(9)焼き印

 結局、クラエスが連絡を取り、私たちはそのままファランドール家の屋敷に滞在することになった。クラエスいわく、「ここが一番安全」という話だった。

 というのもファランドール家の屋敷と呼ばれるものは各地にあり、遺失技術ロストテクノロジーの発掘・研究拠点として、一種のクラブハウスとしての役割を果たしている。実際にそこに『商品』――武器などが保存されているわけではなく、住居施設として利用されるからこそ、襲撃のリスクは低いという意味らしかった。《家族》という概念でなく、《構成員》としての連帯を意識するファランドールの一族は、技術工として拠点を転々とする生活が常となり、首都クテシフォンの屋敷もその一つというわけだ。

 軍施設を出ると、私はクラエスに連れられて屋敷に戻った。

 《女王派》による襲撃事件のため、大通りは全面封鎖となっていた。そのため迂回路を使う必要があり、屋敷に着く頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。

 部屋は昨日と同じものが用意された。到着するなり、私はジンジンと痛む義足を外して、室内に運んでもらった新しい長椅子の上に寝転んだ。右足のつけ根にクラエスから貰った氷嚢をあてがい、ようやく人心地がついた気分になる。

 クッションに頭を預けながら、私は大きく息を吸った。頭の中では、昼間のことがたえず渦を巻いていた――肉体以上に、精神が消耗していた。目を閉じようとすれば銃撃音がどこからか聞こえ、ひどい耳鳴りに苛まれる。

 それでもかつてのように、私に寄り添って慰めてくれるバラは無く――そのことが私にいっそうの孤独を感じさせた。

「――当主に連絡して、あの技術工エンジニアを明日にでも呼ぶように頼みましょうか。三日後を待ってはいられなそうだ」

「そうね……。お願いできるかしら? このままだと調子が出ないわ」

 重い身を起こし、クラエスから差し出されたティーグラスを受け取った。隣に座ろうとする彼のためにスペースを空ける。

 ――義足の調子は悪かった。痛くて歩いていられない、というほどではないが、それでも長い間歩くことはできないし、いざというときには走れない。――今日だって、帰路の最後のほうではほとんどクラエスに抱えられて歩いていたようなものだった。

「これまで、義足の調整は後見人のバラドが?」

「そうよ。誰にも見せちゃいけないって言われていて、面倒もバラドが見てくれていたわ。……そう考えると、バラドって凄かったのね。ちょっと調子が悪くなっても、すぐに直してくれたもの」

 しかしザムエルとて、優秀な技術工エンジニアに違いないだろう。当主からの信頼も篤いようだし、この義足も一見してすぐに調整してくれたのだから。――きっと、バラドが「特別」だったのだ。

 なるほど、とクラエスがうなずく。背もたれに傷がれるのだろう、一瞬苦痛をこらえるように目をすがめた彼を見て、私の胸に罪悪感がわき起こった。

「……バラド・ヴィ・サフサーフの経歴はご存知ですか」

「いいえ。そういう話はあまりしてくれなかったの。帝国籍を偽装していたのは私も知っていたし……なんだか、あんまり聞くこともできなくて」

 溜息まじりにそう答えた私に、クラエスは淡青色の目を細める。しばらく逡巡するそぶりを見せたかと思えば、彼はゆっくりと口を開いたのだった。

「ご存知ないのですね。十代の頃、彼はバラド・ファランドールという名で、この家の一員でした。とびきり優秀な技術工エンジニアとして各地を回り、、一〇年前に属領アラクセス・カラバフに派遣されました」

「バラドがファランドール家に? それって、私みたいに……」

「融資を受けていた。彼は一〇歳の頃、歴代の知能テストを一位で通過している。その後、多額の資金を返納してこの家から籍を抜きました」

 猫舌なのか、自分の分の紅茶にふうふうと息を吹きかけながら、クラエスが続けた。私は彼の説明に、思わず動揺した――考えてもみれば、ただの帝国官僚であった彼が、軍事用義足リエービチを修理したり、調整したりできていた時点で違和感を持つべきだったのだ。

