第17話 ヤマタノオロチの弱点
あの赤い猩々たちが出雲を襲う前に出雲にたどり着かなければならない。土蜘蛛と丹波の軍、そして期せずして合流した出雲の残兵たちが出雲を目指して進みだした。
しばらくジリが重傷の加茂呂を担いでいたが、ユタの提案で担架で運ぶことにした。出雲の兵の持つ二本の槍に布をグルグルに絡めて担架をつくり、加茂呂を乗せ、丹波兵が二人づつ、かわるがわる担架を担うことにした。
足の遅いパムはソシモリの乗る鵺に乗せてもらい、ホッとしていた。一人取りのこされて、オロチの餌食になったら元も子もない。
ホッとしながら、パムは目の前にいるソシモリの背中を見ていた。
ソシモリが人を助けた。
パムにとっては信じられないことであった。何しろ人を憎み、人を脅すことしか知らない男なのである。それも……ソシモリはまだ知らないことだが……実は加茂呂というのはスサノオである。ソシモリの母の仇のスサノオなのだ。それを知ったらなんと思うのだろう……。
パムはどうしてもなぜ助けたのかを知りたかった。
「ソシモリ? なんで加茂呂さんを助けたのさ」
揺れる鵺の背で、ソシモリは振り向きもせずに答えた。
「わからねえか? あいつの剣、只の剣じゃあねえぞ。あのオロチを簡単にまっぷたつにしやがった! 丹波のデブがくれた剣じゃあ、あのオロチは斬れねえ。オレはあの剣がほしい」
そして振りむくと、パムを見てニヤリと笑った。
「漁師、あいつの剣を後でぶんどってこい」
「は?」
とんでもないことを言いだすヤツである。聞くんじゃあなかったとパムは後悔し、「ははは」と軽く笑ってごまかした。
海岸線を左手に北東へと進む。出雲まではまだ距離があるようだが、右手に見える赤い集団が次第にこちらに近づいてくる。猩々は、南から、まっすぐ北へと向かっており、この調子だと、どこかで猩々の集団とぶつかることになるかもしれない。
猩々が出雲に辿りつく前に。
鵺の横を走る、ハハカラを見下ろした。ただ黙々と走るハハカラ。
ハハカラの妻、マヤカは猩々の赤い息を吸いこんでしまい、今にも死にそうになっているのだ。マヤカを助けるために、今ハハカラは猩々をこの世から消そうとしている。
あんなに優しくしてくれた人を死の淵に追いやった猩々である。もしかしたら今頃は木ノ芽峠で死んでいるかもしれないが、もしかしたら、この戦いで助けるすべが見つかるかも、しれない。
猩々をこの世からなくしたい。
マヤカの姿を思い出して、パムは純粋にそう思っているのであった。
そのためにはソシモリの力が必要なのだが……。
と、赤い集団の中から、蛍のようにちらちらと飛び交う赤い眼が、二つ、突然大きく光り出した。
「オロチがこっちに来たぞ!」
「別のやつや!」
誰かの声に弾かれて一斉に兵たちは赤い光の方を向いた。
気づくと、鵺が立ち止まっている。ソシモリの眼はまっすぐオロチの方へと注がれ、そして言った。
「漁師、降りやがれ。お前は邪魔だ」
「え?」
「ツヌガアラシトは、オロチを迎え討つ気でございますね」ユタがつぶやくのを聞くやいなや、パムは鵺を滑りおりた。
「しょうがねえなぁ、景気づけて、いっちょやってやっか!」
鵺の隣にいたジリは、手にしたひょうたんの酒をくいっとあおると、鵺から降りてきたパムにそのひょうたんを放り投げた。
「ジリさん、僕飲めないデス」
「アホ。預けるだけじゃ」そう言いながら棍棒を構えると、パムに向かって念を押した。
「パム、てめえ一滴でも飲むんじゃねえぞ、ワシの命より大事な最高の酒。この遠出のためにせっかくちびりちびり呑んでるんだ、てめえが呑んだら、オロチより先にてめえをぶっ殺すからな」
「あ、は、ハイ」
「ワシもまいろう」
ハハカラは弓を担ぎなおし、オロチに向かって歩き出した。
キジも「それじゃああっしも」と
パムはかくれていようと思っていたが、隠れるところもない。一人ぽつんと荒野に残されてみると、風がひゅるりと吹きすさぶ。鹿のかぶりものを整えたユタは、銅剣をスラリと抜き、パムをちらりと見てニヤリと笑い先を行った。
「ユタさん、マッテ」
パムは四人の後を駆け足で追いかけたはいいが、顔を上げると真っ赤なホオズキのような二つの眼が、もう目の前まで迫ってきている。オロチは巨大な口をガッとあけた。
パムは思わず目を閉じた。
「ヒーン!」
鵺が荒野に啼き声を響かせると、その虎のようなしま柄の両脚に全体重を乗せると一気にオロチの頭上へ飛び上がった。
「嚙みつけ! 鵺野郎!」
ソシモリの雄叫びとともに、鵺はガブッとオロチの鼻先にかぶりつく。
オロチは「ガガガン!」と痛みに啼いた。そして鵺を嫌がり、ブンブンと頭を振って、鵺とソシモリを遠くまで振り飛ばした。オロチの怒りは頂点に達したようで、さっきより大きな口を開いて「ガオオオオン!」とことさら大きな咆哮をあげた。
