第13話 僕と学校と判明と親交 -05

    五



 走った。とにかく走った。

 いつもより屋上までの距離が遠く感じた。

 しかし、何故僕は走っているのだろう?

 走る理由があるのか?

 どうして、佑香が広人を連れて屋上に行ったからって、こんなに焦っているのだろう。

 ……分からない。だけど、行くしかない。

 階段を上った。四段飛ばしで上った。

 あっという間に、屋上の入り口まで辿り付き、ドアノブに手を掛けた。

 が、しかし、


「どうしよう……?」


 冷静に考えてみれば、何をしているんだ、僕は。

 もし佑香が広人に告白とかしていたら、僕はどう対処していいんだ? というか、そのパターンだろ、この場合。でなければ、佑香は「ここでは話せない」とか言わない。

 うん……ここで引き返すのがいいだろう。


「……」


 ……でも、ちょっとだけ。

 僕はそっと、屋上への扉を開いた。

 開けた瞬間。

 僕は思いもよらなかった言葉を耳にした。



「そうだよ。


 広人の言葉だった。



「え……」


 絶句。

 散々耳を疑ってきた僕だが、今度ばかりは、はっきりと聞こえた。

 広人が、誰かを突き落とした、と。そして、佑香がその場にいること、並びに近況からその誰かとは間違いなく――僕のことだ。


 高見広人が遠山英時を突き落した。


「そんな……」


 信じられなかった。

 広人が、僕を……


「――俺は、あいつが妬ましかったんだ」


 とても低い声がした。広人のそんな声は、今まで聞いたことがなかった。


「俺は、あいつと知り合ってから、劣等感を感じなかった日はない。あいつは、何でも出来た。隣にいることが、嬉しいと思うこともあった。そんなすげぇやつの横に俺はいるんだぜって……だけど、そんなのは偽りの感情だ。あいつのことを、俺は一番の友達だと思っていた。だけど、友達だと思えない自分もいた。あいつを憎む俺がいた。そして昨日、駅であいつを見た時、俺はあいつを――突き落としたんだ」


 ……そうか。

 僕のことを、そんな風に思っていたのか。

 そして僕は、広人に酷いことをしていたんだな。そういえば、あいつは僕の前では笑ってばっかりだったな。そして、何の相談もしてくれなかったな。

 ……無理をさせていたんだな。


「だけど突き落としてから、とてつもなく後悔した。俺は、何やっているんだろうか、どうして、こんなことをしてしまったんだろうか、と」


 涙交じりの声。


「そして、落とした後に気付いた。俺はそんなに、あいつを憎んじゃいない。あいつは俺にとって本当の友達であったことを。そして思った。今更こういうことを言うのも甚だおかしいのは分かっている……だけど、俺は今も――あいつの友達でありたい」


