―幕間―
――その男は、騒音とともにやってきた。
扉の開閉音に、
ちょうどこの前の「仕事」の分け前を勘定しているところで、ダイニングテーブルには紙幣がちょっとした山を作っている。彼女は慌ててそれを両腕で抱きこむと、じろりと戸口のほうを睨みつけた。――土砂降りのなか、大柄な男が佇んでいる。
男の腕に抱えられたものをみて、桑雨は翡翠色の目をすがめた。
「僕の家のドアは蹴るもんじゃないんだけど。これ以上たてつけが悪くなったらどうしてくれるのさ」
全身から雨水をしたたせながら、その男はずかずかと室内に入り込んでくる。
桑雨は溜息をつくと、重い腰を上げた。ドアが開けっぱなしで、戸口のまわりが水浸しになっていた。
たてつけの悪い扉を苦労して閉め、そのへんにあった雑巾を周囲の床にばらまくと、桑雨は自身の
その姿をみて、思わず顔をしかめてしまう。
男の手つきは壊れものを扱うかのように慎重だ。見ていてかゆくなるな、と思いながら、長椅子へと歩み寄る。やぶれかぶれのクッションの上にうつ伏せで寝かされた少女を見下ろして、ちいさく溜息をついた。
「君ってさあ、なんで僕のところに厄介ごとを持ち込んでくるわけ?」
少女の濡れそぼったワンピースには、背中を中心として血が滲んでいた。
テーブルの上に転がっていた解剖用のハサミを手に取ると、桑雨は迷うことなく彼女の服に刃を入れた。
「僕のこと、便利屋かなにかだと思ってるでしょ。まったくもって不愉快だよ」
振り返って、睨みつけた先には、かぶっていた黒い
桑雨はこれみよがしに舌打ちをすると、少女の服を強引に裂いた。意識のない娘は微動だにしない。眼下であらわになった、その線の細いからだを――白い背中に刻みつけられた火傷を観察する。
――《紋》だ。
双頭の鷲といえば、属領アラクセス・カラバフの出自であることを示している。《紋》は生まれの地によって形が異なり、もし薔薇であればクイーンズランドを意味していただろう。
「――頼めるか?」
いつのまにか、背後に男のすがたがあった。
黒い瞳にまっすぐに見すえられて、
「……まあ、いいけどさ。犯罪者がわざと《紋》を焼いて帝国から属領に逃げるのはよくある話だし、処置も慣れている――というのを見込んで、君もここに来たんだろうけど」
ここで断ろうものなら、彼は握った短剣をこちらに向けてくるに違いなかった。――拒否権なんてないに等しいじゃないか、と心のなかで悪態をつきながら、桑雨は少女を別室に運ぶように指示する。
すると男はその場で強化装甲スーツを脱ぎ捨て、
「《難民解放戦線》ではあれほど恐れられている君が、年端もいかない女の子には形なしなんて。連中がみたら卒倒しちゃうに違いないよ――ねえ、バラド」
少女を横抱きにして立ち上がり、バラドは目を細めた。
――不愉快そうに。
背の高い桑雨でも見上げる位置にある頭。がっしりとした体格、隙のない身のこなし――男は感情の宿らない、凍てついたまなざしを桑雨にむけた。鋭い目だ。その口もとに笑みはけっして浮かばない。彼が笑っているところなど、嘲笑を除いて桑雨はみたことがなかった。
「……っ、」
しかし腕の中の少女が苦しそうに顔をしかめると、彼はすぐさまその目をやわらげた。傷だらけの指先で慈しむように少女の頬を撫で、優しい声で何事かを囁きかける。
――大丈夫とか、心配ないとか、そんな程度だろう。
「義足にも何かが仕込まれている。こっちは俺が処理をするから、お前は傷の手当てをしてくれ。――あと、今から言うものの用意はあるか? なければ闇市に行って買ってこい」
バラドが口にした薬の名前に、高くつくんだけどなあ、と桑雨は肩をすくめた。幸い、それならばこの家にも予備があると伝える。
男は満足そうにうなずいて、隣の部屋へとむかう。
「……あんまりどっちにも良い顔してると、ツケが回ってくると思うんだけどなあ。――まあ、それは僕にも言えたことか」
ポリポリと頭を掻きながら、桑雨は彼の背を追った。
雨音が遠く響いている。――まだ当分は降りそうだな、と頭の隅で考えた。
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