(10)行動開始

 ユリアナとクラエスが主塔の外に出たのは、深夜三時を過ぎたころだった。

 夏場の風が吹きつける庭は静まり返り、ネオンの明かりだけが不気味に輝いていた。まだオークションが終わる時刻には遠く、参加者の姿は見えない。

 ユリアナは見取り図を頭に思い描きながら、庭園を迂回して、細かな砂利で覆われた道を進んだ。跳ね橋を渡って、例の車両が進んだはずの経路だった。――古い遺跡を流用したポルトカリウ城は、周辺に深い堀、そして広大な敷地のほとんどは、庭師が丹念に整えた芝生や庭園が占めている。したがって、軍用トラックのような巨大な車両が通行できる道路は限られていた。

 車両の行先を突きとめれば、《商品》の収容場所もわかるかもしれない。望み薄だが、それ以外の手がかりもなく、藁にもすがる思いだ。

(人身売買の《商品》となった人は、あの軍用トラックでここまで運ばれきたんだわ。軍に無関係の人を乗せていても、皇帝直属軍イェニチェリの候補生と言えばいいわけだしね。……そのわりには、年代がバラバラだけど)

 クラエスいわく、軍の車両には個体識別番号とも言うべきチップが埋め込まれ、厳密にその動向が管理されるらしい。盗用車であれば、関所の検閲でかならず摘発されるとの話だった。

(つまりこの話には軍関係者が絡んでる可能性もあるってことよね。思ったより大事だわ……)

 いったいどれほどの人間が、この悪事に関わっているのか?

 そしてファランドール家に所属する自分とて、どこかでその片棒を担ってしまっているのかもしれないのだ。それも知らず知らずのうちに――

 自分が知りえたものは氷山の一角で、きっと世界にはもっともっと恐ろしいものが蔓延はびこっているのではないか。

 そのことを考えると、不安が際限なく押し寄せてくる。

(私は自分の心の言葉に従っているだけよ。でも、それが本当に正しいかなんて、わからないし、誰も保証してくれない……)

 両腕でぎゅっとを包む布を抱きしめたとき、近距離からくぐもった音が響いた。間を置かず、何度も立て続けに。

「――発砲音?」

 そう呟いたクラエスの動きは迅速だった。戸惑うユリアナの襟首を掴むと、近くにある塀の影へと引っ張り込んだ。

「近くで衝突が。……私たち以外に侵入者が?」

「《商品》が逃げ出したのかもしれないわ」

 煉瓦塀にぴったりと身を寄せて、クラエスが道の様子を窺う。

 一般参加者が立ち入り可能とされる領域は終わりかけ、煌びやかなネオンの明かりも遠い。深い暗闇が続き、塀のすぐむこう側には有刺鉄線の境界が設けられていた。――衝突が起きたのも、その先でのことのようだった。

「音が聞こえなくなりましたね。死んだのか、追えなくなったのか……」

 ユリアナからライフルの包みを取り上げ、クラエスは塀の端までにじり寄った。「少し先を見てきます」そう言い放つと銃器の布を取り払い、ユリアナの視界から消えてしまったのだった。


 どんなに耳を澄まそうとも、クラエスの足音は聞こえず――またユリアナが危惧していたように、敵と遭遇して銃撃戦に至った気配もない。

 しばらくして元の場所に戻ってくると、クラエスは肩をすくめた。「やはり私たち以外にも侵入者が」――そうユリアナに対して告げる。

「侵入者?」

 頭の隅に引っかかるものがあった。

 クラエスに誘導されて有刺鉄線の囲いに沿って歩くと、やがて工具か何かで断ち切った痕跡のある箇所が見つかった。その穴をくぐれば、やはり砂利を敷いた車道が続いている。光源はなく、あたりはひどく暗いままだ。

 何となしに足を踏み出しかけたユリアナの肩を、クラエスが掴んで引きとめる。そして耳もとに唇を寄せると――

「すぐそこに死体が」

 そう囁きかけてきたのだった。

「――死体?」

 まじまじと足もとを凝視すると、月の薄明かりのなか、事切れた人間の姿が浮かび上がった。

「……っ」

 悲鳴を上げる寸前で、クラエスの手に口を塞がれる。無言でその手を引っぺがして、ユリアナはようやく闇に慣れはじめた目で周囲を見渡した。すると、車道やその周辺の茂みのあちこちに――点々と、無残な警備兵たちの死体が放置されているのを発見した。

