6-2

 不思議に思いながら倒れている隊員の近くを通り過ぎ、更に上階へと到達する。

 壁のほとんどが崩壊してしまっているため風邪が強く吹き込んで来るここは、本来ならば輝の執務室があった階層だ。

「ほとんど壊れてる……」

「末羽の仕業じゃねえな、これは」

 焼け落ちた外壁の残骸を見て、漠夜が小さく呟く。

 彼の言う通り、この残骸を見るにおそらく輝の執務室を襲撃した人間は末羽ではないのだろう。冷が記憶している彼女は氷系統の魔術を得意としており、炎とは対極にある属性を有している。ならば誰がと思っていると、部屋の片隅に置かれた机の影から人が一人現れた。

「なんだ、仲間置いてきたんだ」

 金の髪を揺らしながら現れたのは、末羽の仲間である奏馨。机に腰かけた彼は悠然と足を組むと、こちらに向かってニコリと笑いかけてきた。

「末羽の頼みだからさ、まとめて殺しに来てやったのにお前らいないんだもん。拍子抜けだったぜ」

 足を揺らしながらそう嘲る。

「輝はどうした」

「さあ? 末羽が連れてったよ」

 面白くないと言わんばかりの表情でそっぽを向いた彼の仕草は、ひどく幼い。まるで遊びに興じる子供のようだと思うと背筋を嫌な汗が伝い、同時に嫌悪感が胸の奥底から湧き上がる。人の死に対してなんとも思っていないような化け物のようにも見えてしまって、冷は思わず口元を押さえた。

「それにしても随分小癪な置き土産だよね、あいつも。ほんと腹立つ」

 馨が言うには、輝は連れ去られる間際に基地にいた全員に対して治癒魔術の効果がついた結界を張って行ったのだという。その強度は極めて高く、彼ら三人の力でも破壊が困難だったらしい。彼は非常に面白くなさそうにしているが、冷の胸に広がったのは間違いなく安堵だった道中で見かけた隊員たちの様子を見るに、輝はまだ生きている。結界が発動していたのが何よりの証拠だ。

 おそらく彼らの目的は輝の誘拐なのだろう。理由まではわからないが、世界最高峰の頭脳を持ち白鷺一番隊の総責任者を務めている事を考えると、それだけでも理由としては十分すぎるほどだ。

「お喋りはここまで。さあ殺し合おうか、死にぞこないども」

 馨が机から飛び降り、三人の前に立ちはだかる。輝の執務室の残骸に立つ彼は、大空を背にして余裕たっぷりの笑みを浮かべた。

 馨が宙に手をかざすと、そこから激しい雷が迸る。空気を切り裂く鋭い音と共に飛んできたそれは地面を抉り、けたたましい音を立てて部屋の崩壊させていく。

「くっ……」

 雷の直線状にいた冷は咄嗟に結界を張って防いだが、その雷撃は鋭く、結界すらも打ち破って貫こうとする。びりびりとした衝撃が両手を走る。何とか防ぎ切った冷は思わずその場に膝をつき、余裕の笑みを浮かべている馨を見上げた。

 すると、左右から音もなく二対の刃がほぼ同時に彼めがけて振り下ろされる。玲と漠夜によって作られた炎の刃は首と胴をそれぞれ狙っていたようだが、馨は表情一つ変えずに後ろに飛んでそれを回避する。

 着地と同時に二本の雷槍が射出され二人を同時に狙うが、彼らは正確に雷槍の穂先に合わせて必要最小限の結界を張り、それを弾き飛ばす。漠夜の蹴りが飛ぶ。頭を下げてそれを避けた馨は小さな雷の球を作り出して漠夜に向けて放つ。すぐに体勢を整えた漠夜の剣がそれを切り落として、左右に散った雷が辛うじて残っていた本棚を一瞬にして燃やし尽くした。

「少佐! 玲さん!」

 冷も応戦の為に一歩踏み出そうとするが、彼らの動きが早すぎてろくな手出しができない。漠夜の術を吸収した時に身体能力の一部を受け継いだ玲の動きも鋭く、冷では目で追うのが精いっぱいだ。結界を張って彼らの援護をしようと試みるも、彼らはどちらも攻撃と防御の術を扱うことに長けている。下手に手を出して彼らの足を引っ張ってしまってはという思いが、例の中にぐるぐると渦巻いていた。

