第四章 緊急招集
「吸血鬼事件の報告書、確かに受理しました」
数枚の書類に目を通していた輝は、最後の一枚を捲り終えたところで深く息を吐いて静かに机の上へとそれを置いた。漠夜の隣でそれを見ていた冷は、てっきり末羽を取り逃がした件について言及されると思っていた分、なんだか肩透かしにあったような気分だ。
あの事件は表向きは『吸血鬼の出没』のみが発生したことが公表され、任務にあたった漠夜と冷は無傷、新兵だった日比谷玲三等兵が軽傷を負ったことになっている。現在は手当も済まされており、一葵と月華について特攻隊の仕事について勉強中だ。
「それで、呼び出した理由は?」
漠夜たちが現在いるのは、輝の執務室である。報告書の提出は二人で一緒に行う事と強く厳命されたため並んで顔を出しているが、本来は二人揃って提出に赴く必要性はまるでない。それをわざわざ『二人で』と強調していたのだから、何か意図があるのだろうと漠夜は踏んでいるようだ。
「実は、各隊の責任者と、特攻隊長とそのパートナーに本部への招集命令がかかりました」
輝の細く長い指先が、神経質そうに机を叩く。こつこつと鳴らされるそれはよほど気重である事を表しているのか、一定のリズムを力強く刻んでいる。
「俺たちに本部への招集命令?」
「はい、任務が終了しだいすぐに……とのことです」
隣に立つ漠夜の眉間にも深く皺が刻まれ、行きたくないと言わんばかりの表情を形作る。本部へと招集されるのは初めてである冷には、一体何をそんなに嫌がるのか皆目見当もつかず、二人の顔を見比べておろおろとするしかできない。
「トランスポートの準備は既に整っています。葉邑一等兵、これから行くのは古狸の巣窟です。しっかり気を引き締めてください」
書類を引き出しへとしまった輝は、心底嫌そうに腰を上げる。冷と目が合うと、不安に思っていることに気が付いたのか茶化すような事を言っていたが、古狸の巣窟と言われても不安を増長させるだけである。
輝を先頭にしてトランスポートの管理室に向かう途中、冷は彼らが何故嫌がっていたのかについてぼんやりと考えていた。それで原因として思い至ったのが、一年前に引き起こった如月未羽中佐の事故死についてである。
森から帰還した冷が聞かされた事件の全容から察するに、輝と漠夜は軍の上層から苦い汁を飲まされている。世間体を気にして事件を隠蔽したばかりか、漠夜を降格にまで追い込んだ連中がいるのが、これから行く帝国魔天軍の本部だ。そう思うと、古狸の巣窟と皮肉を言った輝の心境が少しわかったような気がした。
「帝国魔天軍の本部に在籍しているのは、主に左官以上の将校たちです。現場には赴かず、任務の割り当てや各隊の統括管理を中心に行っています」
「実質は、上流階級に生まれた魔術師たちの姥捨て山みたいなもんだがな」
トランスポートの起動を待つ間にこっそり耳打ちして教えてくれた輝の隣で、頭の後ろに両手を回した漠夜が欠伸をしながら付け加える。
世間的に見れば魔術師というのは得体の知れない連中らしく、基本的にまともな職には就けないとされている。そんな魔術師が貴族や王族に生まれてしまった時の対処として、帝国魔天軍の将校の座が開けられているのだと漠夜は語る。
厄介払いの為に与えられた階級は、実際の実力から鑑みれば到底あり得ないような付け方がされているのが多いのが現状らしい。
「そんな……」
「そういう言い方をする人間もいるというだけの話ですよ」
愕然とする冷に輝は苦笑して見せるが、その瞳が全く笑っていない事から、すぐにそれが建前なのだと気が付いた。
一部の上流階級が見栄と自己保身で固めた、帝国魔天軍本部という名の虚飾の城。今から行くところはそういう場所なのだと。
輝たち三人が招集されたのは、地上三十階はあろうかという高い摩天楼だ。前面は一部ガラス張りになっており、おそらく上階からはかなりの眺望が見られるだろう。
トランスポートの帰結点から降りてエントランスホールをくぐり、廊下をまっすぐ行った先のエレベーターホールへと向かう。今回は二十階層にある第七会議室で会議が行われるらしく、音も立てずに動き出したエレベーターに乗りこんだ。
「でもいったい何の用事なんでしょうね」
「さあな。上の考えてることはいつもわからん」
「良い話ではない事だけは確かですね」
徐々に遠ざかっていく地上を窓から眺めて、冷が小さく呟く。壁に背を預けていた漠夜は相変わらず素知らぬ顔をして気のない返事をしているが、やはり内容については見当がついていない様子だ。
