6-3
「にしても、お前らってほんとに物好きだよな」
上下から迫る二人の刃をよけながら、馨がせせら笑う。
「自分から飼い犬に成り下がるなんて信じられないね」
「飼い犬?」
跳躍して頭上を飛び越え背後に立った馨に対し、玲が怪訝そうな眼差しを向ける。それを見て更に笑みを深めた馨は雷の球をいくつも作り出して放出するが、それを防いだのは漠夜の結界だ。術を発動させたわずかなスキをついて結界の中から勢いよく切りかかった漠夜の剣先は、正確に馨の心臓を狙って突き出される。
「野良犬がなに吠えてやがる」
「自分から首輪をつけられに行って満足してる奴の気が知れないって話だよ」
漠夜から繰り出された突きを自らの雷槍で防いだ馨は、鍔迫り合いの形になりながら彼を嘲笑う。バチンと激しい音を立てて離れた両者は剣と槍を構えたまま睨み合い、少しの間膠着状態が続いた。
「帝国魔天軍とかいう首輪をつけて飼い犬として生きるくらいなら、野良犬として死ぬ方が百倍マシだね!」
馨が吼える。雷の槍を振りかざして漠夜を狙う彼の言葉は冷の心臓を突き刺すように心に響き、まるで息の仕方を忘れたかのように体を凍り付かせる。
冷は経験として知っていた。帝国魔天軍の魔術師は魔物退治の際に重宝されるが、それ以外の魔術師は決していい待遇を受けないという事を。悪事に利用される者、かつての冷のように化け物として虐げられる者と様々だが、人間としての社会的存在は著しく低いと言っても過言ではない。
帝国魔天軍で常に制服の着用を義務付けられているのは、馨の言う通り飼い犬である証の首輪とほとんど同義と言って良いだろう。
魔術師は帝国魔天軍の中でしか生きられない。それは帝国に住むものには暗黙の了解として染み付いている。
「それでこの基地を襲ったってか? 脈絡がねえな」
漠夜の剣が馨の喉元を掠める。間一髪で避けた彼の身体を狙って今度は火球が放たれ、馨は表情を苦いものに変えて雷槍でそれを薙ぎ払う。
わずかにできた隙を狙って今度は玲が切り込んでいき、剣圧に魔力を込めた斬撃破を放った。
「飼い犬にもなれなかった臆病者が」
前後から放たれる術に対処が出来なくなったのか、雷槍を握る馨の表情にわずかな焦りが浮かぶ。
「ちっ……!」
彼はいったん高く跳躍すると、雷槍を地面に向かって思い切り投げつける。するとそれは地面に接触した途端に大きく膨れ上がり、破裂すると同時に無数の刃を放って周囲の人間に一斉に襲い掛かる。
「伏せてください!」
呆気に取られていた冷が咄嗟に叫ぶ。術のモーションに入っていた二人は、このままではうまく避けられずに直撃は免れないだろう。そう判断した玲は、雷の刃が二人に到達する寸前に二人を包み込むような球状の結界を発動させた。
一太刀浴びるたびに、尋常ではないほどの衝撃が魔鏡を通して伝わってくる。冷の実力をしのぐそれらを完全に防ぐことは不可能に思えたが、それでも漠夜と玲が体勢を整え直す時間を確保することには成功したようだ。冷の結界が破られると同時に、二人の結界が発動するのを感じる。
「はあ、はあ……っ」
「よくやった、冷」
雷で発生させた刃で時間稼ぎをしようとした馨の目論見は外れ、完全に防ぎ切った状態の漠夜の白刃が彼の右肩を貫いた。
馨の表情が苦痛に歪み、傷口を押さえたままその場に倒れ込む。無数の刃による炸裂音が止むと同時に動きを止めた彼を見下ろしていた漠夜は、ゆっくりと携えた剣を彼の首筋に当てた。
「嘘くさい芝居はやめて立てよ」
少し肩を竦めて立ち上がる馨の様子に、冷は驚愕を隠せずに立ち尽くす。右肩を貫かれてなお平然としたその様子は、まるで痛覚が無いのかと錯覚させるほどだ。
「今のは結構痛かったよ。でも残念、時間だ」
傷を負っているにも関わらず腹を抱えて笑った馨は、そう言い終えると途端に笑うのをやめてその場に静止する。何を企んでいるのかと警戒した漠夜が玲と冷の前に立ち塞がった直後、耳をつんざくような高音と低音が混じった耳障りな音が鳴り響く。
鼓膜を破らんとするかの如く大音量で鳴り響くそれはピタリと一点で収束し、そして一匹の蝶を形作る。
「しまった!」
漠夜は二人の前に立ち塞がったまま、目の前の馨と蝶に刃を向ける。小さかった蝶はだんだんと質量をマシ、むせ返るほどの桜の香りが周囲に広がった瞬間に音の嵐が止む。
――桜舞千烈花。
それは末羽が得意とする転移術の前兆だった。
『お待たせ、漠夜』
