第五章 悲劇の系譜


 輝に監視役が付けられることになってからの一週間は、漠夜を含む特攻隊員たちはそれぞれ様々な対応に追われる事となった。

 宿泊先の手配に加え、任務の際の指揮系統の整理、そして使用施設の説明など、やるべきことは多岐に渡る。中でも住居の問題については、当初は白鷺一番隊の寮に宿泊することになっていたのだが、そこで一つ重要な問題が起きた。部屋が足りなかったのである。その傾向は以前から見られており、各居室を二人部屋にするなどして何とか乗り切っていた。もともと魔術師が生まれること自体が希少だったためそれで問題なかったのだが、ここにきて急に複数名一気に受け入れたせいで許容量を越えてしまったのだ。

 かくして、一軒家を構えるパートナーがいるという理由で葉邑冷・御園月華を含む三名が退寮することになったのであった。

「信じられるかよ……」

「いやあ、まさか寮じゃなくて自分の家を持っている人がいるなんて思いませんでしたね!」

「そこじゃなくてですね」

 月華と冷と共に、部屋が足りないという理由で寮を出る羽目になった玲は、荷物を片手に持ちながら頭を抱えていた。玲の場合はパートナーを持たない隊員であったため、身元引受人である輝の家に入るようにと本人から直々に命令が下されたのだ。高みの見物を決め込んでいた彼も急に退寮を求められたため、三人は一日で荷物をまとめるという無謀なことに挑戦した結果がこれである。

 冷は呑気にこれからの生活を楽しみにしているが、両脇の二人は頭を抱えて項垂れていた。

「くそ……これから任務だってのに余計な手間を取らせるなっての」

 玲はまだ待機中だからよかったが、月華に至っては任務に出る直前のところを捕まえられてのお達しである。パートナーである一葵だけでなく、手が空いていた特攻隊員総出で段ボールへと詰め込まれた荷物は、はっきり言って見るも無残な状況になっていた。

 すぐに任務に向かわなければならない彼は、ひとしきり文句を吐き捨てると、段ボールを片手に一葵の住居へと向かって去って行く。その背を見送った冷は、そういえば自分もこれから用事がある事を思い出して手を叩いた。

「あ、大佐に呼ばれていたんだ」

「冷さんも? 俺も呼ばれてたんすよね」

 任務があるから、片付けが終わったらすぐに執務室に来るようにと言付かっていた冷は、同じように呼ばれているという玲の言葉に目を瞬かせる。白鷺一番隊の中でも例外中の例外として単独で任務にあたる彼と同時に呼ばれる事は今までになく、まさか初めての共同任務かとソワソワと浮足立った。

「同じ任務かもしれませんね。早く行きましょう!」

「ちょ、あんたは荷物を置いてこないと!」

 玲の手を引きながら急かす彼は、どうやら自分の荷物の存在を忘れていたようだ。指摘されてようやく思い出したのか、冷は目を見開くと慌てて荷物を抱え直して走り出した。



「お察しの通り、今回はあなた方三名に任務にあたって頂きます」

 荷物を置いて輝の執務室へと集合した二人は、先に到着していた漠夜の隣に立って輝の言葉を静かに待つ。

 任務の内容は、龍の討伐。中央大陸の辺境にある小さな村の付近で存在が確認されたその龍は極めて獰猛で、近隣の村や街を襲い出す可能性が極めて高いという。

 今はまだ近くを通った行商人などを襲う程度で済んでいるが、村などを襲うようになったら被害は格段に膨れ上がるだろう。

「日比谷玲三等兵は、色々とごたついてしまって研修を受けていないですからね、今回は漠夜に同行して学習していただきます」

 それぞれに冊子が手渡され、任務の説明を受ける。輝の言葉を聞きながらページを捲っていた冷だったが、その中のとある項目を見て表情を強張らせたその様子に気が付いた玲が彼の手元を横目で覗き込むと、冷の目線は近隣の村のリストで縫い止められている。

(何かあるのか……?)

 該当するページを見てみても、そこに書かれている村にはこれといって特筆するべきものは何一つない。何があるのか問いかけようと思った玲が目線を上げると、冷を挟んで反対側に立つ漠夜が無言でこちらをじっと見ていた。

 彼は何も言わずに小さく首を横に振る。それはおそらく『何も言うな』という合図だろう。何か深い事情があると察した玲は、口から出かかった言葉を呑み込んで前を向き直った。

 その一方で、冷の内心は荒れ果てていた。輝の言葉が全く耳に入らなくなるほど強烈な存在感を放つ一つの村名は、彼の目線を引き付けて離さない。

(神……代、村……)