嫌な予感だけが募る静寂を、無機質な電子音が遮る。エレベーターを降りると、そこには白鷺一番隊よりもはるかに豪奢な装飾の施された回廊が広がっており、床にはカーペットまで敷かれているのが目に入った。上流階級の人間が体裁を保つために作ったというだけあって、やはりというかなんというか、装飾過多な内装であるという印象を受ける。
会議室の目の前まで来ると、既に集まり始めていた他の隊員たちの姿がちらほらと見受けられ、それぞれデザインの違う隊服を身に纏った男女の集まりはなかなか圧巻だった。
(緊張してきた……)
広くつくられた会議室の中心には巨大な円卓が置かれており、輝はそのうちの一つ、鷺のレリーフが刻まれた席へと腰を降ろす。漠夜と冷はその一歩後ろに立ち、全員が所定の位置につくのを待つ。
その間にちらりと見た上座には年若い青年が悠然と構えており、漠夜たちと同じように後ろには小さな少年を控えさせているのが見える。白い隊服に身を包んだ青年は快晴の空のような美しい青色の髪を後ろで束ね、卓の上で指を組みながら壁にかかっている時計を確認した。
「定刻になりましたので会議を始めます。本日の進行は私、雪原雅也が務めさせていただきます」
雪原雅也と名乗った青年の眼が、円卓に座った隊員たちを一巡する。
輝の隣から黒柳二番隊・蒼竜三番隊・紫烏四番隊・紅葵五番隊と時計回りに並んだ各隊の総責任者たちは、神妙な面持ちで雅也の方をじっと見つめていた。
「先日、各隊よりほぼ同時期に、とある重要人物たちが失踪したと報告が上がりました」
そう言って雅也が背後のモニターに映し出したのは、大きな世界地図。中央大陸を囲むように東西南北に別れた大小さまざまな四つの大陸が示されたそこは、白鷺一番隊以外の部隊が配置されている大陸だ。
「まず最初に、黒柳二番隊担当の西大陸」
モニターが切り替わり、金色の髪をした少女の写真が映し出される。肩まで伸びた髪をゆるく巻いており、写真からはおっとりとした印象を受ける少女だ。
「
言い終わると同時に彼女の写真が隅に寄せられ、次は違う大陸の色が変わる。紫烏四番隊が担当している北大陸だ。
「
映し出されたのは、黒い癖毛を肩まで伸ばした大人しそうな少年だ。特筆すべきは、左右で異なる瞳の色だ。右は茶色い瞳だが、右はまるで血液で染めたような真っ赤な瞳をしている。
雅也の言葉に従って次々と画面が切り替わり、次に写されたのは紅葵五番隊が担当している東大陸。
夕焼けを思わせる鮮やかな橙色をした髪をサイドで縛り、意志の強そうな青色の瞳をした気の強そうな少女。
「
画面の一部に並べられた三枚の写真を見て、冷は嫌な予感がざわざわと背筋を這い上がってくるのを感じた。ほぼ同時期に姿を消したという、猟奇殺人の手配人たち。年齢層もほぼ同じで、一体何が起こっているのかと身震いした冷の視界に次に移されたのは、目を疑うような写真だった。
「最後に、
「あっ……!」
最後に色が変わったのは、青竜三番隊が担当している南大陸。そして映し出されたのは吸血鬼の事件の際に嫌というほど目にした少年だった。
前髪の中央を赤く染め、赤と青で特徴的な色合いを持つヘテロクロミアの少年。末羽に傾倒していると言っても過言ではない程肩入れしていた重要参考人だ。
「以上四名が中央大陸へ渡ったという目撃証言も入っています。計画性や発生時期から考えて、何らかの目的をもって集った可能性が非常に高いと思われます。各隊の特攻隊長およびそのパートナーには中央大陸に滞在し、速やかに本件を処理していただきます」
驚きを隠せない冷に一瞥を向けた雅也だったが、会議は滞りなく進行されていく。
同時期に姿を消した重要参考人の目的を掴み、可及的速やかに身柄を拘束する事。それが各隊の責任者たちを呼び寄せた理由のようだ。
「発言よろしいですか」
奏馨の画像が出された事で、それまで感じていた異様さが一気に形を成した気分になって顔色を青くしていた冷は、目の前に上がった手を見て我に返った。それは、先ほどまで静かに話を聞いていた輝の腕だ。
「どうぞ」
雅也に発言を許された輝は後ろに控えていた漠夜に一瞥を向けると、それに頷いた彼が手に持っていたバインダーから小さな紙片を持って円卓を周りだす。各隊の隊長の前に置かれたそれは写真のようで、そこに移されていた画を見た冷は嫌な予感が的中したような気がして息を呑んだ。
