(7)商品は元皇帝直属軍

「たしかに、たしかに非合法のオークションとは聞いたけれど……」

 混乱するユリアナを置いて、ワラキアの娘はあっと言う間に落札される。

 周囲の反応をうかがうに、盛り上がりに欠ける値段だったようだ。それでも副都セレウキア郊外の別荘を数カ月は借りることのできる額だった。人間ひとりに対して高いのか安いのか、相場として妥当なのかもユリアナにはわからない。

 高揚する参加者の後方で、ユリアナはひとり唇を噛みしめた。

 落札されてもすぐに購入者に引き渡されるわけではないらしく、娘は一旦、地下へと戻されていった。そして間を置かず、別のが登場した。今度は小麦色の肌をした、利発そうな若者だった。

 ――その後もオークションは続けられていく。

 商品はすべて属領人で、多種多様な老若男女が登場した。

 登場や演出方法もひとつではなく、見栄えをよくしてより値を釣り上げる狙いがあるのか、烟花イェンフォの娘は赤く透ける旗袍チーパオを着せて踊らされ、「声が自慢」だという少年はその場で帝国ハディージャの伝統歌を披露し、ときに儚げな容貌の美男子を参加者に鞭打たせるという、目も背けたくなるような余興が用意され――オークションの参加者は、商品を落札することだけが目的だけでなく、その凝りに凝った〝ショー〟そのものを楽しんでいるようだった。

「人権侵害だわ。属領人だからって、こんなふうに扱っていいわけがないじゃない……」

 ――想像もしていなかった。こんな世界があるなんて。

 白い仮面を身につけた参加者は談笑とともに、ときに歓声を上げて熱狂し、猥雑で悪趣味なショーを堪能する。そこに罪悪感は欠片もなく、《娯楽》のひとつとして消費することが当然とも言いたげの態度だった。

 何故自分がこの場にいるのか、ユリアナには理解できなかった、らそこまで考えたところで、はたとあることに思い至る。

 ――オークションの入り口が迷路園になっていた理由を。

 

 ハンドバッグからカードを取り出し、黒く塗装された表面をまじまじと観察する。自分が最初に持たされたものは、裏表ともに白色だったはずだ。どこかのタイミングですり替えられてしまったのだ──おそらくはバラドの手によって。

 推測するに、カードの色が違うのには意味がある。迷路園に設置された電子錠の塀は、持ち主の持つカードの種類によって開閉基準が決まるのだ。壁の先で道が分岐することを考えれば、カードの種類によって出口を分けることも可能だろう。そして出口の先にな、それぞれ趣旨の異なるオークション会場が用意されている。

(……ここは、私が来るべき会場じゃなかったんだわ)

 用意された《商品》はすべて人間で、待てども遺失技術ロストテクノロジーに関連するものが出品される気配はない。

(引き返して、関係者に話をして向かえばまだ間に合う時間だわ。でも……本当にそれでいいのかしら……)

 目の前の光景から逃げてもいいのか。ユリアナは自問した。

 けっして、自分は正義感の塊ではない。しかし現在進行形で繰り広げられている人身売買の現場は、「不愉快」の一言に尽きた。

(人間には誰しも意思があるわ。そして自分という存在に関わるあらゆる決定権が。これは、その自由を根本から無視した行為だわ……)

 ――一〇年前、属領人のアンナはひとりの男に拾われた。

 日夜戦闘行為の勃発するステパナケルトで、母親の死体に下敷きになっていたところを、何の因果か拾われてしまっ。あの日、「彼」に助けられなければ、極寒の夜を生きて越すことはできなかった。野垂れ死んでいた。

 あるいは人さらいの手で誘拐され、この場で売られていたかもしれない。戦災孤児であれば、行方不明になったところで探す人間などいない。商品にするにはおあつらえ向きだろう。

 紛争という、矮小な人間ひとりでは抗うことのできない嵐──それに限らないあらゆる暴力を、ユリアナは身にしみて知っている。だからこそこれもそのひとつだと、強く確信できるのだった。

(でも、どうすればいいの?)