 逆にクラエスの話は、これまでの彼のふるまいにも合点のいく内容だった。

 同時に、私の知るバラドという存在がどれほどまやかしに彩られていたのか。

 そのことを思い知らされた気になった。

 優しい後見人。帝国官僚で、どこか謎めいていて。私に触れる手はあたたかくて、彼との人生が、この先もずっと続いていくと思っていた。――けれども状況は一変してしまって、彼の存在はひどく遠くなってしまって……今になって見えてきた彼は、私にとってはなじみのない別人の姿だけだ。

 そんな私のきもちを知ってか知らずか、クラエスは「キナアに返事を書きましたか?」などという明後日の質問をしてくる。私は頭を左右に振りながら、グラスを握っていないほうの手で、ぎゅっとスカートの裾を掴んだ。

 これまでずっと、バラドと暮らした小さな借り部屋アパート、そしてアレクサンドリアの女学院の世界だけで過ごしていた。あたたかいものから引き剥がされ、自分の立ち位置も分からないまま、混沌とした状況のなかを過ごして――私は理解しつつあった。

 これまで信じてきたように、世界というのは、自分の味方ではないことを。

 変わらないと思っていたものは、ふとした拍子で変質をする。あるいはそれは変質ではなく、これまで私には見えなかったもの、あるいは見ようとしてこなかったものが、視座を変えることで、鮮烈にこの目に映り込んできただけなのかもしれなかった。それはある種の苦みを、私の胸に刻みつけていくのだった。


 ◆


 翌朝、ザムエルがやってきた。

 昨晩はほとんど寝付けず、キナアへの返事を書き、寝台ベッドの上で寝返りをくり返しているうちに時間が経ち――ようやく眠りに落ちたのは朝方で、私は眠い目をこすりながら彼を出迎えることになった。

 昨日と同じように部屋の椅子に腰かけると、私はスカートのポケットから一枚の封筒を取り出した。背後にいたクラエスに、それを差し出す。

「キナアへの返事よ。伝書鳩をしてくれるって言っていたでしょう?」

「……後で渡しておきます」

「でも、あなた、私が見てもらっている間は暇でしょう? キナアがそんなに遠くにいないなら、渡してきてくれないかしら?」

 クラエスは明らかに嫌そうな顔をした。「ていよく私を追い出すための言い訳だ」――間髪入れずそう指摘され、思わずばつの悪い笑みを浮かべる。

「追い出したいわけじゃないのよ。ただ――」

 昨日のザムエルに対する態度や「意見」を鑑みるに――クラエスをこの場に同席させるのはあまりよくない気がしたのだ。彼のザムエルに対する態度はいささか棘がある。

 背後をちらりと見やれば、ちょうど義足を調整する準備をしていたザムエルが顔を上げた。そばかすだらけの愛嬌のある顔に、困った笑みが浮かんだ。

「ああ、僕は気にしないよ。大丈夫」

「でも……」

 私たちのやり取りですべてを察したのか、クラエスは大げさに溜息をついてみせた。そして奪うように手紙を握り、「わかりました」とうなずいてみせる。

「でしたら部屋の外に出ています。手紙はまた後でキナアに渡しますから、それで勘弁してもらいましょうか」

「――ごめんなさい、クラエス。ありがとう」

 返答もなく、クラエスは大股で部屋を出ていこうとする。いかにも不機嫌そうな横顔に後悔をおぼえた。あとでもう一度謝っておこう――そう心の隅に留める。

 大きな開閉音を立てて扉が閉まったのを確認すると、私は改めて姿勢をただすと、ザムエルに向きなおった。あらかじめ人工皮膚のカバーを脱いだ義足を外しながら私を見上げると、彼は色素の薄い目を細めた。