 どの死体も頭部を撃ち抜かれ、夥しい量の血を流している。先ほどの銃声音は、彼らの命を奪うことが目的だったようだ。

 声を失い、全身を強張らせる少女を横目に、「おそらくはもういません」とクラエスが小声で伝えた。

 一拍遅れて、その言葉が侵入者を指していることに気が付いた。

「十中八九、侵入者もこの城に用があると見てよいでしょう。お宝目当てか、はたまた別の用かは知りませんが。――どうしますか、ユリアナ。引き返しますか?」

「……行くわ。何となくだけど、だんだん読めてきたわ……」

 何度も深呼吸をして、ともすれば死体を前に取り乱しそうな心臓を落ち着ける。何とか普段の冷静な思考を取り戻すと、「たぶん、大丈夫よ」と自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「そうとなれば、侵入経路を特定する必要がありますね。百メートルほど先に車両の通用門があるのは確認しましたが、今は封鎖されているようです。応援が来る前に――」

 その瞬間、クラエスの言葉を遮るように背後から複数の足音が響いた。

「長話をしすぎましたね。このままでは我々が犯人に」

 発砲音を聞きつけて、別の場所から警備兵が駆け付けたのだった。クラエスは立ち往生するユリアナをひょいと脇に抱えると、その場から逃げ出した。

「く、クラエス……! 大丈夫なの!?」

「走れない貴方を置いていく訳にもいきませんから」

 クラエスを追いかけるように、複数の弾丸が砂利道を跳ね、または土をえぐった。真夜中に、しかもジグザグと不規則に走る的に狙いを定めるのは至難な業らしく、弾はふたりをかすめさえしなかった。

 しかし逃げているだけではらちが明かない。ユリアナはクラエスに抱えられて揺られながら、暗闇のなかに目をらした。せめて身を隠せる程度の遮蔽物さえあれば、クラエスも身軽になって応戦することができるだろう。

 視界に映ったのは車両の通用門だ。車両の格納庫は地下に位置するのか、ゆるやかな坂が続く先にある通用門も周辺の土地より一段低く設置されていた。その塹壕のような地形を利用することも可能かもしれない。

「クラエス、あそこ……っ」

 皆まで言わず理解したのか、クラエスがうなずく。

「――無駄撃ちはしませんからねっ」

 そう言いながら、水平に傾いた銃器がフルオートで弾を発射した。硝煙が上がり、一時的な弾幕となってふたりを包み込む。

 と同時に、車両の通用門めがけて走ろうとする――が、その瞬間、ふとユリアナは覚えのある浮遊感に襲われた。

「……落とし穴っ!?」

 「何でこんなところにあるの!?」と叫んだユリアナの声も途中で途絶え、ふたりは地面に突如として現れた穴に落ちていったのだった。



 ◇ ◇ ◇



 自分たちが落ちたのは地中に埋め込まれた古井戸だったらしい、と理解したのは、落下の真っ最中、地上から垂れ下がる釣瓶つるべと鎖が視界をぎったからだった。

(底に水があっても枯れていても死ぬわ、確実に――!)

 しかし、想像していたほどの衝撃は訪れなかった。真っ逆さまにに落ちたと思った瞬間、奇妙なクッションがふたりの体を下から支えたからだった。

「いたた……。大変な目に遭ったわ……」

 頭をさすりながら、ユリアナは身を起こした。頭上を見れば、到底這い上がることは難しいような位置に夜空がある。

 警備兵は追跡を諦めたのか、古井戸にまで銃弾を撃ち込んでくるようなこともなかった。彼らにしても、突然自分たちが消えたように見えたのかもしれない。

「……早く退いてくれませんかね」

 真下から響いた声に目を瞬く。

 アサルトライフルを抱えたままのクラエスが、ユリアナの下敷きになっていた。馬乗りになっていることにようやく気付き、慌ててその上から退こうとする。

 そこでふと、何かを踏みつけたことに気が付いた。

「……骨?」

 ――そこには、大量の骨が山のように積み上がっていた。頭上から射すほのかな月明かりが、無数の屍が折り重なる井戸の底を蒼ざめた光で照らす。

 思わず後ずされば、少女の体重を受け止めた部分の骨が粉々に崩れ落ちる。

「人骨、のようですね……」

 身を起こしたクラエスが、隣にあった頭蓋骨を持ち上げて、呆然とした面持ちで呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る