第8話 幼馴染の家畜

 「もしもし、爾香ちゃん? うん、雪。新出くんがね……そう、うまくいったわ。協力してくれて、ありがとう。……ううん、そんなことないよ? え、ああ、誰か殴ったらしいわね。私は大丈夫だった。うん、気を付けるわ。どうしてああなったのかしらね? 見当? さあ、私には分からないわよ。うん、うん。また何かあったら相談するね。……あはは。でも、根はいい人って言うか、小心っていうの? 基本的に『いい子』ぶるからね、彼。……あ、彼氏にも協力してもらったんだよね? 彼にもよろしくね。うん、じゃあね」

 

 「もしもし、小柏くん? 木羽です。……ええ、新出くんのこと。……そうなの、うん。作品のことは本当にごめんなさい。……いえ、代わりに謝らせて。小柏くんにも協力してもらったんだし……。いえ、それと私のことは関係ないんじゃないかしら? そう、新出くん、とてもじゃないけど……そう、ちょっと精神状態が良くないみたいで。今は……うん、私も部活は続けられないと思うわ。……そう、うん……もし小柏くんさえ仲良くしてくれるなら、新出くんのこと……そうよね、ごめんなさい。あの、部活の先輩に、変なこと言わないよう説得してくれたの、小柏くんだよね? ありがとう……ふふ、そうね、うん……」

 

 通話を切って、ほっと一息つく。ようやく、何もかもを終えた気分だ。本当は始まったばかりなのだけれど。

 

 新出くん、校内弁論大会での勝負を持ちかけてきた時のこと、私は忘れません。弁論のテーマを私が指定した時、あなたは何も疑問を持たずに受けましたね。

 あの時、私は勝てると思いました。あなたはきっと、私の手に落ちてくると。そしてその通りになりました。

 あなたは久しぶりに再会した私の気を引こうとしていただけのようでしたが、私はもっともっと欲深いことを考えていたのです。

 もし、あなたが小さい頃に私と話したことを覚えていれば、また結果は違ったかもしれませんね。いつだったか、新出くんには話したはずなんです。私のお爺ちゃんが牧場を経営していること、いつか新出くんも遊びに来てほしいと思っていること。何度も、何度も。

 きっとあなたは女子と遊ぶのが嫌になっていた時期で、私の話なんて興味なかったのかもしれません。

 だから、覚えていないことは覚悟していました……実際にそうだと知った時は、やっぱり少しショックだったけれど。

 でも、いいの。だからこそ、あなたは私の企みに気付けなかったのだから。

 どんな手段を使ってでも、あなたを私から離れられなくすること。そして、私と一緒に牧場の再建に尽くしてもらうこと。あなたの未来を奪うために私が何をしていたのか、あなたは結局、知ることは無いのでしょう。

 実は、あの約束のことは内心馬鹿にしていました。けれど、話している間にあなたの求める『家畜』そのものが、とても曖昧な定義なのだということが分かり、私は私の手を打つチャンスだと思ったのです。

 あの時分かったことは、新出くんの求める『家畜』とは、随分都合の良い存在だということです。あまりにもふわふわとした、実体のないものを求めているように思いました。

 だから、私は私の『家畜』の定義に、あなたを引きずり込むことにしたのです。私には、きちんとした『家畜』というものの絵がありますから。根っこの無い新出くんの『家畜像』なんて、打ち砕くことができるはずだと……まあ、少しは不安もあったけれど。

 しかし、新出くんの「自分の立場を悪くしたくない」という気持ちに付け込むことができたので、私の心配は杞憂に終わりました。あなたが欲望丸出しで、性交渉を含む隷属した存在としての『家畜』をなりふり構わず求めていれば、もっと大変だったかもしれませんね。

 新出くんは昔からそうでした。突き抜けた善人でもなければ悪人でもない。どこにでもいる普通の人。普通なりに美味しいところは頂いて、面倒なことは避けたいと考えている人。こういうところが分かるのは、やはり幼馴染の特権だと思います。

 けれど新出くん、悪者になりたくないという気持ちは、かえってあなたの弱点になっていたのです。

 勿論、私はその弱点をつきます。だって、私は牧場再建のためになりふり構っていられないんですもの。悪人になりたくないと言う気持ちさえありません。

 私の母と、あなたのお母さまが交友を続けていたのは本当に好都合でした。適当な理由をつけてしまえば、外泊にも疑問を持たれないなんて。利用しないはずがないでしょう?

 私、あなたが眠る度にこの手で首輪を掛けていました。新出くんの寝顔が歪む度、柔い皮膚の汗を感じる度、寝息に混ざる名前を聞く度、私は……。

 でも、私のせいだと言いながら圧し掛かって来た時は、ちょっと驚きました。もしかしたら、全て気付かれていたのではないかと。幸いにも、あの時はただ私のことで頭がいっぱいになって、混乱していただけのようでしたね。

 あの夜、私の首に残された手の跡。消えるまで、鏡の前で歓喜に震えました。あなた、私たちは互いの首輪を繋いでしまったのです。もう、互いに逃げることはできません。させません。

 

 高校で再会した旧友に声をかけました。新出くんが勝負に勝ったことを良く思っていなかった彼女たちは、喜んで協力してくれました。色々なツテを使って口をきいてくれたようです。

 偶然、同じ高校に進学していた同級生にも声をかけました。私が新出くんを憎からず思っていて、あの約束をきっかけに距離を縮めたいと思っているのだと相談を装えば、彼は簡単に信じてくれました。小柏くんには、本当に悪い結果を招いてしまったと感じています。もっとも、私は『悪人』になることに抵抗がないので、本当に反省する気持ちはと言うとありません。

 彼もあなたも、私の目的の一つの過程なのですから、結果と比較すればどちらが重要かなんて、考えるまでもありませんよね。そういうことなんです。

 私が唯一恐れていたのは、新出くんの『将来の夢』でした。大学で学びたいことがあるのだと知った時、私がどんなに慌てたかあなたは知らないでしょうね。

 私が自分の夢のために邁進するように、新出くんの夢は新出くんの支えになり、あなたが私の手に落ちるのを妨げる心配がありました。

 でも、私はあなたの夢に勝ちました。勝てました。嬉しいです。

 目的や夢は、人間が心の拠りどころにする部分、生きる目的です。私はそれを、あなたから奪うことができました。これからは私が与えてあげます。

 今、新出くんはすごく不安な気持ちかもしれませんが、大丈夫ですよ。私があなたの生きる目的になります。私の世界に順応し、全てを知った後も離れられなくしてあげます。

 絶対に見放しません。捨てません。私の世界の中でしか生きられないあなたを大切に思います。

 

 新出くん、あなたほどの家畜はいません。

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