(13)巣の底

 呆然と立ち尽くす私をよそに、クラエスは橋の上で倒れた人の傍まで歩いて行き、その首筋に手を添えた。

「まだ生きている。――仮死状態ではあるけれど」

 呟き、長靴ちょうかの先で男をひっくり返す。ごそごそとその荷物を漁り始めたかと思えば、ほどなくして彼の手は拳銃を掴んだ。装填を確認してから脇下のホルスターにしまい、失敬した弾倉をウエストポーチに収める。

「遺構の構造は単純だ。あらかじめ拡散範囲を計算して、青酸ガスの散布位置と濃度を調整したんでしょう。あの男ならそれも可能だ」

「……殺すつもりはなかったってこと?」

「あるいは殺したい相手がいたんでしょう。――自分の手でね」

 彼の言葉に、ぎゅっと拳を握りしめる。

 無言になり、『キナア』の前で膝を折った。手を伸ばすと、冷たい瞼をそっと下ろしてやる。――私の記憶が正しいならば、キナアの肌は褐色だった。この『キナア』はきっと偽者だろう。けれども……。

 私は傍に立つクラエスを見上げた。

「私、ここでバラドに足を撃たれたの。――はっきり、思い出したわ。一〇年前、私は東側のブロックから逃げてきて、この橋を渡ろうとした。そのときに……右足を」

 ひび割れた義足の膝を撫で、「あのときからは、想像もつかないみたい」と囁いた。

「あのときはわけもわからなくて、ただ痛くて……意識を失ったの。気が付いたときは、国境の難民キャンプにいた。右足を切断された状態で。そのときは、私、すごく悲しかったわ。なんで自由に歩けないのかわからなかった。救援物資には子ども用の義足もなくて」

 ――そして、『彼』がやってきた。

 脳裏にはっきりと、翡翠色の目をした男の姿が浮かんだ。鎮雨ジンウだ。彼が、私にを連れてきたのだ。

 バラドではなかったのだ。

「じぶんを撃った人と一〇年間も一緒にいたの。それと知らずに」

 後悔でもなく、自嘲でもなく、その言葉はほろりとこぼれ落ちた。

 立ち上がって、スカートの皺を伸ばす。

「東側へ行くわよ、クラエス。遺構の中央制御室を目指すの」

 そう言って拳を握りしめると、私は歩き始めた。

 橋の上は静寂に包まれていて、生身の足と金属の足が不揃いな音を響かせる。

 長い橋だった。茫漠とした空間に渡された橋は、それ自身が光を放つように七色にきらめいている。すこし遅れて、その輝きが《リエービチ》のそれと同じであることに気が付いた。

 ウルヤナの記録によると、ルスラン・カドィロフは宇宙由来の金属を発見した人物として知られている。彼が何百光年もむこう側に飛ばした無人探査船がその試料サンプルを持ち帰ったのだという。もしかしたら、《リエービチ》やこの遺構に、その金属が使われているのかもしれない。――確証はないが。

 橋の終わりは階段となっていた。記憶では、これを下った先が東側のブロックとなっていたはずだ。意を決し、透明なきざはしを踏み――さえざえと吹き上げる、冷たい風を感じた。

「どういうことなの……」

 思わず、そんな言葉がこぼれ落ちた。

 私は眼下にあるものを見やり、背後に立つクラエスを振り返った。彼は階段の下を覗き込み、淡青色の目をすがめた。

「ふむ。――道が無くなっているようですね」

 数百メートル続くはずの階段は、中腹で。そこから先にあるのは、膨大な空間――底の見えない『穴』だ。

 階段の端に立ち、穴の奥を覗きこむ。まるで巨人か何かの手が、地中をえぐりとったかのような有様だ。穴のなかは異様に暗く、東側ブロックの構造物とおぼしきものが辛うじて見えるだけだった。

「まるで何かが落ちたかのような……覚えは?」

「ないわよ。私がこの橋に辿りついたときは、こんなふうにはなっていなかったはずよ」

 矢継ぎ早に答える私に、そうですか、とクラエスはうなずく。

 再度身を乗り出して穴を観察したクラエスは、ほどなくして「底のほうに道が見える」とつぶやいた。その言葉に私も目をらしてみるが、彼の指摘する『道』はみえない。

 眉間に皺を寄せた私に、ふふん、とクラエスが鼻を鳴らす。

「貴方とは目が違うんですよ、目がね」

「それはわかるけど……まさか、降りるつもり?」

「貴方が迂回路をご存知なら、その必要もありませんが」

 かぶりを振れば、クラエスは黙ってウエストポーチから縄の束を取り出した。結び目をするすると解くと、端に金属のフックを取りつける。

 そして穴のふちまで行って跪くと、欄干にフックを結び付ける。縄を穴の底に落とす。

 縄の落ちる音が響くまでの秒数を数える。――結構な距離だ。

「まあ、その調子では足場を踏むのもおぼつかないでしょう。落ちて死なれるのも困るので、貴方は私が背負います」

 クラエスは別のロープを持ち出した。膝を折り、「失礼します」と断ってから私の胴体に巻きつける。

「……大丈夫なの?」

 怖々と問いかければ、「ここで置き去りにしていいなら、喜んで」と顔も見ずにクラエスが答えた。

 その返しにピンときて、不安もどこへやら、私はニヤリと笑ってしまった。

「――それは困るわ。こんなところでいたいけな娘を置き去りにしようなんて、あなたってどういう神経をしているの?」

 私の返しにクラエスは顔を上げ、ふふ、と笑みをこぼした。

 腰でしっかり縄を結ぶと、今度は私に背を向ける。おぶされ、という意味らしい。すこし迷って、その背に体を預けた。

 クラエスは持っていた縄で自分と私を結びつけた。

 そして、いよいよ橋の下に潜ったのだった。

 『穴』の中は、橋の上よりも寒々しい空気に包まれていた。

 縄とえぐり取られた側面から生えた遺構の構造物を足がかりに、クラエスはゆっくりと底を目指していった。私は彼の背中にしがみつきながら、無事に底まで辿りつけることを祈ることしかできなかった。