「……昨日の調整があまりうまくいっていなかったみたいだね。本当に申し訳ないよ。今度はちゃんと歩けるようにするから」

「私こそ。昨日、着けたばかりのときはちょうど良く思えたのだけど……難しいものなのね」

「今日はもうすこし細かいところまで見てみるよ。もしかしたら、義足そのものの修理が必要になるかもしれないから、その場合は何日か待ってもらうかも」

「わかったわ。――何度もありがとう、ザムエル」

 ――それからしばらくの間、私は作業をするザムエルを眺めた。

 彼は義足をラップトップに繋ぎ、時おり私に質問をしたり、何度か他愛のない話をした。それからどれほどの時間が経ったのか――いつしか強烈な睡魔に襲われ、そのままうたた寝をしてしまった。名を呼ばれて目を覚ましたとき、私は傍にある長椅子の上に寝かされていたのだった。

「ごめんね。よく寝ていたから、起こすのも忍びなくて」

 義足を抱え、ザムエルが歩み寄ってくる。私は恥ずかしさをおぼえながら、礼を口にした。

 ちょうど調整が終わったと言う彼から、右足を受けとる。いつもどおりに装着をすると、私は歩き心地を試すために長椅子から立ち上がった。

 強烈な痛みをおぼえたのはその瞬間だった――右足のつけ根から、けるような熱が全身に。そのままバランスをくずすと、硬い絨毯の上に座り込んでしまう。

「ごめんなさい、ザムエル。この足……」

 右足を起点として、痛みの波は和らぐことなく私に襲いかかった。全身の毛穴がどっと開き、汗が噴きだした。――経験したことのないほどの痛みだ。

 歯を食いしばってそれをこらえながら、義足を外そうとするものの、震える指先はおぼつかない。

 全身から血の気が引く。しかし立ち上がることもできない私を前に、ザムエルは無言のままだった。顔を上げ、彼にこの苦痛を訴えようとした矢先――首の後ろを、なにかの金属で殴られた。その事実を理解できたのは一拍遅れてからだ。

 強い吐き気をもよおし、その場にうずくまる。視界は明滅し、いっとき方向感覚さえも失われて前後左右の判断もつかなくなる。

「――――」

 そのとき、一体だれの名前を呼ぼうとしたのか――私の身に覆いかぶさってきたザムエルに口を塞がれ、その声もかき消されてしまう。

「助けを求めたら、君の大事な足を破壊する。――いいね?」

 底冷えのする、ザムエルの凍てついた声が鼓膜を打った。

 私は痛みに耐えかねて、ほとんど呼吸をすることもできない。その状態で頭髪を掴まれると、なすすべもなく絨毯の上を引きずられた。

 寝台の上に身を放り投げられる。かろうじて動く両腕で抵抗しようとするものの、すぐに紐で両手首を拘束されてしまった。私は仰向けのまま、痛みにかすむ視界のなか――屋内に燦々と射す光、それを受けてたたずむ青年をみた。灰金の髪アッシュブロンドはやわらかな光を照り返し、一方で、斜めに寄ったグリーンの眸は氷のようにはりつめていた。

「……僕は保険をかけておく主義なんだ」

 肩をすくめたかと思えば、ザムエルはおもむろにそう言い放った。

「ファランドール家の一人息子が死んでからというものの、後継争いは過熱していてね。誰もが死の王座を願い、追い求めている。――すこし調べさせてもらったよ。君は当主がずいぶん気にかけているようだ。だとしたなら、芽は早いうちに摘み取っておくに限ると思わない?」

 ――『後継』。その単語に、私は目を瞠った。

「後、継ぎ、だなんて……私は、そんな……」

 ――当主の戯れ言だろう。そもそも、私はその地位に関心がないのだから。

 そのことを訴えようとしたものの、痛みと吐き気で思うように喋れない。舌が痺れていた。ザムエルは柔和に両の目を細め、私の顔の横に腕をついた。

 やわらかい髪の先が頬に落ち、彼の吐息が私の唇をくすぐった。血の気のない白い肌、その上に散る雀斑そばかすが、至近距離にあるはずなのに、ひどくぼやけてみている。彼の顔かたちさえ、判別がつかない。

