第19話 出雲の王
それから数日。
猩々を擁する
「暇だな」
ジリがポツリと呟いた。土蜘蛛と丹波の一行は、なんとか出雲國に受けいれてもらったが、出雲から指示がないかぎりやることがない。
「さて、酒でも飲むか……って、酒もねえんだよなあ。あの蛇なんかにだれかがくれちまうもんでよう」ジリはジロリとパムを睨む。パムは首をすくめて「ゴメン、ジリ」とかえす。
「まあ、あれはあれで収穫があったではないか。オロチは酒に弱いってな」ハハカラが笑って間に入ってくれた。
「まあ、それはそうじゃが」ジリは不服そうに寝転がった。「暇じゃのう。狩りにでも行きたいのう」「あの門を出てはならぬとのお達しですからね、無理ですね」ユタがさらりと言ってのける。ただ時間をもてあましていたのだが……突然、寝ていたソシモリがムクリと起き、言いだした。
「スサノオを探す」
パムと土蜘蛛たちは、ぎょっとした。もし本当にスサノオの居場所を探しだしてしまったら、何をしだすかわからない。さらに悪いことに、ソシモリは言いだしたら聞かなかった。
「いやあ、そういえばのう、ウズヒコがさっきこんな食いもんをおいてったぞ」
「食べ物、ナンデスカ?」
パムやジリはなんとかごまかそうと、ウズヒコからもらった団子を取りだして話をはぐらかしたが、ソシモリには通用しなかった。二人の小芝居などさらりとうけながし、
「スサノオを探しに行く」といって聞かなかった。
「まあ、それじゃあ……とりあえず町の外をひとまわりして来たらどうだ? パム?」
「エ? ボク?」
ハハカラの提案にまたギョッとする。しかたなくパムはソシモリを連れて出かけることとなった。念のため、ジリとユタも一緒である。
外に出たとたん、出雲の町の人たちの反応が変わっていることに気がついた。
「ツヌガアラシト?」
「ツヌガアラシトじゃない!」
まだ町に出ている人たちは少なかったが、それでも、目ざとい女たちはソシモリを見つけると「ツヌガアラシト」と連呼した。そして、なんと次第に人が増えてくるではないか。
「なんだ、オレ様のことを何か言っているのか?」
和語のわからぬソシモリもさすがに気がつく。
「そうみたいだね。ツヌガアラシトって言ってるみたいだけど」
そうこうしているうちに何人か母親ほどの年の女たちが寄ってくると「あんたがツヌガアラシトかい?」と尋ねてきた。
そしてあろうことか、ソシモリがかぶっている黒い頭巾をちょいと取った。牛のようなツノが現れると、「おやまあ」と歓声があがる。ソシモリはカッとなって女たちに向かって殴りかかろうとするのをジリとユタが二人がかりで抑えこんだ。
「ひどいことをするじゃねえか、あんたらよお!」ジリが、ソシモリを押さえつけながらも女たちに怒鳴った。
「人には嫌なことがあるもんだ。こいつは見られたくねえから隠してるのに、なぜ頭巾を取りやがるんだ。無礼ってやつだぜ」
「あら、ごめんなさいねえ。でも悪気はないのよ」
女は頭巾をちゃんとソシモリに戻したが、ソシモリはまだ暴れていた。
「いやね、加茂呂さまをお助けして、さらにオロチをやっつけた子どもがいるって今じゃ町は大評判なんだよ。ツノがあるって聞いたけど、本当なんだねえ。悪かったね、嫌だったの」
他の女たちも喋りだす。
「そうそう、あなたのこと、前からカヤナルミさまの
「ツノの生えた子どもがこの国を助けてくれるって
パムは、女の言っていることを伝えた。謝っていること、前からカヤナルミの占いでツヌガアラシトが現れると予言されていたこと。そして本当にソシモリが現れたこと。そこまで聞くと、ソシモリは暴れるのをやめた。
「あのクソ女の戯言のせいで、こんな目にあったじゃねえか。まあいい、こんなババアどもいつでも倒せるわ。漁師、このババアどもを倒す前に一つ聞きたい。スサノオの場所がどこか、訊け」
パムはドキッとした。ジリとユタがパムの顔をのぞきこんでいる。パムは、目くばせをした。
(ソシモリが、スサノオのことを聞けって!)
