第五章 チャリティ・イベント 〈対・呉麗生〉

 一九三一年五月十六日土曜日は雨もよいで肌寒く、あいにくの天気となった。にもかかわらずチャリティ・イベント会場前にはちょっとした行列ができている。

会場のパブリック・ガーデンは長いこと外国人しか出入りが許されなかった。「犬と中国人入るべからず」の標識が一八六八年の開園以来ずっと掲げられていた。中国人の入園が解禁になったのは、ほんの三年前。それでも入園料をとるこの公園は、中流以下の中国人には敷居が高いままだった。

その公園に今日は特別、無料で入園できるという。しかも、だれでも無料で粥をもらえるという。すこしぐらい天気が悪くても門前に列ができるわけである。

入口でインド人の係が、入場整理券と粥の配給券を同時に配っている。ただし実はだれでももらえるというのではなかった。条件があった。「来園者は清潔な衣服着用のこと。上半身裸、半ズボン、草履不可」と、表の立て札にある。すこしでも条件にはずれていると――たとえば服に目立つ汚れがあったりすると、券をもらえるどころか入園拒否される。

どうりで列に乞食や苦力がいないわけだった。チャリティとはいいながら、このイベントでは最貧困層に手をさしのべる気はないらしい。券をもらっているのは貧しくとも最貧困層ではない小ぎれいな人たちばかりだった。

それでもかのパブリック・ガーデンに、苦力ほどではないにしてもある程度貧しい中国人たちを無料でいれる気になったのだから、イギリス人の意識もだいぶ変化したといえた。

 パブリック・ガーデンは大英帝国総領事館のまむかいにある。バンド通りをはさんではいるが、英国領事館の前庭のようなものである。蘇州河と黄浦江の合流地点の河原をうめたててつくったものだから眺めも風通しもすこぶるいい。

 会場内には河の風がそよぎ、万国旗がひるがえり、風船が舞っていた。みかけはじゅうぶんチャリティ・イベントらしい。晴れていたらきっと、芝生や樹木の緑色が河との対照でひきたって、いっそうのどかな雰囲気をもりたてていたことだろう。

 メリーゴーラウンドのようなかたちをした音楽堂のまわりには数百人近い人だかりができていた。

音楽堂にはイベント主催者が立ち、開会のあいさつをおこなっている。

主催者――パブリック・ガーデンを一日借り切った太っ腹の男の名はウィリアム・ハルトン、五十六歳。上海で金と権力をほしいままにするイギリス人のひとりである。

サッスーン洋行上海支社に勤務後、三十八歳で独立、ハルトン洋行を起業。土地の投機、買占めで財をなし、煙草会社経営など事業を拡大、現在は共同租界工部局理事、フランス租界公薫局(行政局)理事も兼務。IAA副会長でもある。

 ハルトンはたくさんの来場者を前にして上機嫌だった。音楽堂といっても大きさはあずまやぐらいで、ふき放しだから髪は風に乱れ、声は汽笛にさえぎられがちなのだが、かまわず、もう十五分以上もしゃべりつづけている。

しかし、まともにきいている人間は皆無にひとしい。来賓用天幕の前列にいるフランス人の銀行家はいかにもまじめぶった顔をしているが唇の脇の肉をあげさげして顔の運動をするのに夢中だし、その隣の隣の香港人の企業家は菩薩のようにおだやかな微笑をたたえているかにみえて目をとじて寝ているし、ふたりにはさまれたスイス人の銀行家はわきに小壜のブランデーを隠しており、十秒ごとにそっと口にはこんでいる。

 来賓でさえそうなのだ。立ってきいている一般中国人にいたっては、露骨につまらなそうな顔をみせている。話がつまらないだけならまだしも、ハルトンの演説は英語だから内容がまったく理解できない。ただこのへんにいたら粥が配られるときいたから立っているまでだ。なんといっても目当ては無料粥である。

 音楽堂付近には天幕がいくつかあった。そのうちのひとつから、いい匂いがただよっている。粥はどうやら音楽堂のすぐ北にある天幕で配られるらしい。いまからならびたいが、配布開始の合図があるまでは、ならべないことになっている。いつ合図があるか、すぐそばで待機するに越したことはない。音楽堂前は絶好の待機場所である。

ほとんどが北の天幕にちらちら視線をやるなか、ひとり南の天幕に注意をはらっている中国人がいた。李龍平である。表向きはイベントの取材できたが、もとより真の目的はべつにあった。麗生が今日ここで千冬にどのような打撃を与えるか、それに蒼刀会がどう関わるか、麗生は蒼刀会員か、といったことを、たしかめることである。

来賓用天幕は音楽堂の南にある。なかは椅子がならび、通路が二つあり、三つのブロックにわかれている。中央と右のブロックには各界の代表というべき人物たちが座っていた。左のブロックにはミス摩登コンテストのファイナリストたちがいた。前列にトップ3が座っている。

麗生はロレーヌと丁香のあいだにいた。龍華寺で会ったときとはちがい、さすがにめかしこんでいる。髪には白い大きな牡丹を挿し、真っ赤な旗袍をまとっている。表情もこの前がウソのように明るい。これからひとりのファイナリストをどん底につきおとそうと企図している人間には到底みえなかった。

 一方、小山内千冬は、麗生のちょうどうしろにいた。トップ3から転落しただけに、さすがに以前ほどには自信にみちた感じではないが、髪や服はあいかわらずしっかりときめ、顔には覇気があらわれている。チャリティ・スピーチを挽回のチャンスにしようとはりきっているのかもしれない。「麗生を中傷する電話をしたのは自分」だと「自分で自分の罪を告白」しにきたようにはとてもみえない。ましてファイナリストでいられなくなる計画を目の前の麗生にたてられていようとは夢にも思っていないようすだ。ふと龍平は来賓用天幕にかけだして、「今日ここで千冬にどんな罠をしかけるつもりだ」と麗生に問いただしたくなった。ちょうど開会のあいさつが終わったところでもあった。

だがそのとき音楽堂の司会の男がいった。

「ただいまより粥を配布いたします。整理券をおもちの方は、音楽堂にむかって左の天幕におならびください」

 ウォーッという地鳴りのような声があたりにひびきわたった。粥を待っていた人びとの歓声とも咆哮ともつかぬ声の合唱だった。みなアナウンスと同時に左の天幕めざして獣のようにかけだしている。

我先にとおしあう人の波に龍平もまきこまれた。手をとられ足をとられ、左の天幕のほうへ体ごとおし流されていった。それにあえて逆らわなかったのは、トップ3もそっちに行ったかもしれないと思ったからだ。龍平がちょっと目を離したすきに、ほとんどのファイナリストは来賓用天幕から姿を消していた。粥を配るのは四位以下のファイナリストである。しかしトップ3も応援でそっちに行ったかもしれなかった。左の天幕の内部のようすは、人の頭にさえぎられて全然みえない。龍平は人の流れをうまく利用し、なんとか接近していった。ようやくなかのようすがみえるところまできた。

 ファイナリストたちがおおわらわで粥を配っている。ミラベルとナンシー、王結と馬秋秋、風果と三間広子――二人一組で、一人が杓子で粥をすくい、一人が手渡す役をしている。トップ3の姿はなかった。千冬もいない。

龍平は愕然としてあたりをみまわした。すると、うねる人波のむこう――黄浦江沿いの歩道の一点に目がとまった。

 のんびりと撮影会をひらいている一団がある。歩道までは人がおしよせていないためか、粥騒ぎなどどこ吹く風といった感じだ。被写体となっているのは三人。男一人と美女ふたり。美女ふたりは男をあいだにはさんでポーズをきめている。龍平はその三人がだれだかわかって目をみひらいた。男は巧月生で、美女ふたりはトップ3のロレーヌと麗生だ。麗生と巧月生――蒼刀会のボスがいっしょにいる。龍平はひきよせられるようにそのほうへと近づいていった。

カメラマンは魔術師アレーだった。トレードマークの民族衣装ではなく背広姿だから、すぐには気づかなかった。巧月生にたのまれたのか、カメラが趣味なのか、プロ気どりではりきって撮影に徹している。被写体三人によく声をかけ、笑わせている。

 そのうしろで、ひきつった笑顔をうかべている男の存在に龍平は気づいた。劉虎である。アレーのうしろででくのぼうのようにつっ立っている。ひとりだけ撮影現場から、ういていた。二か月前だったら考えられない。劉虎は蒼刀会のナンバー2としてつねににらみをきかせていた。劉虎の許可なしには、どんなお気に入りも巧に近づけなかった。劉虎は絶対に無視されない存在だった。それがいまやこのザマだ。アレーの存在を苦々しく思っているのは、まちがいない。瞬間、ある考えが龍平の頭にひらめいた。

――劉虎のアレーにたいする敵愾心を利用すれば、蒼刀会がこれからしようとしていることをききだせるかもしれない。

そうだ、うまくやれば麗生にきくよりもよっぽど正確な情報をひきだせる。どう攻めるかを考えるべく、龍平はしばし観察に徹した。

 劉虎は作り笑いをうかべはしているが目は笑っていない。時折鋭い目になる。その目はよくみるとアレーのみならず巧にもむいていた。

 なるほどな、と龍平は心中にうなずいた。

 劉虎には野心がある。いつかは自分がボスにと考えているふしが前からあった。巧の片腕としてがんばってきたのも、そのためだったろう。なのに巧は魔術師アレーという、どこの馬の骨ともわからぬよそ者をとりたて、劉虎を遠ざけるようになった。劉虎が巧を不審に思うのもむりはない。裏切られたという思いだろう。

その思いを利用しない手はない――。

 龍平はひと思案ののち、この手でいけば劉虎から情報をききだせるだろうと勝算をもって歩きだした。撮影風景を眺めている劉虎の横にならんだ。いきなり話しかけた。

「いい写真ができそうですね」

 劉虎は一歩ひき、なんだおまえは、という目で龍平をみた。龍平は平然と微笑をうかべて、

「撮影会ですか」

 と、いった。劉虎は前にむき直り、きこえないふりをした。龍平はわざとアレーをほめて反応をうかがうことにした。

「アレーさんは本物のカメラマンみたいですね。みなさんをあんなに自然に笑わせて」

 劉虎の鼻の横の皮膚がねじまがった。アレーへの軽蔑があらわれた、と思った龍平は、もっと刺激してやろうと思い、

「多才ですよねえ、さすが魔術師といいますか」

「ふん」

 劉虎は鼻で笑った。龍平はもう一押しとばかりにいった。

「巧会長もお目が高いですよね、一か月前までは無名だったアレーさんをいちはやくとりたてられた。やはり才能というものは、わかる人にはわかるものなんですねえ」

 劉虎は眉をしかめ、口をまげた。感情を隠すのはあまり得意ではないようだ。それどころか感情家らしい。我慢できなくなったようにいった。

「才能か」

 吐き捨てるような語調だった。

「たしかにあの男は天才だろう。人の心を自在にあやつることにかけては」

 露骨な皮肉をいった。アレーへの嫉妬をさらにあおるべく龍平はいった。

「人を楽しませる才能はすばらしいですね。会長もアレーさんといるとご機嫌じゃないですか」

 すると劉虎は悔しげとも哀しげともとれる口調でいった。

「会長は、変わってしまわれた・・・・・・まったく魔術にかかっておられる」

 龍平はここぞとばかりに、

「というとやはり、あれは――ほんとうですか?」

 思わせぶりな質問をなげた。実はこれがエサだった。

「あれとは?」

 劉虎が鋭い目をむけてきたので、

「ちょっとここでは・・・・・・」

 と龍平はことさら巧たちのほうをみていった。劉虎は興味をひかれた目をした。龍平はいかにも意味深長そうな顔をし、小声でささやいた。

「すこし移動できますか?」

「いったいなんだ」劉虎はさすがに警戒したようすでいった。

「あんた新聞記者だろう」

 いまさらのように龍平に不審な目をむけてきたので、

「これは申しおくれまして、私上海時報記者李龍平と申します。それとも李花齢の息子といったほうがおわかりいただけるでしょうか」

 と自己紹介して名刺をさしだした。劉虎は一瞥しただけで、

「名前は知ってる」

 といって名刺をうけとりもせず、そっぽをむいた。龍平は焦った。

「『あれ』といいますのはですね――」しかたなくその場でいった。

「母の邸宅に関することでして、二日前に突然巧会長の手にわたった件で」

 劉虎はたちまちいやな顔をして、

「その話なら、お門違いだ」

 といって歩きだした。龍平はあわてていった。

「僕がききたいのは邸の所有権についてじゃありません。あの邸に隠されている重要書類についてです。ほかの人の手にわたってはまずいと思いましたので――」

 劉虎の足がとまった。「隠されている重要書類」がきいたらしい。ふりかえって、

「なんの書類だ?」と、きいてきた。

「リラダン事件とアレーさんの関連についての書類です」

 龍平はそう劉虎の耳にふきこんだ。

「なに?」

 劉虎の目がきらっと光った。

「アレーとリラダン事件の関連?」

 興奮をおさえようとしているが隠しきれていない。初耳という顔である。

劉虎がリラダン事件の真相を細部にわたって知っていた場合、龍平の話はウソだとみぬかれるおそれがあったが、どうやら心配しなくてもよさそうだ。龍平はわざと間をおいてから、いかにもほんとうのことのように話した。

「李花齢邸にある書類にはリラダン事件の原因となった問題が記されていました。僕はその書類を母の死後に発見したんです」

 もとよりデマカセである。劉虎の気をひくために事前に考えた作り話だった。

「事件後、僕は息子として事件の真相を知ろうとしました。警察は早々に捜査をうちきりましたしね。なにか手がかりになるものはないか、リラダンの焼け残った建物をはじめ、李花齢邸におもむき、ひまさえあれば探しました。それでついこの間、その書類をやっとみつけたんです」

「リラダン事件の原因となった問題が書かれてある書類をか?」

 劉虎が興奮した声できいた。

「ええ。それで僕は初めて知って驚きましたよ――アレーさんは去年から上海に潜伏してたんですね」

「なに?」

 劉虎はさっき以上の驚きをあらわした。むりもない、アレーが上海にきたのは今年の4月――つまりリラダン事件以降とされていた。それ以前にアレーを上海でみた者はないはずだった。

「書類にはアレーさんの以前からの活動もくわしく書かれてあったんです」

 龍平はもっともらしくいった。

「どんなことが、書かれてある?」

 劉虎は目をぎらつかせた。アレーを失脚させるのに龍平の情報を利用しようとしているのが手にとるようにわかった。しかし龍平としてはそれだけでは不足だった。劉虎にはボスの巧月生をも裏切る気になってもらう必要があった。だからいった。

「アレーさんは巧会長とリラダン事件前に極秘裏に接触していた、とあります。母はふたりの仲介者になっていました」

「なんだと」劉虎はうめきのような声をもらした。

「ふたりは、前から会っていた・・・・・・?」

 龍平の言葉を疑うようすはない。ここ最近のボスへの不審が裏づけされたように思い、ショックをうけているようだった。自分の知らないところで巧とアレーが密会していた――裏切られた、と思っているにまちがいない。劉虎はのんびり撮影に興じるボスに険悪な視線を走らせ、龍平にきいた。

「なぜ、ふたりはそんな前から会っていた?」

「ある目的のためです。母をふくめた三人には、共通の目的がありました」

「どんな目的だ?」

 劉虎は獣のような目をしてきいた。龍平は劉虎の耳に口をよせた。巧を完全に裏切る気にさせるための爆弾的な言葉をその鼓膜に送りこんだ。

「ある利権をえるという目的です。その目的のために三人は日本軍と手を結んでいました。――いまはそれしかいえません」

「・・・・・・」

 劉虎の瞳孔がひろがった。なにかいおうとしたが、声がでないようだった。

「僕も最初は信じられませんでした。母がそんなことに関わっていたとは。でも事実です。母と巧会長とアレーさんは手を結んでいました。しかし母がミスをして話がパアとなり、リラダン事件がおきた」

「・・・・・・」

「僕は書類を読んだ当座、すぐにも公表したい気持ちにかられました。でもやっぱり記者です――公表する前に裏をとり、真相をつきとめたい、という気になりましてね。それで書類はいったんもとの場所に戻したんです。するとそれから三日もしないうち、なんの連絡もなしに母の邸が巧会長のものになりましたでしょう。書類めあてとしか――、どこで僕の発見を嗅ぎつけたかわかりませんが――」

「しかし信じられんことだ」劉虎はいった。

「会長がなんらかの利権のためにリラダン事件前に日本軍と提携していたとは。しかも当時からアレーと手を結び、李花齢もそれにからんでいたと? とうてい信じられない」

 口では否定したが、目には巧月生への不審がありありとあらわれていた。

「ほんとうにご存知なかったんですか」

「私はなにもきいていない。李花齢邸の件も、私にはなんの相談もなかった」

「アレーさんは会長に相談されてたでしょうね」

 龍平が刺激すると、劉虎は荒い息を吐いていった。

「その書類は、どこに保管されている。李花齢邸のどこに」

 そらきた、と龍平は内心歓喜したが、態度にはださず、おちつきはらった声でいった。

「劉虎さんになら教えてもいいですが、条件があります」

 劉虎はさすがにのみこみが早く、

「なにを知りたい」

 と、みがまえつつきいてきた。龍平はすかさず、

「今日このイベントで蒼刀会は特別なことを企画していますね。その詳細を教えていただきたいのです」

「特別な企画?」

 劉虎は首をひねった。ここでとぼけられては龍平はたまらない。これまで手管を弄して劉虎の気をひいてきた意味がなくなる。ここが勘所と、龍平は賭けるような気持ちで、自分の憶測を信頼筋からきいてきたように話した。

「蒼刀会は今日小山内千冬さんに打撃を与えるよう、麗生さんに指令をだしてますよね。僕はそれ以上のことを知りたいんです。今日のいつ、この会場のどこで、どう具体的におこなわれるかを」

「蒼刀会が麗生に指令? 小山内千冬に打撃?」

 劉虎はばかのように目を丸くしていった。

「そんな話は知らない。だれがいった」

 ほんとうに驚いているようだ。だが龍平はここでひっこむわけにはいかない。麗生には悪いと思ったが、

「麗生さんにききました。嘘だとお疑いなら、本人にたしかめてください。なんならいま僕がきいてみましょう」

 と、撮影組のほうへ足をのばしかけた。

「待て」

 劉虎は狼狽してひきとめた。

「では計画の詳しい内容を教えていただけますか」

「教えるもなにも・・・・・・知らないんだ」

「それなら僕も文書の保管場所を教えるわけにはいきません」

 かたい顔をして去ろうとすると、劉虎はあわてて、

「あんた、まだしばらく会場にいるだろう? あとでまた連絡する。そのときにはなにか教えられるかもしれん」

 と、いった。龍平はうなずいた。

「お願いします。どうか早めに。必要な情報をきけましたら僕も必ず書類の保管場所をお話します」

 といって目礼し、ひとまずひきさがった。さっきから巧がちらちらこっちをみていたし、これ以上あやしまれるとよくないと思ったからだった。

 撮影はようやく終わった。

 麗生とロレーヌが立ち去るなり、ただらならぬ顔をして足早に歩みよってきた劉虎に巧は、

「どうした、李龍平に質問ぜめにでもされたか」

 と、冗談口調でいったが、劉虎はかたい顔をくずさずにいった。

「妙なことをいわれまして――」

 そのまま話しだそうとするのを、巧は目で「待て」というように制し、ベンチに移動した。自分は中央に座り、劉虎を右に座らせた。そこですぐ話をきいてくれるのかと思ったら巧はふりかえって目でアレーをよんだ。劉虎は不服をとなえたが、ききいれられなかった。左に座らせたアレーと巧は雑談をはじめた。自分に気をもたせるため、わざとやってるようにしか劉虎には思えなかった。たまりかねて口を入れようとすると、巧がやっと劉虎に顔をふりむけていった。

「李龍平に妙なことをいわれたそうだが」

 のんびりとした語調であり表情だった。それにたいし劉虎は鼻息荒くいった。

「われわれが今日ここであることをたくらんでいるというんです」

「ほう」

 巧は顔色ひとつ変えなかった。具体的になにをいわれたかをきこうともしない。劉虎はじりじりして自分からいった。

「李龍平は、蒼刀会が今日ここで小山内千冬に打撃を与えようとしているというんです。麗生にそういう命令をだしていると、麗生からきいたといってました」

「ほう」巧は目を細めた。抑揚のない語調でいった。

「それで劉はなんとかえした」

「『知らない』といいました。私はほんとうになにも知らないので」

 劉虎の皮肉に気づいたか否か、巧はなにか考えこむような顔をしたがやがて、

「それでいい。われわれはそんな命令はだしてない」

 と、いった。だがいまやボスを疑っている劉虎はその言葉が信じられなかったので、カマをかけることにした。

「麗生はたしかに蒼刀会に命令をうけたと主張しているそうです。どういうことか、麗生に確認してみましょうか?」

「いや」巧は言下に拒否した。「その必要はない」

「しかし麗生がもし蒼刀会の命令と称して、公共の場で小山内千冬に悪さを働く気でいたら、ボスの名がけがれますが」

 劉虎はボスのためを思うふりをして、くいさがった。劉虎は巧が自分に計画を秘密にしているのではと疑っている。

「小山内千冬に打撃を与える、か。――麗生はあくまで蒼刀会の命令と主張しているのだな?」

 巧はきいた。

「はい」劉虎は肯定するよりほかになかった。

「それで麗生はその計画とやらを、ほんとに実行するといっているのか?」

 巧は細い目で劉虎の目をのぞきこむようにみた。劉虎は気おされ気味になり、とりいるような返答になった。

「そのようです。なので、いまのうちに麗生にしかるべき処置をとるべきかと・・・・・・」

「どう思う?」

 巧はアレーに意見を求めた。アレーは腕組みしていたが、

「いまの話がほんとならですよ――」

 劉虎をちらちらみながらニヤニヤしていった。

「麗生は、ニセの命令をうけた可能性がありますね」

「ニセの命令?」

 とんきょうな声をだしたのは巧ではなく劉虎だった。なにをいう、という目でアレーをにらんだ。アレーはすこしもひるまずいった。

「麗生に小山内千冬をしばかせたって蒼刀会にはなんの利益にもなりませんからね。でも得をする人間がいます。だれかっていうと日本軍でしょう」

「どうして日本軍が得を?」

 劉虎がきくと、

「ここですよ、ここ」

 アレーはばかにしたように自分の頭をたたいてみせていった。

「中国人が日本人に悪さをすれば、中国人をせめる口実ができるでしょう。おそらくはそれが日本軍――というより日本特務のねらいですよ。公の場で麗生に小山内千冬にひどいことさせて日本人への同情を集めようという」

「しかし麗生は蒼刀会に命令をうけたといっている」

 劉虎はつっぱねた。アレーはわかってないな、という目で劉虎をみて、

「僕が考えるに、日本特務が蒼刀会員をよそおって麗生に『命令』をだしたんでしょう。麗生はそれを本物の蒼刀会員の命令と信じた」

「しかし小山内千冬は日本特務の少将の姪です。いくら日本人への同情を集めるためとはいったって、大切な姪に打撃を与えようなんて計画しないでしょう」

「いやいや、あの小山内駿吉ならやりかねないですよ、顔はやさしいけど心は鬼なんですから。妻だろうが娘だろうが職務のためには犠牲にもする。まして姪ときちゃ」

 興にのった口調に劉虎は腹をたて、

「そういうことならいますぐ麗生の目をさましてやらなきゃなりませんね、ボス」

 巧にいった。

「あわてることはない」巧はいった。あいかわらず抑揚のない口調だった。

「麗生は泳がせておこう」

「賛成です」

 しめしあわせたようにアレーがうなずいた。髭をしごきしごきいった。

「日本特務が具体的になにを計画しているかを知るためには、しばらくほうっておくことです。こっちはなにも知らないふりをして監視する。それでもしヤバイことになりそうだったら、邪魔に入ればいいでしょう」

