(7)白昼堂々


「――クラエス、腕が痛いわ。逃げたりなんかしないから、離してくれる?」

 私の腕を引っ張ったまま、ずんずんと廊下を進むクラエスに声をかける。すると彼が突然立ち止まったので、その場でつんのめり――義足が完全にいないせいもあってバランスを崩し、私の頭は目の前にあった胸にぽすんと受け止められたのだった。

「――失礼」

 中庭に面した廊下には、日の光が斜めに差し込んでいた。間近に見上げたクラエスの髪が、光の粒をまとってまばゆくきらめいている――金色の睫毛に縁取られた淡青色の瞳と目が合った瞬間、私は思わず彼の体を突き飛ばしてしまった。

 昨晩の姿を想起してしまったからだ。闇夜に映える白い肌、――その背中に刻まれた、複数の《焼き印》。あの傷痕を思い出すだけで、喉もとがキュッと締まるようで苦しさをおぼえる。それを紛らわすように、私は早口で喋った。

「急にあんなふうに出て行って、きっとザムエルも気を悪くしたわよ。何なのよ、もう。外に出るにしても、私、このままじゃ外に出られないわ。……目立って仕方がないもの」

 右足のつま先を上げると、むきだしの義足を見せつける。

 太陽光を乱反射して目が痛いくらいに光り輝くそれに目をすがめ、「ああ」、とクラエスは気のない返事をした。

「人工皮膚のカバーなら、キナアが持ってきた包みのなかにありましたよね。取ってくるので、あなたはここで――」

 彼の声に重なって、背後からパタパタとせわしない足音が響いた。

 振り返った私の視界に飛び込んできたのは、大事そうに包みを抱えたザムエルの姿だった。こうして日の下で見てみると、彼の肌は病的なまでに白い。

「よかった。まだ家の中にいたね。――無いと困ると思ったから、持ってきたんだ」

 走ってきたのだろう、頬を赤く上気させながら、ザムエルが人懐こい笑みを浮かべた。差し出された人工皮膚のカバーを受け取って、「ちょうどその話をしていたの」と、私は口もとをほころばせた。

「ありがとう。おかげで助かったわ」

「どういたしまして。――修理用のパーツを揃えておく。それを持って、また三日後に来るよ。義足、ひとまずは使ってみて。そのときにまた微調整しよう」

 ザムエルのことばにうなずく。背後からクラエスの突き刺さるような視線を感じていた私は、礼を言って、踵を返そうとした。

 そのとき、ふいに手首を掴まれた。細い青年の指先が、私の手に触れている。

「――考えておいてね、お茶の件」

 そう囁き入れられ、私は困った表情かおを浮かべるはめになる。ザムエルは良いひとに違いとは思うものの、この申し出には困ってしまう。どういう風に返答するのが適切なのかが分からないからだ。

 結局曖昧な笑みを返すだけにとどまる。私は彼の手を振り払うと、数歩先に立つクラエスのもとへと歩み寄った。

 

 ザムエルが去ったあと、廊下の隅で立ったまま人工皮膚のカバーを履いていると、クラエスが肩を竦めるのが視界に映った。

「――ああいう男が好みなんですか」

「なんの話よ、藪から棒に。つくづく思うけれど、あなたってほんとうに失礼な人よね」

 人工皮膚のカバーは薄く弾力があり、厚手のストッキングに近い。それを義足の上から履いて皺を伸ばしてしまえば、生身のものと遜色のない右足が完成する。次いでクラエスから差し出された長靴下と革靴を身につければ、誰もその下が義足だとは思うまい――義足そのものの美しさは殺してしまうが、日常生活を送るためには仕方のないことだ。

 ようやく人心地がついてほがらかな気分の私と反し、クラエスは機嫌があまりよくなさそうだ。逆光のなかに立つ彼の表情は読み取れなかったが――淡々と話しているのをみるに、その言葉自体に深い意味があるようには思えない。

