(6)技術工《エンジニア》の訪れ

 懐かしい夢をみた。

 荒涼とした砂漠でも、アレクサンドリアの海辺でもない。記憶もおぼろな故郷――でもない。

 もっと優しい、私の記憶のかけらだった。

 清涼な空気に満ちた、クテシフォンの郊外。青空ですうっと円を描くように飛んだハヤブサが、バラドの掲げた腕に降りる。

 砂埃が立ち、彼の身につけた砂よけの外套が風にひるがえる。

『――クテシフォンの空は故郷の空を思いださせる』

 口もとをほころばせ、バラドが言う。

『自慢じゃないが、俺の故郷はまったく美しくはなかった。古くからの紛争地帯で、硝煙が白粉のように宙から降った。けれども俺を拾った人とその街を出て……途方もない時間を歩いて……自分がどこにいるかもわからなくなったとき、ふと顔を上げたら、カフカ―スの山々がずうっとむこうにあった。知っているか? 神話のプロメテウスが繋がれた山だ。《アミランの火》の伝説で知られているな。

 ――その上にはひどく青い空があって、それが目に焼き付いている』

『……バラドはどこで生まれたの?』

『それは秘密だ。きっとお前は一生訪れることがない……酷い場所だから』

 バラドの腕から、ふたたびハヤブサが飛び立つ。

 餌を探しに行ったんだ、と彼は言った。

 ――ああ、なんて懐かしい記憶だろう。

 ほんのすこし前の思い出であるはずなのに、ひどく胸がしめつけられる。あのとき、彼はあんなに近くにいたのに、今はもう手が届かない。身も――心も。

 ――バラド。

 彼があの夜触れた場所のすべてが、火傷をしたように熱くなった。

 擦過傷さっかしょうのようにヒリヒリとして痛い。からだが燃え上がって、このまま消し炭にでもなってしまいそうだった。

 ――ひどく、苦しい。

 そんな思いとともに、私は目を覚ました。まぶしい光が横窓からあふれていた。ぐっしょりと汗で濡れた寝間着をつまみあげ、私は溜息をついた。

 鮮明に夢の内容を覚えているせいか、落ち着かなかった。体の内側から、火箸でかき混ぜられたような熱がこみあげていて、重く滞留したままだった。

 このままでは気をやってしまいそうな熱量を感じる。風邪を引いたわけではない。これは『錯覚』なのだ――気をまぎらわせるために着替えることにして、私は昨晩用意してもらった服を手に取った。肌触りのいいワンピースを頭からかぶり、手櫛で髪を整えていると、クラエスが部屋に入ってきた。

「ノックくらいしなさいよ……」

「それは失礼しました。両手が塞がっていたもので」

「……軍人が給仕の真似事なんて、私もいい身分ね」

 両手に何かを抱えたクラエスがずかずかと歩み寄ってくる。薄絹ベールを左右によけた私の手に押し付けられたのは、朝食の載ったトレイだった。

 砕いたドライフルーツをまぶしたミルク粥ロズ・ビ・ラバン、小さなグラスには、濃い目に淹れた紅茶――その底にはまだ溶けきらない砂糖がザラザラと溜まっている。帝国ハディージャではごく一般的な朝食のメニューだ。

「まさかとは思うけど、あなたが用意してくれたの? クラエス」

「昨日来た手伝いの者がいたでしょう。その人が置いていったものですよ。――まあ、紅茶くらいなら私も淹れられますけどね」

 そっぽを向いて答えるクラエスに、そうなの、とうなずいて礼を言う。

 食欲はあまり感じていなかったが、何か胃に入れたほうがいいという理性の判断に従う。トレイを膝に置くと、スプーンを手に取ってミルク粥をすくった。

 粥とは言っても、実際はライスプリンと表現するほうが適切だろう。優しい風味に控えめな甘さ。つるりとした食感が喉を落ちていくのを感じて、私は思わず目を細めた。――実は好物なのだ。

 バラドはそのことを知っていて、私が風邪を引いたときはかならずこれを出してくれたものだった――そんなことを考えて感傷に浸っていると、ふいに、頭上に何かが降ってきた。

「……何よ」

 食器を置いて、私は敷布シーツに転がった紙の束を取った。

 新聞だ。しかも今日付けの。

 刷り立てのインクの香るそれと、クラエスの顔を交互に見比べる。それから新聞の一面を見て、私は目を見開いた。目玉記事として特集されていたのが、昨日の自爆テロのことだったからだ。