 焦げたにおい、そして獣の生臭さが混じったような悪臭が鼻をつく。それは底へ行くほどに濃くなっているようだった――嗅ぎ慣れない匂いに不快感をおぼえた矢先、私はふと、耳をかすめたものに気が付く。

「ねえ、クラエス」

「何ですか?」

「何か聞こえるわ」

 その言葉に、「何かとは?」とクラエスが返す。

「人のざわめきみたいな……同級生が先生の目を盗んで、ヒソヒソささやき合っているみたいな……」

 クラエスは耳を澄ましたようだったが――すこしして、聞こえない、とかぶりを振る。

「嘘よ。だんだん、はっきり聞こえてきたわ。いったい、誰の声――」

 ――そのとき、ズン、と地上から突き上げる揺れを感じた。

 ロープが激しく揺れ、宙ぶらりんの私たちの体が行き場を失った。とっさにクラエスが斜面から生えた鉄骨を掴む。それもボロボロと炭のように崩れた。

 大きな揺れのあとは、小刻みな振動が私たちを襲った。パラパラと、黒い粉のようなものが頭上から降ってくる――その瞬間、ふいに、私たちは身を投げ出された。

 縄が切れたのだ、と理解したのは一拍遅れてからだった。

 縄が私たちの体重に耐えきれなかったわけではない。ロープそのものが、炭のように黒く変色し、崩れてしまったのだ。

 いち早く状況を把握したクラエスが、互いを結びつける縄を緩めた。そして守るように私の頭を両腕で抱え込んだ。

 強い腕の力を感じる。からだは重力に抗えず落ちてゆく。なす術もなく潰れてしまうだろう未来を予見して、きつく目を閉じる。

 クラエスの腕のなかで、ふと、視界に誰かの姿がぎる。

 ――ウルヤナだった。なぜ彼の幻影を見たのか。それが死の予兆なのか。両目を細め、彼が何かを言う――。

 〝   〟

 私の名前を呼んだのだ。

 その瞬間、私たちは穴の底へと落下した。しかし、思っていたような衝撃は受けなかった。なにかに受け止められたのだった。

 下敷きになったクラエスの体から慌てて退く。やれやれと肩を竦めて、彼も体を起こした。

「……何が起きたんですか?」

「どのことを指してるの?」

「全部ですね」

 なぜ縄が切れたのか。そして穴の底がこんなにも柔らかいのか――ふと頭上を見上げ、私は目をみはった。

 そこには青空があった。

 この『穴』は、クレーターのように、地上に空いた穴そのものだったのだ。ではなぜ、青空と太陽に燦々と照らされながらも、この場所は暗いのか。地面にへたり込んだ私は、ふと掴んだものが、サラサラとした炭のような粒子であることに気が付いた。光さえ通さない黒い砂――それがクッションとなったおかげで、私たちは無傷だったようだ。

「……これ、ただの穴じゃないんだわ」

 『穴』そのものが、砂と同じ、光を通さない黒色に染まっているのだった。

 そして「ささめき」は、この『穴』そのものから響いていた。いったい、これは何なのだろう。まるで、生き物のような……。

「――一〇年前、ここにあるものが落ちた」

 そのとき、誰かの気配を感じた。とっさに振り返れば、黒い砂のむこうに、ひとりの女が立っているのが見える。

 燃えるような赤毛をした、軍装の女だ。

「ルスラン・カドィロフの槍――正確にはその破片だ。宇宙から投擲された槍の破片には、宇宙由来の微生物が付着していた。それらは一〇年間に渡ってその土地を汚染する性質の悪い代物だ。……微生物はステパナケルト、そしてこの遺構の双方に落ちた。飛散した微生物の掃討のため、ステパナケルトの焦土作戦が実施された。結果的にアラクセス紛争は終結し、私は英雄と讃えられた。

 ――だが、この遺構そのものを焼くことはできなかった」

 大振りの半月刀シャムシールをたずさえ、エレノアが顔を上げる。

 青い目が、私を射抜いた。

「なぜならば、遺構の軍事的価値を捨て置けなかったからだ。遺構は封鎖され、一〇年が過ぎた。その間、微生物はひとつのコロニーを築いた……集合的無意識で統制されたそれは、そのものがひとつの『生き物』と言っていいと聞く」

 ユリアナ・ファランドール、と低い声が私を呼ぶ。

「――黒鳥はどこだ?」

 問いかけに、弾かれたようにおとがいを上げる。私は拳を握りしめ、自分の右足をそっと撫でつけた。

「……私の義足が本物だって、ようやくわかったの?」

「この先で陳鎮雨の文書を発見した。――アンナと呼ばれる少女のカルテだ。片足を切断した際、お前は血液中の抗体の除去を受け――そしてある免疫抑制剤を投与されている。どちらも生体移植の際、拒絶反応を無くす目的で行われるものだ」

 陳鎮雨、と口にしたとき、なぜかエレノアは顔をしかめた。しかしすぐにその苦い表情は消え、険しい顔つきへと戻っていく。

 私はゆっくりとその場で立ち上がった。

 そして、エレノアを睨みつけたそのとき――地が、轟いた。

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