第2話 幼馴染と家畜と級友

 ニヤニヤとジロジロは男子から。ギロリとチクチクは女子から。

 擬音が聞こえてきそうな二種類の視線が、教室のドアを開けた路太と雪に注がれた。

 「キヨちゃーん、おはよ。ね、あっち行こ」

 その『ギロリ』の方から一人の生徒が近付いて来て、雪の手を掴むと路太から引き離す。去り際、汚物を見るような眼差しを路太に向けながら。

 振り返りもせず女子の群れに混ざっていく雪を見ながら、路太もまた『ニヤニヤ』のグループに取り囲まれる。

 「おいおい、デジ。どうたったんだよ、昨日、あれから?」「もう済ませた? どうだった?」――好奇心と下ネタを隠さず、級友たちはどうにか路太の口を割らせようとする。口調はあくまでも軽いが、助平根性は隠しきれていない。

 ちなみに『デジ』というのは、『新出路太』の真ん中二文字を抜いて付けられた路太のあだ名だ。人によっては下三文字を取って『デジタ』とも言う。

 「う、うん……まあ、まあ……な」

 刺激的な話を渇望する級友たちは、半端な返答を許さず、続きを求めて路太の周りから去ろうとしない。

 彼らが求めているのは、下半身の欲求に直結するような体験談だ。決して、『ぶん殴られた挙句、正しい家畜と飼育者の関係を求められた』という類のものではない。

 それが分かっているからこそ、路太は言い淀むのだ。

 「何だよ、教えろよぉ。……協力してやったんだから、少しくらいイイだろ?」

 額を突き合わせる勢いで迫る彼らは、意地でも聞き出すつもりらしい。路太の弱い部分まで平気で突いてくる。

 「う……」

 それは、路太と雪の勝負のタネに関わる部分だ。

 路太が勝利を収めた校内弁論大会において、優劣の評価の半分は教職員の判断で、もう半分は生徒たちの投票で決められる。つまり、票を投じる生徒たちが示し合わせておけば、意図的に結果を操ることができた。

 そんなことをしても投票者に何のメリットもないために、今まで特に問題なく作用していたシステムなのだが、今回ばかりは事情が違った。路太を勝たせようとしたクラスメートの男子生徒やその友人たちが、路太への票を集めて回ったのだ。

 それが巡り巡って、路太の弱みになってしまうのだから因果なものである。

 「あー、その……昨日はなんも無かったんだ」

 級友たちの協力に報いるため、面白おかしく作り話をすることもできた。けれど、路太は悩んだ末、本当のことを――彼らが決して満足しない事実だけを話すことを選んだ。

 嘘を言っても、それは一時しのぎの愚策に過ぎないと考えたのだ。

 「何だよそれ?」

 「俺たちが票入れなかったら、木羽には勝てなかったんだぜ?」

 もっとも、事実を語ったとしても受け入れてもらえるとは限らないのだが。

 逆の立場ならば、路太だって同じ反応をすると思う。『家畜になる』なんて約束をした女子を自分の家に連れて行って、何もなかったなんて冗談もいいところだと言うだろう。普通は。

 「でもさー、俺たちが票入れなくても、デジの勝ちだったんじゃね?」

 どうやって級友たちを言いくるめようかと考えあぐねていると、人垣の中から新しい声が上がった。

 「どういうことだ?」「何で?」――それは皆の注意を引くことに成功し、皆の関心が路太から別の男子生徒へと移っていく。内心助かったと胸を撫で下ろすも、彼の言い放った一言は、路太にも気になるところだ。

 路太は決して弁論が得意なタイプではない。真っ向からの勝負に勝算はほとんど無かったと自覚しているくらいだ。故に、級友らの不正無くしても雪に勝てたなど、路太自身が考えたこともなかった。

 「何でって、だって木羽の弁論、よく分からなかったし。なんつーの? コーショー過ぎて?」

 「ああー」

 「確かになー」

 納得、同意。それらを表す気の抜けた声が、いくらか聞こえた。

 勝った手前、路太は簡単に同意の言葉を出せずにいたが、「言われてみれば確かにそうかも」と内心考えていた。何というか……雪の弁論は、テーマから想像される内容の斜め上をいっていたのだ。

