3-8

 氷柱の嵐が止んだ隙をついて蛟の真下へともぐりこんだ漠夜は、それらの頭を足台にして頭上へと一気に駆け上がる。こちらに噛み付こうとする頭に剣を突き刺し、痛みにのたうつ胴体を走って別のミズチへと飛び移る。そうして末羽の近くまで迫った漠夜は、彼女の立つ蛟へと至るあと一歩が見つからずに一瞬だけ二の足を踏む。漠夜の超人的な跳躍力をもってしても届かない底に、果たしてどうやって到達しようかと思案した漠夜の耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。

「あの式神は俺が」

 冷の声帯を持つ玲が、漠夜の身体を持ち上げて末羽の待つ場所へと一気に押し上げる。彼は元々物体を浮遊させる特殊能力を身に着けていたため、それを応用して自らが自在に空を飛びまわる術を身に着けたのだろう。

 両手で思い切り上へと漠夜の身体を持ち上げた玲は、そのままミズチたちの群れへと飛び込んでいった。

「ははっ、お前たちが俺に敵うわけねーじゃん!」

 輝の知識と漠夜の魔術、そして冷の術を吸収した玲はそう笑うと、両掌の上に小さな光の玉を出現させた。

 彼は理論上から言えば皇と陵の両方の術を使え、漠夜に次ぐ史上二人目のオールラウンダーである。炎舞・雛菊の理論を応用して体内で合成して放った玲の術は、灼熱の光線となってミズチたちを襲う。貫通力の高いそれはミズチの固い外鱗を突き破り、空気中の僅かな水分を利用して屈折して次々と焼き殺していく。

 足元で繰り広げられる光の洪水に照らされながらそれを見ていた末羽は、最後の一匹が朽ちて地面へと落下していくのを見ながら小さく笑いを零した。

『やっぱり、あの人は頭の出来が違うね』

「……へえ、あれに輝の手が入ってると気付いてやがったか」

『気付くさ……当然だろう?』

 


 漠夜と末羽が対峙している遥か下――地上では、一葵と月華が馨と静かに向き合っていた。

「あーあ、せっかく月折漠夜と戦えると思ったのに、こんな雑魚が相手なんて……ツイてないな」

「なんだと……っ」

 至極残念そうにため息交じりに言われたその言葉に月華は思わず身を乗り出すが、それを制したのは複雑そうな表情を浮かべる一葵だった。

「どうして君みたいな子供が……」

 一葵の口から出たのは、純粋な疑問だった。彼から見れば馨はまだ十分子供の域に入る年齢に見えて、それがなぜ末羽のような人間に加担しているのか見当もつかなかったのだろう。末羽のしている事は単なる殺戮である。それに賛同して、その優秀すぎる能力を彼女の為に使っている理由がわからなかったのである。

 しかし馨はその問いかけには答えず、ただ静かに笑みを浮かべただけだった。

「無駄なお喋りする時間あんの? こっちにはまだ人質がいるんだけど」

 背後の薄暗闇から彼が引きずり出したのは、捕縛結界に体を拘束された冷だ。彼は一葵に向けて何かを言い募っているが、やはりその声は彼に届くことはない。

「さあ、実力で取り返してみなよ」

 ざあ、と音を立てて彼の周囲の空気が振動する。風が一葵の周囲を駆け抜けていき、後には深い亀裂が刻まれていく。

「悪い、月華」

「いいって。それより、雑魚呼ばわりしたこと後悔させてやれよ!」

 馨の一撃に対して間一髪で発動された月華の結界に守られた一葵は、すぐ後ろに控えている彼を見下ろす。媒体である水晶の破片を構えていた彼は気丈に笑って一葵の背を叩くと、馨へと視線を戻した。

「後ろ任せた」

 媒体である鉛を込めた拳銃を片手に、一葵は馨との距離を詰める。その間も休まず繰り広げられる鋭い鎌鼬は月華の術によりはじかれるが、時折その隙間をかいくぐって一葵の身体を襲う。まともに当たっては骨ごと持っていかれそうな鋭い風の隙間を掻い潜って弾丸を撃ち、少年を狙って術を発動させる。魔力が籠められた弾丸は、先ほど漠夜に群がっていた影法師を撃ち抜いたように、直接あてる事でも十分力を発揮する。しかしこの暴風の中ではそれも難しく、できる事と言えばさらに強い風を発生させて彼へと鎌鼬を返す事だけだ。

(強い……!)

