(18)花火散る夜に

 桑雨サンウの声が、廃屋に朗々と響き渡ったその瞬間――彼女が背にしたガラス窓のむこうで、白い閃光がたて続けに弾け飛ぶのがみえた。

 ドン、ドン、と、地にとどろく低い爆発音。窓ガラスから漏れた多量の光、そのまぶしさに、私は腕で目もとを覆った。

「――花火?」

 窓に走り寄った私の目に映ったのは、夜空に咲く無数の花火だった。

 赤色、オレンジ色に紫。青に白――色とりどりの火が、彗星のように尾を引いては天から降り注いで複雑なかたちを花ひらかせる。クテシフォンでは毎年、年明けと同時に盛大な花火が上がるものだが――それに負けず劣らずの壮観ぶりだ。

 しかし今は当然ながらその時期ではなく、不審に思った私は目を細める。

女王を忘れるなRemember Queen Anamaria――かれらのことばを借りるなら、〝アラクセスを忘れるな〟といったところかな。あっ、さっきのゴミ漁りは点火装置につながる導火線を隠してただけだよ。僕、そんなにゴミ漁ってそうに見えたかなあ」

 桑雨の声は弾んでいた。彼女は心からその光景を楽しむように、打ち上げ花火が作り出すショーを眺めていた。

 数分間に渡って、何百発もの花火が打ちあがった。空に煙が充満し、火薬の匂いが鼻をつく。ようやくあとに続く打ち上げ音が聞こえなくなったとき――私は『それ』に気が付いた。

 夜空にこびりついた火のわずかな残照が、意味のある文字列を作り出していた。

 ――〝アラクセス・カラバフ〟を意味する、アラクセス語Hayeren

 私は目を見開き、まじまじと、その懐かしい文字をみつめた。帝国人として生活するなかで、とうに忘れたと思っていたもの。しかし幼少期に親しんだそれを、私は《忘れた》と思い込んでいただけだったのかもしれない。

 心臓が早鐘を打つ。手足が小刻みに震えた。背筋に氷塊を落とされたかのような感覚と焦燥感を、たったひとつの文字は私のなかに呼び覚ました。心の奥底にしまいこみ、蓋をしたものを揺り起こそうとするかのように。

「……アラクセス人の大半は、属領アラクセスの出身でなければ、そこで暮らしていないとも言われる。元来商活動の盛んな民族で、古くから世界中に移住していったからね。一方で彼らがその国に戻らないのは――遺失文明時代に始まる虐殺と紛争によって、離散状態ディアスポラにあるから」

「……裏を返せば、〝彼らはどこにでもいる〟ということだわ」

 震える声で私は答えた。握りしめた拳の爪が、手のひらに食いこむ。

 壁に寄りかかって、桑雨は猫のように両目を細めた。

 夜空に描かれた文字は、すでに消えゆこうとしていた。けれどもこれを目にした、〝アラクセス〟の人間は――わずかにも、その胸にひそむ帰属意識を掘り起こされたに違いなかった。

 この国に住まう人間は、往々にして、属領のことを忘れられた土地ロスト・コーナーと表現する。本来の言語を奪われ、文化を破壊され、帝国の周縁として位置づけられることを余儀なくされるからだ。本来その土地にいる人間にとっても、故郷は《忘れられた土地》に変わっていく。国である、民族であるという、自分たちをつなぎとめるたしかなものを失っていく。鈍り、抑圧されたその「感覚」を呼び覚ますのに、これほど強烈なことはないだろう――同じアラクセスの人間が、今この瞬間、この空を見上げているかもしれないという体験によって。

「《女王派》は都合のいい隠れみのだったよ。彼らが派手にさわいでいる間に、僕らはこんな楽しいイベントまで用意できたからね。今頃、僕のお仲間は液体水素と一緒に運ばれてきたものを奪い取ってルンルン気分さ。

 十年前の爆発事件で、遺構の機能は損壊してしまってね。攻撃衛星の制御AIは沈黙し、ある大事なものも失われてしまった――今回の荷にはそののコピーも含まれていたんだ。《リエービチ》とは双子のような、ルスラン・カドィロフの最高傑作さ! ファランドール家がずっと南アフリカに隠していたんだけど、《女王派》が漁夫の利を狙ったおかげで僕らは運よく入手できたってわけ。本当は闇市にでも流すつもりだったんだろうね」