ジリとユタの表情が変わる。この女たちになんて話をしてごまかそうかと悩んでいると、
「おーい!」
と誰かの呼ぶ声がして、皆そちらをふりむいた。出雲のウズヒコだ。
「ああ、いたいた! もうどこへ行ったのかって探しちゃいましたよお。みなさん集まってください。加茂呂さまがお呼びですよ!」
「加茂呂サマ!?」パムは声がひっくり返った。なんと、スサノオ本人からお呼びがかかったのである。
「ええ、今から作戦会議が開かれるんですけどね、土蜘蛛の方たちも参加するようにって話で呼びに参った次第です。いやあ、あの参謀会議に参加できるなんて、すごいなあ」
「ソレジャ、ジリさん、ユタさん出るんデスね?」
パムの問いに、ウズヒコが、ブンブンと首を横に振る。
「何を言ってるんですか。今や、出雲の命運をその肩にになってらっしゃるツヌガアラシトさまと、その言葉を伝える、パムさまも参列してくださいとのことです」
パムはひっくり返った。スサノオがいる場所に行く……そう考えただけで、気が遠くなった。
「おい、
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「ボクは、ここで待ちマス……」というパムの切なる願いは聞き届けられず、出雲の一角の屋敷へと引きずられ、連れてこられた。ソシモリも面倒だと来るのを拒んだが、「スサノオがいる、かもしれませんよ」などとユタが余計な助言をするものだから、ソシモリもすっかりその気になって先頭をきって屋敷へ乗りこんだ。
結局、土蜘蛛四人と、ソシモリ、パムと勢ぞろいして会議に参加することになったのだが、パムは最後尾でいつ逃げ出そうかとそればかり考えていた。
ウズヒコが「ここだ」と指さしたのは、町の一番奥、朱に塗られた太い柱が目につく建物だった。出雲兵が、大きな木戸をギシギシと軋ませながら開き、中へと通される。屋敷の中は、だだっ広い空間が広がっていた。一番奥には一段上がった場所があり、むしろが敷かれていた。その手前にもむしろが敷かれており、すでに何人かがそこに座り、ヒソヒソと何かを話していた。パムたちは、その人たちの横に座るように指示され、ウズヒコも一緒に座った。
ウズヒコの言うには、スサノオはこの数日、ひどい怪我のために意識がなく、このまま死ぬのではないかと思われていたらしい。カヤナルミの祈祷と治療の末、ようやく今朝がた目を覚ましたところだったのだが、目を覚ました途端、怒鳴ったらしい。
「兵を集めよ!」
それからすぐに、スサノオの命により出雲に集っている各隊の将が屋敷に呼ばれたというわけだった。
屋敷にぞろぞろと人が集まってきた。ウズヒコが、あれはどこの國の誰、この人はあの國の誰、とわざわざ説明してくれる。出雲國の首脳陣も入ってきた。加茂呂の息子たちが一段上のむしろに座りはじめる。丹波イヅツも入ってきたが、こちらを見ると、わざわざ離れて座った。そして次々に出雲に賛同している各國の首長や将が、大股で入ってきては、あぐらをかいてどかりと座る。
この大人たちの中に、なぜかパムもその末席に並んでいるのだ。自分がここにいるのは場違いだと感じながら、落ち着かずにしげくあたりをキョロキョロと見まわしていた。隣でソシモリも座っているのだが、相変わらず興味がないと見え、鼻クソをほじくり、大あくびをしている。
「おい、漁師、スサノオはいるのか?」ソシモリは相変わらずの駕洛語で聞いてくる。
「うーん、それらしい人はいないみたい」これは正直に言えた。今それらしい人はいなかった。
「オレ様は帰りたい。面白くなさそうだ」
「うん、僕もそう」パムもうなずいた。
うなずきながら、手にびっしょりとかいた汗を衣でぬぐっていた。ソシモリが何か騒動をしでかす前に、一刻も早く連れて出てゆきたいのだが。