 一言ずつ噛み締めるようにその言葉を口の中で呟き、彼は無意識のうちに髪を握り締めていた指先から力を抜いた。

(大丈夫……そこに入らなければなんともない)

 そう自分に言い聞かせながら顔を上げた冷は、執務室を出る漠夜に続いて足を動かした。

 輝の説明によると、今回はまず龍のねぐらの近くまでトランスポートで移動し、そこから近隣の村に宿をとって滞在しながらの任務になるらしい。なんでも、可能であれば龍が突然暴走した原因も突き止めてほしいという彼からの希望があったため、少しばかり長期戦になるだろうというわけである。

 近くに複数ある中で一番大きな街へ宿泊する事を決めた漠夜たちは、トランスポートの帰結点から慎重に森の中を歩き回っていた。

「この辺りはだいぶ道が悪いな」

「そうっすね……高低差が激しいし木も多いし」

 地図を片手に周囲を見回した玲は、鬱蒼と茂った木々の多さに辟易としてため息をつく。地図で見ればそうたいしたことない距離だったが、運悪く人の手が入っていない場所に出てしまったらしく、宿泊予定の街までつくのに手間取ってしまっていた。もう少し暗くなれば明かりがつき始めて目印になるだろうと思うが、そこまで暗くなってから山道を歩くのはあまり得策とは言えない。できるだけ早く街までたどり着きたい様子の漠夜は、はるか遠くの前方を見据えながら前に進んでいた。

「おい、こっちで会ってるのか?」

「はい、まちがいねえです」

 太陽の位置を確認しながら地図と地形を見比べて歩く玲は、慣れない山道でだいぶ息が上がってしまっている。そんな二人の背中を見ながら、冷は鬱々としてしまう気持ちと戦いながら進んでいた。

 気がそぞろであるのは漠夜や玲からも一目瞭然で、普段から一人でよく喋る彼が静かなだけで三人の間には先ほどから奇妙な間が生まれている。それに一番居心地の悪い思いをしているのは玲だった。彼は漠夜のように一人で任務に赴くのに慣れているわけでもなければ、冷の気持ちを汲んで黙っていてやれるほどの余裕があるわけでもない。なんとか間を取り持とうとしているようだが、結局のところは単調に道に関して話すだけとなってしまっている。

「……あ」

 そうして無言のまま進んでいると、不意に冷が小さく声を上げたのに気が付いて二人は足を止めた。

「どうした?」

「この坂を下って行けば街まですぐの筈です」

 そう言って冷が指を指したのは、背の低い木が群生している場所だ。見通しが悪かったため迂回していこうと思っていた二人だったが、本当に街まですぐだというのならこんな獣道をいつまでも歩いて行かなくても済むだろう。

「この辺に詳しいのか?」

「あっ……いえ、その、少しだけ……」

 漠夜の問いかけに妙に歯切れの悪い返事をした冷は、そのまま視線を落としてしまう。要領を得ない反応にイラついたのか、漠夜の口から長いため息が漏れる。それに大げさなほど肩を竦ませた冷は視線を彷徨わせており、心なしか顔色も徐々に悪くなっているように見えた。

「すみません、出過ぎた真似を……」

「デタラメ言ってたら承知しねえぞ」

 ますます肩を落とす冷を見て、漠夜は無言で木々の間に入っていく。ひとまず彼の言葉を信用して進んでみるつもりらしい。彼が進んでいった方向と冷の間で何度か視線を行き来させた玲も、漠夜の後に続いて坂を降り始める。

 一歩進むごとに、冷の表情はどんどん曇っていく。それに誰も何も言わないまま無言で進んでいると徐々に道が開けてきて、十分ほど歩いたところでようやく街並みが見え始めた。

「ああー……良かった! もう野宿かと思ったっす」

 日が落ち始めてぽつぽつと街灯がつき始めた街を見ながら、玲が大仰な仕草で胸を撫で下ろす。白鷺一番隊の本部がある街と比べると規模は小さく、おそらく人口はかなり少ないだろう。わずかに寂れた雰囲気も見て取れるそこに辿りついた三人は、道行く人々からの視線を感じながら正門をくぐった。

「お前ら、身支度を済ませて三十分後に広間に集合しろ、明日の段取りについて詰める」

 宿の確保を済ませた漠夜は、すっかり意気消沈した様子の冷と、その隣で居心地悪そうに立つ玲に向けて鍵を放り投げる。彼は二人が鍵を受け取ったのを確認するとさっさと自分の部屋へと入って行ってしまい、遺されたのは奇妙な沈黙に包まれた二人だけだ。