 ルスラン・カドィロフの遺作を買うための資金はトラウゴットが援助してくれたが、この場の全員を買い取れるほどではない。

 下唇をきつく噛みしめ、ユリアナは最善の打開策について思考を巡らせる――

(私ひとりに、いったい何ができるの? でも、ここで悲しい気持ちを噛みしめているだけじゃ、何も変わらないわ……。私も、ウルヤナみたいに……)

 円形の壇はふたたび幕が引かれ、次の《商品》が待機しているところだった。

 ビロウドの赤い幕を背に、司会の男はステッキを振る。そして、「さあ、ご注目――」朗々と喋り出す。

「お次は今回の目玉商品。何とあの皇帝スルタンの私兵集団、皇帝直属軍イェニチェリ出身の青年! この広い世界を見渡しても、皇帝直属軍イェニチェリから売りに出された男はただひとりに違いありません。

 ――なお入手ルートは極秘ゆえ、詮索は不要ですよ」

 周囲がどよめく。美青年を鞭打ったとき以上に――これまでのなかで一番、期待感が高まった瞬間だった。

 皇帝直属軍イェニチェリは、属領出身者によって構成される組織のなかでも選りすぐりのエリート集団だ。幼少期からの徹底的な教育と訓練によってのみ養成された兵士たちは、皇帝スルタンの命令によってのみ動き、暗殺と諜報、そして戦地での特殊任務を主要な仕事とする。個々人には莫大な身代金がかけられ、その額は一般人では到底手が届かないものだ。

(……皇帝直属軍イェニチェリ?)

 聞き覚えのある響きに、ユリアナは違和感をおぼえる。

 参加者の反応に気をよくした司会の男はにやりと笑って、「その上、麗しい。ただ見目が良いというレベルではない――あれほど美しい男を、私はこれまで見たことがありません」とつけ加えた。

 なんだか嫌な予感がするわ、とユリアナは小さな声で呟いた。

 司会の男が幕に手をかけると、会場中が静まり返った。緊張感が張り詰めるなか、「それではご覧ください」というかけ声とともに、勢いよく幕が開いた。

 

 ――姿を現したのは透明な鳥籠だった。

 

 ワラキアの娘が監禁されていたのと同様、成人男性の背丈ほどはある巨大な檻。そのすべてがガラス製で、シャンデリアの明かりを反射して煌めいている。

 そして鳥籠のなかには、ひとりの美しい青年が拘束されているのだった。

「……ク、クラエス……!?」

──クラエスだった。

 どこかぐったりとした様子で項垂れた青年は、しかし見間違えようもなくクラエスだった。籠の頂点から落ちる鎖に手首を拘束され、両腕を吊るされた格好はかろうじて足先が床に着く程度だ。口には金属製のくつわを噛まされている。

 特筆すべき点は、彼が惜しげなくその白皙の肌を晒していることである。下着以外の何も身に付けていないのだ。自慢の金髪も乱れ、結わえられることなく白い肩を流れている。

「さあ、こちらが皇帝直属軍イェニチェリの紋……」

 靴を軋ませて司会の男が歩く。鳥かごの隙間から差し入れた杖の先でクラエスの肩をつつき、その体を回転させる。

 クラエスの背には、焼け爛れたクイーンズランドの紋――そして悪竜ヴィシャップの紋が刻みつけられていた。

「めずらしい白金色の髪、瞳は淡いブルー。鍛え抜かれた肢体は、見るだけでも心がざわつく美しさ……ああ、ちなみに……」

 杖をくるりと回転させ、今度は湾曲した細い持ち手をクラエスの背に向ける。その先を下着に引っかけてずり下げ、「そばかすがこんなところに。まるで星のようではありませんか」と、腰の下に浮かび上がる赤褐色の雀斑そばかすを指し示した。

