた。
「お願いがあります」
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