 玲はちらりと隣に立つ冷の様子を窺う。彼は無言で手の中の鍵を見下ろしていて、その場から動く気配を見せない。果たしてこの状態の彼を残してこの場を差っていいものかと悩んだ玲だったが、三十分という時間を定められてしまったのだから行動しないわけにはいかないだろう。かけるべき言葉もわからないままその場を立ち去ろうとすると、冷もはっと意識を取り戻してのろのろとした動作で自らにあてがわれた部屋へと入って行った。

(き、気まずい……)

 玲の記憶にあるのは、素っ気ない漠夜とそれにめげずに底抜けに明るい冷だけだ。ここまで重たい空気の二人に同行する羽目になるとは思わず深いため息をついた玲は、これからの事を想像して胃が痛くなる思いになりながら部屋の扉を開いた。




 三十分後、それぞれ土埃などを落として再び集合した三人は、ロビーにある大きなソファに腰を降ろして向かい合っていた。漠夜の正面に隣り合って座った冷と玲は、それぞれが複雑そうな表情をしながら漠夜の話に相槌を打っている状況だ。

「明日は一度龍の住処まで偵察に行く。大人しいようだったら手出しはするな」

 ソファとソファの間に置かれたテーブルに地図を広げた漠夜は、宿へとたどり着く前に手に入れた細かい情報をそれぞれ書き入れていく。龍の出没周期は不定期な事、町の近くまで現れては一通り暴れまわってから去って行く事。実際に間近で見たものの中には、苦しそうにのたうち回っているように見えたと証言する者もいたという事。

 何も有益な情報は手に入らなかったと言っても過言ではなく、漠夜によって書かれていく情報の断片を見ながら玲は頭を抱える一方だ。冷は相変わらず暗い顔をしており、漠夜から何度か探るような視線を向けられているが、一言も喋る様子が無いのが玲の頭痛を促進させている。

 何か話題が無いかと思ってロビーを見回した玲は、ふと受付近くにある不思議な物が目に留まった。

「あれなんですかね?」

「なんだ」

 玲が指さした方向に漠夜も視線を上げ、冷ものろのろとした動作で首を動かす。玲が指した先にあったのは、人のようなものを象った小さな像だ。高さはおよそ三十センチほどの木造のそれは、ぽっかりとあいた虚ろな双眸で受け付け横に鎮座している。

 埃がまったくかぶっていないのを見ると、相当丁寧に手入れされているのだろう。ゆらゆらと揺れる小さな灯篭の明かりが、像の顔を不気味に照らしている。

「ああ、これは【忌童子】の像です」

「……忌童子?」

 玲が指しているのが目に入ったのだろう、受付に立っていた女性がにこやかに答えた耳慣れない言葉に、漠夜の眉がピクリと動く。

「この街をでて少し行った先の村に本尊様がいらっしゃるのだけど、これはこの土地の安全と発展を祈願している像なの」

 この周辺の村や街では進行している者が多い。そう付け加えられた言葉に、玲と漠夜は無言で目を見合わせる。この周辺で信仰されている者という事は、何らかの霊的な力が働いている可能性が非常に高い。もしも、それが龍の暴走に関係しているとしたら――二人はそう考えて頷き合った。

「詳しい話を聞かせてくれるか?」

「ええ、構いませんよ」

 そう言って地図を片手に立ち上がる漠夜について腰を上げた玲は、全く動こうとしない冷を不審に思って目をそちらに向ける。すると、そこには今にも倒れてしまいそうなほど顔を真っ青にして体を硬直させる冷がいて、玲は思わず目を見張った。大きく見開かれた目は、まるでこの世の終わりとでも言いたそうな色をしている。

 彼の様子の異常さが増してきたことにようやく気が付いた玲が声をかけようとしたところで、冷ははじかれたように立ち上がってこちらには目を向けずに口を開いた。

「あの、今ちょっと調子が悪くて、すみません、お先に休ませていただきます」

 それは、何かに追い立てられるような声だった。玲に口を挟ませず一方的にそう捲し立てると、彼は一分一秒でも惜しいといった様子でロビーを立ち去って行く。呼び止める間もなく姿を消した冷にいよいよ不審が募っていると、情報を聞き終えた漠夜が玲の元へと戻ってきた。

「あっ先輩、いま冷先輩が――」

「いい。聞こえてた」

「どうしたんですかね……」

 冷の不審な様子を継げても、漠夜は何も言わずにただ彼が去って行った方向をじっと見つめている。追いかけたりしないのかと思った玲だったが、彼らには彼らにしかわからない事情があるのだろうと思い言及は控えた。しかし気になるものは気になるもので、ソファに戻ってからも何度か彼の去って行った方向に目が行ってしまう。

 何があったのか聞くに聞けないまま、その夜の打ち合わせは終了し各自部屋に戻る頃になっても、冷が姿を現すことはなかった。

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