第16話 ヤマタノオロチ、ひとつ目の首


 土蜘蛛、丹波兵とともに元来た道を戻っていくパムだったが、あっという間にみなに抜かされ、最後尾を息を切らして走っていた。

 それから兵たちに追いつけなくなったのはじきである.。


「もう、みんな早すぎるよ。なんであんなよろいを着てるのに速いんだよ」


 パムはブツブツと文句を言いながら、歩いては、走り、また歩いては、走っていた。

 兵たちはとっくに前に行ってしまったから、東の赤い集団がよく見えた。


 空も地面も赤く染まって見えるのは、猩々しょうじょう雲霞うんかのようにびっしりとはびこっているからだろう。その赤い雲霞の塊が、少しずつ南から東へと位置を変えている。つまりは、少しずつ出雲へと近づいているのだ。

 そしてこちらもその雲霞に近づいているから、その実態が見えてくる。


 赤い集団はやはり猩々だ。赤い髪、赤い仮面、赤い衣の猩々がぴょんぴょんと跳びはね、地上や空を赤く染めながら北へと向かっている。

 その塊の中心には、大きな黒々とした山の陰があった。たまたまそこに山があるだけだと思っていたのだが、いつまでたっても赤い集団の中心に山がある。

 その山も動いているのだと気がついたのは、山がこちらへ近づいて来た時であった。


 山が近づいている!?

 そう思った次の瞬間である!


 パムの目の前に、突如巨大な影がそそり立った。

 パムは何が何だか分からず、その影を見上げて立ち止まった。

 パムの頭上を覆ったその影。

 影の真ん中に赤くほおずきのような眼が二つ、星のように輝き、そしてましろな歯をぎらりと光らせ、まるで洞穴のような巨大な口を開けてこちらに……飛びこんできた!

 巨大な口がパムの目の前でバクリと閉じられる。口が閉じた風圧でパムは吹き飛ぶ。パムは四つん這いになってやにむに駆け出した。駆けながら、振り向くと……それは……この世のものとも思えぬ山のような大きさの、巨大な大蛇オロチであった。


 オロチがこちらを睨んでいる。

 途端にパムはすくみ上がり、動けなくなってしまった。パムの体はガタガタと震え、ただ見上げるしかできない。

 どうしよう、逃げなきゃ、早く! 


「パム!」とハハカラの声が聞こえた。

「パム、食われたいのか!」

「体が、体が動かナイ……」パムはオロチを見たまま答えた。


 それを聞いたハハカラはパムの襟首を引っつかんで肩に担ぎあげた。そして、走った。ハハカラの肩越しに、ソシモリの乗った鵺が、こちらへ向かってくるのが見えた。いつもゆったりと歩く姿しかみない鵺だから、走る姿は滑稽こっけいだった。


「まったくトロいんだよ、てめえは!」ソシモリは言いながら、鵺に指示を出す。鵺はハハカラの着ている毛皮に噛みつき、親猫が子猫を運ぶようにハハカラごとくわえて走り出した。


「ゴオウン」とオロチが一声吼え、右へ左へとのたうちながら、走る鵺めがけて追っかけてくる。


「右だ、左へ行け!」とソシモリに言われるまま鵺は走る。鵺は口に図体のでかいハハカラをくわえているのだから、うまく走れずにいた。パムは、いつハハカラの毛皮が破れるのかと気が気じゃなかった。ゆさゆさと飛ばされそうになりながら、必死でハハカラにしがみついていた。

 そうこうしているうちに、パムのはるか前を行っていた丹波兵たちの姿が見えてきた。

 兵は、後ろから追ってくるオロチを見ると、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げまどいはじめる。オロチの大きな口が、鵺の横の地面にガジン! と噛みついた。


「ガオウンッ!」


 オロチの咆哮に兵たちは半狂乱になる。悲鳴をあげ、逃げまどう。


「うるせえなあ、このヘビ!」ソシモリは鵺の背で「行け!」と叫ぶ。


 鵺は「ヒーン」と啼きながら、脚を止めると、オロチの正面を向いた。

まさか、正面からやり合う気じゃあ……。


「ソシモリ! 僕たちを下ろしてからにして!」パムは必死で、鵺の口先から訴えたが、どうやら聞いていない。

「鵺、このまま真っ直ぐ向かえるか?」

「ヒーン!」なにやら鵺もやる気になっている。冗談じゃない!