「そういうことだ」

 巧は顔を劉虎にむけていった。

「麗生をしばらく監視してくれるか」

「は、了解しました」

 劉虎は部下として反射的にそうこたえた。妙なことになった。こたえた手前、麗生を監視しないわけにはいかなくなった。あとに残ったアレーと巧がなにを話すか気になってしかたなかったが、劉虎はその場をはなれざるをえなくなった。

巧は劉虎の姿がみえなくなるなりアレーとしばらく言葉をかわしていたが、やがていった。

「いまの話・・・・・・利用できないか?」

 アレーはのみこみ顔でうなずき、いった。

「僕も同じことを考えていました。――できる、と思います。劉虎の話が真実で、僕の憶測があたってればの話ですが。巧会長の地位向上にじゅうぶん利用できるでしょう」

「どうやる」

「日本特務の計画を逆手にとるんです。被害者と加害者を逆転させます。中国人を被害者に、加害者を日本人にしたてあげます。それで蒼刀会側に同情を集めるわけです」

「加害者を小山内千冬に、麗生を被害者にする、か――しかし、それには事前に麗生に話を通じておかなくてはなるまい」

「いえ、その必要はありません。加害者を江田夕子にすればいいんです」

「なに。だが江田夕子はいま・・・・・・」

「ええ、白蘭に変身してここにきてます」

 アレーの言葉に巧はうなずいた。巧は白蘭の正体を知っていた。

「しかし途中でもとの姿に戻すのです、本人には気づかせずに」

 アレーはつづけた。

「本人には自分が白蘭のままだと思わせておくんです。そして麗生が千冬を攻撃しようとしたら、現場にのりこませ、麗生を攻撃させる。加害者は日本人の江田夕子、被害者は中国人の麗生になります」

「だがどう攻撃させる」

「そこです。どうせやるなら派手なのにこしたことはありません。日本人が中国人を殺したとなればインパクトは大きいでしょう」

 アレーはみなまでいわず許可を求めるように巧の目をみた。巧は意味をのみこんでいった。

「――うまく、できるか」

「まかせてください。こんなときのための白蘭です。僕にいい考えがあります」

 アレーはそういって内容を巧に耳うちをした。ききおえてしばらくすると巧は決意したようにいった。

「よし、それでいこう」

「リスクはありますが、それだけに成功すれば効果は大です。なにしろファイナリストのトップにして銀華デパートの人気中国人モデルを、同じファイナリストの日本人江田夕子が殺したとなれば――」

「イベントが終わるまでには江田夕子は殺人者に、麗生は死人になっている、か」

「そして巧会長は悲劇のヒーローに」

 ふたりは光る目をみあわせた。


 白蘭は巧月生に話しかけられたというのに会話の内容に全然身をいれられずにいた。

 さっきアレーにプレッシャーをかけられたせいだ。アレーは来賓用天幕に私をおきざりにしていたかと思ったら、さっき急に戻ってきて、こんなことをいった――「巧会長に白蘭を売りこむなら、いましかないよ」。

 そのあとすぐ巧月生がきた。私の隣に座って話しかけてきた。それからずっと動悸がとまらない。巧月生に自分の対応をチェックされてると思うと緊張する。巧月生はさっきからひとりで船の歴史についてしゃべっている。私はあいつぢをうつだけだけど、これがけっこう難しい。熱心な聞き手を演じなくては、という強迫観念が働いて、体がかたくなる。

 ただでさえ巧月生の目はこわい、というイメージがある。だから顔は巧さんのほうをみても、目をあわせられない。かわりについ、禿げあがった頭だとか、大きすぎる耳だとかをみてしまう。あわてて視線をはずしたけど、失礼なやつと思われたのでは、と心配になってきた。やっぱり目をあわせなくては失礼かもしれない――白蘭は思いきって巧の目をみた。

たちまち拍子ぬけした。巧月生はぜんぜん厳しい目をしていなかった。とても穏やかな、上機嫌そうな目をしている。もしかして私と話すのがうれしいのではないだろうか。白蘭はほっとしすぎて、うぬぼれた。なにしろ私、白蘭は美しいだけではない、十七歳にして女優胡月のような気品と優雅さ、妖艶さをそなえている。この際だから胡月のようにあいづちをうったらどうだろう。白蘭は映画の胡月を思い出し、背筋をのばして胸をはり、小首を優雅にかたむけ、イヤリングをゆらしながら、うっとり微笑んでみせた。これで巧月生は私にメロメロになること、まちがいなし。

 ねらいどおり巧月生の目はいっそう細くなった。おまけに好色の光をおびだした。背すじをのばしたせいで胸のもりあがりが強調されたからかもしれない。ちらちら胸をみるようになった。私が気づいたのに気づいたか、巧月生はいったん視線を私の胸から顔にもどした。けれどすぐ胸に戻った。ふくらみが、どうしても気になるらしい。体にぴったりの旗袍をきているからよけいだ。

巧さんは口では真面目に船の話をしているのに、頭では私を裸にして胸のかたちを想像したりしているのだろうか。そう思ったら白蘭は恥ずかしくてまた緊張してきた。不謹慎な想像をした自分自体恥ずかしい。頭のなかを巧月生に読まれたらどうしよう、と思ったら顔が真っ赤になった。それをみられていると思うと、いっそう赤くなって、なんだか巧月生が男として変に意識されてきた。

 父親と変わらない年の巧月生が妙に色気のある男性に思われてきた。とがった顎が精悍に、うすい唇が野性的にみえ、唇のあいだからのぞく舌の動きにいたっては特別色っぽくみえてきて、目のやり場に困ってしまう。意識しすぎて息が乱れてきた。変に思われる、と焦った。息を整えなくては。心のなかで「吸って、吐いて」とくりかえした。そのせいで話にぜんぜん身が入らなくなった。肝心のあいづちをうつタイミングが狂ってきた。おかげでせっかく戻りかけた呼吸のリズムがまた狂ってきた。

 巧月生は気づかない顔をしている。でもほんとうは私の鼻の穴のふくらみ方や、不自然な息の音でとっくに気づいているにちがいない。恥ずかしすぎる。いますぐにでも息の乱れを直したい。でも直そうとするとよけい変になる。どうすれば――息をとめるしかない。

白蘭は息をとめた。もう心の乱れは伝わらないはず、と安心できたのは最初だけだった。息をとめたのがばれたら、それこそ変に思われると気づいたのである。さらに時間がたつにつれ、当然だが苦しくなってきた。おかげで、あいづちをうつどころでなくなった。どうしよう、息を吸いたい。でもいま吸えば、ずっとこらえていた反動で絶対に音がでる。もし音は殺せたとしても、吸いこむときに鼻の穴がめだって大きくなる。そしたら絶対に変に思われる。でも苦しい。このままだと顔が充血してしまう。音もたてず、鼻の穴の大きさも変えず、こっそりと息を吸うしかない、と思ったときだった。

 巧が突然立ちあがった。白蘭はびっくりしたはずみで鼻の穴を思いっきりふくらませて息をすいこんでしまった。醜い音がした。羞恥で耳まで真っ赤になった。巧は気づかない顔をしていった。

「私はこれで。麗生が、あとからあなたを、呼びにきます」

「え」

 白蘭は耳を疑った。

「麗生はあなたを特別な場所に招待するといってますから、どうそお楽しみに」

 そういい残し、巧月生は護衛をしたがえて来賓用天幕を去っていった。

 白蘭は巧に手をふることも忘れている。それどころか江田夕子の特徴まるだしでふるえる指をかたくにぎり、唇をなめた。それほど動揺ははげしかった。途中から巧の話をうわの空できいていたせいで話がまったくみえない。

 麗生が私を呼びにくるって――? 

特別な場所に招待するって――?

 いったい、なんのことだ。いつからそんな話になったんだ。

 頭のなかを同じ疑問がかけめぐり、やがてひとつの文章がこたえのヒントのようにうかんだ。

 ――麗生たちは私を合宿所から「早いうちに」「追いだす」ために、「物置部屋」をおとずれ、「ハルトン洋行のチャリティ・イベント」に私を誘いだし、致命的な打撃を与えようとしている。

これは月曜日、江田夕子が合宿所で麗生たちの言葉の断片からくみたてた考えである。この考えはあれほどおそれたにもかかわらず、イベント当日の今日まで奇跡的にも現実化されなかった。

麗生たちは物置部屋をおとずれなかった。江田夕子をチャリティ・イベントに誘わなかった。だから致命的な打撃を与えられることもないだろう、と考えることにし、白蘭に変身してイベントにでてもだいじょうぶだろう、と自分にいいきかせてきた。

 だが巧月生はいった――「麗生はあなたを特別な場所に招待する」、と。

なぜ招待するのかは、その前の話をきいてなかったから、わからない。でもその言葉から私が想像することはひとつ。

麗生は私を特別な場所に招待して致命的な打撃を与えようとしている――。

麗生が江田夕子をイベントに誘わなかったのは手間をはぶいただけにすぎないのかもしれない。白蘭がイベントに出席する、とだれかからきいて、江田夕子を誘う必要はないと考えたのかもしれない。致命的打撃を与えるのは、なにも江田夕子でなくてもいい、むしろ白蘭に変身しているときのほうが、やりやすいと考えたのではないか。

 ひょっとしたら麗生は今日ここで白蘭の正体を暴こうとたくらんでいるのかもしれない。特別な場所とは、音楽堂のことかもしれない。私は大勢の見物の前で正体を暴かれるかもしれない――それこそ致命的な打撃だ。

 白蘭は総毛だった。

麗生は「あとから」私を呼びにくる、と巧月生はいった。「あと」とは、いつか。麗生はいまは粥配り係の手伝いをしているようだけれど、いつくるかわからない。いつくるかわからないものを待つほどおそろしいものはない。動悸が高くなった。逃げたいけれど勝手に帰れない。帰れないかぎりは、いつかはつかまる。すでに心はみえない鎖で麗生にがんじがらめにされたようになった。

 白蘭は落ちつくために鏡をみることにした。コンパクトをとりだし、ひらく。――みよ、この淡雪のような肌を、無限の光を宿しているかの瞳を、すじのとおった鼻を、ふっくりふくらんだ紅の唇を。私は江田夕子とはちがう。閉月羞花、沈魚落雁。だれもがうっとりする美人なのだ。顔をあげれば、うっとり顔の青年の視線にぶつかる。あっちの人も、こっちの人も、男の人はみんな私をみると酔ったような目つきになる。そう、私は美しい。美しかったら、こわくはない。もっと自信をもとう。せっかくすばらしい外見を与えられているのに、江田夕子みたいにおびえていたらもったいない。白蘭は強い――外見にふさわしい強い人間であるべきだ。もっと堂々とかまえていよう。

 白蘭はあらためて背筋をのばした。そして片手で格好よくコンパクトをとじかけた。そのとき鏡のはしに知った顔がうつっているのに気づいて胸がドキンとなった。

 龍平さんだ。龍平さんがいる。

 取材で会場にきていると思ってひそかに探していたけど、みつけられずにいた。その人が、いつのまにうしろの席にきている。白蘭はうれしさをおし隠して、とじかけた鏡をこっそりのぞきこんだ。

 濃い色の中折れ帽がうつっている。それをまぶかくかぶっているのはいつもどおりだが、今日の彼はスーツ姿ではなく長衫姿だ。西洋的な顔だちの彼がきると、白人が着物をきたみたいで多少の違和感があるが、それはそれで魅力的だった。

安心して観察できたのは、彼がそっぽをむいていたからである。なにが気になるのか、右の方ばかりみている。手にはカメラ、それから黒い袋。これが変に大きくてかさばるらしい。しきりに抱えなおしている。

それにしても龍平さんはなぜそこに座っているのだろう。そもそも記者は来賓用天幕に基本的には入れないはずだった。どこでも平気で入るのは常套手段みたいだから、龍平さんらしいといえば、らしいからいいけど、声をかけられないのはさびしい。

 白蘭には今日龍平に会ったら、きこうと思っていたことがあった。ひとつは江田夕子の手紙を読んでくれたか、ということ。木曜日にだしたから、もう届いているはずだった。彼が読んだか、読んだならどう思ったか、白蘭の立場を利用して率直なところをきいてみたかった。もうひとつは、ついでにきけたらでいいが、『嘆きの天使』の曲名の意味だった。

 でも龍平さんはぜんぜん前をみてくれない。横をむいて黄浦江沿いのベンチばかりみている。目の前にいる美女に気づかないはずはないのに。じれったくなった白蘭は気をひくためにわざとゆっくり脚をくみかえた。旗袍のスリットをはねあげるようにして、白いふくらはぎをのぞかせる。そして反応を待つ。鏡でのぞいているのがばれると恥ずかしいから、コンパクトは閉じた。反応がないので脚をぶらぶらさせる。ハイヒールがきらきらと光る。まだ声をかけられない。待てなくなった。白蘭はふりかえった。龍平が気づいてこっちをみた。白蘭はなにかいわなくては、とあわてて、とっさに、

「どこ座ってるんですか?」

 と、いったが、いったそばから後悔した。ほんとうは龍平さんを歓迎してるのに、これでは非難したようにきこえる。実際彼の目が鋭くなったような気がした。が、龍平はすぐに、

「あ、すんません」

 といって脱帽して頭を下げ、おどけたように、にいっと笑った。

 白蘭はほっとした。気を悪くされたのではと不安になったあとだっただけに、反動でいっきに気がゆるみ、これが美人効果というものだ、男は美人に弱い、などと思って、いい気になって、

「長衫なんか着てるから、だれかと思いましたよ。李さんだったんですねえ」

 と、気安い口調でいった。すると龍平も調子をあわせて、

「いやあ、ばれたか」

 といって頭をかき、

「いつもとちがう格好できたのに、みやぶられちゃしょうがない」

 長衫をつまんで冗談をいった。

「これ、もう着てても意味ないから、あげようか。この長衫、いい生地だよ」

 白蘭は思わず「ほしいです」といいそうになったが、龍平は言下にいった。

「あ、俺のはいらないか」

 わざとらしく巧がいた席に視線をやっている。白蘭が巧の愛人と思ってからかっているのだ。しかたなく白蘭も冗談で返した。

「そうですね、やっぱり巧さんのじゃないと」

 そういって笑うと龍平も笑った。笑いのおかげで雑談がけっこうはずんだ。

龍平ははじめから白蘭に話しかけるつもりでこの天幕に入った。巧月生に近い女としての白蘭と、江田夕子の友人である白蘭、両者にそれぞれ用があった。

前者の白蘭にはもとより蒼刀会の動きを探るのがねらいだった。龍平は劉虎の情報をおとなしく待ってはいられなかったのである。

後者の白蘭には、江田夕子宛のものをたくすのが目的だった。

ふたつの目的を果たせた上で、白蘭の素性を探りだせれば、なおいい。

だから白蘭のうしろの空席に腰をおろしたのだが、話しかけずにしばらく横をみていたのは、気になるものが目に入ったからだった。

 麗生が音楽堂の裏にあらわれたのがみえた。そのすぐそばの黄浦江沿いのベンチには巧がいた。麗生が巧と連絡をとるか、期待して目をこらした。ところが麗生と巧は言葉をかわすどころか、目をあわせさえしない。がっかりしたとき白蘭に話しかけられたのだった。

その龍平が白蘭と話すところを、ルドルフ・ルイスがじっと暗い目でみていようとは、このときの龍平は気づいていなかった。ルドルフは天幕の近くの木の下に影のように立っていた。

龍平が雑談を終えて本題に入ろうとすると、白蘭がいった。

「それ、なんですか? やたらと大きい荷物ですけど」

 龍平がかかえている黒い袋をさしている。

「あ、そうそう」

 龍平はいま気づいたような顔をして黒い袋をひろげ、なかから四角いものをぬきだし、白蘭にさしだしていった。

「これ、俺のかわりに、渡してほしいんだ」

 それは一枚のレコードだった。ジャケットにマレーネ・ディートリッヒの写真がある。『嘆きの天使』の曲のレコードだった。レコードをもつ龍平の手はかすかにふるえていた。

「江田夕子さんに・・・・・・お願いできるかな」

 声はうわずっていた。

「え、これ夕子にくれるんですか?」

 白蘭が驚いてきくと、龍平は頬をほんのり赤くそめた。

「無理ならいいけど・・・・・・直接渡すから」

 白蘭の返事を待てなくなったか、龍平は不安そうにいった。白蘭は目を丸くした。龍平さんは江田夕子にレコードをあげてとたのむのに、なにをそんなに緊張しているのだろう。

「だいじょうぶです、渡せます」

 白蘭はレコードをうけとった。

たちまち龍平は笑顔になった。みたこともない笑顔だった。まさに喜色満面、顔の紐がほどけたようになって、りりしさはあとかたもない。頬と鼻の頭がテカテカと光ってみえた。これがあの李龍平さんの顔? ――たちまち白蘭は心が冷めていくのを感じた。

 白蘭――夕子は、李龍平のにがみばしったところにひかれていた。ふざけても、目はいつもりりしく鋭い光を放っている――それが龍平のイメージだった。りりしさがぬけたら、李龍平じゃない。顔の紐がほどけたみたいな顔をするなんて彼のイメージとちがう。彼もふつうの男と同じだったのか。白蘭は裏切られた気がした。ショックで腹立たしくて、気づいたら、水をさすようなことを口にしていた。

「夕子にプレゼントですか、そんなことする男の人いませんよ。変わってますね」

 ばかにするようにいった。彼を怒らせて、厳しいりりしい表情に戻したかったのかもしれない。ところが龍平は怒るどころか、にこにこしていった。

「あの子、強烈だから」

「・・・・・・強烈?」

「あの子、ユニークだよね。なに考えてるかよくわからない感じとか」

 熱っぽい声だった。

「あの子はミステリアスでファンタスチック、しかもエキセントリックだよね」

「・・・・・・」

「俺、そういうのに弱いんだ」

 龍平はいった。目は酔っぱらったようで、顔は真っ赤だった。夕子に好意をもっているのはあきらかだった。

にもかかわらず白蘭はすこしもうれしくなかった。自分で自分の反応に驚いたが、血の気がひいて寒気がした。「ミステリアスでファンタスチック、しかもエキセントリック」とキザな言葉を、うわずった声でいわれたのが、よくなかった。きいたとたん、心が凍った。李龍平が急に気持ち悪い存在に思えた。冷たい顔で唐突に話題を変えた。

「これ、ドイツ語ですよね」

 うけとったレコードの一箇所を指さしていった。ジャケットには曲のタイトルがアルファベットでつづられてある。英語ではない。

「そう、ドイツ語」龍平は機嫌よくこたえた。

「『嘆きの天使』の挿入歌だよ。曲名の英訳は紙に書いてジャケットに入れといた。江田さんが知りたがってたから」

 ということは、送った手紙を読んでくれたんだ、と白蘭は思った。夕子は龍平宛の手紙に「タイトルの意味を知りたいです」と書いた。彼はそれにこたえてくれたのだ。そう思ったが、うれしさはなかった。白蘭――夕子の心は冷めていた。いまとなっては曲の意味もたいして知りたくなかった。それでも話のついででなんとなくきいた。

「タイトルの英訳って、どういうのですか」

「そうだね、英訳はね、」

 そういうと龍平は一瞬言葉をつまらせ、耳まで真っ赤にしていった。

「『ヘッド トゥ トー、アイム レディー フォー ラブ(Head to Toe, I'm ready for love)(直訳:頭からつま先まで、愛の準備ができています)』」

 白蘭はきいたとたん、ぞっとした。

 白蘭――夕子は「愛」という言葉が大嫌いだった。

夕子は愛されることにも愛することにもなれていなかった。家庭では母親に冷たくされ、学校ではみなに嫌われ、自分も憎み嫌ったという記憶しかない。「愛」は、自分には縁のない言葉だと思っている。その言葉をきくと吐き気に似た不快を感じることすらあった。

 「愛」とは、夕子にとっては単なる幻想だった。実体のない無価値なものだった。偽善の同義語としか思えないから、軽軽しく「愛」と口にする人間を心の底から軽蔑した。

例外は丁香だけだった。丁香が「愛」を口にしたときだけはなぜか、「愛」が価値ある言葉にきこえた。

でもいま龍平が口にしても価値は感じなかった。はにかんだ顔と声が、夕子のもつ「愛」への嫌悪感をむしろ倍化させた。

もとより龍平は夕子に直接「愛している」といったわけではない。「夕子の友人」の白蘭にたいして、ただ曲名の英訳を口にしただけだ。だがその言葉は強烈だった。「ヘッド トゥ トー、アイム レディー フォー ラブ(直訳:頭からつま先まで、愛の準備ができています)」――きいたとたん、龍平がこの前夕子に英訳をいわなかったわけが、わかった気がした。龍平はいわなかったのではない、いえなかったのだ。恥ずかしくて、ぶっきらぼうともみえる態度になったのだ。いまそれを口にしたとき全身に羞恥をあらわしたのがその証拠だ。

だからいま龍平の口から「ラブ(愛)」という言葉をきいた夕子の白蘭は、面とむかって「愛している」といわれたのと同様の衝撃をうけた。衝撃は真夏の太陽のように強烈だった。むりもない、夕子はいままでだれからも「愛している」といわれたことがなかったのだ。

それだけに、長年暗い刑務所に入っていた囚人が突然真夏の太陽をあびたときのように気分が悪くなった。なれないものをあびて心が拒絶反応をおこしたのである。白蘭は吐き気をこらえるような顔をし、つっけんどんな言葉を返した。

「あの子は、ルドルフ・ルイスが好きですよね」

 するとが龍平は、にいっと笑っていった。

「だよねえ」

 軽い口調だった。いつのまにか、いつもの龍平に戻っている。顔には本心のわからないピエロの面がはりついていた。

 龍平は麗生がこっちにくるのをみて我に返ったのだった。麗生がミラベルとナンシーをつれて天幕に戻ってくる。龍平はたちまち恋する青年の思考から新聞記者の思考に戻った。白蘭の分類は「江田夕子の友人」から「蒼刀会ボス巧月生に近い女」に戻った。いまのうちに、きくべきことをきかなくてはとあわてて質問をふりはじめた。しかし白蘭がまだなにもこたえないうちに麗生が来賓用天幕に到着した。

「ひさしぶり」

 麗生は龍平と白蘭のあいだに顔をのぞかせて威勢よくいった。龍華寺であったときがウソのように明るい顔をしている。龍平にはかえってそれが不自然に感じられた。明るさの仮面の裏に、なにごとかを着々とすすめる影の顔があるように思われてならない。

「ふたりとも、いつのまに知りあってたの?」

 麗生はあいさつがわりにいった。白蘭はふいうちをくらってぎょっとしている。動揺をありありとあらわして、

「あ、ハンカチ、この前すみませんでした、ありがとうございました」

 銀華デパートで借りたハンカチを返した。アレーのマンションできれいに洗ったのである。麗生はなにもいわずにうけとると、ニコッと笑って、龍平にいった。

「白蘭ちゃんをちょっと借りていい?」

「どうぞ」

 龍平は承知した。白蘭を借りてなにをするつもりか知らないが、尾行すればなにかつかめるかもしれないと考えたのだった。


 白蘭は悪夢に迷いこんだような心地だった。麗生はいったい私をどこへつれていくつもりなのだろう。麗生は私を特別な場所に招待する、と巧月生はいった。特別な場所と思われる音楽堂はもうとおりすぎた。両脇のミラベルとナンシーは親しげに声をかけてくるようでいて底意をはかりかねることばかりきいてくる。

「江田夕子さんと友だちなんだって?」

「うん、まあ」

 私があいまいにこたえても、それ以上つっこんでくることはしないけれど、そのたびに二人でなにやら目をみあわせる。ときに無言で私の肩や腕をたたいてくるのは、私に逃げだすすきを与えまいとしてのことのように思えてならない。前には麗生が、両脇には白人娘二人がぴたりとくっついて、どんなに通行の邪魔になろうが包囲陣をとこうとしない。私は拉致されたも同然だ。天幕をはなれる際、荷物の携行はやんわりと拒否され、座席においてこさせられた。さっきから同じ文章が頭のなかでぐるぐると回りつづけている。

――麗生たちは私を合宿所から「早いうちに」「追いだす」ために、「チャリティ・イベント」で私に致命的な打撃を与えようとしている。

いま私は、休憩所裏の茂みにひきこまれた。致命的打撃は、人気のない場所で与えられるのかもしれない。ついに破局が訪れるのかと思うとこわくてたまらない。逃げだしたいのに体がこわばってうまく動かない。