なぜパムとソシモリまで来ることになったのか……ウズヒコによると、どうやらカヤナルミが呼んだとの話である。なぜ僕らを? と不思議に思う。あの人は何を考えているか、確かにわからない。ただわかるのは、あのカヤナルミでは誰も逆らえないだろうということだった。パムは観念して板間に座った。
出雲軍の首脳陣がずらりと上座に並んだ。みな一様に怪我がまだ癒えておらず、傷あとが生々しい。
その間を一人の男がカヤナルミに抱えられながら入ってきた。加茂呂だ、とハハカラと小さくうなずきあう。一番中央にスサノオが座した。顔も体も手当の布でぐるぐる巻きになっている。カヤナルミは出雲軍の末席に移動すると腕組みをして座った。この中では唯一の女性であるが、彼女の態度は、スサノオより威張ってみえた。
出雲軍の将たちと、対峙するように向かいあう各国の将たちの間にはぴりぴりとした空気が張り詰め、異様な雰囲気が漂っていた。
おもむろに、加茂呂の右横に座っていた男が口を開いた。ざわめいていた将たちがすっと口を閉ざし、広い空間に男の声が響きわたる。
「集まってもらったのはほかでもない。敵国、
ウズヒコが、あの男は加茂呂の一番目の息子、ヤシマツヌミだ、と言った。
ヤシマツヌミは、身体が大きく腕も足も太い。何より目立つのが眉毛で、かなり太い。頭を布で巻いているが、怪我などものともしない、そんな態度である。そのヤシマツヌミの朗々とした声が広場に響く。
「狗奴軍は、あれから斐川を占拠するも不気味なほど静かになり、そこから動かずにいる。この狗奴軍の動きが我々としては全く理解できないのだ。すぐにでも襲って来そうなものなのに、何もしてこないのはなにか意味があるのではないだろうかと考える。
もっともまだこちらとしても、傷も癒えない状態であり、今向かってこられても応戦する力がない。そこで、ぜひみなの力を借りたい。できれば、まだ動かぬ狗奴軍に奇襲をかけたいのだが」
ヤシマツヌミは目の前に居並ぶ各国の将たちを見渡した。将たちはざわめいた。
たしかに、出雲國のすぐ目の前、櫓に登れば見えるところに狗奴軍が居座っている。川に寝そべるヤマタノオロチの姿も見え、いつ襲い掛かったとしても不思議ではないところにいるのだから、疲れているがずっと戦闘態勢をくずせないのだ。
「出雲は今、
ヤシマツヌミは太い眉を吊りあげ、言葉に力をこめた。
「しかし、狗奴軍が動けないのはわけがあるのだろう。できればその理由を知りたい。何か理由がわかるものはないのか」と丹波のイヅツが口をはさんだ。
そのイヅツが口を開いたと見ると、今度はスサノオの左隣に座っていた色白の男がイヅツを睨みつけて嫌味を言った。
「おやおや、遅れてきた丹波どのではありませぬか。あなたたちがもっと早く援軍へときておれば、今頃こんな会議を開くことはありませんでしたのに。まったくあのタヌキおやじのところはやることがいい加減だ」
「本当に。丹波軍が約束を違えたためにこんなことになったのでございます。やつらはもっと早い時期に援軍に来ると申しておったのに、実際はこなかった。まずは丹波を追及されたがよろしい」さらに左の男までが援護した。
場が一気にざわつくと、汚名を着せられたイヅツが思わず立ち上がって反論した。
「オオヤヒコどの、クライネどの! 私どもは、精一杯急いで参じた次第。あれだけの兵を集め、支度をするのにどれだけの時間がかかるとお思いか! 遅くなったのは申し訳ないが、そこはご推察願いたい。援軍にきてやったと言うのに、その言い草は無礼極まりない」
イヅツはそう言うと、ドカリと座りこんだ。
ジリも黙っていられずに立ち上がった。