 桑雨の視線が右足にむけられるのに、私は拳を握りしめて、一歩、二歩とあとずさった。

「追悼のサイレンは聴いた? あれは女王クイーンに捧げる哀歌じゃない――僕たちからの、この国への手向たむけさ」

「あなたたちは……何をしようとしているの?」

 どこか興奮した面持ちの、笑みをたやすことのない少女にむかって、私は問いかけた。夜風が吹いて、濃い火薬の匂いが鼻をつく。

 桑雨サンウは明かりをつけたペンライトを手でもてあそびながら、「わかっているだろう?」と軽い調子で言葉を返した。

「――を取り戻すんだ」

 しかし後に続いた声は、真剣そのものだった。

 翡翠色の目をすがめ、彼女はくるりと身をひるがえした。外套の裾がひるがえって、ぱたぱたと風に揺れる。

「君はきっと十年前と同じ場所に行くよ、ユリアナ。だからいまは、つかまえないでおいてあげる。――君は僕の兄さんが救った命なんだ。大切にしなきゃね」

 首だけで振り返り、桑雨はふと、その口もとに寂しげな笑みを浮かべた。

 その表情も、すぐにいつもの悪戯っぽい少女の顔に変わる。彼女はひらひらと手を振ると、鼻歌まじりに、その場を立ち去っていったのだった。

 

 ◆


 桑雨サンウの口ぶりだと、《設計図》というのは――リエービチ並みに貴重なもののようだった。攻撃衛星という、ものものしい響きも合わせて。

 おそらく、トラウゴット――ファランドール家の当主は、液体水素と一緒にその《設計図》も運ばれてくることを把握していたのではないだろうか? だからこそ、彼は皇帝直属軍イェニチェリに協力を要請した、というのが私の見立てだった。

 それを持ち出したザムエルの〝処遇〟を部分的にでも私にゆだねた意図はわからない。しかしその背景を知ってしまった今、私は自分の『判断』がほんとうに正しかったのか、一抹の不安を覚えたのだった。

 もちろん、後悔のない決断であることには変わりはない。それでも、もしそのことを事前に知らされていたならば――私はすなおに、その判断を下せただろうか? おそらくこのことは、話を持ちかけたクラエスも知らなかったに違いない。その事実が何を意味するのか、具体的なところはわからなかった。

 ――けれども何か、頭の隅に引っかかるものがあった。

 悶々と頭を悩ませながら私は廃屋を出て、ファランドール家の屋敷への帰路をたどった。液体水素の爆発も、あの地震や花火さえも嘘のように――街はしずまりかえっていた。だからこそ、最初、その異変に気が付かなかったのだった。

 足を止めたのは、ふとした違和感をおぼえたからだった。見慣れたものとなった屋敷の門扉を視界の片隅に入れ、そそくさと歩み寄ろうとしたそのとき、地面が濡れていることに気がついた。

「…………?」

 ――たしか、今日は雨予報ではなかったはずだ。

 空を見上げてみるものの、雲ひとつなく、月が明るく輝いているだけ。不審に思った私は、視線を地面へと落とした。

 そしてようやく、そこにものに気が付いたのだった。

 次の瞬間、私は悲鳴を上げようとしたが、その声すら出せなかった。

 腰を抜かして、その場にくずれ落ちる。視界の隅に、月明かりに照らされた赤黒い液体――それに染まった、黄色い薔薇ローザ・ペルシカの花びらが映る。


 屋敷の門扉を前に、ひとつの死体が打ち棄てられていた。

 心臓を穿うがった長剣で地面に串刺しにされ、だらりと長い舌を垂らしている。その横顔に、私はたしかに見覚えがあった。――ザムエルだ。

 彼は上半身に衣服を身につけておらず、背中を月明かりのもとにさらしていた。

 双頭の鷲をかたどった焼き印が、その背中には刻みつけられていたのだった。

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