「写真の人物は人形の見た目をしていますが、一年前から猟奇殺人を繰り返している中央大陸史上最悪の殺人鬼です」
各人に配られたのは、末羽が映し出された一枚の写真。記憶複写式投影魔術で漠夜の記憶から写し取ったものなのか、温度のない人形の顔がいびつな笑みを浮かべているのがはっきりと写し出されている。
「本名は【如月 末羽】――今はもう鬼籍に入っていますが、私の実妹に当たります」
その言葉を皮切りに、会議室中の視線がこちらへ向けられるのを感じる。信じられない事実に驚いているのは冷も同じで、はっとして見下ろした彼の表情はこちらからではよく見えない。
「なるほど……それで?」
「先日、この人物と奏馨が共謀したと思われる事件が発生しています。時期から察するに、他の三名もこの少女の元に集ったという可能性も高いかと」
輝の発言を受けて、雅也は何かを考え込むように目を伏せる。
南大陸から姿を消したという奏馨は、末羽と行動を共にしている事を冷はその目で確かに確認している。失踪した時期と手口から照らし合わせて考えてみても輝の発言には一理あるように感じられ、その可能性を示唆された雅也も同じように考えているのだろう。
単独でも凶悪な事件を引き起こす殺人犯が一堂に会して何が起こり得るのか、それはきっと想像を絶するような悲劇に違いないだろう。
「話は分かりました。ですが、我々にはそれを信用できるだけの根拠がありません」
「えっ……?」
「如月末羽が実の妹ならば、貴方も共謀している可能性がありますね。如月輝大佐」
雅也の発言を受けて目を見開いた冷は、今までその可能性に至っていなかった事にようやく気付く。万が一にも輝が末羽と共謀していたとしたら、今回の発言はかく乱と取られる可能性が十分にあったはずなのだ。にもかかわらず何もフォローを入れずに聞いていた冷は、周囲からの視線がただの驚愕ではなく猜疑心も混ざっている事に気が付いて動揺する。
「大佐はそんな事しません!」
「信用に足る根拠を。我々はそれを求めています」
思わず声を大にして否定するが、雅也は全く歯牙にもかけない様子だ。実の兄妹という覆しようのない事実が、冷の否定をひどく薄っぺらい物に変えている。
「そんな、言えば不利になるとわかっている情報を、わざわざ言う意味がありません!」
「調べればすぐわかる事です。後で疑いをかけられないよう、わざと発言した可能性もありえる」
何を言っても取りつく島が無く、冷は内心で歯噛みする。末羽と輝が共謀していないという明確な根拠を冷は持ち合わせておらず、それが証言を薄くしているのだ。困った表情で漠夜を見た冷は、彼が無言でモニターの操作盤に近付いているのが見えた。
「根拠を述べる前に、まずこれを見てもらいたい」
輝が疑われている状態でも、漠夜は至って冷静だった。同様の一つも見せずにモニターを操作して映し出したのは、先日の吸血鬼事件の報告書だ。漠夜の達筆な字で書かれたそこには、表ざたにされなかった内容までしっかりと記入されている。
「先日のこの事件では、容疑者である如月末羽同様、死人の存在が確認されています。彼女は何らかの方法で死者を甦らせており、それが吸血鬼として事件を引き起こしていました」
それから、漠夜は続けて事件の詳細を説明した。吸血鬼は魔術を使うことはできなかった事、姿かたちはまるきり同じである事。そして――
「今回の事件で蘇生されていたのは、元白鷺一番隊の特攻隊員・如月未羽中佐……彼女も如月輝の実妹に当たります。彼女に生前の記憶が残っていた形跡は見られませんでした」
その言葉を聞いて、冷は思わず瞳を逸らしそうになる。この報告をするのが一番つらいのは彼自身だというのに、それでも冷静な表情を崩さずに話をつづける姿がなおさら痛ましく感じてしまう。
「もし仮に如月大佐が関与していたというのなら、まずこんなお粗末な仕上がりにはならない」
はっきりと断言した漠夜の言葉に、疑念は微塵も感じられない。先ほどまでの己と違い、確固たる根拠を持ってそう言っているのだという事は一目でわかるほどだ。
如月輝という男は、元々は国立中央技術研究所から直々に室長としてスカウトが来るほどにずば抜けた頭脳と技術力を持っている男だ。玲の一件もあったように、彼が携わる研究は極めて先進的で強力、かつ高い完成度を誇っている。その彼が関わっているのなら、魔術師である如月未羽をよみがえらせる際に、魔術を使用できなくなるばかりか記憶の欠落が見られるなんて結果にはならない筈なのだ。