「俺たちゃ丹波と一緒にここまできた土蜘蛛だ! あんたたちこそ失礼だな。遅れたのなんだの言うけどな、それ以上にこっちはあんたらを助けてやったんじゃねえのかい。出雲軍がヤマタノオロチに襲われていたところを援けたのをもう忘れたのかい? 感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはねえぞ。あんたらは恩義って言うもんはねぇのかよ!」
しかし色白の男、オオヤヒコは顔をゆがめて答えた。
「はっ。みなヤマタノオロチときいて逃げまどっていたと聞き申す。そのものたちがもっと早く到着して、筑紫にて我らの軍としてつき従っておればこのようなことにはならなかったであろう」
「筑紫では、まだ狗奴軍はヤマタノオロチをここまででかくすることはできていなかったのだ。あの時に倒せていれば我々の状況はもっと違っていたはずだ、口惜しい」クライネがまたオオヤヒコの話に乗る。
スサノオはその場にいる人間、すべてをバカにしたように鼻で笑った。傷だらけの体を台にもたれかけ、体の半分は寝かせていたが、声を発すると迫力がある。
「オオヤヒコ、済んだことはいまさらどうしようもねえわ。丹波の衆もわざわざ来てくれたのだ。そこの男が言うように、確かにわしらを助けてくれたのはこいつらだ。感謝せねばならん」
スサノオは体をゆっくりと起こすと、こちらに向いて、じっと見まわした。
「それよりさ、今はあの憎たらしいククチヒコをぶっつぶしてえのだわ。ヤツらは猩々、オロチ、ナメクジやら虫やらの気持ちの悪い魍魎ども、果ては死人まで使いやがるとんでもねえ連中じゃ。殺しても殺しても死にゃしねえからタチが悪りい。あの我々の大事な斐川に住み着いているのも気に食わねえ。誰かいい案をだせ」
「死人も使うって? なんやねんそれ!」
キジが素っ頓狂な声をだした。すると恰幅のいい、色の黒い出雲の若い将が応える。
「おぬしらはまだ出会ってないのか? 戦えば分かるわ。一度死んだ者をククチヒコの呪術で生き返らせて兵として使っているのだ。一度死んでおるから、どれだけ斬っても死なない。一個体はたいした兵力ではないのだが、死なぬからいくら攻撃しても、首や手足がなくなろうともこちらに向かってくる、しごく恐ろしい兵だ」
色の黒い男は、申し遅れたと言ってから、名をイタケルだと名乗った。イタケルは自信に満ちあふれ、檀上から鋭い眼光をとばしてくる。オオヤヒコは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。おそらくオオヤヒコはイタケルのことを快く思っていないらしい。
「そうだ。あのククチヒコの呪術がタチ悪いんだわ。あの操られた
スサノオが一同を見廻すと、一同はお互いに顔を見あわせ、首を振る。重い静けさが部屋を満たしてゆく。
その時、その重い空気をなぎ払い口を開いたのは……なんと、普段は口数の少ないユタだった。
「僭越ながら……」と言いながらすっと立ち上がった。
「わたくしは、土蜘蛛のユタと申します。呪術を少しではありますが学んでおりますゆえ、ククチヒコの操る呪術についてわかりますし、なぜ狗奴軍が斐川にいるのかも、ある程度見当がついております」
と切り出した。スサノオが「ほお、申せ」とユタの言葉を促す。ユタは軽く会釈すると、話しはじめた。
「まず、なぜ狗奴軍は斐川から動かずにいるのか。その理由はあのオロチにあると思われます。
ククチヒコの呪術は命をつかさどるもの。
あのヤマタノオロチも、その死人の兵も、おそらくククチヒコが自分で造りだした化け物であります。自分で作りだしたのですから、ククチヒコの呪術をもってすれば、首のなくなったヤマタノオロチも、再び復活することができましょう。