 昼頃のにぎわう駅舎を狙った自爆テロ。死傷者百四十二名。

 犯行声明は――。

「〝女王派〟――って、何? 昨日の治安警察のひとも、そんなことを言っていたけれど……」

「……属領クイーンズランドの過激派組織ですよ。《難民解放戦線》と同じです。属領の独立を目的として、帝国各地でテロ活動をくり返している」

 ――クイーンズランド。クテシフォンの位置するユーラシア大陸からは離れた場所にある、西方の島国――だった『属領』だ。

 帝国に侵略される前は、『女王』が統治する君主制を採用していたおぼえがある。名称もそこから来ているのだろう。

「ここで貴方と政治的な議論をするつもりはない。――気になる話を小耳に挟んだものでね。今回の自爆テロに使われたのはごく一般的なプラスチック爆弾……ですが、どうもそれがファランドール家が市場に流通させているもののようで」

「ファランドール家、ね。……でも、驚くことじゃないんでしょう?」

「そうですが、どうもきな臭い。ファランドール家の『商品』というのは、基本的には限られた業者にしか卸されない《ブランド品》なんですよ――最終的に移民の末端まで流通することはあっても、それは複雑なルートをたどり、幾人もの商人を介した結果です。その過程で、ファランドール家が商品に施した刻印シリアルナンバーも消されるのが一般的だ。――出所を隠そうとするならばね」

「そうじゃなかったってこと?」

「まだ事実確認をしていないので、不確かではあります。たまたまその刻印が消されなかったのかもしれない。けれども、疑う余地はある」

「何が言いたいの? それじゃあまるで、直接ファランドール家が流通させたみたいじゃない」

 イライラとしながら口に出した言葉に、クラエスが言わんとしている内容があることに気がついた。――しかし、だからどうだと言うのだろう。

 彼の意図するところがわからず、問いただそうとしたところで、クラエスは私の手から新聞を取り上げた。

「そろそろ客人が来る時間ですね。さっさと食事をかき込みなさい」

「犬みたいに言わないでよ。もう、あなたって本当に勝手な人ね。私を振り回すだけ振り回して、なにひとつとして明快な答えをくれないわ」

「私は答え付きの問題集じゃないのでね」

「そういう意味じゃないわよ、もう……」

 ぶつぶつと不満をこぼしながら、私は再度ミルク粥をスプーンですくった。

 そうしながら、こっそりとクラエスの様子を観察する。彼は昨日と同じ椅子に座って、やはり本を手に取っていた。――そのいかにも不遜そうな横顔をみつめていると、私の体のなかで沸き立っていた熱も、すこしずつ冷めていくのを感じた。



 ◆


 朝一で、この部屋を訪れた客人――ファランドール家の技術工エンジニアの青年は、みずからをザムエル・ファランドールと名乗った。

「びっくりしたよ。当主がいきなりメッセージを送ってきたと思ったら、屋敷に来い、これは秘匿事項だ、とか言ってくるんだもの。僕が何かをやらかして、首でもチョン切られるのかと思ったら――出てきたのがこんなにかわいい女の子だったから、二重に驚くはめに」

 ひょろりと背が高く、癖のある灰金の髪アッシュブロンドと、片方の眼球の虹彩が片側に寄ってみえるのが特徴的な青年だった。歳はよくて二十代の後半だろう。彼もまた、ファランドール家に『融資』を受けて技術工エンジニアになった身の上であると語った。

 私は部屋の中央に置いた椅子に座らせていた。後ろにはクラエスが立っていて、正面にはザムエルが居る。

 ザムエルは今、床に置いた〝包み〟を開こうとしているところだった。

 横窓から射す光を受けて、包みの中身はキラキラと七色に光った。

 いつ見ても、変わることのない美しさをもつ義足だ。表面は水晶のように透き通っていて、内側にある機構をあえて全面に出している――複雑に組み合わされたコードや金属のパーツが揃ってはじめて、その美しさは完成するのだと思い知らせる完璧さと精緻さでもって。

「……《リエービチ》か。すごいな、現存していたのか。昔はファランドール家の管理下にあったとは聞いていたけれど……どうしてこんなものを君みたいな子が?」

 興味津々、という目を向けられて、私はたじろいだ。――なぜ私がこの義足を持っているかなんて、私が一番説明してほしいくらいだったからだ。

「あなたは当主の要請でここに来たんでしょう。つべこべ言わずに自分の仕事をして帰りなさい」

 戸惑う私を置いて、クラエスがザムエルに対してぴしゃりと言いきった。思わぬ助け舟に胸を撫で下ろす。

「なるほど、詮索は不要ってわけか」

 ザムエルは肩を竦めて、あっさり引き下がった。――彼の物分かりがよくて助かった。ザムエルはしばらくめつすがめつ『脚』を検分して、頭を捻ったかと思うと、おもむろに持参したアタッシュケースを開いた。