輝に対して全幅の信頼を持っているかのような漠夜の主張に、冷は思わず閉口して彼をじっと見つめる。輝への嫌疑がかけられているこの状況において、まったく揺らがずにそれを口にできる人間はそういないだろう。
漠夜と雅也が見つめ合い、両者の間に沈黙が横たわる。漠夜は彼が口を開くのを待っているように、喋らず静かに彼を見据えたまま動かない。先に根負けしたのは、雅也の方だった。
「……如月大佐は部下から随分と信用されているようだ」
背後に控えていた少年に資料を手渡しながら、雅也が表情を緩める。それは先ほどまで輝に向けていた鋭い視線ではなく、穏やかで優しいものだ。
「疑いが完全に晴れたわけではありませんが、今は判断を下せるだけの材料が揃っていない。ここはいったん引くことにしよう」
再び机の上で指を組み、雅也が困ったように笑う。身の潔白が証明されたわけではないが、このまま輝の身柄が拘束されるような事態にならなかっただけで充分である。
ほっと胸を撫で下ろした冷は、その様子もつぶさに観察し続けていた少年の様子にも気が付かずに小さくため息をついた。
「ただし、完全に自由にさせるわけにはいかない。蒼竜三番隊」
「はい」
「そちらの特攻隊長とパートナーを如月輝大佐の監視係として配置させていただく」
「了解しました」
蒼竜三番隊の総責任者である青年が立ち上がり、背後に控えていた青年二人と共に一礼する。それを見届けた雅也は満足そうに一つ頷き、モニターの電源を落とさせながら会議の終了を宣言した。
「それでは、各自気を引き締めて取り掛かるように」
少年を伴った雅也が去って行くのを見届けた各隊の隊員たちは、徐々に席を立って部屋を後にする。表だって口にする事は無いようだが、すれ違いざまにこちらに向けてくる視線はあまり居心地のいいものではない。雅也はああ言っていたが、彼らからの疑いはまだ根強く残っている事は明白だ。
そんな中でも素知らぬ顔をして立ち上がった輝は、入り口には向かわずに冷の方向を振り向いて朗らかに笑った。
「庇ってくださりありがとうございました、葉邑一等兵」
「あっ、いえ……そんな。お役に立てませんでしたが」
「私の事を信じてくださった気持ちだけで十分嬉しかったですよ」
まさかお礼を言われると思わず戸惑っていると、資料の片づけを終わらせた漠夜が顔を上げる。輝いわく、漠夜がああいう風に未羽の話を持ち出してくるのは想定内だったが、出会ってまだ少ししか経っていない冷が自身を庇おうと発言するとは思っていなかったらしい。
それが嬉しかったのだと言われて面映い気持ちになりながら、漠夜から今回の資料を受け取る。吸血鬼事件の資料を持ってきたのはこの為だったのかと感心しつつ、二人は輝の後ろについて会議室を出た。
会議室の重工な扉を閉めると、無人になった事を感知して自動的に部屋がロックされる。施錠を確認した三人が前を向くと、廊下の端に人影がいる事に気が付いた。
先ほど監視係にと指名されていた、蒼竜三番隊の隊員たちのようだ。
「お久しぶりです如月大佐」
「お久しぶりです、渚大佐。この度はご迷惑をおかけしてすみません」
渚と呼ばれたのは、年齢的には輝よりもやや年上そうに見える穏やかな男性だ。黒髪を短く切りそろえた彼は少し困ったように眉を下げてから後ろにいた隊員を指して口を開いた。
「こちらは特攻隊長の一影 清弥。そしてパートナーの朝桐 彰悟です」
「一影です、よろしくお願いします」
一影清弥と呼ばれた青年は、短く切りそろえた黒髪を揺らしながら一礼して手を差し出す。その手を取って軽く挨拶を交わした輝は、その後ろで軽く会釈をする眼鏡の青年に向けて小さく一礼した。清弥よりもわずかに背の低い彼が朝桐彰悟なのだろう。青い隊服に身を包んだ彼は、どこか憮然とした表情のまま輝を見上げている。
まだ疑いが色濃く残る表情をしている彰悟は、輝と握手を交わす時も少し嫌そうにしていたのが印象的だ。
「滞在場所はすぐに確保しましょう。これからよろしくお願いします」
輝は気にした素振りを全く見せないが、先ほど彼を庇ったおかげでこちらにまで疑いの目が向けられている冷は居心地の悪さを隠しきれない。若干引き攣った笑顔を彼に向ければ、あからさまに目線を逸らされた。
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