 ベンチがみえた。ロレーヌが座って煙草を吸っている。王結や馬秋秋もいるかと思ったけれど、近くにはいない。半径一メートルは鬱蒼たる樹々がとりまいていてほかに人はみあたらなかった。

 白蘭はロレーヌの横に座らせられた。逃げ道をふさぐように、うしろにミラベルとナンシーが、正面に麗生が立った。

「一本ちょうだい」麗生は前からロレーヌのキャメルの箱に手をのばした。

「禁煙はいいのか」とロレーヌはきいたが、

「今日は吸いたいの」

 麗生は許可を待たずに一本ぬきとり、かたい表情の白蘭にもキャメルの箱をさしだして、「吸う?」とすすめた。

 白蘭は戸惑った。煙草を吸ったことがなかったし、煙が嫌いだった。それでも断る勇気がなく、

「うん」と、うなずいて、煙草をうけとった。たちまち煙を吸う恐怖におそわれた。思わず、

「私・・・・・・初めて」と、いってしまった。

「えっ、ほんとうに? 意外」

 麗生は目を丸くし、

「私が教えてあげるよ」

 といって白蘭に煙草をくわえさせ火をつけてやり勝手に指導をはじめた。

「吸って――そうそう、煙をのどの奥まで吸いこんで――まだまだ、のどの奥に入れて、とめないで、肺まで吸いこんで」

 白蘭はのみこめず、煙を吐きだす。

「それじゃ『ふかし』だよ。もう一回、ほら、くわえて。吸って」

 麗生は眉をしかめていう。テニスで怒ったときみたいだ、と白蘭は思った。とたんに江田夕子に戻ったような錯覚におちいり、口の動きがよけいにぎこちなくなった。

「だめだめ、煙をもっと奥に入れるの――奥に、奥に。だめだよ途中で吐いちゃ。もう一回、吸ってしばらくとめないで――とめちゃだめだってば!」

 麗生は夕子にいうみたいにいった。白蘭はむせた。咳がとまらなかった。

「だいじょうぶ?」

 そういいつつ、麗生はうすら笑いをうかべていた。ロレーヌたちと目をみあわせている。白蘭ってすごく不器用、中身は絶対江田夕子だよ。そう目でいいあってるにちがいない。白蘭は胸が苦しくなった。私はこのまま化けの皮を一枚ずつはがされていくのかもしれない。恐怖にかられ沈黙にたえられなくなった白蘭は、咳がとまるなりいった。

「煙草吸うのって、むずかしいね・・・・・・」

 我ながら耳をふさぎたくなるほどうわずった声だった。

「――」

 四人はこたえない。また目をみあわせた。白蘭は必死に沈黙をうめる。

「でも、あの、香りは、おいしく・・・・・・おいしいよ」

 だれもこたえない。麗生は仲間をみてうなずき、ふいに白蘭に首をつきだしていった。

「それはそうと、白蘭ちゃん――」大きな目が不気味に光っている。

「お願いがあるんだ」

 なにをいいだすのかと白蘭は固唾をのんで次の言葉を待った。麗生はいった。

「トップ3がもうすぐ音楽堂に出演するのは知ってるよね」

 白蘭がうなずくと、

「私たち、キャンペーン・ガールみたいにドッグ・レースの競争犬をたくさん紹介をすることになってたんだけどね、肝心のグレイハウンドがきてないのよ」

 それがどう自分に関係あるのかと思いながら白蘭は注意深く耳をかたむける。

「今朝になってドッグレース場のほうに不都合が生じたみたいなんだ。それを千冬の伯父さんの小山内将軍っているでしょ、その人がどこでききつけたのか自分の犬を提供するってハルトンさんに申しでたみたいなんだけどね。その飼い犬ってのが――」

 麗生はここで声を低くしていった。

「なんてことない、ただのシベリアン・ハスキーだったの。それじゃお客さんも喜ばないだろうから、どうしようってことになって。私たちトップ3のほうで花をそえたいって申し出たら、ハルトンさんが承知してくれてね。謎の美女を――音楽堂に出す許可をくれたのよ」

 と、思わせぶりにいって、のぞきこむように白蘭の目をみた。

「・・・・・・」

 白蘭はどきっとした。麗生の目をみるのにたえられず、そらした。「謎の美女」が自分のことなのは、あきらかだ。麗生が「謎の」という表現を使った理由を考えると、全身の皮膚があわだった。白蘭の正体が謎という意味をこめたにちがいない。

 麗生は白蘭の沈黙を自分の話を了解したものととって、

「ねえ、白蘭ちゃん、いいでしょ?」笑顔でせまった。

「私たちと一緒に出てくれる? 人助けと思って」

 音楽堂で私の正体を暴くのがねらいだ、と白蘭は考えた。なれない舞台にあがらせて、私の平常心を失わせ、ボロをださせようというのだ。その手にはのらない、と胸中で叫んだ。にもかかわらず白蘭は承知した。断れなかった。白蘭になってまで麗生に嫌われるのが、こわかったのである。

 龍平はこのようすを見届けていない。それどころか白蘭と麗生がいまどこにいるかも知らずにいた。尾行の途中で劉虎に呼びとめられたためだった。

 劉虎は人ごみにまぎれるようにして突然声をかけてきた。さっきの龍平の質問のこたえを教えてくれるという。それとひきかえに龍平から重要書類の保管場所を一刻も早くききだしたいらしかった。劉虎は巧会長に探りをいれてわかったということを、龍平に口外しないと誓わせたうえで話してくれた。

 ――蒼刀会はこのイベントでなにもたくらんでいない。千冬に打撃を与える計画などたてていない。よって麗生にそのような命令はだしていない。巧会長とアレーが断言したことだから、たしかである。

龍平はがっかりした。苦心して質問したのがムダのようなこたえだった。だが劉虎の話はそれでおわりではなかった。次のような興味深い考えを教えてくれた。

――麗生は蒼刀会をよそおった人間にだまされている可能性が高い。おそらく日本特務のしわざだろう。日本特務は中国人の麗生に日本人の小山内千冬を痛めつけさせて、中国を攻める口実を得ようとしていると思われる。

 劉虎はアレーの意見をさも自分の意見であるかのように龍平に伝えた。さらに、

――蒼刀会としては日本特務の勝手な動きは封じたい。とはいえ、いますぐ妨害工作をすれば、相手を警戒させ、失敗する可能性が高い。だからいまは麗生を泳がせている。ことが起こりそうになったら即座に妨害にでるつもりでいる。

 いまいったことはくれぐれも麗生にもらさないように、と劉虎は龍平に何度も念を押した。

龍平は了解し、お礼に「リラダン事件の真相に関する重要書類」の「保管場所」を教えた。むろんデタラメである。劉虎はありもしない場所にありもしない文書を求めて旧李花齢邸にしのびこむことになるだろう。

 おりしも音楽堂には巧月生と小山内駿吉があがっていた。日中の来賓代表として、それぞれ簡単にあいさつした。英語でのあいさつである。英語は小山内陸軍少将はもとより巧月生もそれなりにできたのである。

だが、ふたりの外見はまったく対照的だった。

巧月生が卑しい悪魔のようであるのにたいし、小山内駿吉は上品な貴族のようなのだ。

 日本軍人はチビでガニ股で尊大というイメージを中国人一般は抱いているが、小山内駿吉はぜんぜんそうではなかった。背高く、ひきしまっている。巧より五歳年上の四十八歳なのに、巧より若くみえた。それにおしゃれだ。きているものも軍服ではなく趣味のいいスーツだ。髪型も坊主ではなく豊かな髪をポマードできれいになでつけてある。眼鏡をかけているのもあって顔も知的で上品にみえた。群衆にむけたまなざしには愁いの影さえあった。まるで国を憂える王か、芸術家のようだ。陰謀知略にたけた酷薄な日本特務機関長にはとてもみえない。

 一方、巧はいかにも人をおそれさせる風貌をしている。背も小山内駿吉より十センチ低い。

そのふたりが最後に握手をかわした。瞬間ふたりの顔がこわばったのを龍平はみのがさなかった。ふたりはすぐに作り笑顔で隠したが、手をあわせる直前の表情はあきらかに、かたかった。日中代表として壇上にいる以上、本来なら腹でなにを思ってようが、終始にこやかに握手をかわすべきなのに、なぜあんな顔を一瞬にしろ表にだしたのか? その理由はひとつしか考えられなかった。麗生をめぐる計画がからんでいる――。

 そうなってくるとやはり麗生の現在の動向が気になった。劉虎にはさっききいた話をもらさないよう釘をさされているが、その話をしないぶんには、接触しても問題ないだろう。劉虎の話を百パーセント信じたわけではないが、麗生が日本特務に操られているなら操られているで、どういう動きをするか見届ける必要もあった。

 龍平は麗生を探した。白蘭をつれてミラベルとナンシーとどこかへいったきり、行方がわからなくなっていた。しかし人ごみでなかなかみつからない。千冬にあたったら案外わかるかもしれないと思った。千冬は来賓用天幕に戻っているだろうか。たしかめようと、そっちのほうへ視線をやろうとしたときだった。うしろから突然肩をたたかれ、

「ロンピン(龍平)!」と声をかけられた。

 声でだれかわかった龍平は、一瞬迷惑そうな顔をしたが、ふりかえると、

「ルドルフ、きてたんだ」

 驚いたようにいった。実際驚いた。龍平はルドルフをみあげ、みおろした。ルドルフは徹夜明けのような格好をしていた。ネクタイは曲がり、高級スーツは皺だらけ、顔には無精ひげがはえ、肌はあぶらぎり、濃いくまにふちどられた目は血走っていた。その視線をどうとったかルドルフは恥ずかしげに目をふせて、

「うん・・・・・・」

 うなずくと、あわてたように身だしなみをととのえだした。

「今日はどうした?」龍平はあえて明るくきいた。

「ハルトンの手伝い? それとも音楽堂に出演するとか?」

「ハルトンには・・・・・・誘われてないよ。むしろ来ないようにいわれてた」

「なんで」

「――あっちに、いかない?」

 ルドルフは黄浦江ぎわのベンチを目でさした。強い目だった。なにかありそうだと思い、龍平はしたがった。あとからひとりの紳士がふたりを尾行しだしたのには気づかなかった。紳士は小山内駿吉だった。

ふたりの青年は黄浦江に面したベンチに腰かけた。

 黄浦江はしだいに雲が濃くなりつつある上空を反映して黄褐色が濃くなっていた。その広大な河面を大小さまざまの船が航行している。軍艦もあれば客船もエンジンのない木造の小船もある。いまはどれも乳白色の靄がかかって、よくはみえない。ただ目の前を横ぎっていく戎克船のござのような帆はさすがによくみえた。黄浦江特有の生ぐさい匂いに眉をよせつつ、ルドルフはいった。

「ハルトンはね、私にきてほしくなかったんだ」

「だからなんで」

「知らない」ルドルフは思春期の少年のように不満げにつぶやいた。

「でも感じる・・・・・・あの人は私を家に閉じこめておきたいんだ。人前にでれば私は注目される。いつスターに返り咲くかわからない。私が二度と戻ってこないんじゃないかって恐れてるんだ。バーンズワース社の広告塔になったときなんか大騒ぎだったよ」

「それじゃ、ここにいるのは、まずいんじゃないか」

「いいんだ。私は人前にでたい、復活したいんだ。もうだれにも邪魔されたくはない」

 あいかわらずひとりよがりな口調でいった。

「あの人だけじゃない、麗生も、私を邪魔しようとして――同じことをいったんだ」

 その名を耳にしたとたん龍平は目の色を変え、息を荒くしてきいた。

「麗生はルーディになんていったの?」

 ルドルフは宙をにらんでいった。

「『今日こないで』といっただけではない。私をのけものにしようとして・・・・・・許せない。だからきてやった」

「のけものって?」

 龍平は意気ごんできいた。するとルドルフは唇をとがらせ、甘えたようにいった。

「こんな話、やめにしようよ」

 龍平をじっとみつめて、

「会いたかった、君に」

 ささやくようにいって肩をよせてきた。龍平はあわてて体をはなし、話題を戻そうと、

「変だねえ、麗生は」妙な雰囲気をふりはらうべく大声でいった。

「ファッション・ショーじゃあんなにルーディと一緒にいたがってたのに、今日はこないでって? なんでだろうね」

「私の知ったことじゃない」ルドルフはすねたようにいった。

「あの女はここ二日、ずっとおかしいんだ。木曜の夜から私に変に他人行儀な態度をとるようになった」

 木曜の夜というと龍平が龍華寺で麗生と会った日の夜だ。

「他人行儀な態度って?」

「これ以上あの女の話はしたくない」

 ルドルフはほんとにいやそうだった。口をへの字に結んでいる。龍平はしかたなく質問を変えた。

「千冬ちゃんとは今日話した?」

「話すわけない」

「ほんとに? 千冬ちゃんはルーディーの恋人なのに?」

 龍平はすこしでも機嫌よくこたえてもらうため肩に手をおいた。たちまちルドルフの顔の紐がとけた。声まで変わった。

「ほんとだよ。ファッション・ショーであんなことがあったんだ。もう恋人じゃないよ」

 そういって龍平に腕をよせ、熱っぽい目をむけてきた。龍平は反射的に腕をひっこめ、声をはりあげた。

「だけどルドルフはもてるよなあ。ファイナリストの小山内千冬と呉麗生に同時に愛されるなんて」

「あんな女たち、うれしくないよ」

 ルドルフはそういって龍平に体をくっつけてきた。龍平は懸命に防御しつつ、気づかない顔をしていう。

「つれないねえ、どっちのことも好きなくせに」

「好きじゃないよ。麗生は最初のころは母親みたいになんでもきいてくれから、いっしょにいて楽ではあったけど、今月から意地悪になった。だからもう完全に嫌いだよ」

 いいながら腕をこすりつけてくる。

「でも千冬ちゃんは? ルーディのほうから告白したって千冬ちゃんはいってなかった?」

「あんなの信じるの」

 言葉とは裏腹に抗議口調ではなかった。それどころか、声はうっとりしていた。ルドルフは龍平の体にふれるのに夢中で、話はほとんどうわの空だった。

「ファッション・ショーのとき千冬ちゃんは主張してたよね。ルドルフに好きといわれたって」

 龍平の感触しか頭にないルドルフは、

「ああ、でも好きで申しこんだんじゃないよ」

 と、思わず口をすべらせた。龍平はききとがめた。

「なに? 好きで申しこんだんじゃないって、どういうこと?」

 ルドルフは一瞬しまった、という顔をしたが、観念したようにいった。

「内緒だよ。・・・・・・演技する必要に迫られたんだ、一年前仕事でさ」

 指先で龍平のネクタイをもてあそび、機嫌をとるように上目づかいをした。

「仕事って、なんの?」

 龍平は厳しい顔できいた。ルドルフは叱られた子どものように、投げやりにいった。

「千冬とつきあう仕事だよ」

「ほんとか。そんな仕事、だれに依頼された?」

 龍平は鋭い目でルドルフをみすえる。するとルドルフは甘えるように龍平の手をとり、にぎっていった。

「龍平(ロンピン)、私は君が好きだ・・・・・・だからそんなこわい顔はしないで、ね」

 龍平は反射的に手をふりはなし、

「ふざけるな」

 と、思わずどなりつけた。

ルドルフは凍りついた。「好き」といって、どなられるとは、思わなかったのだろう。ひどいショックをうけている。これでは質問にこたえさせるのに逆効果だ。龍平はすこし冷静になって反省し、態度をあらためていった。

「悪かった」申しわけなさそうにあやまり、つとめてやさしい口調でいった。

「気持ちはありがたくうけとめたい。でもまず、こたえてほしいんだ。ルーディーに小山内千冬と交際するよう依頼したのはだれか」

「・・・・・・こたえたら、私にもっとやさしくしてくれる? 私ともっとたくさん会ってくれる?」

「会う会う」龍平は面倒くさそうにいった。「なんでも望みどおりにするよ」

「ほんとだね?」

「ああ」

「それなら、耳を貸して」

 ルドルフはいった。龍平の耳に唇をよせられる喜びに酔いしれながら、声を送りこんだ。

「あのね、依頼主はね、――日本人」

「日本人!? 名前は?」

「それは・・・・・・勘弁して」

「約束がちがうじゃないか」

「でも龍平、いえないよ。だって私は日本特務に雇われてるんだ」

「・・・・・・!」

 龍平は耳を疑った。

「おたくは日本のスパイだったのか?」

「・・・・・・うん」

 まさか、このルドルフ・ルイスが日本のスパイ!? 日本のスパイときいてまずうかぶのは劉虎からさっききいた情報だ。すぐそばで小山内駿吉が耳をそばだてているとも知らず、龍平は思わずいきごんできいた。

「麗生に今日ここであることを実行するよう命じたのは、おたくか?」

「え、なんのこと」ルドルフはきょとんとした。

「蒼刀会員になりすました日本特務が、麗生にある人を痛めつけるよう命令したという話があるだろ?」

「いったいなんの話、わかんないよ、龍平」

 ルドルフは目を白黒させている。演技にはみえない。ほんとうに知らないのかもしれない。たしかに麗生に命令を伝えたのが蒼刀会員をよそおった日本特務だとしても、それがルドルフだとはかぎらない。だいいちルドルフでは蒼刀会員をよそおうのはむりだ。龍平は考え直し、質問を変えた。

「でも日本のスパイなら、なにかきいてるだろう?」

「きいてないよ。それより麗生は蒼刀会となにか関係あるの?」

 日本のスパイというのにそんなことも知らないのか。それともこっちに探りをいれているのか。いぶかった龍平は、

「いや」

 と、あいまいにいい、ふたたび別の角度から質問した。

「ルーディが日本のスパイって、麗生は知らないの?」

「もちろん知らないよ。ばれないようにつきあってるんだ」

「麗生とつきあってたのも仕事?」

「・・・・・・麗生はちがう。千冬は仕事だけど」

「解せないな。麗生との交際が仕事っていうならわかるけど、千冬ちゃんが仕事だったって。千冬ちゃんは日本人で小山内将軍の姪、日本特務にとったら身内だよな。それをイギリス人のおたくとつきあわせて、どうするつもりだったんだ。日本の目的は?」

「知らないよ。小山内将軍に会ったときも『姪と交際して、姪の行動を報告してほしい』っていわれただけだし、本来の任務とは別のおまけみたいな仕事だったし」

「おまけ? 本来の任務って?」

 龍平は動悸を鳴らした。もしかするとリラダン事件がらみのことかもしれない、と思ったのである。ルドルフはハルトンの甥でハルトン邸に住んでいる。ハルトンの愛人だった母に近い位置にいた。日本特務はそこに目をつけ、彼をスパイに雇ったのかもしれなかった。このルドルフが自分や母をあざむいていたとは信じがたいが、スパイならば、リラダン事件に関わっていた可能性は否定できない。

ルドルフは黙っている。

「おたくの本来の任務って?」

 龍平は語気強くきいた。

「ハルトンの動きを探ること」

「ハルトンの動きを探る? 甥のおたくが?」

 そういうとルドルフはなぜか恥らうように目をふせた。龍平はハッとした顔になっていった。

「甥というのはもしかして、ウソ?」

 そのとき、あたりが急ににぎやかになった。粥の椀をもった男女が六人ばかりやってきた。河を眺めながら食べようと考えているらしく、どこに座ろうかと大声で話しあっている。ルドルフはうるさそうに顔をしかめ、いらだちを吐きだすようにいった。

「そうだよ、私は甥ではないんだ。ハルトンは両刀使いでね、日本特務はそれを利用して私を送りこんだんだ」

背後に小山内駿吉がひそんでいるとも知らずにうちあける。

「二年前ロシアの闇商人からハルトンが男妾を探しているという情報を得た日本特務は、私を市場に送りこんだんだ。私がおじさんの好みにいちばんあっていたからね」

「・・・・・・」

「予想どおりおじさんは私を選んだよ。そしてハルトン邸にかこった、表向きは私を甥としてね。もちろん私は内心いやでたまらなかった。日本人にスパイにスカウトされたときも一度は断ったんだ。でも贅沢できるってきいたから、まじわりさえ我慢すればいいかなって――」

 龍平は蒼然としている。ルドルフが男妾だったとは。ハルトンが両刀使いだったとは。母は知っていたのだろうか、ハルトンが男妾もかこっていたことを。嫌悪感がこみあげる。態度にでそうになるのを、どうにかおさえていった。

「ハルトンは二年もいっしょにいて、ルーディのねらいに気づかないのかな?」

「それが全然。私も最初は不安だったけど、だいじょぶみたい。あの人は気持ち悪いぐらい私に夢中だからね」

 気持ち悪いのは、おまえも同じだ、と龍平はいいたいのをこらえて、

「そうか。二年も男妾をやってれば、いろいろ探りだせたろう?」

「あの人から情報をひきだすのは、あの人を愛するぐらい難しいことだよ」

 それにひきかえ君は、とでもいうようにルドルフは龍平の目をじっとみつめた。その目は「私は君しか愛せない」といっているようだった。

龍平はぞっとして、ふりはらうようにいった。

「ちゃんとこたえてくれ。ハルトンからなにを探りだした?」

 ふたたび厳しい語調になった。ルドルフは頬をふくらませてこたえない。龍平は疑惑の目をはずさずにいった。

「おたくが探れっていわれたのは、ほんとうはハルトンじゃなく、李花齢じゃなかったのか?」

「・・・・・・」

「なあ、どうなんだ?」

 龍平の目はどんどん鋭くなる。ルドルフは耐えきれなくなったように口をひらいた。

「誤解してるならいうけど、私はリラダン事件には関わってない。ほんとだよ。私は日本のスパイだけど、あのこととはいっさい無関係。断言できる。ね、信じてくれるね?」

 こびるように身をすりよせてきた。

龍平の目は冷たかった。もはや友人をみる目でない。ルドルフがウソをいっているとは思わなかったが、もはや口をきくのもけがらわしい気がした。しかし去る前にもういちどだけ確認したかった。

「今日麗生がここでなにをするか、ほんとに知らないな?」

「え」

 自分を信じるといってもらえなかったルドルフは不機嫌な声でいった。

「音楽堂出演以外、なにをするかは知らないよ」

 そっけない語調だった。だが龍平の目が笑っていないことに気づくと、あわてて身をくねらし、

「知ってたら教えるよ。君にしか真の忠誠は誓えないんだから。ハルトンにはもう、うんざりなんだ。たしかに邸は好きに使わせてもらってるし贅沢できるけど、君を自由に招けない。私は一刻も早く君と暮らしたいんだよ。――ねえ龍平、きいてる?」

「・・・・・・」

「さっき君、約束してくれたよね。私にもっとやさしくしてくれるって」

「・・・・・・」

「覚えてないの? なんでも私の望みどおりにしてくれるっていったの。私ともっとたくさん会ってくれるっていったよね?」

「・・・・・・」

 ルドルフは龍平の両手をとらんばかりにいった。

「ねえロンピン、今度いつふたりで」

 次の瞬間、龍平は凄まじい勢いで立ちあがった。ルドルフをみおろし、氷のように冷ややかな目を投げつけた。ルドルフは凍ったようになった。そのすきに龍平は去っていった。ふりかえりもしなかった。

ひとりベンチに残されたルドルフは茫然としている。龍平のあんな目はみたことがなかった。ひどいショックが胸にひろがった。

 そのショックが原因で、このあとルドルフは思いもかけない行動にでることになる。しかもその行動が、今日の麗生に重大な影響を与えることになろうとは、このときの龍平は知るよしもなかった。

 うしろから小山内駿吉につけられていることにも気づいていなかった。龍平は行く手にみいだした麗生から目を離すまいと夢中だった。麗生といっしょにいるのはロレーヌと丁香だ。三人ともいつのまに帽子などかぶって顔を隠しているが目だつ。トップ3は行きかう人のすきまをぬって、音楽堂のほうへむかっている。今度こそ逃すまいと寄っていった矢先だった。