 しっかりと自分の意見は書かれていた。それは間違いない。だが、斜め上の理論は聴衆の理解を得難いものだった。

 例えば『某地域の名産品』をテーマにする場合、無難に仕上げるなら、それを名物にするまでにかけられた人々の努力にスポットを当て、自分の意見や感想を述べるだろう。なのに雪の場合は、そもそもその品物が地域の名産物として適切であるのか、という部分に切り込んでいくやり方なのだ。

 彼女の切り口に「そこか」と突っ込んだのは、どうやら路太だけではなかったのだと知る。

 「ホームルーム始めるぞ、席につけー」

 タイミング良くやって来た教師の号令が、皆の会話と路太の思考を切り上げた。

 有耶無耶のうちに散っていくクラスメートの背中を見ながら、路太はようやく緊張から解き放たれる。とりあえず、何事もなく一日が終わればいいと、そう祈った。

 

 

 その願いは四限の後、もう一人の渦中の人物によって打ち砕かれることになる。

 「新出くん、お昼よ。一緒に食べましょう」

 昼休みに入って早々、雪が路太の元へやって来たのだ。

 「えっ?」

 一緒に昼食を摂ったことなど無いのに、突然どうしたのだろう。……どうしたもこうしたも、原因は昨日にあるとしか思えないのだが。

 「何だよ、結局こういう展開かよ」――困惑する路太をよそに、昼食を共にしようとしていた友人たちは、路太を残して去ってしまう。彼らを呼び止めるより早く、雪は空いている席を見つけ、陣取った。

 「お、おい、木羽っ」

 「なぁに?」

 ほとんど強引に友人たちを追い払った雪。思わず声を荒げそうになるも、彼らが戻って来てくれる気配もない。

 「……何でもない」

 諦めて浮かしかけていた腰を落ち着ける。すると今度は、教室に残ったクラスメートの好奇の視線に気付いた。朝と同様、二種類の視線が向けられている。

 その監視の下、緊迫の昼休みが幕を開けた。

 「あれ? お前、弁当は?」

 よくよく見てみれば、一緒に食べようなどと言ってきた雪は手ぶらだ。それを指摘すると、雪はむっと顔をしかめる。

 「家畜に餌をやるのは、飼育者の役目じゃないかしら? それとも、新出くんはペットの犬や猫に『餌を自分で用意しろ』って言うの?」

 「そうきたかぁ」

 そういう要求がくるとは思わなかった。読みが甘かったと反省するべきか、どうしてそう斜め上を要求してくるのだと嘆くべきか。

 「そうきたって、どういう意味?」

 思わず呟いた失言は、素早く雪に拾われる。

 「昨日、良い飼い主になるって言ったのは新出くんじゃない。これはどういうこと? 早速失望させないで!」

 「す、すまん」

 「人でなしよ! こんな仕打ち……約束と違うわ!」

 謝罪に耳を傾けず、雪は感情をたかぶらせたまま叫ぶ。

 「ちょ、やめ、だから……言い方!」

 どうとでも解釈できそうな言葉選びをされては堪らない。

 只でさえ、女子の視線が刺さるように注がれていたのだ。教室に残って弁当を囲んでいる彼女らは、今や鋭く睨みつけている。

 「悪かった! 俺が悪かったから! ……で、飯がないんだろ? ほれ」

 言い訳より先に謝罪が有効だと踏んで、路太は自分の弁当を半分、蓋に取り分けた。

 「少ないのは我慢しろよ。俺も我慢するから」

 もしもの時のため、割り箸を常にストックしておいてよかった。

 量こそ少ないものの、雪はとりあえず納得したらしい。大人しく分けられた弁当に手を付け始める。雪に何事も無いのを見て、睨みをきかせていた女子たちもその眼差しを和らげた。

