第30話 ボクとデートと観覧車と『希跡』 -06

      六



 その後も英時と楽しんだ。

 色々なアトラクションを存分に楽しんだ。

 遊園地ってこんなにも楽しかったんだと実感した。

 時間も忘れてすっかりと日が暮れつつあった。

 気がつけば、もう四時。

 お母さんに「門限は六時だよ!」と念を押されていたので、次が最後のアトラクションになるだろう。

 そのように告げたら、英時は少し悩んだ顔をして訊ねてくる。


「というわけで、最後のアトラクションは何にしようか? 希望はある?」

「うーん、そうだね……」


 その時、ボクの目に一つのアトラクションが眼に入った。いや、この遊園地に来た時からずっと視界には入っていたのだが、すっかりと忘れていた。

 ボクは、そのシンボルマークとも言えるモノを指差した。


「最後は観覧車に乗ろうよ」

「観覧車か……うん。いいんじゃない」


 英時は笑顔で快諾してくれた。

 観覧車はこの時間ではまだ空いており、並んでから一〇分もしない内にもう順番が回ってきた。


「結構早くお客さんが回るもんだね」

「うん。この時間に選んだのは正解だったみたいだね。さすが佑香」

「褒めても何も出ないよ」


 そのようにじゃれていた所、係員に「次はお客様方の番です」と声を掛けられた。少し照れ臭かったが、英時は平然と、それどころか「行こうよ」と差し出してきた彼の手を取ってきた。これがエスコートというものか。更に恥ずかしい……だけど、嬉しい。

 そんな気持ちを内包しながら観覧車に二人きりで乗り込んだ。


 数分後。


「うっわー! 美しいー!」


 燃えるような夕日が、観覧車の中のボク達を照らしていた。その光景だけでもボクにとっては、結構感動的だった。そんなボクに対して、英時は苦笑いを浮かべていた。


「まだ乗り始めたばっかりの時からそんなに感動していたら、いくら感動しても感動しきれないよ」

「んん。乗り始めって、もう何分も経っているじゃん。それに感動は減らないさ」

「感動のレベルが低いって……っと」


 唐突に英時が何かに気がついたかのように口角を上げた。


「どうしたの?」

「……一分間」

「ん?」

「ちょっと一分間、後ろを向いて目を瞑っていて」

「う、うん……」


 意味が判らなかったが、言われるがままにしてみた。

 そして、おおよそ一分後。


「そのままの状態で目を開けてみて」


 その言葉の通りに従って、目を開けてみた。

 すると――


「……………………うわぁ」


 あまりの光景に、ボクは思わず感嘆の声を上げていた。

 夕日で赤くなった街。

 まるで絵画の中の景色のようだった。

 何気ないものが……こんなにも変貌するのか。


「こっちの方が、感動するだろ?」


 英時が、優しい笑顔で言う。


「夕日は、それ自体が美しいかもしれないけど、夕日が映し出した街の方が美しく感じるでしょう?」

「うん……確かに……」

「この景色は、決して夕日だけでも、そして街だけでも作り出すことは出来ない。この景色はいわば――『奇跡』なんだよ」

「奇跡……」


 奇跡。

 キセキ。


 ――『全く、奇跡としか言いようがない』

 ――『良かったねぇ。奇跡が起きて』


 ……やめて。


 それは……その言葉は……


「……ボクが、一番嫌いな言葉だ」


 ボクは思わず、口に出してしまっていた。

 昔、散々言われた。

 奇跡奇せききせきキせきキセきキセキ。

 まるで呪文のように。何回も。

 何が奇跡だ。

『奇』妙な『跡』。

 そこにあるのが、おかしい。

 そこにあるのは、ありえない。

 ボクは――奇妙な跡。

 本来は、ここにいなかったもの。

 ここになかったもの。

『奇跡』と言われる度に、ボクは自分自身の存在を否定された。

 だから、奇跡なんて言葉は好きじゃなかった。

 大嫌いだった。


「うーん……僕は好きだけどね。奇跡って言葉」


「……はい?」


 英時の言葉にボクはあまりいい反応を返すことが出来なかった。ハッキリ言えば、喧嘩を売るような鋭い言葉で返してしまったのだ。


「何で、奇跡って言葉が好きなの?」


 ボクは瞬時に、そう訊ねていた。

 これもまた、きつい口調で。

 ボクは問いの言葉を重ねる。


「ねえ、英時。君は奇跡が何の略か分かっているの?」

「略?」


 英時は少しだけ考える素振りを見せると、首を横に振った。


「正確なものは、分からないな」

「そうでしょ。奇跡っていうのは……」

「でも」


 ボクの言葉を遮り、英時は力強く頷いた。


「奇跡って……『希』望の『跡』の略なんじゃないかな?」


 え……?