漆黒に映える紅がその場に姿を現す。桜の花びらの洪水から姿を現した少女の人形は不気味な笑みを浮かべたまま馨の前に降り立つと、無機質な声音でゆっくりと言葉を紡いだ。
『さっき術が完成したんだ。第一号は君だよ、漠夜』
いびつな笑みを浮かべた末羽と馨が、一気に漠夜へと襲い掛かる。肩を負傷しているとは思えないほど鋭い突きが右から襲い、左からは腐敗の呪いがかけられた氷柱が飛ばされてくる。
雷槍を自らの剣でいなした漠夜は、馨の雷槍を弾き飛ばしながら一歩後ろに跳躍する。しかし彼はそれを見越していたかのように剣先を避けると、着地する漠夜の上半身を狙って槍をつき出す。
「もっと足掻けよ死にぞこない!」
磬が漠夜に切り掛かり、それを刀身で受け止めるものの、間髪入れずに術を放ってきた末羽に漠夜はまた下がるしかない。しかし下がったと同時に今度は刃を構えた玲が踏み込んで馨の雷槍を削ぎ落し、そのままの勢いで懐に入り込む。下段に構えた刃を馨めがけて振り抜くが、それは横から割り込んできた氷柱によってかき消されてしまう。
末羽の氷柱が玲を襲う。今度は冷の術が発動してそれを防ぐ。彼女の攻撃を避ける際にできた隙をついて玲の射程範囲内から出た馨は、近くで待ち構えていた漠夜と再び刃を交える。
息つく暇もない攻防に、冷の額を冷たい汗が伝う。馨の術を防いだかと思うと今度は末羽からの容赦ない攻撃が飛んできて、それらを防いでいる腕がずきずきと痛んだ。魔力を消費するたびに背中の紋章が熱を持ったようにどくどくと鼓動を放ち、それが更に冷を苦しめていた。
「うわっ」
背中の痛みに気を取られた隙をつかれて、視界を紅い蝶が埋め尽くす。末羽の腐敗の呪いだと気付いた瞬間には漠夜の炎舞によって焼け落ちていて、目まぐるしく変わっていく戦局について行くのがやっとだ。
氷と雷の嵐の中で、冷は懸命に漠夜と玲の影を追う。結界や治癒魔術を駆使して彼らのサポートに回りたいところだが、現状は自分の身を護る事が精一杯だ。飛び交う氷の隙間から、玲が負傷しているのが見える。冷の射程範囲内にいたため治癒魔術を展開して彼にかけると、玲は再び剣を構えて氷の中に消えていく。
「離れろ、冷!」
術の応酬を見ながら状況を窺っていると、不意に背後から漠夜の怒号にも似た声が響く。戸惑いながら振り向くと同時に背中を強い衝撃が襲い、冷の身体は地面へと思い切り叩きつけられる。
何が起こったのかと思いながら様子を窺うと、赤い何かを纏った大きな雷が頭上を駆け抜けていった。
視界に広がるのは白と赤。白かった筈の隊服を自らの血で真っ赤に染め上げた漠夜が、苦しそうに脇腹を押さえている姿だ。
「……え?」
馨の雷によってえぐり取られた脇腹はしとどに血を流し、見る見るうちに彼の隊服を真っ赤に染めていく。庇われたのだ。そう判断するには冷の思考は遅く、馨の高笑いがその場に響いた。
「そこまでの傷を負ったらさすがに治せないだろ? とっとと死ねよ!」
馨の雷槍が振り上げられる。肩を大きく上下させて呼吸する漠夜はもう力がほとんど残っていないのか、結界を発動させる素振りすら見せない。慌てて冷が魔鏡を構え、馨と漠夜の間に結界を張る。
びりびりとした衝撃が伝い、結界を破らんとする雷は勢いを失うことなく冷の術を脅かす。ここで根負けしてしまえば漠夜が死んでしまうと本能が理解しており、術の負荷に耐えられずに腕の血管が破れても術を発動させ続けた。
漠夜ならば、意識を取り戻しさえすれば自分で治癒を行う事が出来る。そう信じて力を込めていた冷だったが、次の瞬間。その張本人である漠夜によってその手は軽く振り払われた。
「少佐!?」
力ない漠夜の手により払われた魔鏡が足元に落ちる。後ろに目線をやった彼は、呆然とする冷を見ながらそこで初めて小さく微笑んだ。
「約束は……果たしたぞ」
出血により変色した腕は誰にも掴まれることなく、静かに地面へと垂れ下がる。そして鈍くなった思考を必死に働かせて何かを言おうとした冷の目の前で、漠夜は肩から腰に掛けて大きく切り裂かれた。
最後の言葉の意味も問えないまま、地面に倒れ伏す漠夜をただ愕然と見ているしかできない。先程よりも深く、そして大きくつけられた傷は、致死量を超えるほどの血を流していた。
「あ……」
見開いた冷の目に、赤く染まる白い制服とその血に塗れた磬の姿が写る。
「ああああああああああっ!」
冷が叫んでも、うるさいと怒る声はもう響かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます