第18話 出雲國の篝火の夜
もう陽はとっぷりと暮れていた。闇の中、星の明かりを頼りに出雲の町へとようよう着くと、大きな門が前と変わらずパムたち一行を阻むように立ちはだかっていた。
「丹波の援軍が戻り申した。中へ入れてくれ」丹波の将であるイヅツが声を掛けるが、
「今は出雲の者しか、門の中にいれることは叶わん。悪いが、そこで待たれよ」となんともつれない返事だった。
入れないとなると、ただでさえ大きな見上げんばかりの落とし門が、さらに大きく、重おもしく感じられる。
「おい、そんなことを申すな。はやく開けられよ! 我々は援軍に来た者。そなたら出雲を助けに来たと申すに、なぜ締め出すのだ! いつヤマタノオロチがここまで追いかけてくるかわからないのだぞ、はやく開けられよ!」
イヅツが怒鳴りつけるが、それからぱったり、中からの返事はなくなってしまった。一同が門の外で途方に暮れていたところに、やっと出雲のウズヒコが到着した。ウズヒコが声をかけると、やっと人の顔が覗き窓に現れた。同郷の人間しか対応する気はないらしい。
「ウズヒコか……加茂呂さまはどうした?」
「くわしくは後で話すよ。早く中へ入れてくれ。奴らがきてるんだ」
「奴ら?」
「
「わかった」と返事の後、しばらく沈黙がつづいた。そして重たい落とし門を何人かで引き上げているらしく「えい、えい」と掛け声が聞こえる。ギシギシと木のきしむ音とともに門が上がっていき、それからようやく中へと入れてもらえた。土蜘蛛、丹波兵、そして遅れてやって来た、傷だらけの出雲のたちが、ぞろぞろと中へと入って行く。そして、また、ずずううううんと重い音とともに門は閉じられた。
「その者たちは?」
「ああ、丹波の援軍の方達だ。」ウズヒコは門番に説明した。
「すごいぞ。加茂呂さまもオロチを倒されたが、この人たちも、なんとオロチの首をひとつ、倒しちまったぞ」
「何?」門番の顔色が変わった。
「それはすごい!」
門番はさらに話しを聞きたそうだったが、さらに出雲の兵が帰って来たと、また門番の役に戻っていった。
「みんなが戻って来たぞ!」
さらに戻って来た大勢の出雲の兵たちが、落とし門を足を引きずるように入って来た。町の誰かの呼びかけに、町の中から人たちがわらわらと現れ、「お帰りなさいまし!」と声を掛け合いはじめた。
パムは丹波兵や出雲の人たちがかかげる篝火の光に浮かび上がる光景をキョロキョロと見まわした。門を入ったところは開けていて、広場になっている。昨日のぞいて見たときは、閑散として
松明がそこかしこでホタルのようにゆき交い、人たちの力のない声がさわさわと海辺の波のざわめきのように漂っていた。
「お帰りなさいまし」
「よくぞご無事で、あなた」
「カシハはどこ?」
「あなた、なんてひどい傷……」
「ヨヒコ、ヨヒコ!」
女たちは半ば叫びにも似た声で家族の姿を必死で探している。そして出雲兵たちの傷だらけの姿を見て涙を流した。
戦地での厳しい戦いのせいであろう。出雲の兵たちは髪は乱れほうだいに乱れ、その立派な青銅の
ある者は足に怪我を負い、仲間に抱えられてようやく歩み、またある者は門に入ったところで気力が尽きたのか倒れこみ、その場で町のものに介抱されていた。そこへ出雲兵の帰還を聞きつけた町の人たちが一斉にどっと集まり、身内を互いに探してごった返しているのである。
ある一人の女は、知人の兵をみつけ夫の安否を問いただしていた。帰ってきたばかりのその傷だらけの兵がそっと視線をふせ首を横に振ると、女はたちまち泣き崩れてしまった。
その隣では
ある若い母親は、殺気にもにたこの場の雰囲気に怯えた子どもをあやしながら、ずっと亭主の名を呼びつづけ、人の間をぬってひたすら歩いていた。
そんな出迎えがそこ、ここであり、四方からむせび泣く声が響いた。
「こりゃあ、きついなあ。居場所がねえ」
ジリが頭を掻くと、突然人々がわっと声をあげた。
声のあがった方をみると、門を入ったところに人がたむろしている。そこで、一人の大きな体躯の男が抱えられながら立ち上がったところであった。本人は憮然とした表情を浮かべていたが、広場を取り囲んでいる民衆は、彼が立ち上がっただけで歓喜の渦に巻き込まれた。
「加茂呂さま!」
「加茂呂さま!」
「加茂呂さまはご無事だ」
「よかった、加茂呂様さえご無事なら」
民は歓喜のあまりその男の元へ集まり、名前を呼びつづけていたが、当の男は民の反応には興味もなくただ茫然と辺りを見まわしていた。それよりも、もう立っているのも限界らしい。少し歩くとよろめき顔をしかめ、足を止めてそばにいる兵に寄りかかった。
その男、あの巨大なヤマタノオロチの前に立ちはだかり、身を挺して出雲の軍を一人で守った男であった。
パムのそばに、ハハカラがやってきて、一言、