しかし、呪術で命を扱うのですから、当然のことながら簡単に復活するというわけにはいきませぬ。ククチヒコがどのようにしてオロチを復活させているのかは、誰にも入らせることのない神聖な空間で行われるという話で、私もそれ以上くわしくは存じ上げませぬが、何しろかなりの時間が掛かると思われます。今、斐川において狗奴軍は動かずにいますね?……この時間のかかりようは……おそらく、今まさにククチヒコの呪術により、オロチの復活の儀式の真っ最中でありましょう」
ユタが一息つくと、
「なぜ斐川なのか」
と質問が飛んだ。
「それはオロチの復活の術には大量の水が欠かせませぬゆえでございます。ヘビは水を好みます。斐川に座し、清んだ水を大量に浴びることで、復活の術が完成いたすと考えます」
「復活の術が失敗することもあるだろう」
別の声が響いた。ユタはその方を向き応える。
「ククチヒコは一級の呪術者でございます。復活の条件は整っていますので、傷を負ったオロチも復活を遂げることでしょう。失敗もあるでしょうが、出雲のためを思うなら、今は復活を前提で協議されたほうがよろしいのではありませぬか?」
「ふん、では今、ククチヒコが呪術にかかりきりということか」
スサノオが座っていることが次第につらくなってきたのか、ぜえぜえと肩で息をし、台によりかかりながらユタに問うた。
「討つなら今じゃねえか。軍を率いて川で水遊びをしておる筑紫軍を即刻討つ、好機じゃ」
「恐れながら、王。今きゃつらが座している斐川のある森はもともと猩々の
今度はオオヤヒコが口をはさむと、突然スサノオは眼を吊り上げて怒鳴ったのである。
「だまれ。猩々ごときを恐れる男など出雲の将として認めぬわ。すぐさまこの場から出ていけ」
「そんな、加茂呂さ……」
若い将がぐずぐずしていると、そのうちにスサノオはその腰に佩いた剣を抜き、ばっさりと斬りかかったのである。スサノオの身体がぐらりと揺れたため、オオヤヒコはなんとかその剣を避けたのだが、その気迫に押されてあわててその部屋を飛び出していった。
パムは背筋が凍った。
子供のころの思い出が蘇る。
冷たい眼、人を人と思わぬ行動……。
これが、あのスサノオ。
これが、ソシモリの母を殺した男。
唾を飲みこみ、思わずスサノオから目をそらした。全身に汗が吹き出ているのがわかる。
スサノオはふんと鼻で笑うと、ユタを見た。
「オロチの復活など待たずに狗奴軍が襲ってくるってことはねえのか」
普段はろくにしゃべらないユタの口は、思いのほか饒舌であった。
「この出雲の国の防壁はよくできております。この国に入ってから、まったく猩々を見かけませぬのは、この高い杭の壁が、猩々をもってしても越えられぬという証拠。この高い杭の壁をオロチなしで落とすのは難しいと狗奴軍も判断しているのでしょう。今この時点で襲ってこないのですから、向こうも長期戦の構えと思われます」
パムはこの会議の隅で、スサノオの怒鳴り声に小さく震えながらじっとなりゆきを見守っていた。
「おい、そこの鹿男よ、オレたちはただ、オロチが復活するのをただ指をくわえて待ってるってのかよ」
スサノオは部屋が震えるほどの大きなガラガラ声で怒鳴った。
「出雲軍は今、狗奴軍に戦いを挑むには戦力が疲弊しており、軍備もままならない、そうでしょう? オロチを倒すには準備が必要です。これは丁度いい時間稼ぎになるのですよ。ある秘策のための時間稼ぎでございます」ユタは落ち着いてスサノオを見つめる。
「秘策だと?」スサノオが前のめりになりながら訊いてくる。
そこへユタに代わってジリがしゃしゃり出る。
「おう、あんたよ、上等の酒を集めてくれよ、上等も上等、最高のモノをな」