 非常に歯がゆい思いを抱えながら彼らの攻防を見守る。

 横に一閃薙ぎ払われた剣先を上体を逸らして回避した馨の足元を狙い、振り払った体の動きに遠心力をつけて玲の足が飛ぶ。その攻撃を見越していたのか、後ろに半回転しながら飛んで回避した馨を、今度は漠夜の炎舞が待ち受けている。

 着地点を中心に一気に燃え上がったそれを見て馨は一瞬だけ表情を変えたが、すぐに平静を取り戻したのか、その場に手をかざして雷撃で床もろとも炎舞を吹き飛ばす。

「ここじゃちょっと狭いね」

 炎と雷どちらも極めて広範囲に及ぶ術式を使う三人が、足元に気をつけながら対峙している。床は既にほとんどが崩壊しており、かろうじて残った残骸を足場に彼らは戦っている状態だ。

 馨の次の挙動が読めずに見守っていると、彼は足元に手をかざして巨大な雷を作り出した。

「下にいる連中も巻き添えにするつもりか!」

 その行動に目を疑う玲と冷が行動を起こすよりも早く、漠夜が剣を投げ飛ばして馨の腕を狙う。しかし一歩早く大きな雷を発生させた彼の術は地面に直撃し、けたたましい音を立てて地面を崩落させる。

「頭おかしいんじゃねえのかあいつ……!」

 耳をつんざくような雷の音と共に崩れ落ちた地面は、かろうじて残っていた階下を巻き添えにしていく。輝の結界に守られている隊員たちは大丈夫だろうが、果たして下に残してきた一葵や月華たちは無事なのだろうか。

「っ先輩!」

 彼らの無事を危惧していた冷は、体を襲う浮遊感に目を見開く。それは床が崩落しているからではなく、こちらに向かって声を張り上げている玲の術式だろう。落下する瓦礫を上手く足場にして術を交えながら落下していく漠夜と馨を横目に、冷は玲の浮遊術をかけられてゆっくりと降下する。

「すみません」

「良いっすよ、そんな気にしなくて」

 気丈に笑う彼だが顔色は悪く、息切れも強いようだ。魔力によって体を構成している彼にとっては、先ほどの戦闘でかなり消耗してしまったのだろう。

 立っているのもつらい筈だと思った冷は、そこである事を閃いて彼の手を取った。

「先輩?」

「僕の魔力を。きっと僕が持っているより、貴方の方が少佐の役に立たせてくれるから」

 握り締めた腕を伝って、冷の中に残っていた魔力を渡す。それに玲は戸惑ったような様子を見せていたが、それに構わず体内に残っていた魔力を彼の中に注ぎ込んだ。自分よりも玲の方が戦力的に大きい事は明らかで、それならば自分が持っているよりも彼に魔力を使ってほしいと冷は思ったのだ。

 冷の魔鏡を取り込んでいるため、輝や漠夜の魔力を貰うよりも圧倒的に体に馴染みやすい筈だ。

「みんなで、生きて帰るんです」

「先輩……」

 体に残る半分以上の魔力を玲に渡した冷は、血色の悪くなった顔で微笑んだ。今までほとんど何の役にも立てていなかったが、玲の為に魔力を温存していたと思えば少しだけ心が軽くなる。ほどなくして地上に降り立った二人は、先に到達して既に戦闘を再開している漠夜と馨を見て頷き合った。

「ありがとうございます、先輩」

 言葉と共に、玲は馨のいる場所へと向かって駆け出す。遠目に見た戦局では漠夜に玲が加わって、やや優勢になったという所だろう。足手まといになる事を恐れた冷はその場で二の足を踏み、そして背後に佇む瓦礫の山を見て顔色を変えた。

「お二人は……!」

 エントランスホールは執務室から少し離れた位置にあるため、この崩落に巻き込まれていることはないだろう。しかし、階下に残してきた彼らは。そう思うと冷の顔から血の気が引いて行き、慌ててそちらへ駆け寄った。