 「……随分、好かれてるじゃん」

 雪と路太の件を知るのは男子たちだけではない。勝負に負け、家畜になるという約束に応じている雪を、女子たちは彼女らなりに案じているのだ。

 それは分かるのだが、もう少し風当たりを和らげて欲しい、と言うのが路太の本音だ。

 「好かれてるも何も、覚えてないの? 小学校の頃、同じクラスだった優衣ゆいちゃんと爾香にかちゃん」

 「え?」

 学区の都合で中学が別だったとしても、共に小学校を卒業しているはずだ。それなのに、中学の三年の間に忘れてしまっていたらしい。

 「……私のことは、すぐ気付いたのにね」

 心を読んだかのような雪の言葉が、気まずさに追い打ちをかける。

 「うっ……や、でも、木羽もよく小学校の同級生だって気付いたな。途中で転校したのに」

 「誰かさんと違って、時々連絡を取り合っていたからよ」

 「あー、……はは」

 誰かさんだなんて、分かりきったことを。

 「てことは、あれか。木羽がこっち戻ってくることも、あいつら知ってたんだな」

 「ええ。誰かさんは、知らなかったでしょうけど」

 「……」

 その通り、知らなかった。

 なのに、クラスメートの女子の中には、路太の知らない雪を知っている者がいるのだ。仕方がなかったとは言え、あの『女子と仲良くするのはダサい』期に、どうして雪だけは別にできなかったのかと改めて悔やまれた。

 当時の雪にしてみても、近所に住んでいた幼馴染に全く連絡を取ろうとする気配が無ければ、子供心に薄情だと感じただろう。そう考えれば、今、彼女の機嫌が傾いていくのも至極当然だ。

 しかし、路太は雪の言い方に何か引っかかりを感じた。

 「もしかして、俺がずっと連絡取らなかったの、気にしてたのか?」

 その正体を確認するように問う。

 「そ、そんなわけないでしょ! ……あっ、いえ、そのっ!」

 応じたのは、慌てたような雪の声。

 昨日、路太の部屋に連れ込まれた時でさえ泰然としていた彼女は、視線を忙しなく路太に向けたり逸らしたりしている。まるで、自分でもこんな言い方をするつもりではなかったのだと言うように。

 「んんっ……ごちそうさま!」

 「あ、おい」

 数口分だけ残っていた弁当を平らげると、雪はすぐさま席を立とうとする。だが、それをおめおめ見送る路太ではない。

 「待て! 飼い主の言うことが聞けないのか!」

 雪が家畜の権利を主張するように、路太にだって飼い主の権利がある。今、それを使わないでなんとする。

 思惑通り、雪はギクリと動きを止めた。少しだけ悔しそうな表情を見て、路太の胸が少しすく。昨日から完全に彼女のペースだったのだから、ここであわよくば主導権を取り戻し、雪の本音を垣間見たい。

 そしてもし、雪もまた久方ぶりに再会した幼馴染として、路太のことを憎からず思っていると分かれば……。

 「ちょっと新出くん! ふざけないでよ!」

 膨らみかけていた路太の夢想は、第三者の声であっけなく霧散する。

 はっと声の主を見れば、さっきまでこちらに睨みをきかせていた女子生徒の一人だった――恐らく、雪の言っていた優衣か爾香のどちらかだろう。

「どんな約束したとしても、女の子に命令して喜んでるなんて、サイッテー! 下品! 野蛮! シネ!」

 思いつく限りの悪態を叫んでから、「行こ、キヨちゃん」と甘い声。そして、雪を連れて女子の集まりの中に戻って行った。

 雪を迎えたグループは、雪を囲んで何やらひそひそ喋り始める。「大丈夫?」「気にしちゃダメだよ」……漏れ聞こえるそれらは、家畜扱いされた雪を慰める言葉の数々だ。

 ついでに路太へ視線を投げては、小さく「バーカ」と囁いている。

 「……なんだよ……」

 互いに同意の上の約束なのに――とも、お前らが思ってるような家畜扱いじゃないからな――とも言えず、悔し紛れに小さく小さく呟く。

 何を言っても、言い訳や自己弁護と見なされてしまうだろう。ならばここは、沈黙するが吉だ。残りの昼食をかき込んで、だんまりを貫くのだ。

 そう自分に言い聞かせても、納得できるほど人間ができているわけではない。腹の中は、言えない言葉で重くなっていくばかりだ。

 「あれ? 木羽は?」

 教室に戻ってきたクラスメートが、一人食後のお茶をペットボトルから啜っている路太を不思議そうに見つめ、「一緒に飯食ってたんだよな?」と追い打ちをかけるような質問をした。