「ユリアナ・ファランドール。知能テストの結果は歴代トップ。その右足は《リエービチ》という幻の義足で補われている。アラクセス紛争を激化させ、その土地を焦土と化した要因だ。――君には何かがある。当主が気にかけるのもそのせいだろう。……僕がこれまで積み上げてきたものを、横からかっさらわれるわけにはいかないんだ」

 ほほ笑みを浮かべたまま、ザムエルは低い声で囁いた。

 そして身を起こすと、ベッドサイドに置かれたオイルランプの蓋を外した。煌々と光るオレンジ色の炎に、彼が脇にたずさえていた金具がかざされる。

 ――焼きゴテだった。市場スークで並んでいたようなものと同じ、赤錆びて古びた金属の型。その先端に彫られた双頭の鷲が、火にあぶられて色を変えてゆく。

「……っ」

 肩を掴まれ、体を裏返しにされる。強引にワンピースの裾をめくられて一気に上までずり上げられると、何も守るもののない背中が外気に触れた。

 ――けっして良い状況ではないだろう。それは火を見るよりも明らかなことだ。助けを呼ばないといけない。頭の警鐘はそう告げるものの、私は判断ができないでいた。歯が震え、両手足がひどく汗ばむ。白く霧散していこうとする頭のなかで、そのときぎったのは――昨日のクラエスのすがただ。

 血まみれの襯衣シャツ。大量のガラス片が突き刺さった背中。

 そして――「味方ではない」と口にした、彼のあの言葉。

 迷いは私を打ちすえ、動けなくなってしまった。

 そして助けを呼ぶ決断もできないままに、《熱の塊》が背中に近づいてくる。

「―――――っ」

 敷布シーツを掴み、食いしばった歯からうめき声が漏れた。その瞬間、遠くから――「ユリアナ?」というクラエスの声が聞こえる。

 それにこたえようとしたものの、口から出たのは思いとはうらはらの言葉だった。

「……だ、だいじょうぶよ」

 痛みに身をのけぞらせながら、気がつけば、私はそう口にしていたのだった。

 ――もしこの場にクラエスが乗り込んできて、ザムエルが火を振り回したならば? 彼はまた怪我を負うかもしれない。そうでなくとも義足が破壊されて、役に立たなくなってしまうかもしれない。ファランドール家の当主やクラエスが話していたように、この義足は私にとってだけでなく、大切なものだというのに……。

「ちょっと、足の調整がうまくいってないみたい。心配することはないわ。まだ入って、こないで……あっちにいって!」

 息も切れ切れに、しかし彼の耳に届くように、私は喋る。そうしながら、胸の奥から滾々こんこんと――ある感情がわき起こってくる。


 本当のところで、私は傷ついていたのかもしれなかった。

 味方ではないと言われたこと――本当に自分はひとりであることを、思い知らされてしまったことが。そのことに思い当たったとき、それまでこらえていた涙が――痛みからだけでなく、こぼれ落ちた。透明な滴は汗とまじりあい、私の叫び声とともに、敷布シーツのなかに吸い込まれていった。


 

 ――扉の開閉音に、クラエスが顔を上げた。

 私はふらつきながら壁に寄りかかった。背中と、そして下半身に苦痛を感じていた。背中はけるように熱く、濡れた感触とともにワンピースの生地に貼りついていた。

「ユリアナ?」

 伸ばされた腕を振り払う。そして一度きつく彼の目を睨み返し――手を伸ばした彼に対して、「来ないで」と声を張り上げる。

「近づかないで。あなたが、私の味方じゃないんなら……」

 痛みをこらえて廊下を走り、中庭に出る。いつのまにか日は翳り、ぽつぽつと雨が降り始めていた。まもなく土砂降りに変わることを予想させる空だった。

 かまわずに屋敷の外に飛び出し、ひたすらに駆け抜ける。何度か壁や人にぶつかりながら、それでもけっして足を止めることができなかった。

 ――それから先のことは、よく覚えていない。

 気がつけば私は雨のなか、路地の隅にうずくまっていた――そして眼前に現れた人物を、呆然と見上げていた。

「――――キナア?」

 雨に甲冑を黒くぬめらせながら、大柄な男がそこに佇んでいたのだった。

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