 予想外の答えだった。というか……


「……字、間違っているよ」

「分かっているよ、そんなこと」


 でも、と英時は続けた。


「奇跡の『奇』って不思議なことって意味だよね。だけど、僕はそれはおかしいと思う。『キセキ』は不思議な出来事ではない。誰かが望んで起きた――『希望の跡』なんだ」

「希望の……『希望の跡』……」


『希跡』。


「『キセキ』っていうものは、誰かが望んでいたことだよね。誰も望まない『キセキ』なんてありえない。例えば、不治の病で苦しんでいた子がいたとするよ」

「……うん」

「その子が治ったら、まさに『キセキ』でしょ。でも『キセキ』は、何もなしには絶対に起きない。物理的な手段で治るにしろ、神がかりなもので治るにしろ、そこには絶対と言っていいほど人の願いが込められているはずだよ。『治りますように』って」

「……」

「そんな風に、『キセキ』っていうのは『希望の跡』、つまり、希望によって生み出されたものだと、僕は思う。だから、嫌いになるようなものじゃないと思うよ。だって『キセキ』って言葉は、その人が自分も含め誰かに望まれた結果、不可能が可能になったということだから。でもそういう意味なのに本来の『奇跡』っていう漢字は、不思議な跡、悪く言えば『奇』妙な『跡』と書くでしょ。それは甚だおかしいと思う。だから『キセキ』は、『希』望の『跡』と書くべきなんだ。それが本来の『キセキ』って漢字だと思う……って」


 そこで英時は苦笑いになる。


「ちょっと婉曲しすぎているかな? 元の漢字は『希』望の『跡』とは書かないしね」

「……そうだね」

「だけど」


 英時は力強く言葉を放ってきた。


「『キセキ』はどんな漢字でも、人々の願いが詰まって出来た、とてもいい意味の言葉であると、僕は思うよ」

「……うん」


 英時の言った『キセキ』。

『希』望の『跡』。

 本当の漢字とは違う。

 なのに、どうしてだろう。

 さっきの言葉だけで――ボクの中の『奇跡』という言葉が、こんなに変化した。

 こんなにも、プラスの方向へと。


「……ありがとう、英時」

「え……?」

「英時の言葉で、ボクは『キセキ』って言葉が好きになれたよ」


 ボクは笑顔で、その言葉が言えた。

『奇』妙な『跡』。

 漢字だけを見るからいけなかったのだ。意味を捉えずに。

 ……そうだ。

 意味を真っ直ぐに捉えることは出来なかったのは、きっと……アレが要因だろう。


 ――お母さん、ボク……死んじゃうの?

 ――大丈夫……大丈夫だから……。

 ――でも、まだ安静が……。

 ――……とはいえ、いつまた……。



 ……

 ……そうだ。

 そうだった。

 アレは、まだ……

 ……だから。

 だからボクは、誰も――

 誰、も……



「――あのさ、佑香」



 英時の声で、現実に引き戻される。


「……何?」

「あの時……駅の線路で君が助けてくれた時から、僕は死のうとは思わなくなった」

「ん? ああ、そういえばそうだね」


 というか、もう忘れていたよ。英時が死にたがりだったなんて。

 今の英時を見ている限りでは。


「んで、それがどうしたの?」

「その時から死にたくなくなったのは、間違いなく、君のおかげなんだ」

「……」

「あの時、死にたくなくなったのは……いや、あの時に君と会ったことは、僕にとって『希望の跡』――『希跡』だった」


 ……英時?


「あの時、君と出会ってから、毎日が変わった」


 ちょっと……


「つまらないと思っていた日常が、とても面白く感じた」


 待って……


「君がいるだけで、僕はとても楽しかった」


 やめて……


「こんな気持ちになったのは、初めてだった」


 やめ……て……


「その気持ちが何だか、ボクは判らなかった」


 お願い……


「でも……ようやく文化祭の日、その気持ちが何であるかが――判った」


 お願いだから……


「佑香」


 そこで、終わりにして。

 ボクは。

 ボクは――





「僕は君のことを……鈴原佑香のことが、好きだ」

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