 

 

 何とも中途半端な心地のまま午後の授業が始まり、雪の態度の意味をあれこれと想像しているうち、放課後になった。

 授業の内容は全く頭に入ってこないのに、雪の表情や声だけはしっかり刷り込まれているのだから人間の脳は勝手である。それどころか段々都合の良いように記憶が加工されてくるのだ。

 例えば「そんなわけないでしょ」のセリフは、今や「そ、そんなこと……い、言わせないでよ! もう、バカぁ……」くらいデレ成分多めになりつつある。

 「……危ない危ない」

 意外と自分の頭は能天気にできているものだと呆れながら、路太は帰宅することなく、校舎の片隅へと向かった。

 「お疲れさまでーす」

 やって来たのは技術室。普段人気のないこの部屋は、模型工作部に割り当てられた部室だ。

 既に部活動に勤しんでいた面々から、間延びした挨拶が返ってくるが、ちらっと路太へ向けられた顔は、すぐにそれぞれの手元に戻っていく。

 ここは教室とは違う。少しほっとした。

 よしんば好奇の目を向けられても、自分の作業に集中してしまえば気にならなくなる。それくらいには、路太は模型工作部の活動が気に入っていた。小さな積み重ねがやがて一つの作品になり、それを見た誰かが感心したり驚いたりするのを見るのは、楽しい。

 「新出―、『テラリウム和箪笥』の作り見てもらえるか?」

 それに、組が違っても親しくしている者にも会える。

 「おう、見る見るー」

 部活仲間・小柏(おがしわ)の声に応じて部屋の片隅に向かうと、手のひらに乗るほどの小さな引き出しがいくつも並べられていた。一つ一つに付されたマスキングテープには番号が振られていて、箪笥本体に戻す際、位置を間違わないようになっている。

 「下段に入る分、ほとんど終わってるじゃん」

 「下地はできてたし、細かい部分は新出があらかじめ用意してくれてたからな」

 二人が『テラリウム和箪笥』と呼んでいるのは、箪笥の引き出しに作っている小さな作りものの世界だ。

 本来テラリウムはアクアリウムの陸上版といったところで、ガラスケースの中で植物や小動物を育成するものである。

 だが路太たちが作るものは、勿論生きた植物ではない。模型工作部らしく、全て手作りの模造品だ。引き出し一つ一つが異なる世界を演出していて、森の中だったり花咲く丘だったりと、小ささも相まって幻想的だ。

 「これが箪笥の引き出しから出てきたら、面白いだろうなぁ」

 「虫くらいだったら本物入れてもセーフ?」

 「だめー、アウトアウト」

 ふざけながら、しかし丁寧にチェックをしていく。

 引き出しの全てに疑似テラリウムを作り、それを収めた和箪笥を『テラリウム和箪笥』として展示する。それが目下の目標だ。ちなみに、材料の古い和箪笥は、粗大ごみの中から拾ってきて修繕したものである。