「ああいうのはお薦めしかねますね。優男を装っているようで、野心家に違いない。当主からの信頼が厚いことを思えば技術工エンジニアとしても優秀で……」

「それって褒めてるのと何が違うの?」

「きな臭いって言いたいんです。彼のアラビア語は英語訛りが強い。明らかに母語ではない。――十中八九、属領クイーンズランドの生まれか育ちでしょう。三三年前のエジンバラ戦役を機に、クイーンズランドを取り巻く環境は一変した。彼の世代はアラビア語を母語とする、徹底的な帝国式教育を受けているはずなのに」

「帝国人で、英語を母語とする家庭に育っただけじゃない? ――人のことを外野があれこれと推測で話すのはよくないことよ」

「彼は片方が重度の斜視でしたね。幼少期に手術をしていない、あるいは後天的なものでさえなければおそらく出身階層はそう高くなく、ならば帝国では喜捨ザカートによる教育が保証されます。この家の技術工にならずともね。――ファランドール家の融資を受けるのは、属領人くらいですよ。あなたも知ってのとおりね」

 クラエスは聞く耳も持たず、鬱陶しそうに横髪をかき上げながらしゃべった。その無遠慮な物言いに気を悪くして黙っていると、「行きますよ」という声が続けざまに降ってくる。

「まあ、たしかによけいな話ではありましたね。――あなたに悪い虫がつかないようにと言い付けられているもので、私もいちいち目くじらを立てたくなるんですよ」

「……悪い虫? ザムエルがそうだって言いたいの? それにいったい誰があなたにそんなことを――」

「……それは秘密です。さあ、リハビリがてら街でも歩きましょう」

 クラエスの横に並んで歩きはじめながら、私は彼の不可解な言動に首をひねるはめになった。


 ◆


 ファランドール家の敷地を出ると、クラエスの足はクテシフォン内に散在する市場スークのひとつへと向かった。市場はまだ開いたばかりという頃合いで、行きかう人の数もまばらだ。

「何か用があって外に出たんじゃないの?」

「これといった用は。強いていうならば、さきほど言ったとおり――主目的は、あなたのリハビリということで。その義足をつけるのも久々ですからね」

 本当に何か用があるわけではないらしい。

 私は思い立って、ワンピースのポケットに入れていた鍵を握りこんだ。

「それなら、家に帰っていい? ――ファランドール家のお屋敷じゃないわ。バラドと暮らしていた家よ。ちょうどこの近くなの」

「……それはかまいませんが、一時的に行くだけですよ。あなたも分かっているかもしれませんが、帰ることはできません。まだ《難民解放戦線》が帝都に入ったという連絡はありませんが、いつ侵入してきてもおかしくない状況です」

 わかっているわよ、とうなずきを返しながら、胸が軋むのを感じた。

 ――義足リエービチは、《難民解放戦線》にとっても大切なものだ。十年前のアラクセス紛争で争ったというほどの代物なのだから。

 与えられた情報そのものは理解しているが、一方で感情が追いつかない。あれほどひどい目にも遭わされたのに、実感が追いついてこないのだ。

 「あの夜」を思い返すたびに、頭の片隅に、バラドの横顔がちらつく。彼の行為そのものはひどいなんてものじゃなかった。

 一方で、彼の悲しそうな顔が目に焼き付いて離れない……。

 そのことを考えながらぼんやりとしていると、視界に薄汚れた天幕のひとつが入った。商品として陳列されているのは、大小様々な、赤錆びた金具だ。

 普段ならば、目にも留まらないような商品だ。しかし今はなぜか気にかかる。

「焼きゴテですね。《紋》のためのものでしょう」

「……ああいうのを売るのって、大丈夫なの? 悪用されそうだけど……」

「まあ、よろしくはない。名目上は家畜用として取り扱っているんでしょう」

 明るい光の射す市場スークのなかで、焼きゴテを取り扱うその一角だけが異様な空気を放っている。肌が粟立つのを感じて、私はそこから目を逸らした。



「あなたの家まで案内してください。――しかし、今日は陽射しが強い。どこかで喉を潤してからにしましょう」

 私はクラエスとともに、バラドと暮らしていた家へと向かった。先ほどの市場スークが隣接する大通りを出て、路地に入ってすぐの一角に、私たちが暮らしていた借り部屋アパートはあった。