 おそらく実力で言えば、馨は一葵を軽く上回るだろう。一葵の術を防いでなおまだ余裕のある彼は、まるで遊んでいるかのように風を巻き起こしては笑っている。

「さあどうした! 白鷺一番隊!」

 大きく薙ぎ払った馨の手から、ひときわ大きな風の刃が打ち出された。それは周囲の地面を抉り、深い亀裂を作りながら一直線に一葵へと向かって吹いている。

 おそらく月華の結界を貫通してしまうと直感で判断した一葵は、その場で迎え打つために弾丸へと魔力を貯め始めた。時間にして僅か数秒。その間に相殺できるほどの術を発動させなければ後ろにいる月華もろとも死んでしまう事は、残酷なまでに明白だ。

 馨の表情が勝ち誇った笑みに変わる。場の空気が変わったのは、まさにその一瞬だった。

「後ろ隙だらけー」

 けたたましい破裂音と共に空気の刃が消失し、発生した強烈な爆風に一葵の身体が吹き飛ばされる。なんとか受け身を撮って体制を持ち直した彼の視界に映ったのは、馨の後ろから折れたミズチの牙を突き付けている玲の姿だった。

「葉邑一等兵、返してもらうよ」

 玲はミズチを殲滅してから一葵たちの近くへと静かに接近し、攻防の様子を静かに伺っていたのだろう。勝ちを確信した馨の意識が完全に一葵の方へと向いた隙をついて背後に回った玲は、ミズチの残した残骸を馨の術に当てて爆破させた。そうすることで冷の力に加えて末羽の能力が上乗せされて、先ほどのような強烈な爆発が巻き起こったのだ。

「くそ……っ」

 馨が一歩飛び退り、玲から距離を取って舌打ちを零す。じりじりと距離を測っている彼からは戦意は感じられないが、隙があれば冷を奪い返そうと思案している気配が伝わってくる。彼らの目的は掴めないが、少なくともここで一葵達を皆殺しにする意図はないように玲には感じられた。

「あーあ、まだ冷静なの残ってたんだ」

 馨は両手を上げて降参のポーズをとると、大仰な仕草で嘆息を漏らす。冷を奪還され追い詰められた状況でも彼は焦りの一つも見せず、至って冷静な態度を崩していない。まるで、こうなることを予期していたかのような佇まいだ。

「終幕にしよう。あんたは見事な道化だった」

 片手に抱えた冷の身体を一葵たちの方へと放り投げ、空いている方の手で炎を巻き上げる。爆散する炎の海から抜け出た冷は見事に一葵の傍へと落下し、危機一髪で爆発に巻き込まれることなく無傷で奪還された。

「はやく! はやく少佐を……!」

 月華の手により言葉を封じていた術が解かれて最初に冷の口から出てきたのは、漠夜を案ずる言葉だった。その内容に冷の形をした偽物ではないと確信した一葵と月華は安堵し、即座に捕縛結界の解除に取り掛かる。

 対魔術師用の捕縛結界は通常の物よりも術式が複雑に構築されており、解除は難航を極めているようだ。一刻も早く漠夜の元へ駆けつけたいと思う冷の気持ちとは裏腹に、解除に時間がかかっている事が彼の心を焦らせる。

 頭上では、今も漠夜が末羽と戦っている。そしてすぐ近くでは、玲が馨と戦っている。その状況下で自分だけが何もできていない焦燥感に駆られていた冷は、取り乱しながら半ば叫ぶように漠夜の名前を呼んだ。