 こういうものを製作するのは、模型工作部でも初めての試みだと聞いた。加えて、文化祭での展示を予定している作品なので、少しでも良い作品に仕上げたかった。

 「新出、ちょっといいか?」

 だから、始めた作業を中断されると、やる気が削がれたりする。

 けれど、声の主が誰であるかも知っているので、無下にするわけにもいかない。顧問の声なのだ。

 「……何ですか?」

 僅かな不機嫌を込め、低い声で答える。

 「すまん。けど、ちょっと呼び出しみたいだ」

 作業を中断させてしまったことを詫びながら、顧問は申し訳なさそうに入口のドアを示す。路太がそちらを向くと、待ち構えていた一人の男性教師が緩く手招きをした。

 「誰ですか?」

 「ほら、生徒指導の……」

 ああ、そういえばそうだ。思い出したと、路太は頷く。もっとも、思い出したのは教師の立場だけで、名前までは思い出せないのだが。

 「ごめん、小柏」

 「うん、行って来いよ」

 小柏に見送られ、教師に連れてこられたのは職員室の隣。小会議室とは名ばかりの生活指導室だった。

 「新出、何で呼ばれたのか分かるか?」

 「……」

 分かるというより予想できる、と言ったところだろうか。

 沈黙する路太をどう思ったのかは分からないが、教師は咳払いをしてから切り出した。

 「お前と木羽のことなんだが……」

 「あ、はい」

 やはりそのことか。

 「あー、よくない噂を聞いてな。知っているかもしれないが、過去に男女関係で問題を起こした生徒がいて」

 「それは聞いたことあります」

 その卒業生カップルの噂は耳にしたことがある。

 確か、彼氏の方が金欠で、彼女の方に好意を寄せていた第三者が、まとまった金を貸す代わりに彼女と別れろと持ちかけてきたとかいう話だ。結果的に企ては明るみになり、全てを知った彼女が、こんなの人身売買だと学校を巻き込んで大騒ぎしたとか。

 先輩たちの語り草として、その真偽は疑わしいと思っていたのだが、教師が言うということは本当にあった出来事なのだろう。

 「ま、それ以来、異性交遊については学校側でもちょっと厳しい目を向けるようになっていてなぁ。それに、新出は弁論大会で学年最優秀を取っていたな?」

 「はい」

 「ならば学外の大会にも参加することになるだろうし、そういうところで問題を出されてもお前自身に……いや、……何が言いたいかって言うと、新出は木羽と金銭のやり取りや、恐喝でもって関係を持ったりはしてないか?」

 「してないです」

 断言してから、ちょっと考えて気まずくなる。

 互いに同意があったという点では過去の例よりマシなだけで、教師からしてみればアウトと思われてもおかしくない気がした。

 「……一応、木羽にも聞いてみるがいいか?」

 「え、あ、はい」

 心臓が跳ねた。

 もし、もしも雪が「約束を盾に取られて無理矢理……」とでも言ったらどうなる?

 路太は自分可愛さに嘘をついた生徒だと思われるだろうか。そうなったら、今後の学校生活は? 内申は? そして、雪は――路太を日陰に追い込んで、してやったりと笑うのだろうか?

 只でさえ、路太は特別目立ったところのない生徒だ。少なくとも、本人はそう思っている。雪との件で何かとクラスメートに絡まれることが増えたけれど、こういう時に路太をフォローしてくれる級友は多くない。ほとんどの者は、日陰者になった路太から距離を置いて、まるで関係ない間柄のように振る舞うだろう。

 バッシング、陰口、いじめ――生徒指導室を後にした路太の脳内で、悪い未来予想が溢れ出す。背中が冷たくなっていた。

 「そうだ……!」

 それなら、雪に予め口裏を合わせてくれるように言えばいいじゃないか。事情を説明して、言うことを聞かないようなら……。

 「あ」

 悪い予想から一転、都合の良いことを考え始めた路太はもっと根本的な問題を、雪の連絡先など知らないことを思い出した。

 

 

 「お帰りー、って大丈夫か?」

 小柏が心配するのももっともで、路太は随分渋い顔をしていた。

 「うん、まあ……」

 「もしかして、木羽とのこと?」

 曖昧な答えをあっさり見抜かれてしまい、路太は誤魔化すように作りかけの作品に手を伸ばす。

 「あー、小柏も知ってたんだ?」

 「そりゃなぁ」

 彼のクラスでは路太たちのことはどう伝わっているのか、興味はあったが聞くのは怖い。

 あの教師のように二人の関係を案じている者もいるかもしれないし、クラスの女子たちのように見下している者もいるかもしれない。小柏は、どうだろうか。

 「でも、木羽にしてみれば付き合う理由ができてよかったんじゃないか?」

 「はあっ!?」

 変な声が出た。

 「つ、付き合う? 木羽が? 誰と?」

 ぐりっと首を捻り、路太は友人を凝視する。自分がどんな表情なのか路太自身には知りようがないが、ちょっと引いた小柏の反応で、あまりよろしくない顔をしていたのだということは分かった。