ハハカラ、ジリ、キジ、ユタの四人は丹波でもらった武器を構えた。パムは木を見つけてその陰に隠れ、丹波でもらった短い刀子を一応構えていた。
そしてまっすぐに向かってくるオロチに向かって、ハハカラが弓矢を放つ。目を狙うがオロチは軽く弾きとばし、鱗を狙うが鱗に刺さりもしなかった。
ジリは棍棒でやたらめったら胴を叩いていたが、ビクともしないオロチの胴になすすべもない。
キジは太刀で、ユタは剣で、何度も斬りかかったが、鋼のようなウロコに弾きかえされ、あっという間に刃こぼれしてしまった。
「なんて硬さじゃあ」
「わいのせっかくの太刀が欠けたやないか」
「うぬ」
三人の攻撃などまるでバカにするかのように軽くあしらったオロチは、そのままくるりと向きを変え、今度は地面に倒れていた鵺の周りをぐるぐると回りとぐろを巻きだした。そして長い胴体でぎゅうとソシモリと一緒に巻きあげた。
ソシモリと鵺はオロチの胴体に締め上げられ、まったく身動きができない。みるみるうちにソシモリの顔は真っ赤になり、鵺は悲鳴をあげる。
ハハカラ、ジリ、キジ、ユタは光るウロコに向かってなんども攻撃するのだが、まったく刃がたたない。
「なんてことじゃ」
「ツヌ! 鵺! 今助けるぞ!」
ぐるりと巻いたそのオロチの首が、あろうことかパムの目の前にきて止まった。
その首はパムよりもはるかに大きく、ちらちらとその口から赤い二枚舌をちらつかせていた。その目ひとつだけでも一抱えもありそうな大きさで、ヘビ独特の冷たい眼は、パムをじっと見ているように感じた。
パムが持っている武器と言えば、丹波でもらった申しわけ程度の短い刀子のみ。これでもないよりはましだと刀子を取り出すと、オロチに向かって構えた。
オロチはカッと巨大な口を開く。
「ひっ」と声をあげパムは思わず刀子を口に向かって投げた。ぎゃんとオロチが悲鳴をあげる。
「そうか、口だ! 口を攻めろ」
ハハカラにうながされるとパムは手当り次第、石を拾っては投げ、木の枝を拾っては口に向かって投げていたが、ふと手が背にしょったひょうたんのヒモに当たった。一瞬ジリの顔が視界に入ったが、彼の視線を感じながら、えいとばかりにそのひょうたんをオロチの口の中に放り込んだ。
「ああ! てめえ、なんてことしやがんだ」
ジリが顔を歪めて大声をだした。
オロチはぐえ、と奇妙な声をあげた。そしてバリバリとひょうたんを噛み砕く音がする。
どうなるかと見ていたが、逆に怒りを増幅させただけであった。オロチはいっそう大きな口をあけ怒り狂い、ソシモリと鵺をますます締め上げた。ソシモリから「グエエ」と声がもれる。
「ツヌ!」
「ツヌガアラシトどの!」
「俺の大事な酒!」
ところがそれは突然起こった。
「ゴゴオンンン!」
大きく一啼きしたオロチは突然ピタッと動きを止め……そして、ズズズズズーンと大きく地面を揺るがせて、大きな体を地面へと倒した。
皆は顔を見合わせた。
「死んだか?」
ハハカラたちは何が何だか分からない。おそるおそるオロチに近付いてみると、どうやらオロチは、すっかりいびきをかいてねむりこけているのである。
「なんだこりゃ、寝ちまっているぞ」
「ああ!」ハハカラが手をぽんと叩いた。
「おまえの酒が効いたんだろう。あれはわしら土蜘蛛の強力な酒だ。神の
一同が納得していると。
「とどめを刺さねぇのかよ、バカ」
ソシモリだった。オロチにぐるぐるに巻かれていたソシモリが、もがきながらもなんとか抜け出し、眠りこけているオロチの頭の上に乗ると、
「くらえ」
と脳天に剣を突き刺した。
オロチが断末摩の叫び声を長々と響かせる。ソシモリがその頭頂部から降りた途端、その首はさらさらと砂に代わり、そして消えた。
「二つ目の首を、倒したぞ」
男たちは手を振りあげ喜んだ。
しばしその勝利に酔いしれていたが、しかし遠くにまだまだ赤い眼がちらちらと光ってみえるのである。ハハカラがその赤い眼を見て言った。
「どうするかの、またあいつらがすぐに来るじゃろ」
「もう酒はねえぞ……ああもったいねえ」
ジリが惜しそうに呟く。ユタは何かを言おうとして、耳に手を当てた。
「何か、怪しげな笛の音が響いておりますな」
皆が耳をすますと、かすかに笛の音が聞こえる。
敵の来襲がくるかと緊張がはしり、武器を手に手に構えていると、猩々の啼き声がざわざわと聞こえ出した。猩々はいつもの奇声を発している。
そして見る間に出雲に向かっていたはずの赤い猩々が向きを変えたのである。
「戻っていくじゃねえか?」ジリの呟きに
「おそらくオロチの倒れたことが予想外だったのだろう」
ハハカラが応えると、ソシモリの方に向かって言った。
「ツヌガアラシト、猩々たちは幸い戻った様子じゃ。出雲へいくぞ」
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