「火、ありますかね」

 背後から上海語で呼びとめられた。知らない声だった。そこらへんで粥を食べていた人間が食後の一服をしようとして火を求め、たまたま自分に声をかけたのだろうと推察した龍平はしかたなく足をとめ、

「ありますよ」

 と、ぶっきらぼうにいってふりかえって瞳孔をひろげた。火をくれといったのは一般客ではなく、思ってもみない人物だったのである。龍平は信じられない思いで、麗生を追いかけることも忘れて、マッチに火をつけてさしだした。

「どうも、ありがとう」

 男はていねいに礼をいい、高級な海泡石パイプをくわえ、実に優雅に火をいれた。小山内駿吉だった。龍平は全身に緊張を走らせ、いった。

「小山内将軍でいらっしゃいますよね」

「・・・・・・わかりましたか」

 駿吉は煙が目にしみたような顔をしていった。龍平は取材のときの快活な態度になっていった。

「お会いできて光栄です。私、李龍平と申します」

「あなたが、李龍平さんですか」

 駿吉は驚いたようにいった。目を丸くして龍平をみあげ、みおろして、

「そうですか、あなたが――。お会いできたらぜひお礼を申しあげたいと思っていたんです。先日、姪(千冬)をかばう発言をしてくださったそうで――」

 先週のファッション・ショーのあと、警察に尋問されていた千冬を龍平がかばったことをいっているらしい。

「かばうなんて、たいしたことはしてません、ちょっとへらず口をきいただけで――もうすこし、お役にたてたらよかったんですが」

「あれは姪が悪いんです」

 駿吉は憂いのある目をむけていった。

「変にでしゃばるところがありますからね。今日出席できたのは、トップ3のみなさんのおかげなんですが、本人は自覚がたりないようで――チャリティ・スピーチなんかしたら、また調子にのらないか心配でしてね」

 ため息のように煙を吐きだし、

「だから私は釘をさしてやりました。千冬にこういったんです――」

 龍平に顔をぐっと近づけ、目をのぞきこむようにみていった。

「『後悔したくなかったら、自重しろ』」

 穏やかなようだが、凄みの感じられる声だった。

いまの言葉は千冬にかこつけて、自分にいったのではないだろうか、と龍平は思った。劉虎によれば、千冬に打撃を与えるよう麗生に命令したのは蒼刀会員をよそおった日本特務である。小山内駿吉は自分がさっきからいろいろ探りをいれているのに気づいて、警告しにきたのではないか。龍平はかまえた。だが将軍はすぐに顔をはなし、もとの口調に戻って、

「私としたことが、つまらない話をしてしまいまして」

 申しわけなさそうにいったかと思うと、

「そういえば、あなたにみていただきたいものがあるんですが。よかったらそこまできていただけないでしょうか」

 と、いった。行く手をさえぎるように腕をのばし、奥を指さした。指はすこしはなれた場所の一本の木をさしている。言葉は丁寧だし、腰は低いが、そこにどんな罠を用意していないともかぎらない。だが、龍平は承諾した。手がかりとなることがつかめるかもしれないと思ったからだ。目的地にむかう途中、駿吉はふいにたずねた。

「あなたは李花齢さんの息子さんでしたね」

「そうですが」

 小山内駿吉はなにをいいだすつもりかと龍平は警戒した。

「お母さまをおそった不幸については、まったくなんといったいいか――」

「ああそれでしたら、いいんです、終わったことですから」

「しかし事件は謎のままですね。せめて真犯人がわかればいいんですが」

「そうですね・・・・・・」

「私などが口をはさむことではないと、わかっているんですが、ひとごととは思えないものですから。姪があんなふうに犯人あつかいされたこともありますし」

 いかにも姪思いのようにいう。ルドルフに姪と交際して行動を監視報告せよ、と命じた人間とはとても思えない。

 駿吉が足をとめたのは、さっき指さした大木の下だった。どうやらそこが目的地のようだ。しかしそこでなにをみせようというのか。きょろきょろする龍平に頓着なく駿吉はいった。

「リラダン事件はどうしてもひとごととは思えませんでね。といいますのも――私は若いころのお母さんを知っているもので」

「え、それは、どういう・・・・・」

 龍平は思わず声を裏返らせた。初耳だった。駿吉はなつかしそうにいった。

「もう四半世紀も前になりますか、花齢さんが日本にいたころの話です。あ、そのころは花齢さんではなく、如莉(るり)さんと呼んでました。本人がそう名のっていたので」

 母親が娘時代に日本に一時的に滞在して如莉と名のっていたらしいことは知っている。しかし龍平は詳しいことは知らなかった。

 将軍はいったいなにを思ってこのようなことを口にしだしたのか。それと自分にみせたいものと、どう関係があるのか。意図を疑いつつ、龍平は耳をかたむけた。

「私はそのころ東京で陸軍士官学校の教官をしていましたが、いきつけの店に飯田橋の富士見楼という中華料理屋がありましてね、そこで如莉さんと出会ったんです。私も常連でしたが如莉さんも当時常連客だったので」

 幹に背をあずけ、空をみあげ、駿吉はいった。

「如莉さんは、ありふれた女性とはちがいましたね、実に個性的な面白い方でした。私には当時交際していた女性があったんですが――長野県出身の富士見楼で女給していた娘です――彼女が如莉さんと仲良しになりましてね、来店をいつも楽しみにしてましたよ。如莉さんは子ども時代父親の仕事の関係で日本に三年間いたそうで日本語ができたので、彼女とふたりでおしゃべりして、よく楽しそうに笑ってました」

 懐古的な語調がふいにがらりと変わった。

「ただひとつ、ふしぎなことがありましてね」

 駿吉は声をおとしていった。龍平をみた。真顔になっている。

「富士見楼は裏口のほうでサブローという犬を飼っていたんですが――おとなしい、いい犬で、だれにも吠えなかったんですが――それが如莉さんにだけは吠えたんですよ。何度会っても絶対になれなかった」

 駿吉は真顔を龍平に近づけていった。

「あれはいったい、なんだったんでしょうね?」

「・・・・・・」

 龍平にわかるわけがない。駿吉ははじめからこたえを求めていない証拠に、返事がないのもかまわずいった。

「あれにそっくりの犬だったんですよ。そこにいるでしょう? シベリアン・ハスキーが」

 人差指を隣の木にむけた。

「私があなたにみせたいといったのは、あれなんですよ」

 隣の木には、一匹の犬がつながれていた。シベリアン・ハスキーである。

「ゴローというんです。私が飼ってます。去年上海で出会って、ひとめぼれしましてね。なぜだと思います?」

将軍はこたえを求めず、龍平に目をすえていった。真顔がさらに近づいた。

「なつかしさがこみあげたんですよ。なにせ、そっくりなものですから――」

 底光りのある目をむけていった。

「富士見楼で死んだサブローに」

「・・・・・・」

 龍平はなにもいえなかった。将軍がなにをいいたいのかわからなかった。サブローが富士見楼で死んだことに、なにか特別な意味があるというのか。母になつかったことと関係しているとでもいうのか。

「いま、つれてきましょう」

 駿吉はそういって龍平からはなれた。うきうきと隣の木にいき、犬をつれてきた。ゴローという名のシベリアン・ハスキーだ。

「ほら、おとなしいでしょう」

 駿吉は目を細め、自慢するようにいった。ふつうの犬だった。リードにひかれて尾をふっている。

「かわいいですね」龍平はお愛想をいった。

「なでても平気ですよ。人なれしてますから」

 だが龍平が近づいたとたん、犬は猛然と吠えだした、まるで百年越しの敵に会ったかのようだった。

「コラ、こらこら、やめなさい」

 将軍は犬を叱り、いった。

「どうしたんでしょう。いままでこんなことはなかったんですが、だれにでもなつく犬で・・・・・・」

 いかにもふしぎそうにいったが、龍平にはとぼけてるようにしかきこえなかった。小山内駿吉は最初からゴローを吠えさせるために、自分に近づけたとしか思えない。富士見楼のサブローは李花齢に吠え、サブローにそっくりなゴローは息子の龍平に吠えたという既成事実をつくりたかったようだが、その目的はなんだろう?

自分への警告かとも思ったが、それだけでもないようだ。小山内駿吉はもっとべつのなにかを自分に伝えたいようにも思われる。母に関するなにかを――。それは最初に本人が口にしたとおりリラダン事件に関することかもしれない。

「まったくふしぎです」

 龍平はうなずいてみせた。つづけて、つっこんだことをきこうとすると、駿吉がいった。

「たぶん緊張してるんでしょう」犬にいたわるような顔をむけて、

「ゴローのやつは今日音楽堂に急きょ出演することになったものですから、トップ3といっしょに」

「え、そうなんですか」

 龍平は初耳だった。

「ええ」駿吉はにこやかにうなずき、懐中時計に目をおとした。

「おや、もうこんな時間ですね。そろそろつれていかなくては。申しわけありませんが私はこれで」

 会釈すると、

「では、舞台をどうぞお楽しみに」

 そういって謎のような微笑を残して、小山内駿吉は犬とともに音楽堂へと歩み去っていった。

 龍平は茫然としている。小山内駿吉、四十八歳――日本陸軍少将にして上海特務機関長でもあるといわれる男。その男が、たったいまいった言葉を反芻した龍平は、たちまちあることに思いあたり、ハッとなった。

 ――ひょっとすると、音楽堂で例のことが行われるのかもしれない。麗生が千冬に打撃を与えるのかもしれない。犬は千冬に打撃を与える手段として用意されたのかもしれない。しかしだとすると、自分に犬を紹介してわざわざ吠えさせた目的は?

 ふと龍平は肝心なことを思い出した。千冬はトップ3ではない。だから麗生たちと共演する予定はない。

そうは思ったが、千冬がいまどうしているかが急に気になりだした。龍平は来賓用天幕に視線をはわせた。そして愕然とした。

――いない。消えている。胸騒ぎがした。ほんのすこし席をはずしただけという気がしなかった。二度と戻ってこないように思われた。千冬はいったい、いまどこに――?

 龍平は音楽堂に必死な視線をそそいだ。そのとき音楽堂の司会が声をはりあげ、トップ3の出番がきたことを告げた。

 ――それよりすこし前、白蘭は音楽堂裏にひとりぽつんと立っていた。正確には、ひとりではない。そばにトップ3がいた。3人とも一匹の犬に夢中だった。白蘭は犬が苦手でこわいから近づけない。どうしてみんなあんなにじゃれつけるのか。麗生とロレーヌはともかく丁香までもが笑顔でかわいがっている。

 丁香は江田夕子の唯一の友だちだ。ほんとうはすごく話しかけたかった。でもいま私は白蘭に変身している。できるなら丁香ちゃんには自分の正体を明かしたいけれど、アレーが許さないだろうし、そもそも信じてもらえるとは思えない。丁香ちゃんにとって白蘭は初対面だ。気軽に話しかけることもできない。

でも白蘭はいまそれよりも、音楽堂出演のことで頭がいっぱいだった。急にきまったことだけに緊張はひとしおだった。ただでさえ人前にでるのは緊張する。白蘭としては初めてだから、なおさらだ。トップ3が最初に犬とともに登場し、白蘭はそのあと特別ゲスト「謎の美女」として呼ばれるということだが、でたあとにどう紹介されて、どう料理されるのか。どんな恥辱が待ちうけているかわからない。考えるほどに不安と恐怖がふくらむ。

 雲はいよいよ厚くなり、いまにも雨がふりだしそうだった。

にもかかわらずトップ3が音楽堂の舞台にでてくると、周辺は人でいっぱいになった。粥で腹がみたされた人びとは盛大な歓声をあげる。麗生、ロレーヌ、丁香が手をふる。ドッグレース犬はつれていなかった。かわりに「謎の美女」とやらがでてきた。

白蘭は舞台に立った。トップ3の横にならんだ。ひどい緊張で膝がふるえた。自分がいまどんなふうに紹介されているのか耳にまったく入らない。

それでも江田夕子の癖をだしてはならない、という意識だけはあったから、顔だけはまっすぐ群衆のほうへむけている。せめてかたちだけでも堂々としていなくては。気弱な心に鞭うって、人びとをみる。すると意外にも笑顔が目に入った。なんだかほっとして、人びとをみわたす勇気がでた。みると、たいていにこやかだ。特に男性は目があうと、スイッチをおしたようにデレッとなる。街で好色的な目でみられるのとちがって、いやな気はしなかった。

 自信がみなぎってくる。白蘭の美しさにはやっぱり威力がある。一部の冷たい視線さえみなければ、白蘭は調子にのっていたかもしれない。けれども白蘭はみてしまった。ふたつの冷たい顔を。

 ひとつはルドルフ・ルイスの顔。刺すように冷たい目をしている。嫉妬の目だった。スポットライトを浴びるものへの嫉妬と、恋敵とみなすものへの嫉妬である。白蘭にはそこまでわからなかったから、なぜそんな目をされなくてはいけないのかと理解に苦しんだ。とはいえ、こちらはそこまで気になったわけではない。あの墜ちたスターはファッション・ショーで一度も笑顔をみせなかったとおり不機嫌なのが常態だと考えられたからだ。いま思えば、あの人があの日舞台から自分に拍手したことこそ異常だ。

 だが、もうひとつの冷たい顔については白蘭はそれほど簡単には割りきれなかった。千冬だったからである(龍平が探していた千冬はこのときまだ音楽堂前にいたのである。)白蘭には千冬に恨まれるだけの理由があった。千冬は白蘭にそそのかされてファッション・ショーで舞台に乱入させられ、恥をかいた。恥をかくどころか、李花齢殺しの犯人にしたてあげられかけ、トップ3の座からおとされ、人気を失った。憎まれないわけがない。その氷のような視線に気づいたとたん、白蘭は総身に氷をあびたようにぞっとした。

 舞台にシベリアン・ハスキー、ゴローがつれてこられたのは、このときだった。

 それがなんの変哲もない犬一匹と知ったとき、競争犬のペルシャ産グレイハウンドをたくさんみられるとばかり思っていた人びとは、あきらかに落胆の色をみせた。犬はおとなしく平凡に歩いている。

 ばかにされた、と思った人もすくなくないようだ。いくらトップ3でも、平凡な犬を平凡に歩かせるだけでは人びとをひきつけるのは難しい。

 折悪しく、雨がパラパラふってきた。霧のように微量だが、人びとは気をとられる。見物客がへっていく、ひとり、ふたり・・・・・・。

すると突然麗生が白蘭に犬を近づけた。

 それまでおとなしかった犬が狂ったように吠えだした。

 人びとの目がふたたび音楽堂に集まった。

 麗生はここぞとばかりに犬を白蘭にむかわせた。リードをはなした。

 白蘭は犬が舞台にでてきたときから、顔がひきつりそうになるのを、やっとのことで抑えていた。そこへ麗生が自分にむかって犬のリードをはずした。

 白蘭の顔はひきつった。体がふるえた。犬はまだ、とびかかってはこない。吠えているだけだ。しかしリードは放されている。いまにも、とびかかってくるだろう。かみついてくるかもしれない。それこそ致命的な打撃だ――恐怖が白蘭の自制を完全に失わせた。

犬が近よったとたん、白蘭は悲鳴をあげた。走りだした。恥も外聞もなかった。髪ふり乱し、音楽堂のなかをぐるぐると走りまわった。走るのに夢中で、素足が旗袍のスリットからむきだしになっているのにも、音楽堂の柵にぶつけてすりむいたことにも、気づかなかった。だから、

「逃げないで」

 と麗生がいっているのにも、はじめは全然気づかなかった。しばらくして犬の吠え声が離れたのを感じ、ふりかえって追いかけてこなくなったのを知り、やや落ちついて麗生がなにかいっているらしいのに気づいた。

「こわくないから」

 そう麗生の声はいっていた。犬が麗生とともに近づいてきた。リードはいつのまに麗生がふたたびつかんでいた。白蘭はとまった。

「もってごらん」

 麗生はリードを白蘭にさしだした。

「ふつうにこれをもつだけ。いまならだいじょうぶ」

 犬はなぜかもう吠えていなかった。

「かみつかないから平気」

 麗生はしつこくリードをつかませようとした。白蘭には悪意があるとしか思えなかった。だがもし、そのとき麗生の目をみていれば、悪意のかわりに誠意がうかんでいるのに気づいただろう。

「こわがっちゃだめ。ほら」

 そういわれて白蘭がリードをとったのは、麗生の言葉を信じたからではなく、断れなかったからにすぎなかった。

「できた、できた!」

 麗生が大げさにほめたたえたのは、ばかにしているからとしか思わなかった。

「白蘭さんでした! ありがとうございました」

 自分をトップ3より先に帰したのは、目的を果たしたからとしか思わなかった。ひとつは白蘭を大勢の前ではずかしめるという目的。もうひとつは白蘭の正体が江田夕子という証拠をつかむ目的。麗生は江田夕子が犬嫌いだと千冬からきいたにちがいない。ねらいどおり白蘭は犬をこわがり逃げまわった。正体が江田夕子としか思えない醜態をさらした。

 さぞ麗生はよろこんだにちがいない。白蘭はそう思ったから、退場するときに、

「ほんとにありがとう。助かったよ」

 と、麗生に耳もとでささやかれても、いやみとしかうけとらなかった。白蘭は麗生の顔に心からの感謝があらわれているのを知らなかった。もしこのとき麗生の顔をみたら、麗生が犬をはなしたのは、客をひきつけるためにやむをえずしたことだと気づいたかもしれなかった。自分を出演させたのも他意あってのことではなかったと気づいたかもしれなかった。

 だが白蘭は麗生の顔をみなかった。だから音楽堂をでると、屈辱と怒りに身をふるわせた。さらに恐怖におそわれた。ほんとうの攻撃はまだまだこれからだ、と考えたのである。

 白蘭の正体を江田夕子と確信したならば、麗生がこのまま自分をほうっておくとは考えられなかった。出番が終わりしだい、次の手にでてくるだろう。なにしろ「麗生たちは私を合宿所から『早いうちに』『追いだす』ために、『チャリティ・イベント』で致命的な打撃を与えるつもり」なのだから。いまこの瞬間にも、この公園のどこかで私を追いだすための計画がすすめられているのではないか。麗生の子分ともいうべき王結と馬秋秋の姿がさっきから天幕にもどこにもみえないのが、その証拠ではないか。

 魔術師アレーは、音楽堂裏からでてきた白蘭をみるなり、ほくそ笑んだ。やや離れた場所からでも、あの顔をみれば白蘭がいまどんな心理状態にあるか察しがついた。

 あの顔だとプランBはたいして手間どらずに実行できそうだ、とアレーは思った。

 日本特務の作戦を妨害するのに、麗生を監視してしっぽをつかむというだけでは心もとないということでアレーは巧とともにプランBをたてた。麗生が日本特務の思惑どおりに千冬を攻撃しようとしたら、江田夕子にのりこませて麗生を攻撃させる。そのためには白蘭に気づかせずに、もとの姿に戻す必要がある。

そして江田夕子に麗生を殺してもらわなくてはならない。

 ファイナリストの日本人が中国人を殺せば、いやでも世間が注目する。それだけ日本を悪者にできる――。

いまの白蘭の顔をみるかぎり、麗生への敵意、憎悪、怒りはすでにじゅうぶん蓄えられ、ふくらんでいるようだ。それを殺意にまで高めるのに、それほど手間はかからないはずである。

 雨はふたたびやんでいた。が、白蘭に歩きだす気配はない。音楽堂裏にたたずんだまま、物思いに沈んでいるようすだった。――よし、まずは肩をたたいて驚かしてやるか、とアレーは持ち前の茶目っ気をおこし、こっそり背後にしのびよった。ぬかるんだ芝生をふみしめ、通行人をやりすごして接近し、白蘭の肩にそっと手をのばした。そのときだった。

 横から何者かが割りこんできた。アレーにはみむきもせず、白蘭にむかって、

「ちょっと! いいですか」

 その者はくいつくようにいった。ルドルフ・ルイスだった。

「話があるんです。私ときてください」

 有無をいわせない口調だった。ルドルフ・ルイスは逆上していた。龍平に冷たくあしらわれたショックと怒りを、龍平と親しげに話していた白蘭にぶつけることで、はらそうとしていた。

アレーにはそのへんのことはわからない。いまルドルフが白蘭への害意に燃えていることだけはわかった。だがこれからプランBを実行しようという矢先に邪魔されてはかなわない。

 アレーは割って入った。

「やあルドルフさん」

 穏やかにいったつもりだが、ルドルフは案の定、露骨に迷惑そうな顔をした。先週のファッション・ショーでの「和解」も忘れたように眉をひそめ、

「私はこの人に話があるんです」

 白蘭を指さし、つっけんどんにいった。

「ふたりきりになりたいんです」

 それまであっけにとられていた白蘭がこのとき初めて口をきいた。

「あの、話ってなんですか」

 ルドルフは話したいが、アレーがいては話せないといった目をして、

「アレーさん」

 と、退去をうながすようにいった。アレーは動かなかった。満面に柔和な微笑をとき、さとすようにいった。

「ルドルフさん、あなたは賢く、やさしいお方です。人間には善悪ふたつの顔があると私が前に話したことはおぼえておいでですね? ――白蘭がなにをしたにしろ、許してやってくださいませんか」

 子どもをあやすような口調がいけなかったのかもしれない。ルドルフの高すぎるプライドを刺激し、逆効果になった。

「あのねえ」ルドルフは唾を吐きかけるような顔をしていった。

「いまはあなたの説教をきいている場合じゃないんですよ」

 口でいっても、だめだ。ならば体をはるしかない。アレーは動いた。白蘭をかばう位置に立った。するとルドルフが、

「邪魔するんですか。それだったら――」

 といって突然白蘭の死角に入った。そして靴ひもを直すふりをして、アレーにだけみえるようにブーツからとりだしたものを白蘭の背中にむけた。

「これを――こうしますからね」

 ルドルフはいった。さすがのアレーが言葉を失った。

 ルドルフが手にしたのは短銃だった。白蘭には気づかれないように背中につきつけたまま立ちあがった。引き金に指をかけた。ニヤッと笑っていった。

「これを、こうしても、いいんですね?」

「・・・・・・」

 アレーはかぶりをふった。

「だったら邪魔しないでください。いいですね?」

 アレーは無言でうなずいた。いうとおりにしなければ、ルドルフはほんとうに白蘭を撃つだろう。なにがあったのかは知らないが、ふつうの顔ではなかった。濃いくまにふちどられた目は血走り、異様にぎらついている。まともな精神状態にあるとは思えない。ここはしたがうしかない。

「あとで尾けようとしても、だめですよ、わかりますからね。わかったとたん・・・・・・ですよ」

 ズドン、とルドルフは口のなかでいった。アレーは退いた。どうする? このままではプランBを実行できない。


 白蘭は短銃をあてられたとは夢にも知らなかった。ルドルフとふたりきりになると、平然ときいた。

「私にどんな話があるんですか?」

 緊張はすこしもなかった。憧れだったスターと話しているという意識はほとんどなかった。目の前にいるのは、小汚い、ただの白人だ。しかも挙動不審ときている。むしろみくだす気持ちだった。ルドルフは無精髭にふちどられた口を動かした。

「――」

 一生懸命になにかいっている。この人はよっぽど私と話がしたいらしい。もしかしたら私に告白しようとしているのかもしれない、と白蘭はうぬぼれた。ただしルドルフがなにをいったかは、ききとれなかった。目の前の音楽堂のマイクのボリュームが急に大きくなり、周囲が急に騒がしくなったからだ。