 「いや、木羽と新出がさ。だって中学の時に木羽が……」

 「中学!?」

 それは雪と路太の空白の時間である。まるでその頃の雪を知っているように口を開いた小柏は、もしかして……。

 「あ、俺、木羽と同じ中学にいたんだ。まさかまたここで一緒の学校になるとはなー」

 「そ、そーなんだ?」

 考え得る可能性の一つが現実になった。驚きを極力隠そうとするが、路太の頭の中は尋ねたいことでいっぱいだ。

 小柏は知っていて、路太は知らない中学校時代の雪。でも、その頃について何でもないように尋ねられるほど路太は素直ではない。それに、もし小柏が「雪が進学するからこの高校を選んだ」なんて言い出したら目も当てられないではないか。

 どうしようか、どうするべきか。いつになく頭を回転させ、しかし結論を出せない路太をよそに、小柏は懐かしそうな様子で話し続ける。

 「そうそう。そんで、中学二年の時だったかな。生徒会役員の選出選挙で、木羽が推薦されたんだけどさ。あいつ、推薦を断ったんだよ」

 「へえ。木羽、真面目だからそういうの受けそうだけどな」

 俺だって雪のこと知っているんだぞ――張り合う気持ちがあることに、言ってから気付いて勝手に気まずくなった。

 「だよなぁ。そう思うよな。でさ、その断った理由ってのが……あ、塗料足らない」

 「ん、ほい」

 小柏は、話しながらも手を休めてはいなかった。それが、彼にとってはこの話題は他愛もないものなのだということを教えてくれる。

 一人、小柏の一言一言に一喜一憂していた路太は、慌てて手を動かした。けれど、どうしても気がそぞろになってしまう。繊細な木の枝葉を作るには集中しなければならないのに、今日の出来はいちまいちだ。

 「それで、木羽はなんて言ったんだ?」

 「んー、あいつな、『私はいずれ引っ越すから、この学校に卒業後もOGとして関わることはできない。生徒会役員になっても、学校のために後々までできることがないから』って言ったんだ。あんまり引っ越すーって繰り返すから、好きな奴がそっちにいるからなんじゃないかって噂が出て」

 「へー」

 ということは、雪がこちらに戻ってくることは決まっていたのだろう。

 「しかも、木羽は木羽で噂を否定しないし。だから、木羽が新出との勝負に応じた時、木羽が好きな奴って新出のことだったんだーって思ってたんだけど」

 「ああ、うん、なるほどー」

 「……その反応だと、別にそういうわけじゃなかったみたいだな?」

 「うっ」

 図星だ。嘘をつけない路太を、小柏が笑って見つめる。

 「はは。でも、木羽は新出のことまんざらじゃないと思うな」

 「え、何でさ?」

 「だって、マジで大っ嫌いな奴だったら、あんな約束できないだろ? ま、俺の考えだけどさ」

 「……」

 なるほど、そう言われれば――その相槌さえ出てこないくらい、路太にとって思いがけない意見だった。

 考えてみれば全くその通りで、あの勝負を持ちかけた時点で「誰がそんなことするもんですか」と断られても全くおかしくなかったのだ。

 (……つまり今の俺たちは、勝負を受けて立つくらいの間柄ってことか)

 どんな関係だ、それは。自分で自分に突っ込む。

 ここは、マイナスから始まる関係ではないだけマシだと考える方が正解だろう。そう、その程度のものだ……と言い聞かせようとするものの、昼休みのことを思い出してしまい、気分が浮つくのを抑えられない。

 今回は先に路太がけしかけたけれど、ひょっとして雪は路太からのアプローチを待っていたのではないか。もしかしなくても、彼女なりに二人の仲が進展するのを期待している可能性も……?