 とたん、クラエスが苦悶の表情を浮かべた。

 あられもない姿で注目を浴びるという屈辱からか、その表情かおは青いを通り越して白くなっている。

「………う、うそ、私ですら知らないことを……って、そういうことじゃなくて! 何でクラエスが売り物になっているのよ!?」

 わなわなと拳を震わせ、地団駄を踏みながら、ユリアナは叫んだ――が、沸き立つ人々の騒音のなかではほとんど通らない。

「それでは五千ハディージャ・ディルハムから」

 司会の男が宣言すると同時に、方々から声が上がる――誰もが熱心にクラエスを見て、彼という《商品》を欲しているのは火を見るより明らか。

 その光景をまざまざと見せつけられ、ユリアナの頭は怒りで焼き切れそうになる。


 一万、二万五千、四万、十万――値段は見る間に上がってゆく。


「三十万ハディージャ・ディルハムだ」

 参加者のひとりが、今日のオークションにおける最高額を提示した。黒いひげをたくわえているが、仮面に隠されていても明白なほど、精悍な顔つきをした若い男だ。

「……三十万二千」

「三十万五千……これ以上は……」

「三十三万だ」

 若い男は余裕しゃくしゃくといった態度で値を釣り上げる。相当な資産家らしい。

 別荘を借りるどころか、クテシフォンの一等地に小さな家を買える値段だった。

「三十三万……三十三万、これ以上は出ませんか?」

 静まり返る会場を見渡し、司会が良く通る声を響かせる。

 すると購入希望者の男はきちんと整えた黒い髭を撫で、「ちょうど顔のよい燭台がほしいところだったんだ」と微笑んでみせた。

「……っ、」

 ユリアナは意を決すと、両の拳を握りしめて壇上を睨みつけた。クラエスと視線が合う――何を思ったのか、彼は憂いを帯びた表情のまま、そっと目を伏せる。

(何よ、私には期待していないってこと!?)

 腹立たしさに顔をゆがめながら、ユリアナはずんずんと人波をかき分け――

「――三十四万よ」

 先頭に立つと、自信たっぷりに宣言した。

 うら若い娘の登場に、周囲がどよめく。

「三十五万」

 男は動揺した様子もなく、さらなる値段が提示した。

(大丈夫、敵はあの男ひとりよ。心理戦を挑む必要はない)

 ユリアナは一度深呼吸をする。トラウゴットから援助してもらった額、自分の口座に毎月送金されてくるへそくり――それらを頭のなかで合算する。

「五十万」

 腕組みをすると胸を張り、ユリアナは言い切った。

「……五十万二――」

「五十五万。これでどう?」

 会場に入る前に、口紅を塗り直した唇を釣り上げる。

 男は逡巡するそぶりを見せたが、それ以上の額は諦めたようだった。

 ――一拍を置いて、司会が盛大な拍手をする。

「五十五万にて落札! これまでの史上最高額です!」

 周囲の熱狂にも我関さずと言った態度で、ユリアナは壇上へと向き直る。

 視線のむかう先はクラエスだけだ。

 カツン、カツンと音を立てながら、壇に設えられた階段を上がる。

 堂々たる足取りできざはしを上るたびに、夜会服のスリットから、漆黒の左足が覗いた。その裾が揺らめけば、今度は透明な右足が虹色に光る。

 鬱陶しい仮面も途中で捨て、かぶりを振って乱れる横髪を流す。

 「ファランドールの……」という小さな囁きが、どこからかこぼれ落ちた。

 冴え冴えとした青い瞳を細め、壇上に立ったユリアナは参加者たちの顔を笑顔で見下ろした。

「私が買った男は、この場で引き渡してもらうわ」

 ハンドバッグから小切手を取り出しながら、ユリアナは司会の男に対して言った。

「しかし、決まりでは――」

「今日一番のを提供したのは私だわ」

 右手に胸を当て、ユリアナは挑むように笑う。

 司会の男は一拍置いて、「我儘なお嬢さんだ」と肩を竦めた。

「ペンを貸してもらえる? 自分で持っている分はインクが切れちゃって」

 そう言ってユリアナは万年筆を受け取り、小切手に先ほど提示した額を書き込んだ。その紙をひらりと観客にむかって見せつけてから、司会に手渡す。

 代わりに受け取った電子錠の鍵を片手に、鳥籠まで歩み寄る。

 ユリアナは檻越しにクラエスに微笑みかけた。

(なんで青い顔をしているのよ)

 電子錠にカード式の鍵を滑らせて扉を開き、鳥かごの中へと足を踏み入れた。

 ユリアナは項垂れる青年を睨んで、その顔を上げさせ――轡を掴んで強引に外す。それが金属音を響かせて床に落ちるよりも早く、顎を掴んで引き寄せ、目の前の唇を奪った。

 クラエスの乾いた唇を啄み、角度を変えては深く口づける。

 観客たちから歓声が上がった。ユリアナはクラエスからゆっくり顔を離すと、目の前の唇についた口紅を指先で拭った。

 そして背後を振り返ると、あくどい笑みを深めたのだった。

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