 ……


「でも……でも、俺はとんでもないことをしてしまった。俺はもう、あいつの友達ではない……あいつの友達にはなれない……」


 広人はそのまま地に伏せてしまった。

 そんな姿をもう見ていられなかった。

 すぅっと大きく息を吸って息を整え、僕はゆっくりとした様子で姿を二人の前に表した。


「そういうことだったのか」

「……遠山君?」


 こちらに視線を向けた佑香の目が大きくなる。

 広人も顔を上げる。


「英時……」

「……その通り。僕は英時という名前だ」

「……」

「見つめるな。気持ち悪いだろ?」

「話……聞いていたのか……」

「あぁ。てっきり僕は、鈴原さんがお前に告白していると思ったがな……告白していたのは、お前だったな」

「……そうか」


 広人は眼を逸らした。


「そういうことだ」

「うん。そういうことなんだな」

「はは……お前は相変わらずきついなぁ。怒鳴りも殴りもしないしなぁ……」

「じゃあ、楽にしてやろうか」

「え……?」


 僕は素早く広人の元へ行くと、襟首を掴んで屋上の金網に思いっきり押し付けた。

 ガシャン、という音が響く。


「遠山君!?」

「ちょっと待っててくれ、鈴原さん」


 背部で聞こえて来たその悲鳴に、僕は手の力を緩めずに視線だけを向ける。彼女は心配そうにこちらを見ている。


「でも……」

「文句なら後で聞くから」

「……分かった」

「ありがとう」


 佑香にそう微笑むと、僕は広人の方へと微笑を消して顔を向けた。


「広人」

「……」

「何とか言えよ、おい」

「……」


 広人は、まだ顔を背けている。


「お前、ふざけるなよ? 何でこっち見ないんだ?」


 僕は、広人を押さえつける手の力を強めた。


「責めているんじゃない。僕はお前に……感謝しているんだぞ?」

「え……?」


 広人は、信じられないというように驚きの表情を向けてきた。


「は、はあ? なに意味不明な嘘を……」

「嘘じゃない」


 抑揚もなく告げる。


「僕はあの時、死にたかったんだ」

「……!」

「だから、あの時落としてくれて感謝しているんだ。……そして、もう一つ感謝するべきことがある」


 今度は、ふぅと短く息を吐いた。


「それは――結果的に鈴原さんとこうして会話出来るようになったことだ」

「……え?」

「お前が線路に突き落としてくれたおかげで、鈴原さんと親しくなれた……本当に結果オーライだけどな」

「……そうか」


 広人はほっとしたような表情を見せた。


「間違ったことをしたが、良かったこともあったんだな……それだけが、唯一の救いだよ」

「そうだな。――そこで僕はお前に言っておくことがある」


 そこで広人の襟首から手を放し、顔を下に向けた。


「……今思えば僕は今までに親しいと言える友達があまりいなかった。いや、一人もいなかった」


 唐突にも思えるタイミングで、僕は告白する。

 親しい友人がいない。

 それは僕自身が、自分に価値を見いだせなかったから。

 コンプレックスの塊の自分に、友人なんか出来やしない。

 そう思って、交友関係を表面上で処理していたのだ。

 勉強や運動と同じように。


「分け隔てなく表面上で人と付き合っていたからな。他の人からは八方美人に思われていたのかもしれないな」

「それって……」

「だが」


 強い口調で僕は首を横に振る。


「僕は今までにお前ほどの友人には巡り合えなかった。お前は僕に対して気持ちを隠していたが、僕にとってお前は、表面上だけではない、取り繕うこともない唯一の――友達だった」

「……そうか」


 広人はそう呟いた。その表情には、どこかほっとしたというようなものを見せた。

 しかし僕は、真っ直ぐに広人の眼を見て、こうきっぱりと告げた。


「だけどお前はもう――


 一瞬で静寂が辺りに広がった。そして少しの間が過ぎると、広人の微かな笑い声が聞こえてきた。


「は、はは……そうだよな。やっぱり」

「そうだ。お前はもう、僕の友達なんかじゃない――」


 僕は、顔を上げ、

 微笑みながら、言った。



、だ」



「……え?」


 広人は、口を半開きにさせて動きを止める。しかしすぐに「は、ははは……」と力なく笑った。


「へ、変なことを言うなよ。そんな言葉遊びをしている場面じゃないだろ」

「言葉遊びをしているわけじゃないさ。こう本音を聞かせてくれて、一層お前のことを知ったよ。お前はいつも、へらへらとして僕に本音を語らなかったからな」

「あ、あぁ、確かにそう……だけど……」

「相手が本音を話すこと。これが親友かどうかの絶対条件だと僕は思うんだ。その条件をさっき、僕は手に入れた」

「……」

「そしてその本音を聞いて、僕はお前に一つ謝らなくてはならないことがあることに気づいた」

「謝ること……?」

「僕は、あまりにも無知だった。お前が苦しんでいることなんか、ちっとも知らなかった……今まで、辛い思いさせて、ごめんな」

「……!」

「今までの僕を許してほしい」


 僕は、広人に頭を下げた。


「……やめろよ……顔を……上げろよ」


 言われるままに顔を上げた。

 広人は――泣いていた。


「おま……お前が謝るのは……筋違いだろう……俺が……俺が悪いのに……」


 広人は膝を地に着け、顔を覆って崩れ落ちた。


「ごめん……突き落として、本当に……本当にごめん……ごめんなさい……」

「……立ってよ、広人」


 僕は広人の手を取り、無理矢理立たせた。


「さっきも言ったけど、僕は突き落としたことについては、全く怒っていないんだから」

「英時……」


 広人は涙まみれの顔を上げ、僕を見た。

 僕は、にっこりと微笑んだ。


「でも、僕は今、怒っている」

「へ……?」

「許さない」


 そう言って僕は、広人の顔面を横から思いっきり殴った。

 広人は思い切り吹き飛んで、地面に倒れる。


「いっ……てえ! いきなり何するんだよ!?」

「このままだとお前を、僕は許さない。お前が謝ることを間違えている今では、な」


 そう。お前が、僕に謝ることがある。

 それに気付かなければ……


「どういうこ……あ!」


 広人は、何かを見つけたかのように、眼を開いた。


「判った……ごめん、英時」


 広人は、僕に頭を下げた。


「何をだ?」

「もう、お前と友達にはなれないとか、諦めて」


 その言葉を聞いて。

 僕は口角を上げた。


「その言葉を待っていたよ」

「ははっ! やっぱそうか! 分かりにくいんだよ、お前の求めていることは!」

「でも、お前なら判るだろ?」

「分かるさ。何せ俺はお前の――親友なんだからな」


 にしし、と広人は笑った。

 が、すぐに真剣な表情になると、


「……んじゃ、俺も一つ言いたいことがある。言わせてくれ」

「何だ?」


「俺と、友達のままでいてくさい」


 ……噛むなよ。

 こんな大切な場面で。

 こんなこっ恥ずかしいセリフを。

 あ。恥ずかしいから噛んだのか。

 まぁ、いいや。


「いいけど。でも好きな子に告白した直後にその子とそのままの関係でいたいという時に言う台詞を僕に吐くなよ」

「うわっ! 友情を再確認する感動の場面なのに四文字の言葉だけでさりげなく返答したうえにつっこまれた!」

「ツッコミが長い。もっと短く」

「注文厳しいな! お前は何なんだ!?」

「お前の親友だ」

「恥ずかしいことをさらっと言うなおい!」

「……」

「……ふ」

「……ぷっ」

「「はははははははははは!」」


 僕と広人は、笑った。

 思いっきり。

 心から。

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