 前向きな妄想が再び膨らみ始めた。

 「……小柏」

 「ん?」

 「ありがとう」

 お前のお蔭で希望が見えてきた――万感の思いを込めた感謝の言葉。

 「な、何んだよ、突然」

 だが、それも「気持ち悪いぞ?」という一言で一蹴された。

 

 

 思いがけない相手から思いがけない話を聞けた。これからどうなるか、不安が無いわけではなかっただけに、路太にとっては朗報である。

 光明が差し始めたこれからを思いながら、うきうきと帰路についた路太は、雪が簡単に扱える相手ではないことを痛感することとなった。

 「おかえりなさい、新出くん」

 「……なんで、木羽がうちに……?」

 足取り軽く入った自室でくつろいでいた雪が路太を出迎えたのだ。

 雪は暇つぶしに読んでいたらしい文庫本から視線を上げ、目を白黒させる路太を、面白くもなさそうに見上げる。

 「だって新出くん、何も言わずに部活に行っちゃうんだもの。……家畜の私をおいて行くなんて、早速減点ね。私たち、話さなきゃならないことが沢山あるはずでしょ?」

 僅かに頬を膨らませた上目使いは良いものだ。

 「私たちのこれから……新出くんが、良い飼い主になるために何をしていくべきか、とかね」

 言うことは、恰好と全くちぐはぐなのだが、受ける衝撃は昨日ほどではない。この状況に早くも慣れが生まれ始めたらしい。なんか嫌だ。

 「そ、そうだな。あ、じゃあその第一歩として、連絡先を交換しよう」

 「ええ。そうね、最近は犬猫でも所在を把握できるようになったものね」

 「……」

 そういうことじゃない――とは言えない。

 「それにしても、どうして今? こんなこと、昨日のうちにしておくべきことよ?」

 互いの手にした通信機器から、軽い電子音が聞こえた。それを確認してから、雪は少し納得できないように首を傾げた。

 「ああ、うん、その……」

 教師に色々言われたからです――なんて、雪を不機嫌にさせると分かっている理由は言えない。何より、完全に自己保身のための行動だと口にすることを、路太のちっぽけなプライドが阻んだ。

 「と、ところで、木羽は生活指導の先生に何か言われてないか?」

 「今朝、呼び出されたわ」

 「え!?」

 何でもない風に返された答えは、路太にとって驚きでしかない。だってあの教師は、まるでこれから雪に確認をとるような物言いをしていたではないか。

 「どうしたの? 何かあったの?」

 「いや、実はさ……」

 今度こそ、路太の口は真実を吐き出してしまう。混乱が彼の口を割らせた。

 それでも、自分を守ろうとして「やましいことはない」と答えてしまったことまでは言えなかった。雪に格好悪いことをしたと、どうしても知ってほしくないのだ。

 一通り事情を聞いた雪は、僅かに考える素振りを見せた後、何かに気付いたらしい。

 「それは多分、新出くんを引っ掛けたのよ」

 「引っ掛けた?」

 「ええ。先に私から聞き取った内容と矛盾や差異があれば、新出くんが嘘をついている可能性が高くなるでしょ? そうすれば……」

 「自動的に、俺にやましいところがあるって分かる、と……」

 「ええ。でも、あくまでも多分よ。私の想像」

 想像とは言うが、その可能性は高いように思う。もし、路太の答えが雪と違っていれば、その時は既に雪からも聞き取りを行ったことを明かせばいいだけだ。

 しかし、ということは……。

 「お前、先生に何も言わなかったのか?」

 「言う必要がある? 私たちの間で取り決めたことだもの。何かあっても、自分たちで解決策を見つければいいわ。もう、何でもかんでも大人に判断してもらう立場じゃないでしょ?」