「少佐はここで死んじゃいけない!」

 冷は、漠夜が相討ちになってでも末羽を止める覚悟を決めている事を薄々感じ取っていた。もちろん、月華と一葵に自分を連れて帰還しろと言った事も含めて、だ。漠夜のどこか生き急いでいるかのような姿を見ていればすぐにわかるその事に、パートナーを務めていた冷が気付かないわけがないのだ。

 冷の叫びに、月華の指が躊躇するかのように一瞬だけ止まる。結界が解除されたら即座に漠夜の元に走ると思って、おそらく判断に迷ったのだろう。しかし、冷は懇願するように彼を見上げると、静かに口を開いた。

「――行かせてください」

 ほどなくして結界が解除される頃には、体が動くようになったと同時に冷は走り出していた。

 焼き尽くされたミズチの残骸を飛び越え、末羽と漠夜が立っていると思わしき式神の下まで接近する。見上げると、そこでは激しい閃光や水飛沫が絶えず飛び交っており、激しい戦闘の最中である事が見て取れた。ここからでは届かないとわかっていても、思わず手を伸ばしそうになる体をぐっと抑えて、あの場に到達する方法を考える。あの時の漠夜はミズチを足場にして駆け上がっていたが、今はもう一匹残らず焼き尽くされた後だ。

「先輩!」

 何か手立てはないかと考えていると、遠くから呼びかけが聞こえて、冷はそちらを振り返る。すると、全身に軽い手傷を負った玲がこちらに何かを投げるのが目に入って、反射的にそれを受け取った。

「これは……」

「本当は、それを届ける役目もあったんだ。あの人はあんたじゃないと連れ帰ってこられないから、頼む!」

 そういって崩れ落ちた玲から渡されたのは、四角い小さな鏡だ。よくよく注視してみればそれからはうっすらとした魔力が感じられて、この正体に思い至った冷は思わず身震いする。

 己の為に用意された新たな魔鏡だと、冷はすぐに気が付いた。

「ありがとうございます!」

 魔鏡を渡され術を使用できる状態へと戻った彼は、上空へと至るための道筋も見えた気がした。

 足元に術式を展開し、出現させた結界を足場にして一気に駆け上がる、術の展開と同時に走っているため体力の消耗が激しいが、今はそんなことを言っていられる状態ではない。必死に足を動かして漠夜たちと同じ高度に達した時には、まだ苛烈な戦いが繰り広げられている一方だった。

 札を使用した長剣を駆使して戦う漠夜に応戦する末羽は、同じように剣の形をした呪具を使用している。漠夜が炎属性だとすれば、末羽が得意としているのは水属性で、愛称の差を考えれば彼女に分があるのは一目瞭然である。

「少佐っ!」

 足元の結界を伸ばして、咄嗟に彼女と漠夜の間に障壁を作り出す。炎と水のぶつかり合いがいったん止んだことで静まり返っているうちに駆け寄ると、漠夜は方で息をしながら冷を睨みつけているのが目に入った。

「……っ、何しにきやがった」

 息も絶え絶えな漠夜が問う。ここで死ぬ覚悟を決めていた彼からしてみれば当然だっただろうその一言が、冷にとってはとてもつらい一言だった。

「少佐、今のうちに下へ! 一葵さん達と一緒に戦いましょう!」

 まるで痛ましいものでも見るような表情で詰め寄る冷に、漠夜は静かに首を振る。

「俺は責任を取らなきゃならないんだ」

 緩やかに冷を拒絶する漠夜の言葉を聞いて頭に血が上った冷は、思わず彼の頬を殴っていた。

「僕には、生きろって、言ってくれたじゃないですか!」

 喉が張り裂けるような大きな声で、冷が叫ぶ。その双眸には涙が溜まっていて、湧き上がる激情に耐えるように眉間には深く皺が寄せられている。漠夜が何も言わないのをいいことに、冷は彼に縋りつくようにして服を掴みながら更に言葉を続けた。