「ソシモリ! 僕たちは下ろしてからにして!」

「ツヌガアラシト! わしをおろせ!」ハハカラも一緒に和語で叫びだした。何しろ、もう目の前にオロチが鎌首をあげてこちらを睨んでいるのである。


 と、そのときである。何かが見えた。


「ハハカラさん? アレ!」

「アレって、今それどころじゃなかろう。早くなんとかしないと、鵺の野郎このままオロチに突っ込むぞ!」

「ほら、誰かイル!」

「なに?」


 パムが指をさしたところに一人の男が立っていた。

 鵺とオロチの間には、大勢のかぶとをかぶっている兵が逃げ回っているのだが、その中でただ一人、オロチに向かって歩いている男がいるのである。


もう、そこはオロチの胴体のすぐ下だ。そのままではじきにオロチに押しつぶされてしまう。


 あれは勇気があるのか、それとも気が狂っているのか、とハハカラがつぶやき、唾を飲みこんだ。遠目に見ても、その男はようやく立っているのだと分かる。手に持った剣の重みで足元がふらふらとし、肩を上下させてようやく呼吸をしているような状態だ。パムは「ソシモリ! 誰かいる!」と叫んだ。ソシモリは、その人に気がついただろうか?


 男の剣がキラリと陽に光り、ゆらめいた。


 オロチが「ガオオウン!」とひと啼きして体を揺らすと、たちまち土煙がたった。風に乗った土煙は、ゆっくりとこちらに向かってくる。こちらに漂って来た土煙を吸い込むと、鵺はクシャンとくしゃみをした。パムとハハカラは地面へと放り出された。


「やっと自由になった」と思ったのもつかの間、オロチはまた口を開けてこちらに向かってくる。

「ガガオオン!」

「パム、逃げるぞ!」

「ハ、ハイ!」

 二人が逃げ出そうとした、その刹那。


 オロチの前に立っていた男の剣が、キラリと光った。

 横なぎに一閃。剣を薙ぎ払った。


 剣先が閃いたと同時に、オロチはけたたましい悲鳴をあげた。そして、次の瞬間には、胴体から血しぶきを噴きあげながら、ゆっくりゆっくりと倒れ込みはじめたのだ。


「逃げろ」


兵が逃げまどうど真ん中へ、そして、その男の上へとオロチはドウッと地面に倒れた。

もうもうと土煙が立ち昇り、あたりがなにも見えなくなった。ハハカラは、パムを地面に押しつけると、こちらに向かってくる土煙から守ってくれた。


「パム、大丈夫か?」

「ハイ、大丈夫デスヨ」


 ハハカラはうなずき、少し土煙が落ち着くのを待った。少しずつ土煙が落ち着くと、ハハカラは立ち上がり「さっきの男を見てこよう」と言った。

 近くにジリやキジ、ユタもやって来た。


 パムも一緒に先ほどの男の倒れたあたりへと走る。

 逃げまどっていた丹波兵もオロチが死んだとみるや、徐々に倒れたオロチの元に集まってきた。


「男は?」

「死んだだろう。直撃したはずだぞ」


 皆おそるおそる倒れているオロチに近づく。土煙が風に吹かれて、サーっと飛んでいき、なにが怒っているのかが初めて明らかになった。


 そこには鵺がオロチの下に入っていた。

 そして、そのオロチの上で巨大なオロチを持ち上げていたのはソシモリである。

 