「ふざけている場合じゃない。なんだおぬしは」
イタケルが腰の剣を抜こうと立ち上がると、ハハカラがそれを手で制して話し継いだ。
「まぁまぁ、お聴きください。この男の申しているのはもっともな話し。先日の戦いで我々はオロチと闘い、そしてひょんなことからオロチの弱点を見つけることができもうした。それが」
「なんだ」
「酒でございます」
「何、酒とな?」
「酒をオロチに呑ませることで、オロチを簡単に倒す事ができるとわかったのでございます」
出雲軍の首脳陣がいろめきたった。
「酒を飲ませた途端、オロチは泥のように眠りこけ、刃の立たなかったウロコにも剣が刺さったのでございます」
スサノオは目をギラリと光らせて、傷だらけの体を起こした。
パムは場違いな雰囲気に押されながらも、話しの成り行きを見守っている。
ソシモリは言葉も分からぬので、例のごとく鼻クソをほじくっては飛ばして遊んでいたのだが、土蜘蛛の連中が出雲とやりとりしているを見るうちに、顔が険しくなっていった。
「スサノオはどこにいる」
突然だった。今までおとなしくしていたのが不思議なくらいだが、とうとう我慢ができなくなったのであろう。
倭語が分からぬのだから、話しの流れなど一向に関係ない。まぁそれはそれで仕方ないのかもしれないが、しかし突然のことに飛び上がらんばかりに驚いたのはパムである。一番ソシモリに聞かれたくない質問であった。しどろもどろになりながら
「スサノオ? いや、いない、ようだね」
と周囲に聞こえないよう、小声でウソをついた。ウソをつくしかなかった。
「スサノオは出雲の王だろうが。なんでこの場にいないんだ」
「いや……それがさ、怪我がひどいって話だよ。ここにも……来れないみたいだ」
パムは声をひそめてなんとか話しをでっちあげると、真正面に入れ墨の入った上半身をはだけ、台に寄りかかっている大きな体躯をちらりと見た。ところどころ、手当の布が巻かれているが、うるさいのか、自分でほどいてしまっている。堂々とした態度と、彼から放たれる威圧感が凄まじい。
その彼が、プイと左を向いた。ほどけた布の間から、右耳が、ギザギザに欠けているのが見えた。
パムの胸がドキリと脈打つ。
右耳は、幼いころのソシモリがスサノオに飛びかかり、噛み切った跡なのだ。やはり、この人だ。これに気がついたら、ソシモリを止めることなど誰にもできない、そう思った。二人が対峙したら、一体どうなってしまうのだろう。
そして再び汗が吹き出てくる。
とても、スサノオに顔を向けることなどできなかった。
なんとかここまでは、誰もスサノオの名前を出していない。みな普段は彼のことを王だの、加茂呂さまだのと呼んでおり、スサノオとは呼んではいない。このままなんとかスサノオの名前が出ず、ソシモリがスサノオの存在に気付かぬまま狗奴軍を倒し、ヤマタノオロチを倒してくれればいいのだが……。
会議はじりじりと進んでいた。スサノオが独り言のように呟きながら、指示を出していく。
「……そうか、思いのほか酒は早く集まるかもしれんな。ではヤシマが申したように、狗奴軍がおとなしくしているうちに攻めていくかのう。ヤシマ、我が出雲軍は幾班かに分けよ。怪我のひどい者はとにかく休ませ、元気のあるもので酒を集めよ。女は酒づくりだ。なるべく多くの酒を一晩で醸せよ。軍備の増強は、丹波衆と相談だ。全員いつでも出撃できるよう準備を整えること」
スサノオはそう言うと、ふたたび台にもたれかかった。
ソシモリは前にずらりと居並ぶ将たちをじっと睨みつけていた。
パムは嫌な予感がした。ソシモリの気を逸らせるため何か話そうと口をひらいた、その時であった
突然ソシモリが立ち上がり、こういい放ったのである。