「それなのに自分だけ死のうとするなんて卑怯です……っ」

 漠夜は一見冷酷そうに見えて、その内面はひどく優しい人間である事は肌で感じていた。言葉遣いこそ荒々しいが、細かい所では冷の事を機にかけている様子も見受けられており、人間性は悪いが根は悪くない、少なくとも冷はそう思っている。だからこそ末羽に付け込まれるのだということも、冷は気が付いているのだ。

「そんなに責任がとりたいなら、僕を生かした責任も取ってください!」

 言葉と同時に、耐えていた涙が一筋落ちる。男が人前で泣くなんて、と一瞬思ったが、それでも涙は留まることなく流れ落ちていく。

 冷は目の前の男を死なせないよう必死だった。必死で言い募る冷を漠夜は静かに見つめていたが、少ししてからゆっくりと口を開く。しかし彼が何かを言う前に、それまで傍観していた末羽が先に言葉を発した。

『今回は忌童子について知りたかっただけだから、いいよ……見逃してあげる』

 漠夜と冷をあざ笑うかのようにクスクスと噛み殺した笑みを漏らし、彼女は持っていた剣を霧散させる。それらは蝶となって末羽の身体を包んでいき、次第に大きな蝶を形作って姿を現した。

『吐き気がするほどお人よしなの、誰かさんそっくりだね』

 大きな蝶の胴体にゆるりと腰を降ろした末羽が、こちらを見下ろして小さく手を振る。すると、途端に漠夜と冷が足場にしていたミズチまでもが霧散して着せ去ってしまい、二人は地面に向けて真っ逆さまに転落していった。

「うわぁ!」

「くそっ、また逃げる気か!」

 どこからともなく急に姿を現した馨と共に夜空に消えていく彼女を見ながら、漠夜が怒号を響かせる。追いかけられる程の場力がもう残っていないのか、漠夜は結界を足場にして上空へと向かう気配は見せない。

 彼が死なずに済んだことに安堵した冷だったが、今まさに危機に瀕している事を思い出して顔から血の気が引いた。

 魔術は精神の力とはよく言ったもので、先ほどと逆の容量で結界を張ってゆっくりと地面に降りて行けばいいとわかっているのだが、それが中々うまくいかない。このままでは二人とも地面に叩きつけられると思って思わず漠夜を見れば、彼は予想に反して冷静に冷を見つめていた。

「大丈夫だ」

 そう言って、彼は緩やかに頷く。その一言だけで妙な安心感が冷の中に湧き上がり、無意識のうちに彼は微笑みを浮かべてしまっていた。彼が大丈夫というのなら、きっと大丈夫なのだろう。

 その絶大な信頼に気が付かないまま、重力に身を任せて落下していると、不意に体が浮遊感に包まれて急激に落下速度が低下する。そのまま安全に地面へと降り立った冷は、いったい誰の術科と目を見張ったが、視界に入った三人を見て察しがついて表情を明るくさせた。

「玲さん!」

「まったく、人使いが荒いっすね」

 傷ついた体を二人に支えられながら浮遊の術を発動させていた彼は、二人が事なきを得たのを見て苦笑を浮かべている。

 おそらく、落下当初は術の効果範囲に届いていなかったのだろう。ある程度まで落下したら玲の力によって浮遊できると知っていた漠夜は、だからこそあの状況でも冷静でいられたのだ。

 そう考えた冷は、漠夜がいかに他人の事を信じているのかを実感して小さく感嘆の息を漏らす。遥か下の地上にいる玲ならばなんとかできると判断し、冷に『大丈夫』と言えるのは漠夜が彼の事を心の底から信じているからに他ならない。言動通りの冷たい人間ならばそんな事を言わずに、自分で何とかしてしまうだろう。

「少佐……ありがとうございます」

「何だよ、人に変な責任押し付けやがったくせに」

 おそらく漠夜の理想は、気高く美しい。それを改めて実感した冷は、いずれ彼のような人間になりたいと思って小さくお礼を口にした。

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