「すみません、なんていったんですか?」

 そういった白蘭の声もまた音楽堂の声にかき消された。

「みなさーん、寄ってくださーいっ」

 音楽堂の麗生が大声で叫んでいる。見物に呼びかけている。

「いまからプレゼントを投げまーす!」

 マイクをとおした声は耳にガンガンきた。それでもルドルフはいった。

「――を、はっきりさせてほしい」

 それだけ、ききとれた。肝心な部分はわからない。

「なにを、ですって?」

 白蘭はきき返した。自分なりに声をはりあげたつもりだが、届かなかった。

するとルドルフがまたなにかいった。さっきと同じ口の動きをしているようだが、きこえない。白蘭は何度目かで首を横にふる。ルドルフの目はいらだたしげに光る。

「それでは、いいですかー」きこえるのは麗生の声ばかりだ。

「手作り人形、投げますよー」

 ふたりともたまらず音楽堂をにらみつけた。トップ3が声をそろえて叫んだ。

「せえのっ」

トップ3は見物にむかって人形の束を節分の豆まきのように投げだした。わあっと見物から声があがった。無数の人形がカラフルな紙吹雪のように降る。無数の手がのびる。

「・・・・・・」

 ルドルフと白蘭は軽蔑の目でにらんだ。

 手作り人形とやらは、人形とは名ばかりの軍手の指みたいな顔に目鼻口がちょこんとついただけのしろものだった。大人がほしがるようなものではない。それをみなが争ってもらおうとうしている。

「今度はそっち、行きますよーっ」

 麗生が叫ぶ。そのたびに別の方向から喚声があがる。騒ぎは大きくなるばかりだ。すこしも静まる気配はない。このままではいつまでたっても声が通じない。ルドルフと白蘭は思わず同時にため息をついた。ふしぎなことに、たがいのため息だけは、たがいの耳に届いた。ふたりとも大声をだすのが苦手なだけあって声よりもため息のほうが大きかった。

ふたりは目をみあわせた。即座に相手の目に自分と同じ思いをよみとった。このうるさい場所から一刻も早く離れたい、話すなら静かなところへ――そう、たがいの目はいっている。ふたりは無言でうなずきあった。同時に歩きだした。

白蘭は内心得意だった。腐っても元俳優の白人男性と、音楽堂に出演した東洋美女のツーショットは、それなりに人目をひいた。道をゆずられた。

それでいてルドルフと歩くのは気楽だった。 やっぱり銀華劇場でこの人の性格を知ったのが大きいと思う。この人はどっかおかしい。人との接し方をわかってない。私よりダメ人間だと思うと緊張しなかった。優越感にひたれさえする。

それにしても静かな場所はなかなかみつからない。むしろ進むほどに人ごみがひどくなってきた。「スターの威光」をもってしても簡単には通れなくなった。

 白蘭とルドルフはものすごい目つきで前をにらみだした。前の三人づれが止まって動かないのだ。幼児をだいた母親と、その親らしき老婆の三人である。若い母親は幼児の鼻を指でおしては「ティンドーン」といってあやしている。口をあけてよろこぶ幼児に、老婆がもらったばかりの粥を匙ですくって食べさせようとしていた。うしろの若い男女がにらんでいることには気づいていなかった。匙を幼児の口へはこぶ途中だった。老婆はうしろからおされた。男女が邪魔だとばかりにおしてきたのだ。衝撃で老婆は粥を匙からこぼした。粥はうしろの男女の足もとにおちた。ルドルフと白蘭はうめきのようなため息をつき、老婆をつきとばした。よろける老婆と、泣きだす幼児と困惑する母親をみむきもせず、去っていった。

ルドルフは怒りのままにつき進んだ。だれにも自分の通行は邪魔させないといわんばかりだった。煙草をくわえ、ところかまわず煙をまきちらした。白蘭も煙草こそ吸わないが、そっくりの歩きっぷりだった。どかない人間がいると「私をだれだと思っている」とでもいうようににらみつけ、顎をつんとあげて通った。

 やっと人も騒音もすくない場所にでた。噴水前である。ちょうど前のベンチから年増の女性四人が立ちあがり、あいたところだった。これでおちついて話ができる、とふたりがベンチにむかった瞬間だった。

「ハロー、ハロー! レディー アンド ジェントルマン」

 大声で呼びかけられた。みるとすぐそばの出店のおやじがルドルフをイギリス人とみて満面に愛想笑いをひろげて、

「ふたりともビューティフル。コカコーラ一本、五十セント! サービス、サービス」

 知ってる英語をならべたてて売りこみをかけてきた。ふたりともカモにされてたまるかというように無視したが、親父はいつまでもしつこい。ベンチは老夫婦にとられた。ふたりは満面に不機嫌をあらわしてその場を離れた。いったいどこならおちつけるのか。しばらくいくと公園の案内図があった。ふたりは立ちどまって眺めだした。すると横から一組の男女が割りこんできた。両方若い白人でべったりくっついている。地図を眺めるというより、人前でいちゃつくのが目的にみえた。

 ルドルフと白蘭はただちにそこから離れた。あんなカップルといっしょにいたら、自分たちも同類と思われる。そんなのは耐えられない。

 ところがふたりのすぐあとから、さっきのカップルも同じ道を歩きだした。足音と会話が追いかけてくる。白蘭は全身の神経をさかだてた。こんなにくっついて歩いてたら、グループ・デートしてるみたいにみえるんではないか。冗談じゃない。白蘭はわざと屈折した歩きをはじめた。うしろのカップルと同類と思われないように、わざとルドルフから離れ、ジグザグに歩いた。道の左はしに寄ったかと思えば右はしへ、右はしから左はしへ。ルドルフはけげんな顔をするどころか、白蘭に呼応するように同じ動きをとった。つまり白蘭と対称の線を描いてジグザグ歩きをした。そんなふたりを、うしろのカップルがあきれかえった顔でみていたとも知らず、皇帝きどりと女優きどりは蘇州河岸にたどりついた。

 ベンチはたくさんあったが、黄浦江ぎわと同じく、ほとんど人でうまっている。空席を探さなければならない。

 白蘭はうんざりしてきた。おなかはすいたし、足が痛くなってきたし、風が冷たくて冷えてきたし、トイレに行きたいしで、不快感はピークだった。ベンチでのんびり粥など食べてる連中をみると憎らしくてしかたない。ほかの人はほかの人なりの不満を抱えているとは想像もしなかった。

ほとんどの来場者は、このチャリティ・イベントに満足はしていなかった。チャリティというのは名ばかりで慈愛などみじんも感じられない。金持ちの自己満足のためのイベントというのが、きてみてよくわかった。おえらいさんもスタッフも警備員も、粥をやったんだからさっさと帰ってくれ、といわんばかりの顔をしている。音楽堂でもたいしたことはやってくれないし天気も悪いことだし、そろそろ帰ってもいいのだが、まだほかの人が残ってるからなんとなくいるにすぎない。口からつい「つまんない」のつぶやきもでるものだ。

 だがルドルフは、通りがかりのベンチであぐらをかいた男が、ちょうど自分がとおるときに、

「つまんねえ」

 と、つぶやいたのに激怒した。自分が「つまんねえ」といわれたような気がし、侮辱されたように思ったのである。といっても直接文句をいう勇気はなかった。男はいかにも強そうな体格をしていた。だからべつの方法で怒りをまぎらわすことにした。自分の吸いかけの煙草を男にみえるように思いっきり地面にたたきつけた。さらに踵でめちゃくちゃに踏みにじろうと、足をあげた。そのときだった。肝心の吸殻がみえなくなった。

木陰から煙草拾いの男があらわれて奪っていったのだった。煙草拾いとは人の吸殻を拾い集めては空き箱にいれ、新品を買えない労働者階級に路上で不正に売りさばいている者のことである。道ゆく人の口から煙草がおちるのをつねにまちかまえ、おちるやいなや先端に針のある棒をつきさし、布袋におさめるのを習性とする針ねずみのような連中だった。

 いま、その煙草拾いにふいうちで吸殻を奪われたルドルフは、行き場のなくなった足をおろすと、あてつけのように地面をけり、憤然といった。

「まるで難民収容所だ」

 白蘭が共感の目をむけた。するとルドルフは反り身になり、皇帝のようにあたりを睥睨し、いった。

「洗練された美がまるで見出せない」

 白蘭が大きくうなずいた。すぐそばでは主婦たちが地面に座ってかぼちゃの種を食べている。殻を次々と口からだし、ぺっぺと吐いている。ルドルフは独白をつづけた。

「人びとは私の気に入らない。知能が低すぎる。これら愚民のなかに優秀な人間は存在すべきではない。この地に私をよろこばせるものはなにもない。上海はしょせん欧米をまねただけの、まがいものの腐った街だ。もはや私にはなんの魅力もない。そろそろ私がこの街をみすてるときがきたようだ」

 みすてる前にそばのベンチがあいた。たちまち皇帝きどりはあさましい本性むきだしにとびついた。女優きどりも我を忘れて尻をのせた。

 白蘭は顔にまとわりつく髪をはらいのけた。雨気をはらんだ風が肌をなぶる。河岸にうちよせる水の音がきこえる。 対岸の閉鎖されてひさしい旧ソ連領事館の建物の前を、貧しげな船乗りがときおりギイと物悲しげな棹の音をたててとおりすぎていく。

蘇州河は川幅は大してないし、うかんでいるのも小船ばかり、表通りにたいする裏通りといった印象がある。

まわりの話し声もきこえるが、音楽堂付近ほどうるさくはない。たがいの声がきこないということはなかった。

「あなたに確認したいのですが」

 ルドルフがきりだした。ここにくるまでに白蘭と共感しあう部分があったにもかかわらず、語調はふたたびとげとげしくなっていた。

「あなた、龍平としゃべってましたよね」

「え、しゃべってましたけど」

 白蘭がいうと、ルドルフは血相を変えていった。

「しかもレコードをもらってましたよね。あれはあなたへの贈り物ですか?」

 ルドルフの剣幕に白蘭は驚いた。贈り物だったら、なにが問題だというのか。

ルドルフはもしかしたら龍平さんに嫉妬してるのかもしれない、と白蘭は思った。ルドルフはやっぱり私に気があるのかもしれない。それなら龍平さんが白蘭に贈り物をしたのをみて平静でいられなくるのも、むりはない――と、うぬぼれた白蘭はひとり合点して、

「レコードは私への贈り物じゃないですよ」にこやかにいった。

「あずかっただけです。ある人に渡してほしいってたのまれて」

 そういわれてルドルフは安堵するどころか、気色ばんでいった。

「だれに、龍平は渡してほしいといいました?」

 白蘭は首をひねった。私は龍平さんに贈り物をされてない、とわかったのに、ルドルフはちっともよろこばない。どうやら龍平さんがだれに贈り物をしたかが問題らしい。なぜか? ルドルフは親友として龍平の行動が気になるのかもしれない。私も丁香ちゃんが私以外の人に贈り物をしてたら気になる。ルドルフが龍平に親友以上の気持ちをもっているとは知らない白蘭はそのように考えた。そして、ちょっとからかってみたい気にもなって、

「麗生さんです」

 と、ウソをこたえた。ルドルフがどう反応するか、みたかった。ルドルフが麗生をどれぐらい好きか知りたい気持ちもあった。

「なぜ麗生なんかに」

 ルドルフはいまいましそうにいった。

「龍平はなぜ人にたのんでまで麗生などにレコードを・・・・・・」

 ルドルフは口をとがらせている。どうやら麗生をよく思っていないらしい。つきあっているのに、好きじゃないのだろうか。真相を知るべく、白蘭はからかい半分に刺激する。

「どうしてでしょうね。李さんは麗生さんが好きなんですかね?」

 ルドルフはこたえなかった。地面をにらんでいる。足のまわりを幾匹もの蟻がはいまわっていた。うち二匹に靴の踵をあてた。ぐりぐりとふみつぶし、うめくようにつぶやいた。

「いったい龍平は、いま、どこにいる」

「音楽堂のほうにいるんじゃないですか」

「いや、いなかった。知らないあいだに消えていた」

「え、それは私も知りませんでした」

「私はずっと龍平をみていた。ほんのすこし目を離した瞬間、いなくなっていた」

「どっかへ行っただけじゃないですか」

「わからない。とにかく龍平がいまどこにいるか知りたい。龍平はいまどこに?」

 うわごとのようにつぶやくルドルフをみているうち、白蘭も平静ではいられなくなった。龍平の行方が心配になったわけではなかった。ただなんとなく不吉な予感におそわれてきた。いまにもとんでもないことがおこるような気がしてきた。

 時刻はトップ3の音楽堂出演が終わるころである。麗生がまもなく自由の身になる。そしたら自分が安全でいられる保障はない・・・・・・。

 ブーンと耳もとでなにかがうなる音がした。蚊だ。そういえば腕がかゆい。さされている。飛ぶ蚊を目で追った。ルドルフも蚊に気づいた。ふたりして宙をにらんだ。

 すると、蚊のいる方向から租界警察の制服をきた警官がやってきた。蚊をにらんだのを、警官をにらんでいると誤解してやってきたのかもしれない、と白蘭は思った。警官はいきなり中国語でいってきた。

「ガラの悪い人ばっかりですか?」

 白蘭はきょとんとした。なにをいわれたかわからなかった。警官は険しい顔をして、ふたりをみている。こたえを求めているというより、抗議する顔にみえた。「ガラの悪い私になにか文句があるのか。あるなら、はっきりいえ」といわれているような気がした。

ルドルフは早々に無視をきめこんでいる。白蘭も無視したかったが、相手が警官だけにできない。なんでもいいからこたえなくてはと思い、

「いいえ」

 と、いった。すると警官は、

「そうですか、いませんか・・・・・・」

 と、いって考えるような顔になり、きびすをかえした。と、思われたが、ほんの二三歩いっただけで足をとめ、ふたりの目の前の欄干に手をかけ、河を眺めだした。ふたりはせっかくの眺めを奪われたかたちになった。抗議しようにも相手が警官だけにできない。移動しようにも、いま動いたら、よけいな誤解を招きそうでできない。「逃げるのは、やましいことがあるから」と思われるかもしれないからだ。背中をにらむぐらいしかできない。

しかしこの男、ほんとに警官だろうか。白蘭はしだいに疑念をおこした。男の制服はよくみると体にあっていない。大きくて袖も裾もあまってる。そういえば男の中国語には日本語訛りのようなところがあった。この男、実は中国人警官をよそおった日本人ではないか? 白蘭の想像はふくらんだ。この男、スパイかもしれない。

なんのスパイかは知らないけど、私とルドルフの会話を盗みぎこうとしてるのかもしれない。会話の盗聴が目的なら相手に姿をさらすわけがない、とは白蘭は考えなかった。いっさいしゃべれなくなった。ルドルフも同じだった。

 男はそのまま十五分も同じ場所に立ちつづけたが、白蘭とルドルフはそのあいだひとことも口をきけなかった。

 男は十五分の間、なにをしていたかというと、十秒ごとに腕時計を確認していた。腕時計をみては蘇州河をみる、という動作をもう何十回も、あきもせずくりかえしている。

 いったい蘇州河になにをみているのか? 首をのばし、たしかめた白蘭はぞっとした。

男と同様の作業をくりかえす人間があちこちにいたのである。河の東西南北に計六人――鳥打帽をかぶった背広の若い男に、髪をくしけずっている旗袍姿の若い娘と、年格好はさまざまだが、六人の十秒ごとの行動は完全に一致している――腕時計をみ、河をみる。 河のなにをみているのか。彼らの視線をたどって白蘭はあるものを発見した。

 白蘭の位置から百メートルほど西にガーデン・ブリッジがある。その下にエサを求める鯉のように小船が幾艘もむらがっているが、その群れから、やや距離をおいたパブリック・ガーデン沿いの岸に一艘の小船が停泊していた。日本の屋形船の半分ほどの長さの、小型荷船である。

 甲板にはきなこのような砂がつまれている。乗り手らしき人はみあたらず、船首をこちらにむけたまま死んだように動かない。船室の窓のカーテンはしめきられている。しかし七人の視線が集まる船だけに、ただならぬ気配を感じる。

たちまちおそろしい疑惑が白蘭の頭にひろがった。 ――あの船には、爆弾がしかけられているのではないか? 

六人は腕時計をみて「あと何秒で爆破」とカウントダウンしているのではないだろうか?

標的はだれか? それを考えて白蘭は顔面蒼白になった。――標的は私だ。だから「警官」が目の前にいる。ここにいて私をみはっている。例の文章がまたぞろ頭で明滅した。

 ――麗生たちは私を合宿所から「追いだす」ために「チャリティ・イベント」で私に致命的な打撃を与えるつもりである。

男はおそらく麗生の仲間だろう。いや、この男のみならず、河の両岸にいる、腕時計をみている六人もそうにちがいない。六人は私に致命的な打撃を与えるためのしかけを、あの船に用意している。時間をみはからって船に出発の合図をだし、私の前で爆発させようとしている。白蘭は戦慄した。

 そのとき、警官姿の男が動きだした。男は白蘭とルドルフをふりかえりもせず、欄干沿いをスタスタと歩きだした。どこへ行くのか。

 男はおそれたとおり百メートルほどいってとまった。例の船の前である。船室には左右に三つ窓がある。その窓のひとつのカーテンが男が立ちどまったとたん、わずかにひらいた。カーテンのすきまから人の顔がのぞいた。ふたりいて、両方とも女である。と、窓がわずかにひらき、なかから花がつきだされた。

 男はそれをうけとるのかと思いきや、みているだけだった。だが近くで遊んでいた子どもが、船からでた花をめざとくみつけて、

「あ、お花だ」

 と叫んでよってくるなり、男は船窓を隠すように立ちふさがった。子どもは驚いて逃げていった。そのあいだに花はなかにひっこみ、船窓はふたたび暗くとざされた。

 たったそれだけのことだった。だが白蘭は血の気をひかせた。船室に女がいるのはみえなかったが、窓からつきだされた花はみえた。花は自分を意味する暗号だと思ったのである。

花は白かった。白蘭花にちがいないと白蘭は思った。白蘭花=白蘭。それを船の人間が窓からだし、すぐひっこめた意味はなにか? 「白蘭は白蘭花同様まもなく船内にとらえる」というメッセージを私に伝えるためではないか? 私への宣戦布告だ・・・・・・。

 みると警官姿の男はいつのまに姿を消している。蘇州河の両岸にいた六人の男女も同様だ。――消えている。

いったいどこへいったのか。――船へ?

 おそろしい想像が、白蘭を恐怖と不安でみたした。ルドルフにさえすがりつきたい気持ちだったのかもしれない。無意識に英語でつぶやいた。

「スパイと誤解されてて・・・・・・」

 小さな声だった。だがルドルフはききとった。それどころか、ききずてならないといった顔を白蘭にむけた。

白蘭は伏目のまま、あくまでひとりごとのようにいう。

「今日完全に、正体がばれたから・・・・・・」

 それをきくとルドルフはなぜか血相を変えていった。

「正体がばれた? ――だれに?」

「麗生に」

 白蘭はこたえた。たちまちルドルフの目に異様な光が点じたが、自分の恐怖でいっぱいの白蘭は気づかなかった。

白蘭は思う。いまだって船窓から麗生が私のようすをうかがっているにちがいない。こうしているあいだにも自分を襲撃する準備が着々とおこなわれている・・・・・・。まもなく、船は動きだし、火をふくだろう。私の前でとまるだろう。私は船に拉致されるだろう。――逃げたい。でも立ちあがった瞬間、敵に襲われたら? 動けない。やられるとわかっていても、ここにいるしか・・・・・・。敵はくる。いまにも、ああ、いまにも。

白蘭は恐怖に気も狂わんばかりになって無意識にいった。

「くる・・・・・・麗生は絶対に・・・・・・してくる」

「なにを?」ルドルフは目をぎらっと光らせた。

「麗生がなにをしてくる?」

 その語調の鋭さに依然気づくことなく、白蘭はとぎれとぎれにつぶやいた。

「麗生は・・・・・・追い出すために・・・・・・今日のイベントで、致命的な打撃を・・・・・・」

 ルドルフは固唾をのんできいている。白蘭は気づかず、つづける。

「麗生の仲間・・・・・・きっとみんなでリンチしてくる。スパイと吐かせて、暴行を・・・・・・。それですめば、まだいいけど――」

「リンチだとっ!?」

 ふいに割れるような声が白蘭の耳をうった。びくっとして横をみた白蘭はそのときはじめてルドルフの血相に気づいた。

「このうえ麗生ごときにリンチされなくてはならないのか!」

 ルドルフは叫んだ。こぶしをふりたてている。

「正体がばれただけでも、許しがたいというのに」

 唾をとばしていった。なにをそんなにいきりたっているのか。

 ルドルフは白蘭の主語のない発言を誤解してうけとった。ルドルフは自分中心にしか、ものを考えられない人間である。主語のない発言をきくと、自分のことをいっているのだと勘違いした。――「今日完全に、正体がばれた」、「麗生に」ときくなり、ルドルフは、自分の正体が麗生に完全にばれた、と思いこんだ。つまりルドルフが日本のスパイということを麗生に知られた、と思ったのである。それを白蘭がルドルフに伝えたのは、白蘭が自分と同じ日本のスパイだからだと解釈した。

 怒ったのは、麗生に腹がたつからにほかならない。ルドルフは麗生を見下していた。つきあっていたが、好きでくっついたわけではなかった。自分が日本のスパイということは麗生にはもちろん秘密にしていた。ルドルフは、自分の見下す人間に自分の秘密を教えると、それだけで自分の価値が下がるように思っていた。だから交際して一年近くがたち、つくづく嫌気がさしている麗生にはどんな秘密も教えるつもりはなかった。

なのに麗生が自分の正体を知ったという。のみならず、「スパイと吐かせて、暴行」するつもりだという。

「麗生にはすでに十分悩まされてるというのに、このうえ暴行するだと?」

 ルドルフは叫んだ。激昂のあまり、白蘭同様、主語をはぶいている。

「いままでどれだけつらい思いをしてきたか――あの女にはまるでわかっていない。無神経ぶりにどれだけ耐えてきたか、どれだけ被害をこうむったか、どれだけ腹にすえかねてるか――」

 この主語のない発言をきいて、白蘭もまた誤解した。白蘭もまた自分中心にしか、ものを考えられない人間である。ルドルフは白蘭のために怒っていくれている、と勘ちがいした。白蘭にほれてる証拠だ、などと思った。

半面、驚きもした。ルドルフは「正体がばれただけでも、許しがたい」といった。私の正体が江田夕子と知っているらしい。いつのまに、どうやって知ったのだろう?