「オレ様はツヌガアラシト。スサノオって王を殺しにきた。スサノオとはどいつだ」
パムが唖然として口をパクパクさせているところへ
「なんだ貴様は」
とその名ざしの本人であるスサノオが、肩で息をしながらソシモリを睨む。
パムは自分が睨まれたのではないのに、その視線を浴びたとたん飛びあがった。スサノオの見る者を射すくめる爬虫類のような鋭いまなざしを見ただけで、自分は死ぬのではないかと思った。
当のソシモリはスサノオをキッと睨み返している。しかし彼は和語が話せないのだからこれ以上会話はできない。自分が返事をしないといけないと、ソシモリの代わりに返事をした。
「ぼ、ボクは、ぱ、パムです。言葉を伝えるデッス!」
声が裏返り、すっとんきょうな声を出したため、将たちからどっと笑いが起きた。しかしパムはそんな笑い声にかまってなどいられなかった。
「ここにイルはソシモリです。みなツヌガアラシトと言いマス。ソシモリは倭語、話せない、ボク伝エル」
「ふん。こいつはしゃべれないのか? こいつは何を言いたいのだ。わしの名前も聞こえたが」
パムは口を開きかけて、またつぐんでしまった。
まさかソシモリが「あなたを殺しに来ました」とは言えない。しかし何か答えなければならないが何か言おうとすればするほど頭の中はまっしろになってゆくのである。パムが口をぱくぱくさせていると、
「王がいなけりゃ好都合。この国を今からオレ様のものとする。文句のあるやつはいるか」
などと、ソシモリはさらにとんでもないことを言いだしたのである。
パムは駕洛語でソシモリに話しかけた。
「ソシモリ、王はここにはいないだけだから、この国は君のものにはならないよ。今は座ってくれ。スサ……いや、みんなが見てる」
「なぜだ。今オロチを倒す話をしていたんだろ。オレ様がオロチを倒してやる。そしたらこの国をオレ様のものにして何が悪い。遠慮はいらん」
「……」
なんて勝手で都合のいい、独りよがりな理屈を考えるんだろう。パムはあきれてものも言えないでいると、スサノオがイライラして
「何をワシの許しを得ず、勝手に話している。説明しろ」と大きな声をあげた。
「は、はい……」
パムは返事をしたもののどうしたらいいのか困りはててしまった。頭の中は真っ白である。ただわかることはソシモリの言葉をそのままスサノオに伝えれば……スサノオを殺すだの、この国はオレのものだの……ソシモリばかりか自分も殺されるだろう、ということだけであった。
困った。
こちらを見上げているハハカラたちを見た。ジリもユタも何がなんだか分からずに「ワシたちにも説明してくれ」と言っているのだが、ハハカラだけは状況を察したらしい。パムに向かってあいづちをうつと小声でソシモリに話しかけた。
「ツヌさま、まずククチヒコを倒さねば出雲の国の王とは認められませぬぞ」
パムはハハカラの助け舟に激しくうなずくと、ソシモリに伝えた。
「ソシモリ、ハハカラがこう言ってる。まずククチヒコを倒さないと、民からも出雲の王として認められないって」
「ククチヒコ?」
「えーと、ヤマタノオロチの主人、てとこかな」
「あん? あの大蛇の飼い主か」
「そう、その蛇つかいのククチヒコを倒さなきゃ、ね!」
パムは「王にはなれないけど」という言葉を心の中でつけたした。
「そうか」
ソシモリはこちらが驚くほどあっさりと納得すると、再び前列に並ぶ出雲の将たちに向かって呼び掛けた。
「やい、オレ様は斯羅國の王子、ツヌガアラシトだ。オレ様がこの国の王と認められるため、あのククチヒコを倒してきてやる。オレ様に千人の兵をつけろ。あのデカ蛇も飼い主もやっつけてやるわ」
パムは千人という言葉に面食らいながらもたどたどしいいつもの言葉で、ソシモリの言葉を伝えた。
