(17)彼女の夢

「――ボランティア?」

 外套ミシュラハの両ポケットに手を突っ込み、桑雨サンウはニヤリと笑う。その笑みにうすら寒いものを感じた私は、いつでも走り出せるようにと両足に力を入れた。

「そんなに警戒しないでよ。僕ってそんなに信頼がない?」

「……むしろ、あると思うの?」

「大丈夫だって。《難民解放戦線》つながりではないし――今日のところは君のことを取って食おうとも思ってないよ。本当だって。信じてよ」

 頭を左右に振り、「いやよ」ときっぱり断る。腕を掴む桑雨の手を振り払うと、私は迷わず彼女に背を向けた。

「――君の知っているひとに関係する話だとしたら?」

 しかしその矢先に投げかけられた言葉に、私は歩き出そうとした足を止めた。

 ――知っているひと?

 真っ先に頭をぎった人物はバラドだ。桑雨に関係し、私と知っている人物ともなれば数は限られる。十中八九、彼のことだろう。

 逡巡する私に、桑雨の「気になるならついておいで」という甘美な誘いが降りかかる。そのままスタスタと歩き始めた彼女を、私は思わず振り返った。

 街灯の暗い光に照らされた少女の背を、暫し見つめて――それが暗闇のなかに消えゆこうというとき、私は彼女のいる方向にむかって足を踏み出していたのだった。

 


 「ついておいで」とは言いながら、桑雨サンウに具体的な目的地は無いように見受けられた。彼女は裏路地まで移動すると、小型のペンライトを片手に、あっちこっちと周囲の建物を覗き込んだ。そして適当な廃墟をみつけると入り口の鍵を壊して、そそくさと侵入を始めたのだった。

 迷いつつも、私も彼女のあとを追って廃墟に足を踏み入れる。打ち棄てられて久しいであろう建物のなかはガランとしていた。

「足もとにガラスが落ちてるから気をつけてね」

 桑雨がペンライトで屋内を照らすと、そこにひとつの長椅子があった。ボロボロで、泥棒も持っていかないような品物の――彼女はにっこりと笑って手で埃を払うと迷わず腰かけ、げていた鞄からラップトップを取り出した。

 電源を入れると、カチャカチャとキーを打ち始める。私はすこし離れた場所からラップトップを操作する桑雨のようすを観察していたが、ふいに顔を上げた彼女に手招かれた。おそるおそる、距離を縮めてゆく。

 液晶画面に照らされた桑雨の顔が、青白く染まって見えた。

 勧められるままラップトップを覗きこんだ瞬間――私はそれまでの警戒も忘れて、桑雨にむかって疑問を投げかけていた。

「これは……何? 動画?」

「中継映像さ。――あらかじめ、ある建物の監視カメラをハッキングしておいたってわけ。もちろん現在進行形だよ」

 ラップトップの画面には複数の映像が並べられ、異なる角度や位置から建物全体を掌握できるようになっていた。

 これは――どこかの廃屋だろうか。すくなくとも、人が日常的に暮らすような場所ではない。遮蔽物が多く複雑に入り組んでいるように思われ、夜という時間帯もあり、その構造を知ることは不可能なように感じられた。

 人影が映っているものも複数あった。そのひとつで、銃火器であろうものを抱えた軍人の集団が、奥へとむかって消えてゆくものがある。また、別の映像では――桑雨がラップトップを操作すると、ひとつの映像が拡大表示された。

 画面に映し出されたのは、見慣れた漆黒の軍装。燃えるような赤毛をした、ひとりの女の立ち姿だった。 

 ――エレノアだった。

『畜生……畜生……』

 桑雨が音量を上げると、呪詛のような、くぐもった男の声が響いた。

 映像が近景から遠景に切り替わる。すると、彼女が複数の人間と対峙しているのが分かった。

「女王派の人間たちだね。映像の場所は彼らの潜伏地だよ。そこを皇帝直属軍イェニチェリが襲撃したってわけ」

 彼女の説明はクラエスの話とも辻褄が合った。これが偽装された映像であるとはどうにも考えにくく、私は息を詰めてその緊迫した場面に見入った。

 映像の画質自体は高くなく、人の顔や特徴といった細かい部分まで視認することはできない。しかしエレノアと対峙する《女王派》とおぼしき人の大半は丸腰であり、かろうじてナイフや銃を持っていても満身創痍なのが見て取れた。

 ――皇帝直属軍イェニチェリの掃討作戦は大詰めであり、《女王派》は窮地に立たされているのだった。

『選択肢は二つだ。おとなしく投降するか、ここで故国に殉じるか。どちらを選んだところで、貴様らの行先は地獄ジャハンナムだがな』

 腰に両手を当て、エレノアはかれらに対し淡々と宣告する。たとえ映像越しの音声であろうとも――彼女の口調には、一切の容赦がなかった。

『――――なぜ』

 《女王派》のひとりが、かすれた声を吐き出した。腹の底からしぼり出したかのような声に焦燥を募らせ、眼前に立つエレノアに疑問を投げかける。

『なぜ、お前は……女王クイーンの顔をして……その場に……帝国ハディージャの側に立つ……?』

『なんだ、この私が貴様らの女王クイーンにみえるのか? 遺伝子のなせる妙技だな』

 間髪入れず、エレノアはそう返した。溜息まじりに。

『私はそんなにアナマリア・ジェーン・ジュリアナに似ているだろうか? たしかにこの体に流れるのは女王クイーンの気高い血だが、一方ではその女王を撃ち殺した下賤の男の血でもある。悲劇の女王と裏切者の血が混ざり合い、私の血肉は帝国ハディージャの冷たい熱砂となった』