 アレーが教えたのかもしれない。白蘭は自分の都合のいいように解釈した。ルドルフはファッション・ショーをきっかけとしてアレーの上客にでもなったのだろう。ルドルフと何度か個人的に会ううちに、気に入ったのかもしれない。私にやったみたいに、なにかを依頼するために、ルドルフと契約をむすんだのかもしれない。アレーはたぶんそのときに、私にボアンカの話をしたみたいに、ルドルフに私の話をきかせたのだろう。江田夕子がどんな娘かということや、合宿所で麗生に悩まされてることや、白蘭に変身する話をしたのだろう。

「正体、知ってたんですか?」

 白蘭はルドルフに確認した。興奮のせいか、また主語がぬけた。

「知らないで、どうする」

 ルドルフは自分の正体のこととばかり考えているから、こたえつつ失笑した。その笑いをちがう意味にうけとった白蘭は不安になり、いった。

「そのこと、だれにもいわないと、約束してもらえますか?」

「約束するまでもない。そっちこそ、いわないでくれるだろうな?」

 今度は白蘭が失笑する番だった。

「もちろんです。いいっこありません」

「よし」

 ふたりは目と目をみあわせ、うなずきあった。どちらも相手が自分の正体を知らないとは夢にも思っていない。勘違いしたまま、かたく握手をかわした。

「ふたりなら力は二倍。麗生の思いどおりにはさせない」

 ルドルフは思いついたようにいった。

「むこうがその気なら、こっちから攻めてやるまでだ」

「攻めるって、あの船をですか」

「ああ」

 ルドルフはガーデン・ブリッジ付近に停泊する例の小型荷船をみてうなずいた。もっとも日本特務のスパイでありながら、あの船がなんなのか、実はなにも知らなかった。が、

「やっぱりあのなかに麗生がいると思いますか?」

 と、白蘭にきかれると、迷わずうなずいた。そのときだった。小型荷船の船室のドアがひらき、なかから二人の男がでてきた。男二人は船首に移動し、棹をとった。なれた手つきで漕ぎだした。

船は動きだした。蘇州河をすべり、あっというまに白蘭たちの目の前の岸によせてきた。波しぶきがわずかだが欄干をこえてとんできた。

 白蘭は色を失った。おそれていたことが、おきている。

「奇襲のつもりか。なんと無遠慮な・・・・・・がまんの限界だ」

 ルドルフは癇癪をおこした。

「のりこんでやる!」

 叫ぶと、いきなりベンチから立ちあがった。

そのようすを離れたところからみてアレーはぎょっとした。ルドルフが船にのりこんだりしたら、こっちの計画――プランBが台なしだ。

アレーはベンチの数メートルうしろの茂みにひそんでいた。ルドルフに尾行を禁じられたものの、あとから公園じゅうを歩きまわることでアレーはベンチに座るふたりを発見した。そして茂みにひそみ起死回生のチャンスをうかがっていた。するとルドルフが立ちあがって、あんなことをいった。それまでの話はきこえなかったが、いまの叫びはさすがにアレーの耳にも届いた。

ルドルフは叫びどおり、いまにも船にのりこみそうな気配をみせている。船に麗生と千冬がのっているなら、のりこませたいのは白蘭――いや、江田夕子である。ルドルフにのりこませるわけにはいかない。なんとしても、とめねばならなかった。幸いルドルフはいま銃を手にしていない。

にもかかわらずアレーはとびださなかった。ふとある考えがひらめいたからだった。ルドルフの無分別な行動がかえってこちらの有利になる――一石二鳥にも三鳥にもなる可能性すら秘めていることにアレーは気づいたのだった。

 だから近くの劉虎がルドルフの動きを警戒してとびだしかけたのをみると、あわててとめた。劉虎は麗生を尾行して、麗生ののった小型荷船をアレーのそばの茂みで監視しつづけていた。ふたりは期せずしてこの茂みで顔をあわせたのだった。

 ベンチでは白蘭が腰をうかせ、ルドルフに待ったをかけていた。

「待ってください」

 白蘭は欄干にいきかけたルドルフをひきとめようとした。ルドルフが麗生を攻撃しにいくといいだしたのは、自分のためとばかり白蘭は思いこんでいる。「ルドルフの気持ち」はうれしかった。けれどもしルドルフがのりこんで、その背景に私がいるとわかったら――麗生の怒りをよけいにあおることになる。それは避けたい。そう思ったので白蘭はひきとめようとした。

「お気持ちはうれしいですけど――」

「私は行く」

 ルドルフはきっぱりといった。

「でも、麗生が」

「私はおそれない。私は強い人間だ」

 ルドルフはいった。目の裏には龍平の冷たい顔が焼きついていた。龍平に自分の力をみせたいという思いがルドルフにいわせた。

「これでも男であり、みずからを皇帝と誇る男だ。これ以上麗生の好きにはさせない。私は麗生をうち負かす。私にはそれだけの力がある」

 ルドルフは拳をふりたてる。白蘭は、ルドルフは自分にかっこいいところをみせたいのだと思いこみ、うぬぼれていった。

「本気なんですね」

「ああ。私には手段がある」

 ルドルフは自信にみちた声でいった。その顔はさっきまでとは、まるで別人だった。映画『黄昏の皇帝』のポスターそのままに、にがみばしっている。右の額から左の目にかけて深い切り傷のようなしわができていた。青い冷炎ゆらめく目で白蘭をみつめ、ルドルフは低くささやくようにいった。

「あの女が屈服するところを、みたくはないか?」

 白蘭はどきどきした。すくなくともその瞬間のルドルフはさっきの龍平の何百倍も魅力的に思えた。白蘭は顔を赤くし、声をうわずらせ、いった。

「みたい、です・・・・・・」

 ルドルフはうなずいた。

「私もだ」

 そういってブーツの紐をむすびなおした。白蘭はぼうっとなって気づかなかったが、ルドルフは瞬間にブーツにはさんだ短銃をぬきだし、ズボンのポケットにしまいこんでいる。

「邪魔しないで、ここにいてくれるな?」

 ルドルフはきりっとした顔をむけてきいた。

「はい」

 白蘭は顔を赤らめてうなずいた。

「では、行ってくる」

 ルドルフは猛然と欄干をまたいだ。

小型荷船は目の前の岸壁に係留したところだった。岸壁をおりたルドルフは、ためらうことなく甲板におどりこんだ。

 甲板で縄を巻いていた長衫姿の男ふたりは一瞬なにがおきたのかわからずぽかんとしていたが、闖入してきた白人が船室のドアに勝手に手をかけようとしたのをみると、さすがにあわてて英語でどなりだし、効果がないとわかると力ずくでとめようとした。

 ところがルドルフがなにかいったとたん、男たちは手のひらを返したようになった。ルドルフは自分が日本特務だと伝えたのだった。相手も日本特務だと悟ったからだった。男のひとりがもうひとりの男を「カゲサ」と呼んだおかげでわかった。「カゲサ(影佐)」とは以前小山内駿吉がなにかのはずみで口にした日本特務の名前のひとつだった。ルドルフはそれをおぼえていた。面識がなかったので顔はわからなかった。影佐はルドルフが日本特務ときいて、今日の作戦になにか変更があったものと思い、船室への入室を許可した。そして自分たちは甲板の作業に戻った。

 しかしルドルフはなにも知らなかった。日本特務が今日ここでなにごとかを計画していることすら知らなかった。ただのぼせあがった頭で思っている――船室には自分を攻撃しようと待ちかまえている麗生がいる、と――。麗生が日本特務の船にのっているのはおかしいと思いつく頭もなかった。

 ルドルフは勢いにまかせて船室のドアノブをまわした。

 ドアをひらくと、むっとする異臭が鼻をついた。金属が焼けたような臭いだった。

ルドルフはポケットの短銃をかたくにぎりしめ、なかにふみこんだ。薄暗くて、視界ははっきりしない。背後でドアがひとりでにしまり、バタンと音がした。奥から、かんばしった声がとんできた。

「早いよ」

 麗生の声だ。

「終わったら呼ぶっていったでしょ」

 ルドルフをだれかとかんちがいしているようだ。

「もうすぐだから――おもてで待ってて」

 なにがもうすぐ、というのか。ルドルフは無言で奥へすすむ。足もとで鼠が散っていくような音がした。さらに布がカサカサ鳴るような音、床を棒でたたくような音がした。と、なにかやわらかいものに足にあたった。そのとき、

「だれなの」

 麗生がいった。声が変わっている。侵入者が自分の思っていた人間ではないと、気づいたようだった。

「ねえ、だれなの」

 ルドルフはこたえなかった。

 すると左のほうでシュッとマッチをする音がし、光が目に入った。蝋燭の火がついている。麗生がつけたらしい。火はあたりをぼうと照らしだした。

まず目の前の黒い袋が目に入った。さっきルドルフの足があたったのは、それだった。岩のように大きい。人間が入れそうだ――と思ってルドルフはハッとなった。袋は微妙に波うっていた。上にある白い牡丹の花が右に左にゆれている。麗生が髪に挿していた牡丹だ。

麗生は袋の背後にしゃがんでいた。船室に入ったのがルドルフと知って驚いた顔をしている。

「袋にだれを閉じこめている」

 ルドルフはいきなり叫んだ。胸騒ぎがした。龍平が閉じこめられている気がしてならなかった。

「・・・・・・」

 麗生の手からなにかが音たててころがりおちた。鉄の棒だった。凶器だ、とルドルフは即座に判断した。麗生はあれで袋に閉じこめた人間に暴行するつもりにちがいない。ルドルフは「リンチ」の対象が自分ではないことに気づいたが、怒りはおさまるどころではなかった。袋に入っているのは龍平だと思ったのである。ルドルフの目には、袋のなかで猿轡をかまされ手足をしばりあげられている龍平がありありとみえた。愛しい人の苦しみを想像したルドルフは狂気のようになって麗生の牡丹を袋からはらいおとし、叫んだ。

「あけろ!」

「・・・・・・」

 麗生はしたがわない。不敵な微笑をうかべている。それがいっそうルドルフの癇に障った。

「あけろといってるんだ!」

「・・・・・・」

 麗生は動かない。その瞬間、ルドルフは短銃をぬいた。

「もういちどいう」

 ふるえる銃口をむけ、金切り声をあげた。

「龍平を解放しろっ」

「・・・・・・」

 麗生は動かない。銃口など目に入らないように平然として、ルドルフをじいっと冷ややかにみつめている。

 ルドルフは思わず目をそらし、

「あばずれが」くやしまぎれにつぶやいた。

「鬼が。・・・・・・もう、うんざりだ」

 悪口は次々にでた。

「おまえはひどい人間だ、小山内千冬よりよっぽど」

「・・・・・・」

 麗生はなにもいわない。ただ不敵な微笑をうかべている。ルドルフはいよいよ激昂してくりかえした。

「小山内千冬はおまえよりよっぽどまともだ」

 すると袋の表面が大きく波うったようにみえた。ルドルフは目を輝かせた。袋に近づき、顔をすりよせんばかりにして、袋に話しかけた。

「龍平、きこえるね? 私だよ、ルドルフだよ。私はさっき君に麗生が憎い理由をはっきりとは、いわなかった。でもきいて、いまからいう、ほんとうのことをいうよ」

 にわかに決然として、

「君はきっとファッション・ショーで私が千冬を冷酷にあつかってるのをみていやな人間だと思ったろうね。でもね、あの日の言動は私の本意ではなかったんだ。ぜんぶ指示にしたがったまでなんだ、この女、麗生の指示に」

 袋がルドルフの言葉に反応して大きく波うったようだった。

「ねえ龍平、驚いただろう。この女は小山内千冬をはめたんだ。私はその手伝いをさせられただけなんだよ」

 麗生に左手で銃をつきつけたまま、ルドルフは袋にむかってきこえよがしにいった。

「この女はあのファッション・ショーの前の晩、私にこういってきた――『私のライバルをひとりへらすのを手伝ってほしい』、と。『ライバルのひとり』とはもちろん小山内千冬のことだ」

 麗生は黙っている。なぜかひとことも反論しない。ルドルフはつづける。

「小山内千冬に汚名をきせる計画を手伝え、といわれて、私はどう思ったか。――つらかった」

「・・・・・・」

「でも手伝いさえすれば、私の復活をより確実なものにしてくれると麗生に説得され、私は信じた。それで千冬を観客の前で誹謗中傷し、警察の手にひきわたすようなことに加担してしまったんだ。千冬は無実だとわかっていながら――」

「・・・・・・」

「そう、千冬はなにも悪くなかった。この女の罠にハメられたんだ。この女がどれだけ残忍酷薄か。千冬をハメる計画をたてながら、善人づらで司会をしてたんだからな。たいした悪人だよ、私でさえだましたんだから」

 ルドルフの話がどこまで真実か、龍平がほんとうにここにいたら疑問に思ったかもしれない。

 前々章で述べたとおり、ファッション・ショーの事件の黒幕は巧月生とアレーである。千冬をハメる、おおもとの計画をたてたのは麗生ではない。麗生はなにも知らなかった。知らずに彼らの計画に加担させられていたのである。しかし麗生はいまなにを考えているのか、ひたすら沈黙を守っていた。ルドルフは調子にのって頭の妄想を吐きだしつづける。

「この女のおかげで私はあの日、大トリの舞台を奪われた。この女さえくだらない計画をたてなければ、私は喝采を浴び、すばらしい復活をとげ、いまごろはファンにかこまれていただろうに。この公園でも黄色い声をいやというほど浴びていただろうに。この女がすべてぶちこわした。思えばこの一年近く、私の楽しみはすべてこの女によってつぶされてきた。――真にひどいのは、この女だ」

 そのとき袋がまた大きく波うった。龍平の共感のあらわれ、と勝手に解釈したルドルフはいっそう自信をもった。映画のヒーローになったように大胆なポーズで銃をかまえ、見栄をきった。

「そうとも、おまえこそ真正のひどい女だ。銀華劇場で千冬にあびせた台詞、あの台詞はおまえにこそいいたい」

 息をととのえ、声色を変えていった。

「『私は、君がきらいだ』、『愛そうと努力したことはあったが、むりだった』、『いまでは生理的に受けつけない。なぜなら君はひどい・・・・・・私の身を守るためにそれ以上はいえないが――ひどい女だから』」

 さすがは元俳優である。一週間前に銀華劇場で千冬にいったのとそっくり同じ顔、同じ声でいった。

「それと警察にいった台詞。それもおまえにいってやる」

 ルドルフはそういうと当時そっくりに顔を変えた。満面朱にそめ、こめかみをピクピクとふるわせて、

「『その女の正体は、殺人鬼です』、『その女の仮面のなかには殺人鬼の魂がひそんでいます。李花齢を殺したのは、その女にまちがいありません。私にはわかります』」

 いったそばから、ルドルフはなにか思いあたったようにハッとした顔になった。再現芝居を中断し、息をはずませて袋にいった。

「そうだ、龍平。この女、この麗生こそ、君の母親を殺した犯人だよ。ねえ、そうにちがいないよ」

 麗生はあきれ顔になった。ルドルフは声をはりあげた。

「おまえは花齢さんにあきたらず、その息子まで殺そうとしている。実の息子が犯人探しをしているのが気にくわなくて亡きものにしようというのだろう?」

「・・・・・・」

「こたえろ。こたえないんなら袋をあけろっ」

 そのときついに麗生が口をひらいた。

「ルーディ、いいかげんにしなさい。ぜんぶあんたの勘ちがいだから。私は犯人じゃない。千冬を犯人にしたてあげたりもしてない。わかった?」

「おまえこそ、まだわからないのか? だからおまえはいやなんだ。人の気持ちを無視する。この際だからはっきりいってやる。おまえは心の醜いばかだ。女優になる才能もない。明星映画に入ってもムダムダ。なぜだか教えてやろうか?」

 ルドルフは冷笑を投げつけていった。

「おまえは無神経なカラッポ女だから。いつも自分の意見を人におしつけるだけで、人の気を知らずにいる。自分が一番正しいと思いこんでいる。何でも自分が基準、ほかの価値観はうけいれようともしない。小娘のくせに世の中をわかってるつもり。笑わせるんだよ」

 ルドルフは嘲るように銃口を近づけた。そのときだった。麗生が笑いだした。

「ハッハッハッハッ!」

 爆発的な笑い声だった。ルドルフはびっくりして銃をおとしそうになった。

「ばかはあんただよ。ああ、おっかしい」

 麗生は船室がゆれるほど笑った。と思うと、ふいに笑いをとめ、目をすわらせていった。

「私はあんたがいうほど悪人じゃない。たしかにこの袋のなかに人は入ってる。でも殺すわけがない。ただちょっと痛めつけるだけだよ」

「なに?」

「好きでやるんじゃない、イヤイヤだよ。人にたのまれて断れなくてね。先週私に千冬を中傷しろとたのまれたというあんたなら、わかるでしょ」

 麗生は皮肉をいった。ルドルフは眉をはねあげて、

「た、たのまれたからだ? デタラメいうな。おまえが自分でやろうとしたにきまってる。痛めつけるだけ、なんてのはウソだ。殺そうとしてるにきまってる。ばかどもはだませても私はだませないからな。おまえのいうことなど信用できない」

「なにいってんの。私のことなんか、なにも知っちゃいないくせに。あんた、私とつきあって私のなにをみてきた? なにもみてないでしょ」

「・・・・・・」

 ルドルフは屈辱のあまり口をきけなかった。ただ引き金をカチカチといわせている。麗生はダメな弟を叱る姉のようにいった。

「あんたはいつも自分にしか関心がなかったよね。私があんたに説教たれたっていうけど、あんたみてたら説教ぐらいしたくなるんだよ。独断と偏見をすてなさいって何度いったらわかるの。あんたはすべての人間が自分の気持ちをよくするために存在してくれないと気がすまないみたいでしょっちゅう他人に腹をたてたり見下したりしてるけどね、そんなんじゃ一生人間の仲間には入れないよ」

「うるさい、うるさい」

 ルドルフはあいてる手で耳をおさえた。麗生はかまわず声をはりあげる。

「あんたは自分が特別だって意識が強すぎ。いいかげんわかりなよ。あんただって、ただの人間だからね。いつか死ぬ、老いる、ほかのだれとも同じ一個の人間だからね。ほかの人間同様、食事と睡眠と排泄が必要な一個の生物にすぎないんだよ」

「・・・・・・」

「人はあんたより劣ってなんかいない。人間はみんな同じ。自分がほかの人よりすぐれてるなんて発想は捨てなきゃ、滑稽なだけ」

「・・・・・・」

「どうしてほかの人を敬えないの。みんな生きるために苦労してるのに。たとえばこの辺の船で生活してる家族をみてごらん、たくましく生きてるから。あんたも同じことやってみたら、きっと彼らを尊敬したくなるよ」

「・・・・・・」

「なのにあんたはなにも知らずに、あらゆる人のみかけだけで見下す。今日だってどうせ公園にいる人ひとりひとりに心のなかでケチつけてたんでしょうよ。どんな人でどんな生活をしているか知りもしないで偏見だけで。それで人気者に復活したいなんて――。あんた、本物のスターがどんなものか知ってる?」

「・・・・・・」

「その年で本気でもう一旗あげたいと思ってるんならね、もっと他人に興味をもつことからはじめなきゃ、考え方を変えなきゃ。でなかったら、本物のファンなんかつかないよ。わかってんの?」

「・・・・・・」

「ほかにいってあげる人がいないから私は親切でいってあげてるんだよ」

「うるさいっ!」

 狂気のようにルドルフは叫び、銃をつきつけた。

「ごまかすな!」

「それはこっちの台詞だよ」麗生は苦笑していった。

「あんたこそ、そんな役にもたたないものしまっちゃいなさい。あんたが撃てないことぐらいわかってんだから」

「・・・・・・」

「まあ、あんたが怒るのもわかる。たしかに私はあんたをある意味だましてた。あのね、私があんたに交際を申しこんだのは、命令されたからだったんだ、ボスにね」

 ルドルフは愕然としていった。

「ボスってだれだ」

 そのときだった。

「麗生!」

 さえぎるように割りこんだ声があった。麗生の声ではない。龍平の声でもない。船室の隅は暗くていままで気づかなかったが、そこにはだれか立っていた。船室にはもうひとり人がいたのである。王結だった。必死の目をして麗生にいった。

「よけいなこと、いっちゃだめだよ」

「あんたは黙ってて」

 麗生は叱るようにいった。そしてルドルフをみつめると、哀しげに微笑していった。

「十ヶ月近くもつきあったっていうのにルーディ、あんたが私の表面しかみてなかったと思うと、やっぱり悲しいよ」

 しみじみとした声でいった。

「でもいい、いいんだ。私たちの関係はどっちにしろもう終わりにしようと思ってたから。だから今日もあんたに『こないで』っていったんだけど、こうして会ったからには、はっきりさせなきゃ。上層部にも、今夜にはいうつもりだったし」

「・・・・・・」

「私、いままでボスの命令であんたとつきあってきたけど、もうムリ。だからってルドルフ、がっかりしないでよ。私はあんたにぜんぜん情を感じてなかったわけじゃないから。その証拠に迷惑をかけるようなことはなるべくしなかったし、むしろあんたをよい方向に導こうといつも気をつけてたぐらいだし。でもね、どうしても、もうだめなんだ。私には本気で愛してる人がいる」

「だからボスとやらは、だれなんだ」

 ルドルフはうめくようにいった。麗生はそれにはこたえずに、

「ごめんね、ルドルフ、私は龍平しか愛せない」

 そういって袋におおいかぶさった。それがルドルフには袋に口づけしてるようにみえた。

「よくも・・・・・・侮辱してくれたな」

 ルドルフは血相を変え、引き金をひいた。弾丸は銃口をとびだし、麗生めざしてまっすぐ宙をかけぬけた。


 銃声が、外のベンチで待っている白蘭の耳をうった。

 音は荷船の船室のほうからきこえた。いまの音はいったい? 白蘭はルドルフが銃をもっているとは知らない。麗生が発砲したのではないかと憶測した。

事実を知るのはこわかった。空をみあげて現実逃避した。目の前の甲板の異変には気づかなかった。

 異変は甲板の砂山におきていた。一部がもりあがり、なかから男があらわれた。男は立ちあがり、体じゅうにかぶったきなこ色の砂をはらおうともせず、船室にかけこんでいった。李龍平だった。

 龍平はシベリアン・ハスキーのゴローが舞台にでて白蘭を追いまわしているときまで音楽堂付近にいた。ルドルフが発見できなかっただけで人ごみにまぎれていたのである。その場を離れたのは、音楽堂の先に王結をみいだしたからだった。王結の動きは不審だった。麗生と関連があるかもしれないと直感的に思った。麗生は出演中で動けないから、かわりになにかしているのではないか。そう考えて龍平は王結を尾行した。

 記者の勘はあたっていた。王結はガーデン・ブリッジの橋脚下にいき、一隻のあやしげな荷船にのりこんだ。甲板には長衫をきて、いかにも中国人らしくみせている男ふたりがいた。コトはこの船でおこる、麗生もあとからこの船にくるにちがいない――そう判断した龍平は、男たちの目がはなれたすきに船の甲板にのりこみ、砂山にもぐりこんだ。予測どおりやがて麗生がきたのを声で知った。そのあとも聴覚をとぎすまして船内の会話をききとった。そうするうちに以下のことがわかった。

長衫の男ふたりは日本人ということ、ひとりの名は「カゲサ」ということ。ルドルフがのりこんできたこと。船室には袋があり、人がとじこめられているらしいこと。――ルドルフはそれが龍平と思いこんでいるが、龍平は千冬だろうと見当をつけた。麗生は船室で千冬を袋にとじこめた。そして暴行しようとしている――どうやら劉虎のいったとおり、日本特務の命令を蒼刀会の命令と信じて実行しようとしているのは事実らしい。

 龍平はすぐにも船室にとびこんで麗生をとめようかとも思ったが、日本人男ふたりの目があるから、うかつなことはできなかった。ただいざとなればとびこむ覚悟はできていたが、そのいざというときまでは――麗生が千冬になにかはじめるまでは――なりをひそめてようすをうかがおうと考えた。

 そのあと船室からルドルフのどなり声がきこえても動かなかったのは、いつものことだと軽くみていたからだった。龍平も麗生同様、ルドルフをなめていたのである。

そこに銃声がおこった。

龍平は耳を疑った。まもなく甲板の男ふたりが船室にかけこむ音がきこえた。ふたりはすぐにでてきて「『リ』はほっとけ」という暗号のような言葉を日本語でかわしあい、船から逃げるようにでていった。足音は岸壁に遠ざかっていった。龍平はここぞとばかりに砂山からおきあがった。

船室にとびこむと、ルドルフが棒のようにつっ立っていた。銃を麗生にむけたまま、自分が発砲したことが信じられないといった顔をして、呆然としている。龍平をみると、幽霊でもみるような顔をし、目をとびださせた。袋にとじこめられていると思っていた龍平が、外から入ってきたのだからむりもなかった。なにかいおうとしたルドルフをおしのけて龍平は叫んだ。

「麗生!」

麗生は黒い袋にうつぶせにもたれかかっていた。龍平は夢中でかけよった。その顔には龍華寺でみせた冷淡さはどこにもなかった。

「小龍」麗生はかすかに顔をもちあげていった。

「やっぱり、きてくれた・・・・・・」

 うれしそうな、しかしかすれた声だった。微笑もうとしたが、顔は苦痛にゆがんでいる。銃弾はあたったのか、あたったなら傷の具合はどうなのか――薄暗いのと旗袍の生地が真紅なのとで、龍平はとっさにはよくわからなかった。

「私、小龍にあやまらなきゃいけないね。ずっと秘密にしてたこと」

麗生は龍平の目をみつめ、あえぎながら、傷とは関係のないことをいった。龍平は秘密を知りたい欲求に勝てなかった。

「なにを」

 と、きいた。すると麗生は、

「私が蒼刀会員ってこと」

 そういって、にこっと微笑んだ。船室から舞いこんだ風に髪がふうわりとうかび、ゆらめいた。

「モデルデビューしたあと勧誘されたの。蒼刀会のさかずきをもらって一年になる」

「・・・・・・そうか」

「私が今日命令されてたことも、この際だからいっておくね。小龍、知りたいでしょ?」

 龍平は否定できなかった。麗生は熱にうかされたように話した。

「私この船でね、小山内千冬が二度とファイナリストになれないように痛めつけろっていわれてたの。命令内容をより詳細にいうと、二人の男性会員が待つ指定の荷船に千冬をだまして連れこみ、船室で黒い袋をかぶせ用意の凶器で顔を中心に体を痛めつけ、暴行が終わったら漕ぎ手を演じる男性会員に袋を岸からパブリック・ガーデンに運ばせ指定の位置に放置させろって」