「エット……。ワタシは、ツヌガアラシト。ワタシヲ王と認めてもらうため、ワタシニ千人兵をつけたら、オロチ、やっつけマス」
「なに?」
スサノオが眉間に皺をよせる。イタケルが足をだんと踏みならして立ち上がる。
「王と認めろだと? 千人の兵をつけろだと? クソガキが一体何を寝言を言ってやがるんだ! 何さまのつもりだ!」
「いいんじゃない?」
まるで舞いを見て楽しんでいる子供のように、前のめりになって、この場のいざこざをながめていたカヤナルミが、明るい調子でイタケルを一蹴した。
「王っていうのはともかく、こいつに兵をつけてやっても面白いんじゃない? 今まで話していたのは加茂呂みたいにけが人ばっかりで元気のない出雲軍の話しだろ? この子たちなら元気がありあまっているみたいだから、もしかしたら、オロチ退治、やってくれるかもしれんぞ。おもしろそうじゃないか。もちろんそこに何人か保護者もいるみたいだから、子供の好き勝手にならんように監視はしてもらうがな」
そう言ってハハカラたち土蜘蛛を見た。土蜘蛛たちは、突然矢面にたってしまい、お互い顔を見合わせる。千人? とジリが小さく問う。ハハカラが、ああ、千人と言ったな、とうなずく。小さな山賊の土蜘蛛は、途方もなく大きい人数にうろたえていた。
自然とスサノオに視線が集まる。スサノオは、なんと納得したようにうなずいていた。
「ふん。いいだろう。他国から援軍に来た兵も合わせて千人つけてやるわ。ヤシマ、急いで民にお触れを出せ。今ある酒を全て出させてこいつらに持たせて……やれ。以上……ぐっ」
突然、スサノオは調子を崩すと、そのまま体を前に折り段の下に倒れこんだ。
カヤナルミが急いでスサノオに駆け寄り、壇上にいた息子たちが父を助け起こそうと立ち上がる。にわかに騒がしくなったそのとき、カヤナルミはちらりとパムの方を見たのである。
そしてめくばせをした。
パムは驚いて目をぱちくりさせているうちに、カヤナルミはもうパムのことなど知らぬ風で、スサノオに声をかけていた。そして周囲にてきぱきと指示をだす。スサノオは息子たちに運ばれ、あっという間にこの部屋を出て行ってしまった。
「それでは、今日はご苦労であった。また追って連絡をいたすゆえ、戻られよ」
息子のうち、唯一残っていたヤシマが会の終わりを告げると、なんだか釈然としない各隊の将たちが、それぞれの思いを口にしながら屋敷を出ていった。
ソシモリが、「いったいなんなんだよ。漁師、結局さっきの話はどうなったんだ」と不機嫌な顔をしている。
「ソシモリ、王にはなれないけど、兵をつけてくれるってさ。今そう決まった。」
ソシモリの顔が急に明るくなる。
「マジでか? すげえな、これでオレも一国の王だ」
「だから、王じゃないんだってば」
「なぜ違うんだ」
このあと、さんざん説明をしながら小屋へと帰って行くのだが、そのあたりの物分かりは悪かった。ハハカラたちも、長い1日が終わり、ホッとしてこやに戻った。ウズヒコもまた呼びに来るといって自分の家へと帰る。
とりあえず、今日のところは加茂呂がスサノオだということがバレずにすんだ。パムはホッと胸を撫でおろしていたが、まだオロチを倒すまで油断はならない。これからヤマタノオロチなんていう、とんでもない化け物と戦わなければならないのか、と急に恐怖が襲ってきたのは、その日の夜中になってからであった。
それまでは、パムの心に小さな何かが引っかかっていた。それが気になって仕方なく、オロチ退治の現実に気がつくのに時間がかかったのだが。
心の引っ掛かり、それが何かはその時はまだわからなかった。
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