 かぶりを振って、彼女はもつれる赤毛を肩に流した。そしてゆっくりと、片腕を水平に持ち上げる。

『このにおよんで期待はしていないだろうがな。私の心は干からびた砂――どんな水も吸わない鉱石のくずの集まりさ。貴様らの声など届かない』

 その瞬間、彼女の外套の裾が風圧に揺らめいた――一斉射撃が始まったのだった。

 銃声音は驟雨しゅううが降るように激しく響き渡る。

 エレノアの背後から放たれた複数の弾丸は、女王派めがけて飛んでいった。金色の薬莢が床に散る。目につく限りの遮蔽物が破壊され、立ち上る硝煙を暗幕に、さらなる銃撃が続いて行く。やがて地面を覆い尽くすように、どす黒い血が流れた。

 目を覆いたくなるような光景に、それでも私は目を逸らすことができない。息を詰めて映像をみつめる私の目に、動く何かが映った――《女王派》の人間だった。

 ひとりの少女が、先頭の男を庇うように前に出て、両腕を広げる。

 砂金色の髪がヴェールのように宙を舞い、少女の顔を覆い隠す――その瞬間、彼女の胸はハチの巣のように複数の穴が空いた。

 くずれ落ちかけた少女の体を盾に、男が構えた銃の引鉄を弾く。その弾はエレノアめがけて目にも留まらぬ速さで飛翔した。

 エレノアは動かなかった。悠然と佇む彼女の鼻先で、その弾は別方向から飛んできた別の弾にはじかれたのだ。方向を変え、弾丸は壁に無為むいな穴を作る。

 エレノアは視線を、映像のほうに――おそらくは窓にあるほうへと向けて、かすかに笑ったように思われた。

 彼女が再度腕を上げるまで、銃声が鳴り止むことはなかった。

 後には、静寂だけが残った。エレノアは無言で瞼をとじると、その白い頬に付着した少女の血液を――ぞんざいに、服の袖でぬぐったのだった。

「――――ふうん」

 いつのまにか靴を脱ぎ捨て、長椅子の上であぐらをかいて映像を見守っていた桑雨サンウが、そんな声を漏らした。

 映像のなかの惨劇に、私は言葉を発することができない。早鐘を打つ心臓を押さえて、震える手を固く握りしめた。男の盾となった少女の顔が目に焼き付いていた。

「まあ、こんなものか。僕の出る幕はなかったな」

 桑雨は飄々としたものだった。彼女は肩を竦め、つまらなそうに言い放った。

「……出る幕って?」

 信じられないきもちで彼女を見て、私は思わずそう問いかけていた。

「もしが死にかけたりとか、そういう窮地に陥るようだったら、なにかしらの手を打っていたってことだよ。たとえばこの監視カメラを爆発させてみたりとかね。――皇帝直属軍イェニチェリには優秀な狙撃手がいるみたいだし、やることはなかったね」

「あなたは……エレノアを助けるつもりだったってこと?」

 ――そういえば、彼女は《ボランティア》だと言っていた。

 言葉の意味をはかりかねる私に、桑雨はあっさりとうなずいてみせた。ともすれば、さらに疑問が深まった。なぜ、彼女がエレノアを助けるのか? 皇帝直属軍イェニチェリは、いわば敵対する者ではないのか? そういえば、桑雨のお兄さんの恋人は、エレノアだという話をしていた覚えもある――。

 混乱する私をよそに、彼女は両膝を抱えた。そして私と彼女の中間に置いたラップトップに手を伸ばすと、画面に映し出されたエレノアの後ろ姿を指で撫でたのだった。

「――皇帝直属軍イェニチェリの任期を知っている?」

 画面から目を離すことなく、桑雨は脈絡もなく問いかけてきた。私がすなおに知らないと答えれば、「二〇年だよ」という言葉が返ってくる。

「短いと思う? それとも長いと感じるかな。でも皇帝直属軍イェニチェリの大半の人間はね、その任期を終えることもできないんだ。死ぬか、あるいは身も心もつかいものにならなくなるかのどちらかでね。

 なぜだか教えてあげるよ。彼らは『皇帝の剣』としての能力を維持するために投薬の義務がある。多くのそれは臨床段階の試薬であったり、一般的には禁止されたり制限されていたりするものだ。でも彼らは《属領》の捕虜であるからにして、その限りではないんだよ……」

 囁きかけるように、桑雨は語った。

 ――頭をぎったのは、夕方のクラエスの姿だ。彼はあのとき、『皇帝直属軍イェニチェリの宿命』と言って、注射器を手に取った。

皇帝直属軍イェニチェリから解放されるには、任期を終える以外に莫大な身代金を支払うしかない。ふつうの人間じゃ、一生かかっても稼げないような額さ。

 ユリアナ、僕の夢はね、この女をうことなんだよ。――だからそれまで、この女には生きてもらわなくちゃいけないんだ」

 桑雨サンウはおとがいを上げ、息を吐いた。

 彼女の瞳は液晶の無機質な光を映し込んでいた。その表情かおはどこか冷たく、憎しみのようなものさえ感じさせ、私はとまどいを覚える。

「…………どうして?」

 私の問いには答えず、彼女は無言でラップトップを閉じた。そして立ち上がって、ガラスのひび割れた窓にまで歩み寄る。

 彼女は暗い空を見上げると、振り返って、私をみすえた。


「そろそろ、幕引きの時間だ」

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