 二階部分が住居用の賃貸、一階部分がこぢんまりとしたオープンカフェになっている建物だ。クラエスに言われるがまま、私たちは一階のカフェで休憩を取ることになった。

 本音をいえば、いますぐ上の階に上がりたいきもちでいっぱいだったが――義足の調子がよくないのを見抜かれてしまったのだった。調整がうまくいったように思えたのは最初だけで、歩き始めてからしばらく経つと、私の右足の切断面は熱を持ち、ズキズキと痛みはじめた。今となってはすっかり生身の部分の皮膚が擦れてしまっていた。歩けることには歩けるが、この分では長くは持たないだろう。

 太い柱の影にある席を選び、私はカサブサトウキビのジュースを、クラエスはアイスティーを注文する。給仕ウェイトレスから貰った氷をハンカチに包んで、私は服の上から足のつけ根を押さえた。

 今日は気温が高い。正面の椅子に座ったクラエスは、暑そうに手で自分を仰いでいた。

「――ようやく落ち着いて話ができますね。ファランドール家の屋敷は、どうにも安心できませんから」

 辟易した、とばかりに溜息をついて、クラエスは汗ばむ髪をかきあげる。そしてテーブルに片肘をついて横顔を外に向けたまま、彼は囁いた。

「……いいですか、ユリアナ。まずは隠れ家を決めますよ」

「隠れ家?」

 一体、突然何を言いだすのか。あっけにとられた私に、クラエスは悪戯っぽく笑った。まるで子どものような顔をするものだから、すこし意外に感じられる。

「ええ、隠れ家。……ここだけの話をしましょう」

 ずい、と体ごと顔を寄せてきて、クラエスが薄い唇をひらいた。

 生えそろった睫毛の一本一本さえ見てとれてしまう至近距離で、私は息を呑んだ。思わず、ハンカチを握りしめて氷を割ってしまう。

 冷たい水がこぼれて、スカートの裾を濡らした。

「とっておきの秘密ですよ。誰にも言ってはいけないし、知られてはいけません。……私たちは、これからすべての目を。私はそのためにずっと行動してきた。この『作戦』の共犯者は三人。

 私と、あなたと――――」

 そのとき、私たちの間を割るように――いささか乱暴に、テーブルの上に飲み物が置かれた。

 びくりと肩を揺らして顔を上げれば、すらりとした白い脚が目に映り――その先に、給仕ウェイトレスの少女が立っているのがわかった。滅多にないような美人で、その見事な金髪はあきらかに純粋な帝国人のものではない。

 彼女は私を睨み、次いでクラエスににこりと笑いかけた。そして机の上に一枚のカードを置くと、トレイを抱えて足早にその場を去っていく。

 その紙を摘まみ上げて、クラエスは心底うんざりとしたとばかりに溜息をついた。

「……まったく」

「何のカードなの?」

「……娼館ですよ。大方ああいうのは自分の手元に残る金が少ないから、こういうウェイトレスなんかの副業で、高等教育の学費を稼ぐんですよ」

 さらりと言ってのけたクラエスに、私は顔を赤らめた。

 彼が差し出したカードには娼館の名と、少女の名前が揃って刻まれていた。アンジェリカ。天使を意味する言葉ですよ、とクラエスが囁く。かつて技術テクノロジーと共に高度宗教も失われたこの国では、異質な響きだった。

 頭を左右にぶんぶんと振って、私は急激に上昇した体温を下げようとする。そんな私を、ニヤニヤと底意地の笑みを浮かべたクラエスが眺めている――「そんなことより!」苛立ちもあらわに、私が声を張り上げようとした瞬間。

 突然目を見開いたクラエスが立ち上がった。そしてテーブル越しに私の肩を掴んだかと思うと、椅子ごと床に引き倒される。続けざまに響いたのは、耳をつんざくような破裂音だった。

 

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