「あれが、スサノオか」と言った。
パムはうなずきながら、じっとその男を見ていた。それから気になってソシモリの姿を探した。ソシモリは幸いこの出雲の騒ぎにも興味がないらしく、はなれた場所で鵺を相手に遊んでいる。
「ソシモリは、スサノオ 、殺しタイ。だから静かに、ソシモリに聞こえないヨウニ。気づいたら、すぐに倒しにイクヨ。そしたら……キット、猩々、ヤマタノオロチ、倒すのやめちゃうヨ」
「ま、奴の目的は、母の仇であるあの男を殺すことだからのう」ハハカラはうなずいた。
「さて、これから俺らはどうするんじゃ」ジリがあたり見回しながら近づいてきた。キジとユタも寄ってきて、土蜘蛛の輪の中に入る。
「どないして、あの大ヘビのやつを倒すんや? かなりめんどいで。まだ首が六つもあるって、かなわんなー」と、キジが
「猩々をこの世から消すためには、ヤマタノオロチを倒さねばならない、ですからね」ユタは、その言葉を噛みしめるように言う。
「武器はもうこんなんやしな、めっちゃ厳しいでえ」キジのボロボロの太刀を見て土蜘蛛はみな小さく笑った。
笑いながら、パムは民衆に囲まれているスサノオの方へと顔を向けると、そのとき、とんでもない光景を目にした。
身体も服もずたずたのスサノオは、ほそい眼で、慕ってくる民衆をしばらく見ていた。が、次の瞬間、なんと腰から剣を引き抜き、民衆に向かってふるったのである。民衆は叫びながらスサノオから離れた。そしてスサノオは剣を持ったまま辺りを睨んだ後、そのまま倒れてしまった。
「おい加茂呂様が倒れられたぞ」
「急いでお屋敷へ」
「まだ幻を見ておられるのだ」
「あの呪いがきいておるのか」
出雲の兵や民が慌てふためき、右往左往する。そして誰かが叫んだ。
「奥様を、クシイナダ姫さまをお呼びしろ」
「いや、カヤナルミさまをお呼びせねば。彼女の呪文で治していただかねばなるまい」
「正妻のクシイナダ姫がいらっしゃるのにカヤナルミさまを呼べるわけなかろう。かのかたは妾だ」
「しかし治癒の呪文はカヤナルミさまが得意とする術だぞ」
民衆は二手に分かれ、あーでもないこーでもないと言葉を戦わせつづけている。
「クシイナダ姫だ」
「カヤナルミさまだ」
どうやら、スサノオをめぐる女性のことでもめているらしい。
討論をしている連中を尻目に、他の男たちがどこからか見つけてきた板にスサノオを乗せると、すぐさまどこかへと運んでいった。そして女性をめぐる騒ぎもそちらへと一緒に運ばれていった。
「親の仇は、かなり弱ってございますなあ。スサノオをやっつけるには、これ以上ない絶好のチャンスですがね」
ユタがくすりと笑って言うと、ハハカラは顔をしかめた。
「ちょっとみんな近寄れ」
土蜘蛛の四人とパムが、がん首を突きあわせた。
「よいか。今我々の目的はヤマタノオロチ退治じゃ。オロチを倒すことで、猩々が消えるのだ。そこはいいな」
「ああ」とみなは応えた。
「あの弱った男がスサノオ だ。あれが親の仇だと知れば、ツヌは即座に仇を取りに行く。あの男も強いだろうが、ツヌガアラシトも強い。もしかしたら、本当に倒してしまうかもしれぬ。そのあとは、もうヤマタノオロチ退治など、彼には関係なくなる」
「そうだよなあ、そうなりゃ大蛇退治なんて、どうでもいいだろうなあ」ジリがカラカラと笑うのを横目にハハカラはつづけた。
「先ほどのツヌの活躍を見たであろう。おそらくヤマタノオロチを退治するのに、彼の力は必要じゃ。あれだけ機敏にあの大きな大蛇を倒すことができる男は、そうはいないじゃろう。ツヌに倒してもらわねばならん。大蛇さえ倒せば、気比の猩々も消えるのだ」
「ツヌはツヌで目的もあるじゃろ。親の仇なら、わしだってぶっ殺したいわい。わしらは、出雲がどうなろうと知らん。スサノオって男がどうなろうとも知らん。気比の猩々さえ消えていなくなればいいわけだ。親の仇を討ったとしても、大蛇退治もやってくれよって頼んで見るのはどうじゃ?」
「そんなことであの小僧が『はいよ』って聞くと思いまっか? ジリ?」キジが聞き返す。
「そりゃあ!……聞くわけねえよなあ。あっはっはっはっ」
ジリは簡単に折れた。
「それでは、我らはヤマタノオロチを退治を第一の目的とする。その間、スサノオの名を口に出してはならぬ。名を呼べばさすがのツヌガアラシトにもわかる。幸い、この村ではカモロと呼ぶようじゃ。わしらもそれにならうようにしよう。
ヤマタノオロチを退治するまでは、ツヌにスサノオの名前を明かしてはならん。いいな」
ハハカラが言うと、「おうっ」と威勢のいい声が響いた。
パムはソシモリを見た。ソシモリは、鵺の上でスサノオが運ばれるのを興味なさげに見ていた。
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