 私たち、もう高校生なんだもの――言外に、年齢を理由に無責任なことはさせないと言われた気がした。

 「……そうだな。うん、でも、ありがとう」

 「何が?」

 「クラスの女子たちなんかさ、もう完全に俺のこと目の敵にしてるじゃん。だから、木羽が『俺が悪い』みたいに一言言えば……」

 「そんなことしないわ。約束は守ってもらう、絶対に」

 「あれ? それ、俺のセリフじゃね?」

 勝負に勝ったのは路太なのに。

 「でも、新出くんがそんなに気にするなら、私が何とかするから」

 「は? そりゃまあ、お前の話なら女子は聞いてくれそうだけどさぁ」

 一体どうやって、と続くはずの問いはノックの音で遮られた。

 「雪ちゃん、お待たせー」

 ケーキとグラスを乗せた盆を片手に、路太の母が入ってきたのだ。ノックの後の返事も待たずに。

 「あら、路太帰ってたの?」

 そしてこの扱いである。よく見れば、盆の上のケーキもグラスも一人分だ。母もそのことに気付いたようだが、

 「もうすぐお夕飯だし、アンタは我慢しなさいね。雪ちゃん、夕飯も遠慮せずに食べて行ってね」

 と、軽くあしらわれてしまった。新出家における息子の立場は低い。

 「……ねえ新出くん、よかったらケーキ食べてくれる? 私、これ食べた後に夕食まで入る自信無いから」

 母がいなくなるのを見計らって、盆を渡してくれる雪の優しさが身に染みる。

 「あ、すまん。ありがと」

 「部活出てきたんでしょ? 新出くんの方がお腹空いてるはずよ」

 当たりだ。今ケーキを食べてしまっても、美味しく夕飯を平らげる自信があるくらいには空腹だ。今日は昼食を半分しか食べていない上、集中力を要する作業でエネルギーを使い果たしていた。

 ありがたく皿を受け取って、フォークで一口大にケーキを切り分けながら食べる。

 もしかしたら、雪には『家畜から施しを受ける飼い主』として映っているかもしれないけれど、路太自身がそう感じていなければどうということはないのだ。情けなさの基準は、いつだって自分の中にある。

 「ところでさ、小柏って知ってるか? 二つ隣のクラスの」

 「ええ、知ってるわ。まさか、同じ高校になるとは思わなかったけれど」

 雪は中学時代の同級生がいることに、きちんと気付いていたようだ。

 「それ、小柏も言ってたな」

 「でしょうね。示し合わせたわけでもないし、特に進学について話すような仲でもなかったもの」

 と言うことは、雪と小柏の間には特別な関係があるわけではない、と判断していいだろう。路太はこっそり胸を撫で下ろした。

 「……これ、新出くんの?」

 雪は、路太が食べている様を眺めているのも飽きたようで、八畳ほどの部屋の中を雪が探検し始めた。机の上にあった電球を興味深そうに持ち上げる。

 「電球の中に船? ……ボトルシップ?」

 「面白いだろ? 船以外にも入れて作ってみようかと思ってて」

 それは路太個人の展示作品として作っているものだ。

 本当はボトルシップを作るにしても、もっと大振りの物の方が見栄えがするだろうけれど、大きな作品はもう『テラリウム和箪笥』がある。なので逆に、個人の作品は小ささにこだわってみたのだ。

 「あ、そうだ。文化祭の展示、木羽も見に来いよ。もっと大きな作品もあるからさ」

 「模型工作部の展示ね? ……うん、行ってみようかな」

 「そんじゃ、頑張って作らないとな!」

 本当は、雪は模型のことなんて興味ないのかもしれない。それでも、誰かが自分の作品を見てくれるというのは、この上ない活力になるのだ。

 

* * * * *

 

 ケーキを平らげる路太を眺めながら、雪は内心手を打って喜んでいた。嬉しい誤算だ。まさか、昔のクラスメートが路太と親しい間柄とは思わなかった。

 ならば、間違いなくアレがあるはずだ――雪はそっと、机の上を盗み見る。そこには、路太が充電コードに繋いだ通信機器があった。

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