「・・・・・・そうか」

「でもまだ実行はしてない。途中までしか」麗生は黒い袋をまつげでたたくようにして、

「この袋に、たしかに千冬はいれたけど、そんなひどい命令実行するのは、いくらなんでも・・・・・・」

 そのとき麗生の上体が袋からずりおちそうになった。龍平は膝をついてうけとめた。龍平の肩は麗生のぐったりとした頭の重みを感じ、膝はズボンにしみる血のぬくもりを感じた。みるまに床に血の水たまりができた。出血はとまらない。龍平は血相を変えてルドルフにいった。

「医者を呼ぶんだ」

 ルドルフは無反応だった。この狙撃犯はほうけたように、ふたりをみつめているばかりだ。

「なにをぼさっとしてる」

 龍平はどなった。すると麗生がいった。

「いいの、こんな傷平気」

 うすく笑ったかと思うと、

「それより鼠を払って」

 と、突拍子もないことをいった。

「鼠が私の牡丹をふんでる」

 たしかに床におちた牡丹の上に鼠がのっていた。

「王結、追いはらって。鉄の棒でもなんでも使って」

 王結は迷った。言葉どおりにうけとるか。ルドルフを追い払えという意味にうけとるか。確認しようとしたら麗生は目をとじた。

「おい、だいじょぶか、おい」

 龍平が肩をゆすって叫ぶと、麗生はふっと目をひらいた。

「だいじょぶだよ」

 そういったかと思うと、ふたたび牡丹をみて金切り声をあげた。

「私の牡丹が、牡丹が・・・・・・王結、早くいわれたとおりにして。しぶとい鼠を追いはらって。早く鉄の棒をもって!」

 正常とは思われない目つきであり口調だった。が、王結は言葉どおりにしたがうことにした。鉄の棒をにぎり、鼠にむかってシッシッとふった。鼠はびくともしなかった。しかたなく棒の先でつついた。すると、予想もしないことが起きた。

 幾度目かでつついたあとだった。鼠は突如、殺虫剤をかけられた虫のように、ばたつきはじめたのである。しばらくすると、ひっくりかえり痙攣しだした。頭をビクッビクッとのけぞらせ、口を泡でいっぱいにした。鼠は息絶えた。牡丹の上で死骸となった。

龍平は思わず目をみはり、王結にとも麗生にともなくいった。

「その鉄の棒、毒がついてたのか?」

「知らない・・・・・・」

 麗生はいった。ほんとうに驚いている。

「でも毒はどうみても、ついてたよな。鼠の死に方が証明してる。おたくらは、その棒で袋のなかの人間に暴行するつもりだったんじゃ?」

 龍平は疑いの目で麗生をみた。麗生は目をわななかせ、王結にいった。

「あんたがぬったの? 毒を? 袋のなかの人を殺そうと?」

「ちがう。私じゃない」

 王結はきっぱりと否定した。

「じゃ、だれが――」

 いいかけた麗生の顔が苦痛にゆがんだ。のどの奥からうめき声がもれた。龍平は初めて弾丸が麗生の右胸にくいこんでいるのに気づいた。さっきまではうつぶせでわからなかった。龍平は血相を変えて応急の止血にかかり、

「早く医者を!」

 ふたたび叫んだ。ルドルフは化石したように動かない。王結が決心したように外に行った。

 するとルドルフがふらふらと、なぜかあとを追うように船室をでていった。夢遊病者のような足どりと短銃をもったままであることからして、医者を呼びにいったのでないことはあきらかだった。狙撃犯を放すことになるが、龍平はそれどころではなかった。

「麗生、しっかりしろ!」

 叫んだ。麗生は目を閉じかけていた。肩をゆすって意識を呼びさました。麗生はうっすら目をひらいていった。

「私、だめかも・・・・・・」

「なにいってんだ。こんな傷、すぐ治る」

 龍平がいうと麗生はうすく笑っていった。

「私、それより龍ちゃんに伝えておかなくちゃあ――、知りたがってたでしょ、リラダン事件の実行犯」

「え」

 龍平は思わず息をのんだ。

「耳貸して」

 麗生は甘えるようにいって龍平の耳を自分の口もとによせさせた。そしていった。

「小龍、私・・・・・・あの日、事件のあった三月三十日、現場に行った。私は蒼刀会員の先輩男性ふたりと、読書室リラダンに侵入した――」

 龍平は驚愕の目をみひらいた。 麗生は力をふりしぼって先をつづけた。いままでより、はっきりした口調だった。

 ――三月三十日の午後四時四〇分だった。私たち蒼刀会員三人は定休日の読書室リラダンに侵入した。

 目的は事務所Bにある宝を盗むことだった。それが上からの命令だった。

 リラダンは中庭を中心に東に展示室、西に読書室Aと倉庫、南に事務所Aと事務所B、北に読書室Bと阿片吸引室がある。

 警備員はいなかった。花齢さんがおいてなかったからだ。大事なものを保管していると思わせないためだったらしい。

 当時事務所Aに花齢さんがいたのを私は知らなかった。

 私たち三人は東門から侵入すると、事務所Aの裏を通過し、その隣の事務所Bの入口に到達した。ことにうつるまえにもう一度人の目がないか目をこらした。だれもみている気配はなかった。

 合鍵をさしこむと事務所Bの扉はなんなくひらいた。私たちはなんの苦もなく、いわれた場所に指定の宝を発見した。

 ところがそのとき、予想外の事態がおこった。銃声が耳をつんざいたのだ。だれかが威嚇のためか、事務所Bにむかって発砲していた。私はてっきり花齢さんかと思った。花齢さんなら銃をもっててもおかしくないし、あやしいものをみつけたら撃つだろうと思ったから。

 三発目は扉の外側に的中した。弾丸は数メートル以上距離のあるところから発射されている、いまならまだ逃げられる、と仲間がいった。私たちは宝を盗みだし、退却することにした。

 事務所Bのすぐ裏の塀をのりこえ、リラダンの外にでて路地を夢中で走っているあいだも、銃声はまだきこえた。それでもしだいに遠ざかっていく、と思われたときだった。背後ですさまじい轟音がおこり、地面がゆれた。

 なにごとかとふりかえると、すでに百メートルほど離れた『読書室リラダン』が赤々とした炎につつまれ、ガラスが猛烈な勢いで砕け散り、建物の一部がくずれおちているのがみえた。たんなる火事ではなかった。さっきのは爆発の音だったのだ。だれかがリラダンを爆破したのだ。いったいだれが――私にはわからなかった。

 私はあとから、リラダンにはその財宝が合計三つあったことを知った。

 蒼刀会はうち一つを私たちに盗むよう命じた。うち二つは日本軍が盗むことになっていたという。

 リラダンからその財宝を盗むのは、実は中日の共同計画だったというのだ。

 でも当日、日本チームは約束の時刻には姿をあらわさなかった。

 蒼刀会が三人組の実行犯チームを編成したのと同様、日本軍側も男二人、女一人の三人組でリラダンの東門付近にあらわれるはずだったという。

 ところが日本チームは約束の時刻に姿をみせなかった。そのかわりに爆破がおこった。

 日本側は蒼刀会を裏切って、宝を独り占めしたのではないか? 爆破は自分たちの痕跡を消すためにおこなったのではないか? 蒼刀会はそう考えた。というのも、私たちが事務所Bから持ち去った宝はニセモノだと、あとから判明したからだ。花齢さんがやったはずがない。日本軍のしわざにちがいなかった。

 先輩たちはこういっている。日本チームは約束の時間より早くきて、宝を三つとも盗みだしたにちがいない。それをごまかすためニセモノをおいていった。爆破したのはリラダンを破壊する目的のほかに、ことを大きくし、蒼刀会の犯行とみせかけるため。その証拠に私たちを殺さなかった。現場を離れるのを待って爆破した。発砲は私たちを一刻も早く現場から離れさす目的だったのだろう。しかも日本軍は事前に花齢さんを殺している。花齢さんはいろんなことを知りすぎているので消すべきだと日本軍が独断できめたにちがいない。――

「小龍、私が知ってることは、ぜんぶ、話した・・・・・・」

 麗生はぬれたようにきらきら光る目で龍平をみつめた。

「いままでいわないでごめんね。でも私、爆破や殺人とは無関係、それだけは信じて」

 龍平は愕然として、いった。

「宝っていうのは?」

 リラダンにねらわれた宝があったということを龍平はいまきいて初めて知ったのである。

「それは――」

 麗生の声は途中でとぎれた。麗生は龍平の腕のなかでぐったりとなっていた。またまぶたが閉じかかっている。

「麗生」

 龍平がよぶと、麗生はまぶたをあげ、無邪気ともみえる目をむけていった。

「ねえ小龍、私ずっと、こんなふうにしてほしかった」

 まぶたがおちた。

「・・・・・・麗生?」

 麗生は龍平の腕のなかで幸せそうな微笑を顔にうかべている。その目はひらかない。

「麗生!」

 龍平は肩をゆすぶった。はげしくゆらした。

「――」

 麗生は息をひきとっていた。

「麗生っ・・・・・・」

 麗生の健康そのものだった肌は鉛色に変色して硬直をはじめている。

 一分後、龍平はぬうっと立ちあがった。心は悲しみと怒りに焼きつくされたようになっていた。腕に麗生の遺体を抱え、袋のなかに人間がひとり閉じこめられていることも忘れ、龍平は船室をでた。

 ルドルフにぶつかりそうになった。ルドルフは甲板にいた。この人殺しは船室をでたあと、ずっと狂ったように甲板上をぐるぐるとまわりつづけていた。手には短銃をもったままだ。

 麗生の遺体をみると、ぎょっとした顔をした。が、それもつかのま、次の瞬間には青い目をくわっとむいて、

「龍平、いつまでこの女をかばうんだ。死んだのに!」

 遺体といえども龍平が女の体を抱いてるのが許せないといったようにどなった。銃口をむけんばかりの勢いである。

 そのころ、日本陸軍少将の小山内駿吉、蒼刀会会長の巧月生はそれぞれ部下から「ルドルフが麗生を殺した」という報告をうけ、それぞれの思惑を胸に、ほぼ同時に来賓用天幕から腰をあげている。

同様にハルトンも別方面から連絡をうけ、顔色を変えた。報告者はいった――ルドルフは麗生を殺し、なお助けに入った李龍平に短銃をふりまわしている、と。かわいいルドルフが、わがチャリティ・イベントで人殺しを――? ハルトンは真っ青になった。ルドルフを甥としている手前、ハルトンの評判にひびくのはまちがいない、と思われた。

 河岸の人びとにとっては、船上の人殺しはもとより予想外だった。

ベンチや芝生で退屈をもてあましていた人びとの目はいっせいに停泊中の小型荷船のほうにむいた。

 なにしろ白人が甲板で短銃をふりまわしているのだ。異常事態である。銃をむけられている中国人青年のほうもふつうではない。血まみれの若い女性をかかえている。それがけが人ではなく死人と知って――しかもそれがあの呉麗生と知って、だれもが度肝をぬかれた。殺したのは、甲板で短銃をふりまわしている白人ルドルフ・ルイスにちがいなかった。だれもが目をむいた。

 白蘭もそのひとりだった。

 遺体が麗生とわかったとき――まずは衝撃をうけた。だがそのあとにうけた感情は人とはちがった。衝撃の次に白蘭をおそったのは悲しみでも恐怖でもなかった。すばらしい開放感だった。白蘭は心のなかで思わず叫んだ。

 やったあ。麗生は死んだ、敵は倒れた。白蘭は心のなかで万歳三唱をした。これで私はリンチをうけなくてすむ。これで苦しまなくてすむ。麗生はほんとうにいやな人間だった。罪をうけて当然、死んで当然。開放感がほかのすべての感情を圧倒した。遺体を龍平が抱いているわけも気にならないほど、ひとしきり白蘭はうかれた。

 だが歓喜は長くはつづかなかった。

 肌を冷たいものがうった。冬のようにどんよりたれこめた空から、一時やんだと思った雨がまた、パラパラとふりだしていた。欄干もベンチも土もぬれていく。

「人殺しだ」

 という声がとびかっていた。だれがみても麗生を殺したのは船上のあの白人だった。だが白蘭はしだいに自分が人殺しといわれている気になってきた。

 人殺し呼ばわりされる覚えはなかったが、実際白蘭はルドルフとは無関係ではない。

 なにしろ自分はルドルフが船に行く前までいっしょにベンチで話していた。「あの女が屈服するところを、みたくはないか?」といわれて、みたいです、とこたえている。麗生を殺すとまでは思っていなかった。でもあの問答をきいた人があったら、なんと思うだろう? きいてなくても私とルドルフがいっしょにいたところをみた人がいたら? 共犯と思うにちがいない。白蘭はぞっとなった。

「あれ、ルドルフ・ルイスだろ」

 ささやきあう声が耳に入る。その声にまじって「あの女、共犯者だろ」とうしろ指さされるのは時間の問題のように思われた。そのとき、

「ルドルフ!」

 だれかが船にむかって叫んだ。声でロレーヌだとわかった。まわりはすでに野次馬だらけで白蘭にはみえなかったが、ロレーヌは欄干から身をのりだすようにして叫んでいた。

「やめて、へんなまねは」

 英語だがいつもの男言葉ではない。声の調子もちがう。ふだんの王妃のような落ちつきはどこにもなかった。ロレーヌはかつてなく狼狽していた。麗生の死よりもルドルフが殺したということにショックをうけているようだった。

だが白蘭はロレーヌの狼狽よりも、ロレーヌがいること自体が気になった。ロレーヌがいるということはその近くにミラベルもナンシーも、王結も馬秋秋もいるということだと考え、あらたな不安にかられだした。

「白蘭はルドルフと共犯」という噂が、野次馬からファイナリストたちの耳に入ったらどうなるか、と考えたのである。

だれも疑わないだろう、と白蘭は思う。白蘭の正体が江田夕子ということは一部の人間にはばれているはずだからだ。江田夕子には麗生を殺すだけの動機がじゅうぶんにある。

江田夕子は麗生を極度におそれ、嫌い、憎んでいた。江田夕子が白蘭の美貌を利用してルドルフをそそのかし、憎い麗生を殺させることはじゅうぶんに考えられる、とファイナリストたちは思うにちがいない。「夕子の白蘭は人殺し」とみなし、攻撃してくるだろう。麗生の復讐と称して、なにをしてくるかわかったものではない

そうなったら私は最終的に逮捕されるだろう。江田夕子を合宿所から追い出す、という麗生の念願は仲間の手によって果たされることになるのだ。私は麗生が死んでなお麗生の亡霊に苦しまなくてはならないのか。冗談じゃない。

 私は殺してない、無実なのだ。

 でもだれが証明してくれる? ルドルフはあてにならない。自分の弁護だけでせいいっぱいになるだろう。むしろ私を道づれにするため、すすんで共犯者呼ばわりするかもしれない。白蘭はあれこれ考え、膝がふるえてきた。

野次馬はどんどんふえている。ベンチ周辺にも人があふれて、座っているのも苦しいほどだ。

 音楽堂では本来ならチャリティ・スピーチがおこなわれる時刻だったが、青年合唱隊が出番を延長して歌っていた。スピーチ担当の小山内千冬の行方がわからなくなっていたためである。中国人たちは英語の賛美歌をきいてもつまらないというので、ほとんどが事件のおきたこっちに移動してきた。河岸はまたたくまに群衆でうめつくされた。彼ら中国人の目はあきらかに船上の白人への敵意で光っていた。その敵意はそのまま自分にむけられている気が、白蘭にはする。

「ひとでなし」

 だれかが叫んだ。あちこちから罵声がきこえた。

「今日は慈善の日じゃないのか」

「チャリティ・イベント主催者の甥がなにやってんだ」

 憎悪むきだしの声。その声を人びとはしだいにそろえだした。

「銃をおろせ」

 肝心のルドルフはいうとおりになるどころか、銃をにぎる手にますます力をいれて、

「おろすのは君だ」龍平にいった。

「死体をいいかげんおろしたらどうだ」

 龍平は依然として麗生の遺体を両腕に抱えている。遺体は赤い旗袍ごと雨をあび、真っ赤な大魚のようにぬれていた。その遺体にルドルフはねたましげに銃口をむけ、龍平をにらんでいる。

 ふたりの会話はもとより人びとの耳には届かない。きこえたとしても英語なので、意味がわかった人間はすくなかった。

「わからないのか。私はその女を君のために退治してやったんだ」

「お礼をいってほしいのか」

 龍平は瞳に侮蔑の稲妻を走らせていった。

「それならいうよ。おたくの本業をみせてくれて、どうもありがとう」

 本業とは日本特務のことを揶揄したのだった。それがわからないほどルドルフも、ばかではない。傷ついたような顔をして、短銃を龍平にむけ、

「こんなものを使ったのは今日が初めてなんだ」

 真っ赤になってうったえた。龍平に鼻で笑われると、駄々っ子のように叫んだ。

「どうしてわかってくれない!」

 短銃をふりまわした。

「それ以上近づくな」

 龍平は甲板の手すりギリギリにまで追いつめられている。あと一歩でもよられれば、上半身が遺体もろともそりかえり、河に転落するおそれがあった。龍平はいった。

「下がれ」

 ルドルフの顔から表情が消えた。と思った刹那、銃口が龍平の額におしあてられた。ルドルフは龍平に銃口をあて、撃鉄をカチリと鳴らした。

「・・・・・・」

 群衆は静まりかえった。ルドルフは龍平を撃とうとしている。

 白蘭は恐怖と不安にしびれそうになった。龍平のためではない。自分のためだ。白蘭は自分がルドルフの共犯と思われている、と思いこんでいる。これ以上ルドルフが人を殺したら、人びとの非難は確実に「共犯」の私にもむく、と考えた。ルドルフは船上にいて直接非難しにくいだけに、陸にいる私が人びとの怒りをすべてひきうけることになるかもしれない。

 そうなったら、救われるみこみはない。私の身は野獣のようにいきりたった人びとの手でボロボロにされるだろう。私はさんざんもてあそばれたあげく「人殺し」と唾を吐きかけられ、警察の手に引き渡される。イギリス人は犯罪をしてもたいした罪にとわれないから、とばっちりをうけるのは「中国人」の私だ。私ひとりが極悪人として死刑を宣告される――白蘭は全身を凍らせた。私は殺人の汚名をきせられて死ぬ。この世の楽しみもろくに知らないうちに、まだ十七歳の若さで殺される――やだ、そんなの絶対やだ。

「イギリス人だからって人殺しが許されんのか!」

 人びとは叫び、拳をふりあげている。船上のルドルフは龍平に銃口をおしあてたまま、離さない。

「きこえねえのか、ひとでなし」

 みな殺気だってきた。殺気の波でベンチがおし流されそうだ。白蘭はみなが自分にとびかかってくる幻影におびえた。

 ルドルフをとめなければ。でなければ私の身が危ない・・・・・・。

 その考えは強迫観念となって白蘭の心をしめつけた。ルドルフをとめなければ私が殺人犯にされる。白蘭はとりつかれたように思った

 とめなければ――。

 白蘭は発作的にとびだした。

 次の瞬間、人びとはあっと息をのんだ。

 河岸から船上へ、おどりこんだ白いものがあった。白い旗袍をきた輝くばかりの美女だった。それはさっき音楽堂にトップ3と出演した「謎の美女」白蘭だった。白蘭は飛鳥のように甲板にのりこみ、大胆にもルドルフ・ルイスを背後からおさえつけようとした。

 するとルドルフは空いてる手で白蘭の手をとった。ふりかえってニヤリとぶきみな微笑をうかべた。片手では相変わらず龍平に銃をむけている。なにをきっかけに引き金をひくかわかったものではない。人びとは息をひいた。

 だがルドルフは、人びとは知らなかったが、白蘭がきたことをむしろ歓迎していた。その証拠に、

「どうだ、このとおりだ」

 自慢そうにいって麗生の遺体がよくみえる位置に白蘭をこさせようと、にぎった手をひっぱった。だが白蘭はしたがわなかった。

「や」

そういってルドルフの手をはらいのけた。ルドルフが驚いて手をゆるめたすきに、白蘭は全身をルドルフの巨体に体当たりさせた。

 ルドルフはよろめいた。阿片と怠惰な生活で弱った足腰がたたったのだろう。手すりをとろうと右手をのばしたが、宙をつかんだだけでバランスをくずし、体ごと手すりのむこうへそりかえっていった。

だれもが目を丸くした。

殺人犯は銃もろとも河に落下していった。水煙が壮大にたった。

人びとは歓喜にわいた。ロレーヌだけは蒼然としていたが、そんなことはだれも知らない。

 白蘭は自分のしたことが信じられないといった顔をして、甲板に立ちつくした。

よろこぶ気にはすぐにはなれなかった。龍平の視線を意識すると、新たな心配にとらわれだした。

 自分が命がけの行動をとったのは、龍平さんを愛しているからだと誤解されたらどうしよう、と思ったのである。私はあくまで自分のために動いたのだけど、ほかの人の目にはそうはうつらなかっただろう。私は結果的に龍平さんの命を救った。だから龍平さんは、白蘭が好きなのは実は巧月生ではなく龍平さんだとうぬぼれたかもしれない。だったら心外だ。白蘭は眉をよせた。そのとき、声がきこえた。

「バーレイ」

 だれかが自分を呼んでいる。龍平ではない。声は河岸からした。白蘭は反射的に身をかたくした。声はなおもきこえる。

「バーレイ、バーレイ」

 ひとりではない、複数の声だ。どういうわけか、たくさんの人が自分の名を呼んでいる。悪意はどうやら感じられない。声はむしろ温かかった。しかもどんどん大きくなっている。殺人犯を船からつきおとした中国人美女の名はいつのまに人から人へと伝わっていた。人びとはその名を尊敬の念をもって口にしている。

「英雄白蘭」

 ひとりがいった。すると大勢がそれにならった。声は合唱となった。

「英雄白蘭! 英雄白蘭!」

 熱い合唱がいつしか河岸一帯をうめつくした。

白蘭ははじめ恥ずかしくてうつむいていた。が、そうしてばかりもいられなくなった。思いきって顔をあげた。

河岸をみて驚いた。雨のなか、人の顔の海がゆれている。どの顔も興奮し、熱狂している。たくさんの人が自分に手をふり、あるいは拍手している。

白蘭は自分が本物の英雄になった気がした。人びとの熱狂が伝染した。酔っぱらったように手をふりかえした。すると人びとは感激していっそう騒ぎたてた。

白蘭は感じた。気持ちいい。この気持ちよさはなんだろう。人前にでて騒がれることが、こんなに楽しいとは。音楽堂出演時の比ではない。

 白蘭は満面に笑みをひろげた。河岸にむかって思いっきり手をふりかえした。

巧月生とアレーは目をみあわせ、これでいい、というようにうなずきあっている。ふたりは蘇州河岸から三メートルほど南にさがった茂みに蒼刀会員に護衛されて立っている。船上の光景は人垣にさえぎられているが、長身の会員が首をのばして観察し、逐一経過報告してくれるので状況は問題なく把握できた。劉虎はふたりからやや離れた場所にいた。話にはいれてもらえなかった。

「白蘭が英雄になるとは意外だったな」

 巧がいうと、アレーがいった。

「こっちには都合のいい結果です。麗生は希望どおり悲劇のヒロインになりましたし」

「思わぬかたちではあったがな」

 そういった巧の顔は笑顔だった。日本特務の陰謀を逆手にとれたのが、うれしそうだった。

「あとは会長がヒーローになるだけですよ」

「白蘭以上のヒーローになれるかな」

「それはもう。これからそういう流れになりますから、必然的に」

 ふたりの話がよめない。劉虎はいまいましげな顔をしている。麗生を監視する役目を与えられたにかかわらず、船に入ったのをみとどけただけで、なにもできずにいた自分が腹立たしくもあった。