「おい、早くそこのおっさん、どかせ」


 ソシモリが、怒鳴る。鵺の足元に、先ほどの男らしき人物が倒れていた。


「漁師! 早く訳せ!」ソシモリの怒鳴り声に、ハッとしたパムは、急いでそれを訳した。

「おじさん、ドカシテくだサイ」


 ジリが飛んで行って男を担ぎあげて、オロチの下から連れだした。ソシモリが、オロチの体を放り投げると、ズズウウウン、とまた土煙が上がる。


 遅れてウズヒコも土煙に向かって駆け寄ると、パムたちを通り越し、オロチの下にいる何人かの兵へと駆け寄った。


「みんな、無事だったのか」


と人々に声をかけだした。

よく見ると、その変わった冑をつけた人は、出雲兵だったのである。先ほどから逃げまどっているのは丹波兵ばかりだと思っていたのだが、このカワラの者たちは、出雲の兵だったのだ。


「みんな、なんでこんなところにいるんだ。筑紫国でオロチを食い止めていたんじゃなかったのか」


 出雲兵はどの兵も一様に傷だらけで、うつろな目をし、お互いに肩を貸すことでなんとか立ってはいる、そんな様子であった。

 ウズヒコの声を聞くと、一人の出雲兵が首を横にふり、


「あれは、もうこの世の地獄じゃ。もうわしらはおしまいじゃ」


 そう言うと、ずっとしまいこんでいたものを吐き出すように泣き崩れてしまった。一人が泣きだすと、次から次へと兵はみな泣き崩れてしまった。


「おい、泣いてる暇はねえぞ、急いで加茂呂さまを運ばねえと」

「カムロさま?」ウズヒコが素っ頓狂な声をあげた。

「そこの人たちが助けてくれもうした。加茂呂さまを、急いで出雲の町へお連れしてくれ」


 ウズヒコは、このとき初めてジリに抱えられた男を見た。


「か、加茂呂さま!? まさか、オロチに!?」


 ウズヒコは途端にオロオロとし、周りの兵たちをグルグルと見た。


「加茂呂さまが、やられてしまった!」

「カヤナルミさまのところにお連れしなければならぬぞ」

「急げ、ヤツがまた来るぞ」


 出雲兵の何人かは気丈に立ち上がり、仲間を立ち上がらせた。

 遠くから、先ほど聞いたのと同じ咆哮が聞こえてくる。


 ゴオウ、ゴオウン!


 驚いたパムは視線をあげ、おさまってきた土煙の向こうに目をやった。遠く、暗闇の中にチラチラと赤く燃える、対になって光る真っ赤な眼。その赤い眼が、いくつもいくつも土煙の中に動いてみえるのだ。その対の数を数えると、どうやら七つ。


「体は一つですが、首が八つあるから、八岐大蛇ヤマタノオロチ、と呼ぶのですよ」ユタが、赤い光を見て言った。


 パムは身体をぶるりと震わせた。そう言われてみると、今倒れているヘビの体ははるか遠く、あの光まで続いているのだ。ということは、あんなでかい蛇の首がまだ7つもあるというのか。


「とにかく、一度出雲へ帰るぞ、スサノ……いや、加茂呂さまをお連れしろ!」丹波のイヅツが声を張り上げた。


「ああ、言われなくてもオレが連れて行くからよ」ジリが大きなひょうたんを横にずらすと、加茂呂を肩に担いだ。


「みなさん、急いで、急いで! 急がなきゃ、あの残りの首が出雲へたどり着いてしまいます! そうしたら、今度こそ本当に、出雲はおしまいです!」


 ウズヒコの叫びを横目に、兵たちは出雲へと向かって歩き出した。


「ねえ、みなさん聴いてます? 私を無視しないでくださいよ……」

「だからうるさいねん、あんさんは! グズグズ言わんと、さっさと行きまっせ!」キジがウズヒコの頭を叩く。

「あ、は、はい……」


 遠くで、猩々の奇声が聞こえる。オロチの咆哮も聞こえる……。

 その声を聞いたとたん、パムは身体中に震えがくるのを感じた。正直、怖い。誰にも聞こえぬよう、そっと呟いた。

 

 僕は一体どうなっちゃうんだろう……。

 

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