「一葵さん! 月華さん!」

 瓦礫をかき分けて、声の限り彼らの名前を呼ぶ。いくら信用して残してきたとはいえ、あれだけ大規模な崩落は想定の範囲外だ。

 必死に目を凝らして探していると、瓦礫の山の中に二か所だけ不自然な盛り上がりを見せている場所を見つけた。結界によって防がれたに違いないと思って駆け寄った冷は、手が擦り切れるのも構わずに瓦礫を掘り起こす。すると、ほどなくして球状の結界に包まれた月華と一葵の姿が見えてきて、冷は安堵の息をついた。

 見れば、彼らはどちらもかなりの深手を負っているようだ。結界を張る月華を護るように上から覆いかぶさっている一葵は体中の至る所から血を流しており、よく見ると左腕は奇妙な方向に捻じ曲げられている。

「しっかりしてください!」

 瓦礫をあらかた取り除き、再び彼らが埋まる心配がない事を確かめた冷は、懐から取り出した魔鏡に二人の姿を映す。残っていた魔力を振り絞って治癒魔術を発動させた冷は、まず一葵の傷を塞ぎ始める。骨折していたであろう左腕や、深い裂傷が走る背中を中心に治癒を行う。

 そうとう深い怪我だったのだろう。塞がるのに少々時間を要したが、なんとか裂傷を塞ぎ終えたところで一葵は目を覚ました。

「葉邑一等兵?」

「良かった……」

 目を瞬かせてこちらを見上げる彼は、上手く状況が呑み込めていないのだろう。当たりを見渡して少しばかり考え込んだかと思うと、すぐに理解して表情をさっと変えた。

「すまない、月華のこと頼めるかな」

「はい!」

 月華の張った結界の内側から這い出した一葵は、抱え込んでいた彼の身体を冷へと手渡す。一葵に抱え込まれていたためわからなかったが、月華もそうとうな深手を負っているようだ。擦り切れだらけでボロボロになった体を見下ろしながら、冷はそっと眉を顰める。

「少佐は?」

「今あちらで馨さんと戦っています。状況は……芳しくないかと」

「なら、月華の治癒が終わったら葉邑一等兵も少佐に合流してほしい。ここは俺たちで何とかするから」

 力なく笑った一葵は再び銃を構え、もう一つの山に目を剥ける。そこから出てきたのは、傷だらけになった魁と煤だ。彼らも突然の崩落に困惑していたのだろう。結界の内側から出てきた二人は、場の状況を把握するために目線をあちこちに走らせている。

 ちょうど死角になる位置で良かったと安堵した冷は、一葵に目線を戻して真意を問うた。

「一葵さん……」

「少佐のことが心配なんだろ? 俺らは大丈夫」

 どちらを選ぶべきなのか、一瞬判断に迷う。負傷の具合を見れば互角に戦っていたのが明白だった一葵達に合流した方が勝率は上がるだろう。しかし、漠夜が相手をしているのは下に仲間がいるにも関わらず平気で基地を崩壊させる非常識な男だ。何をしでかすかわからない以上、あちらに戦力を分配する必要があるのではないかと心の隅で誰かが囁く。

 判断に迷っていると、不意に己の服が引っ張られている事に気が付いた。

「月華さん?」

「俺らの獲物を取るなよ……葉邑冷さんよ」

 意識を取り戻した月華が、体を起こしながら気丈に笑う。血色の戻った彼は息も絶え絶えな状態になりながらも太々しく笑い、はやく漠夜の元へ行けと冷の判断を後押しする。

「すみません、ありがとうございます」

 傷が癒えて動けるようになった月華と一葵は、瓦礫の向こうで佇む魁と煤をまっすぐに見据えて立ち上がった。すぐさまこちらに気が付いた彼らが攻撃を仕掛けてくる瞬間に冷はその場から走り出し、ひときわ瓦礫の少ない場所で戦っている漠夜の方へと戻る。

 炎と雷が交差し、眩い光を放つ中心部では今も苛烈な術の応酬が繰り広げられているようだ。馨の雷槍が炸裂音を立てて天を切り裂き、その合間をくぐって漠夜の剣が薙ぎ払われる。瓦礫が極端に少なかったのは、おそらく炎と雷によって塵となってしまったからなのだろう。冷は立ち上る砂埃の中で懸命に彼らの姿を目で追いかけ、術を展開させる隙を伺った。

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