「見た限り、内部構造がまるきり破損しているとか、そういうのじゃなさそうだけど。外殻部分が歪んでいるから、それは修理しないと。あと、そろそろメンテナンスの時期だったんじゃないかな。ねえ君って何歳?」

「十六歳だけど……」

「若いなあ。まだ成長期かな? 義足は定期的にメンテナンスしないと、すぐに体の成長に追いつかなくなっちゃうから。今まではどうしていたの?」

「……後見人がしてくれてたの。あまり詳しいことは言えないけれど……」

 「すごい後見人だね」――そう言いながら、ザムエルが義足を持ち上げた。

 手慣れた様子で、義足を私の右のつけ根に装着する――しかしなんとなく違和感が残る。おそらく立ち上がろうものならば痛みを感じるはずだ。

 桑雨サンウから義足を取り戻したあと、自力で装着したのだが、歩こうとすると痛みで立てなくなってしまっていたのだ。桑雨サンウに壊されたのかと思っていたのだが、ザムエルの口ぶりを聞くに、どうもそれだけではないようだ。

 ザムエルは私に脚を装着させたまま、ラップトップと義足の側面を数本の線で接続した。彼の膝上に置いたそれの黒い画面に浮かび上がったのは、複雑怪奇なコード、その無限ともいえるような羅列だった。

「幸い、《リエービチ》なら僕もファランドール家の文献を読んだことがあるよ。《リエービチ》は義足でありながら、実際はナノマシンを利用した魔術的といってもいい機構だってね。外殻部分のゆがみや身長に合わせるにはパーツを交換すればいいだけだけど、このようすだと内部機構にも手が加わっている可能性がある。ナノマシンの制御中枢――《魔術書》が書き換えられているんだ」

「魔術……」

「この義足と接続された生体は、《リエービチ》と一体になる。義足が本物の足と同じ役割を果たすからだ。リエービチとは複数のナノマシンを媒介として、それぞれが肉体を循環しながら、『脚』の神経回路を構築したり、脳の電気信号に働きかけたりしながら、所持者の思うように動くようにしている。

 ――もともとは『踊るため』の足だから、本物の足と同じくらい、自由自在に、複雑なニュアンスも表現できなければいけなかったんだろうね。それでこんなものを作るのは……傍から見れば狂気の沙汰だけど。これの製作者は、当時の義肢開発分野でも神さまみたいな人だったんだよ」

 だからちょっとした『誤差』で動かなくなるんだよ――と言いながら、ザムエルが素早くラップトップのキーを打っていく。

「やっぱり、つい最近に情報がいじられた形跡があるね。この義足に入力されていた君の情報を修正してみたから、多少はマシになると思うけど……ダメだったらまた調整するから」

 そう言われて、私は怖々、その場で立ち上がった。

 ――久しぶりに、二本足で地面に立つ。

 ゆっくりと椅子の周辺を歩き回ってみたが、異変はみられない。安堵して、「問題ないわ」と私はザムエルに笑いかけた。

「ありがとう。義足が使えなくて、本当に不自由していたから……助かったわ」

「それはよかった。僕は大したことをしていないけどね。まだ外殻部分は歪んだままだから痛むことがあるだろうけど、それは後日修理用のパーツを持ってきて交換するから。また来るよ。――ええと、君の名前は……」

「ユリアナよ。ユリアナ・ファランドール」

 名乗って、私はザムエルと握手をした。彼は綺麗なグリーンの目を瞬かせると、ずい、と顔を寄せてきた。色素の薄い肌に、ぽつぽつと雀斑そばかすが散っているのがわかる――まじまじと青年の顔を凝視していると、「君、やっぱりかわいいね。リハビリがてら、僕とお茶をしない?」と弾んだ声が返ってきた。

「えっ? ええっと……」

 私が戸惑っていると、背後からぐい、と肩を掴まれて体を引き寄せられる。

 振り返れば、間近にクラエスの顔があった。――不機嫌そうな顔をしている。

「残念ながら、彼女のこの後の時間は予約済なので。――失礼します。修理代金はファランドール家の当主に請求してください」

「ちょっと、クラエス……、何言っているのよ、あなた」

 クラエスに腕を掴まれる。

 呆気にとられたザムエルを置いて、私は連行されるように部屋の外へと出るはめになった。

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