 ルドルフはいったい死んだのか、生きているのか、河面にみえるのは波紋ばかりだ。水面に浮上してくる気配はない。といっても蘇州河に落ちてからまだ三分。

 この時点で救助にのりだす者はなかった。中国人にしてみれば、死んでも自業自得という思いだったろう。なにしろルドルフは同胞麗生を殺した上、その友人らしき青年にも銃をつきつけたイギリス人なのだ。

 しかしイギリス人のほうでは放っておかない。ルドルフ・ルイスといえば「ウィリアム・ハルトンの甥」である。

 まもなく一隻のタグボートが蘇州河に急行してきた。黒い船体の煙突にはL・Lの白い文字が刻まれている。L・Lがウィリアム・ハルトンの息のかかったイギリス系船会社の頭文字ということは、字の読める中国人ならたいてい知っている。タグボートは象牙色の波をたてて水上をすべってくる。

 ルドルフは醜態を人目にさらしたくないばかりに、いままであえて水中に隠れていた。水泳は案外得意だったのだ。救いがきたと察するとみずから首をだして所在を知らせた。

 中国人たちは顔をしかめた。

 救いがきてからルドルフが去るまで、実に目にもとまらぬ早さだった。小型荷船のそばでいったん停泊したタグボートはルドルフをひょいと水中からひろいあげると、そのまま尻に帆をかけたように蘇州河から黄浦江上へと走り去っていった。

 人びとは「英雄白蘭」の連呼も忘れて口をあけている。まさに犯人に逃げられた、という感じだった。抗議したくても、そのひまもない早さだった。

 船上の龍平も麗生の遺体を抱えたまま、あっけにとられていた。

 そのとき、甲板にだれかがのりこんできた。劉虎だ。なぜか部下をしたがえている。龍平をみても知らない顔をしている。麗生の遺体が目に入っても顔色を動かさなかった。それが船室に入ったとたん変わった。

「これは、なんだ」

 黒い大きな袋を指し、怒声をはりあげた。

「それは・・・・・・」

 おびえた目をしてこたえたのは、王結だ。麗生が瀕死の状態にあったとき、医者を呼びにいったとみせかけて、実はすぐ船室に戻り、ずっと隠れていたのである。麗生が息をひきとったときも、声ひとつたてなかった。麗生同様蒼刀会員である王結ならばこそ、できたことともいえる。それにしても麗生の親友でもあったのに、なぜ医者を呼びにいかなかったのか。そんなことは劉虎の思考の外にあった。劉虎はただ自分のいらだちをだれかにぶつけるべく、目の前の袋をたたいていった。

「これはなんだ、おい」

「・・・・・・」

 王結はのどがつかえたような顔をした。劉虎は返事を待たず、黒い袋の縄をといて、あけた。なかから人間がでてきた。全身汗まみれで、息はしているが相当憔悴している。小山内千冬だった。劉虎は目をむいていった。

「これはなんだ、ってきいてるんだ」

 王結は自分がやつあたりの対象になってるとは知らない。劉虎の怒りにおそれをなしてあやまった。

「申しわけありません」

 王結もまた麗生同様、日本特務をよそおった蒼刀会員にだまされていた。「任務」を遂行してないことをとがめられたと思いこんでいた。腹をきめたようにいった。

「てまどった最大の原因は、麗生の迷いにありました。指定の位置に停泊していざ暴行をくわえようというときになって麗生は急に弱気になって『いくら命令でも自分にはやっぱりできない』といいだしたんです。私は『命令は命令だから、やらなくては』といってきかせたんですが、麗生は良心がとがめるという顔をして『やっぱりできない』の一点張りで――」

 劉虎はみなまできかず、どなりだした。

「おまえたちの目は、この荷船が蒼刀会のものだとみとめたのか?」

 拳をふった。

「節穴めが! この船は蒼刀会のものではないと、みぬけなかったのか? これは日本特務のだ。おまえたちに命令したのは、蒼刀会員をよそおった日本特務だぞ」

「・・・・・・」

 王結は色を失った。

「小山内千冬に暴行しろという命令をうけたと? 実行してたら、麗生は殺人犯になるとは思わなかったのか。この船には麗生を殺人犯にしたてあげるための罠がしかけられてあったかもしれないんだぞ」

「そういえば、」

 王結はハッとしたようにいった。死んだ鼠をみ、床にころがった鉄の棒を指さし、声をふるわせていった。

「その棒の先端には、私たちがつけたはずのない毒がぬられていました。その鼠は棒でたたいたら即死したんです」

「だからいったとおりだ。その棒で小山内千冬をたたいてたら麗生は殺人犯になってた。それこそ日本特務の思うつぼだ。麗生は殺されて同情を集められたぶん、救われたな」

 劉虎は冷酷な笑いをうかべて、 

「そういう意味では、あの皇帝気どりに感謝しなけりゃならん」

 いいたい放題いうと、さっさと船室をでていき、部下たちに指示をだした。部下たちはいわれたとおり麗生の遺体をひきとり、手配した蒼刀会のボートにのせた。陸は混雑しているので水上から運んだほうが早いという理由のようだ。

龍平は遺体をひきわたすとき、抵抗はしなかった。多少戸惑いの表情はみせたが、それだけだった。彼はただつっ立っていた。黒い影のように――。

まもなく小山内千冬も蒼刀会員によって外へ運びだされた。ぐったりとなっている。人びとは驚いた。荷船からまたひとりファイナリストがふつうでない状態ででてきたのだから無理もない。

ただしこちら千冬は生きている。新鮮な空気にさらされ、気つけの酒をひとくち含まされると、うっすら目をひらいた。もっとも血の気はまだなく、自力で歩ける体力はなさそうだった。蒼刀会員たちはそのまま病院へ運びこもうとした。そのときだった。

「姪はどこですか」

 そう叫ぶ者があった。群衆をかきわけ、欄干にかけよったのは小山内駿吉だった。

「どこ、どこです。私は伯父、伯父です」

 別人のようにとり乱している。だれの目にも姪を心配する伯父にみえた。千冬を運んでいる男たちが蒼刀会員なのもかまわず、かけよって顔をのぞきこんだ。

 その瞬間、千冬はみた。伯父の目に失意の色がうかんだのを。はじめ信じられなかった。疲労のみせる錯覚かと思った。けれどそうではなかった。伯父は耳のそばでたしかにこういった。

「生きてるのか・・・・・・」

 それはけっして、よろこびの声ではなかった。あきらかに落胆の声だった。伯父は自分が生きてるのを喜んでいない・・・・・・。

 千冬がみぬいたとおり駿吉はがっかりしていた。かけつけた救助艇に運びこまれる千冬を、気づかわしげにみまもるふりをしつつ内心は歯ぎしりしていた。

勝利のためには姪の命をも犠牲にする――駿吉はそういう人間だった。すくなくともいまの彼はそうだった。千冬が殺されなかったことは、作戦の失敗を意味する。日本陸軍少将の姪を中国人娘に殺させて、中国攻撃の口実をえるというたくらみは不首尾におわったのだ。

 失敗の原因のひとつはルドルフにある。ルドルフは日本特務だが、今回の作戦はあえて知らせていなかった。知らせては面倒なことになると思ったからだ。だが、それがかえって逆の目にでた。蒼刀会員役の影佐たちにルドルフのことを教えておかなかったのは、まずかった。


 殺人事件発生により、チャリティ・イベントは中止になった。

ハルトンは早くも会場をひきあげている。参加客にはひとことの断りもなしにである。このイベント主催者は、ルドルフがタグ・ボートで救出されたころ、自家用車にのって去った。実にあきれた所業だった。

「甥」にかわって謝罪するどころか、甥をボートにのせて逃がしたところをみると、ハルトンは殺人をなかったことにするつもりらしい。呉麗生が殺されたというのに、そんなことが許されようか。

「卑怯者が」

「なにがチャリティだ」

 人びとは口々にののしった。だが不満をぶつけるべき相手はすでにいない。主催者にならって来賓たちも続々とひきあげている。会場付近をうめていた高級自動車はすでにあとかたもなかった。このままでは腹の虫がおさまらない。人びとが怒りのやり場に困っているときだった。

「ルドルフを許すな!」

 声がした。河岸からではない、船上からした。人びとは目をみひらいた。例の荷船の船室の屋根に人が立っている。さっきルドルフに銃をつきつけられた長衫姿の青年だった。

「殺人犯に罪をつぐなわせよう!」

 青年は拳をつきあげている。雨にぬれるのもかまわず、みなの怒りを代表するように声をはりあげている。

「ハルトンに抗議しよう!」

 青年――龍平は、激情に身をふるわせた。麗生を殺された怒りに我を忘れていた。

怒りはイギリス人にむいている。日本特務や蒼刀会はいま念頭になかった。麗生とのやりとりを甲板できいたたかぎり、ルドルフが引き金をひいたのは、日本特務の指示ではなかった。本人の意思にちがいなかった。そう考えるとルドルフはもとより、イギリス人そのものが憎くなってきた。パブリック・ガーデンという場所がそうさせたのかもしれない。昔から租界のイギリス人は中国人を差別した。中国人を殺しても、ろくに罪に問われなかった。そして今日麗生を殺したルドルフはL・Lのボートで守られた。ハルトンが安全な場所へ逃がしたのだ。

「ルドルフを許すな、ハルトンを許すな」

 龍平の叫びは共感を集めた。人びとは呼応して叫んだ。

「イギリス人の横暴を許すな!」

 日ごろから外国人への不満をつのらせていただけに、いちど火がつくとおさまらない。

 いつしか大勢の中国人が船上の青年にならって拳をふっている。白蘭を称賛したとき以上の熱い視線がいまや船上の龍平ひとりの上に集まっていた。

 白蘭はついていけなかった。龍平と同じ船にいるのに、冷めた目でみている。龍平さんはしょせん中国人だ。中国人はすぐ外国人を敵にして騒ぎだす。白蘭は自分が中国人に化けてるのも忘れて思う。私は日本人だ。このもりあがりにはまったく共感できない。

白蘭は自分では気づいていなかったが、龍平が麗生の死に本気で怒っているのがショックだった。だから龍平を見下すことで平静を保とうとしていたのだ。

龍平は理性を失って叫んでいる。

「ハルトンを攻撃しよう。どう攻撃すればもっとも効果的か?」

 演説しだした。中国人たちは耳をかたむけている。

「ハルトン邸におしかけることもできる。でもそれではやつらに真の意味での打撃を与えることはできない。罵声ぐらいでは、ハルトンは痛痒を感じないだろう。暴力にうったえても、あっちはイギリス義勇軍をもって十倍の仕返しをしてくるだろう。邸におしかけても、やつらを苦しめるどころか、逆にやられるのでは意味がない。ではどうすべきか? どうしたらやつらを苦しめることができるか? こたえは、ひとつ――」

 人びとは身をのりだして耳の穴をひろげた。

「ストを起こすにかぎる。ハルトンの工場を経営不能にさせよう。そうすればやつらの精神は必ず参る。労働者の協力をあおごう」

 みな、うなずいた。

「ストを起こそう!」

 龍平が拳をふると、賛成の嵐がまきおこった。

「ハルトンの工場にいこう!」

 龍平と群衆の声はひとつになった。河岸は熱気と興奮につつまれた。龍平は雨にうたれた顔を上気させている。

「労働者に呼びかけにいこう!」

 なんだか話がやけに大きくなった。白蘭は軽蔑の目でみた。すると龍平が屋根からぴょんととびおりた。驚いた白蘭の手を龍平はサッとにぎった。気づいたら白蘭の体は龍平にひっぱられて、甲板から船の外にでていた。

河岸に万雷の拍手がわいた。ふたりをむかえる拍手だった。イギリス人殺人犯にたいして勇気ある行動をとった、このふたりの美男美女はヒーローとヒロインであり、おにあいのカップルだと人びとの目にうつったにちがいなかった。

「さあ行こう、楊樹浦(上海の北東部の地名。ハルトン経営の工場がある)へ」

 龍平が叫ぶと、人びとは叫びかえした。

「行こう、楊樹浦へ!」

 耳の割れるような声とともに、ふたりはあれよあれよというまに先頭にかつぎだされた。門のほうへ歩かされながら白蘭は心のなかで悲鳴をあげた。こんなのいや。どうして私が中国人のデモなんかにひきずりこまれなきゃいけないの。龍平さんは白蘭がついてくるのは当然みたいな顔をしている。白蘭は自分のことを愛している、とすっかり思いこんでいるようだ。

 と、かかとがなにかをふみつぶした。感触はグニャッとしていた。みおろすと、ぬかるみから豆粒みたいな顔がのぞいている。手芸人形だ。だれかがおとしたのだろう、白かった顔はふまれて茶色く汚れている。みると雨にぬかるんだ地面のあちこちに捨てられた手芸人形がはまっていた。それらはかえりみられることなく、次から次にくる人たちの足にふまれていく。

白蘭はかわいそうだとは思わなかった。ただ、あらためて嘲笑したくなった。捨てられるとわかっている人形を配った麗生と、その人形をふんづけているのに気づかないで麗生の死に抗議して行進している人たちを。そんな人たちのデモに、どうしてまきこまれなくてはならないのか。

「打倒ルドルフ、打倒ハルトン――打倒イギリス人!」

 歩きながらわめきにわめく、うるささ。群衆の勢いはどんどん増している。門前で待ちかまえている巡査あがりのインド人も、いまにおし流されてしまいそうだ。

 門を突破するにあたって龍平が白蘭の手をひき、「いいか、いくぞ」というように目配せしてきた。その赤く燃えたぎった自信満々の顔をみて、白蘭は全身に鳥肌をたてた。うぬぼれないでよ、と思った。もう耐えられない。私がこの身を犠牲にして協力すると思ったら大まちがいだからね。そう思って龍平から目をそらし、門の方をにらむと、意外なものがみえた。茜色のスカーフ――だれかの首にまかれていた。だれの首かと顔をみると、はたして、アレーだった。

 アレーはとうにこっちに気づいていたらしく――というより白蘭を待っているかのように門前に立っている。目があうと、いつものようにニヤッと笑った。白蘭は救いがあらわれたような目をした。するとアレーはなにもかもおみとおしというようにうなずき、目で自分のほうにくるようにうながした。

 次の瞬間、白蘭は龍平の手をふりほどき、アレーのもとに走った。群衆が気づくまもなく、アレーは白蘭を待機のロールスロイスにのせ、みずからもあとにつづいた。

 ロールスロイスは発車した。

 パブリック・ガーデンからみるみる遠ざかっていく。白蘭はふりかえろうともしない。後部座席には白蘭の荷物が運びこまれていて、そのなかに龍平がくれたレコードがみえたが、それも絶対にみようとしなかった。ムキになって目をそむけた。唇を痛いほどかみ、拳を痛いほどにぎりしめた。ただただ思った――龍平さんなんて大っきらい。

 龍平さんなんて、もうどうでもいい。あの人にはつくづく幻滅させられた。私が憧れるのは、黙って行動する人――男らしい人。なのにあの人は、江田夕子にレコードを渡してとたのむのにデレデレしたり、麗生が殺されたからって激昂してデモ行進をはじめたり――感情むきだしの恥ずかしい人だった。イメージとぜんぜんちがった。期待はずれもいいところ、いちどでもあんな人にほれかけた自分が許せない。

 手紙なんてださなければよかった、と思った。どうしてあんな思わせぶりなことを書いてしまったのだろう。取り消したいけど、あの人はレコードをくれたことからすると、もう読んでしまったようだ。あれを読んで彼はきっと、江田夕子は自分のことが好きだとうぬぼれたにちがいない。相思相愛だと思ってニヤニヤしたかもしれない。ああ、気持ち悪い。へどがでそうだ。ほんと、あの人の思いあがった心を破壊してやりたい。どうしたらできるだろう。「江田夕子があんたを好きだと思ったら大間違いだよ」という手紙でも送りつけてやろうか。

夕子の白蘭は嫌いと思いながら、李龍平のことばかり考えているのに、自分で気づいていなかった。


 翌五月十七日日曜日付の『上海時報』には「麗生、ルドルフ・ルイスに殺される」の見出しが大きくおどった。

 記事はチャリティ・イベントでの事件のいきさつはもとより、ルドルフの犯行前後の発言を記載。くわえて「伯父」ウィリアム・ハルトンがルドルフを逃がしたことや、みずからも逃げるように現場を去ったことに言及。チャリティ・イベント主催者としてはなはだ不適切な行動であり、馬脚をあらわした、としている。

 また、事件後に麗生の死に怒ったイベント参加者たちが抗議のためにハルトンが経営する煙草工場におしかけたこと、従業員二千人がそれに呼応して抗議ストに入ったことを伝えている。

 従業員たちは日ごろから会社への不満をためこんでいた。現場の苦しさなどなにも知らないウィリアム・ハルトン――イギリス人経営者に、劣悪な労働条件のもと、安い賃金でこきつかわれていた。その憎い経営者の「甥」が、ミス摩登コンテストの中国人ファイナリストを殺して平気な顔をしているときいて、怒りを爆発させたのだ。

 十八日月曜、労働組合代表徐連雲はハルトンに以下の要求をつきつけた。不当解雇の撤廃、賃上げなど労働条件の改善にくわえ、殺人者ルドルフ・ルイスの処分――。

 ハルトンは拒絶した。その日のうちに白系ロシア人の臨時工を雇いいれ、組合労働者を工場から閉めだすという行動にでた。

 だが労働者たちは屈しなかった。ハルトンの仕打ちがむしろ彼らの心をひとつにした。

 世論も彼らの味方をした。『上海時報』は連日のようにストをあおりたてた。

 殺された麗生の父親、銀行家呉躍が労働組合に支援金をだしたこともあり、対立は長びいた。

 ストは一か月以上たってもおさまる気配をみせなかった。

五月が六月になったが、事態は梅雨空のように膠着したままだった。

じめじめムシムシした天候の鬱陶しさに、よけいいらいらしたのかもしれないい。ハルトンはついに強硬手段にでた。

 スト開始から六週間がたった六月三十日火曜日――、

 労働者の集会が共同租界警察の警官隊と装甲車におそわれた。警官隊は発砲、労働者側に死者五人、負傷者十人がでた。

租界警察はハルトンが動かしたにちがいなかった。資本家ハルトンにはそれだけの力がある。

 これには組合労働者はもとより、一般市民も怒った。『上海時報』も怒った。記者は書いた――ハルトンは租界警察を動かし、力でおさえつけようとしている。われわれ中国人はこれ以上イギリス人の横暴をゆるすのか? 政府はいつまで治外法権撤廃にてこずっているのか? ――話は一工場のストから治外法権問題にまで発展していた。

 ほどなくして「反帝(反帝国主義)」を叫ぶ大規模デモが上海でおこった。学生や社会人一万人が街頭で行進した。

争議はいまや騒乱になる気配すらある。強硬手段は裏目にでた。さすがのハルトンも頭をかかえた。


「だから私のいうとおりになるって、いいましたでしょう?」

 アレーは鼻の穴をひろげ、葉巻の煙を吐き出した。

 労働者五人が死んだ事件から五日後の、巧月生邸である。

 フランス租界に似つかわしい壮麗な邸の一角にある茶館で、巧とアレーは八仙卓をなかにくつろいでいた。卓上にはかぐわしい香りの茶と、点心の茶梅(烏龍茶で煮た砂糖漬けの梅)がある。緑にそまった窓と、室内の最新型扇風機からは心地よい風が吹く。

 七月に入っても毎日どんよりの梅雨空がつづいていたが、ここだけは別世界のようだ。巧とアレーのふたりは昼前のひとときを優雅にすごしている。

「あのハルトンがほんとうに泣きついてくるとはな」

 巧が笑いをうかべていうと、アレーがニヤッとしていう。

「みこんだとおりでしたね。ストを長びかせれば、さすがの外国人も弱って頭をさげてくる、と。一時は――労働集会が租界警察におそわれたときは――労働者のほうが弱気になったんで焦りましたが」

「そうだったな。なにしろあのとき死者が五人もでたからな。組合側はだいぶ弱気になって私に相談にきたのだった」

「ハルトンに対抗できるのは華界では会長ぐらいですからね。まして会長は前にいちど争議をあざやかに調停してますから」

 巧は労働組合にはストを支援するポーズをとっている。組合にたいへんな額の救援金をだすとともに、国民党員陸慶士に「スト後援会」を組織させた。陸慶士は巧の息のかかった党員で、かつ組合に影響力をもっている。

「労働組合は勢いをもりかえして、スト解決はいっそう遠のいた。それどころか一般市民まで騒ぎだし、『反帝』の名のもとに『ハルトンをつぶせ』だの『ルドルフを逮捕しろ』と毎日叫んでいる。そこまでされたらいくらハルトンでも、こたえますよ」

 今朝、ウィリアム・ハルトンは巧月生に相談をもちかけてきたのだった。

 アレーのいうとおり、ハルトンはかなり参っているようすだった。組合に譲歩する気はいまでもないが、ストにはほとほと頭をかかえているという。プライベートにも悩みがあるらしく、甥のことをこぼしていた。ルドルフはチャリティ・イベント以来、心をとざして部屋から一歩もでず、いくら優しい言葉をかけてもひとこともこたえてくれないという。

 公私ともにいきづまり、どうしていいかわからなくなったとき、スト調停に一役かったことのある巧月生の名が頭にうかび、やもたてもたまらず電話したという。

 巧月生は言葉どおりにうけとった。巧がスト調停をたのまれること自体は、ふしぎなことではなかった。アレーもいったとおり、巧は昨年ある外資系会社のストを解決して調停役としての実力を欧米人たちに認められていた。それに上海人の意を従えたかったら蒼刀会会長巧月生を味方につけなければならないといわれていた。

蒼刀会は庶民生活にくいこんでいる半面、国民党のお抱えマフィアでもある。

昨日は国民党中央委員じきじきの訪問をうけた。委員はきわめて慇懃に今回のストが中英の国交に影響がないか蒋介石主席が胸を痛めているとのべ、暗ににスト解決を依頼した。

そして今朝はハルトンからのスト調停の依頼である。

どちらにも巧はスト解決を約束した。

「ハルトンは会長が労働組合側も援助してることを知ってるかもしれませんね」

 アレーはいったが、巧は表情を変えずにいった。

「知っていたとしても、かまわない。労働者側、経営者側、どちらの要望もくんで調停する――それが私の役目だ」

「騒ぎが大きければ大きいほど収束させたときのインパクトは大きいですからね。ストを解決すれば、巧会長の名は各界にとどろきわたること、まちがいなしですよ」

 アレーは卑しく笑う。巧は眉をよせるどころか、夢みる顔になっていった。

「白人の上流社会も私を認めるだろうか」

「ええ、もちろんですとも。ハルトンがあとおししてくれるでしょう。会長に借りができるんですから」

「しかしふしぎなものだな。このチャンスのもととなったのが、チャリティ・イベントでの日本特務の失策とは」

「ええ、まったく。あの小山内駿吉も、麗生を殺人犯にしたてあげようという計画を逆手にとられようとは夢にも思ってなかったでしょう」

「もっともわれわれは逆手にとろうとして途中でイギリス人に邪魔されたがな。しかしかえってそれがよかった。ルドルフが麗生を殺してくれたおかげで白蘭――江田夕子は手を汚さずにすんだし、悲劇のヒロインは日本特務の望んだ日本人小山内千冬ではなく、われわれの望んだ中国人麗生になった」

「あのときプランBを実行しなくて、ほんとよかったですよ。白蘭を江田夕子に変身させて突入させるより、ルドルフとしゃべらせたほうが有益だと途中で気づいて」

「君にはおそれいるよ。白蘭とルドルフがベンチでしゃべってるのをみただけで、あとのことを予知できたとは」

「あの蘇州河岸のベンチをみてるとき、どうしてか、みえたんですよねえ――ルドルフが麗生を殺すシーンも、市民がハルトンを抗議するシーンも、おいこまれたハルトンが会長をたよるシーンも」

 アレーがいうと、巧は灰皿の縁で葉巻の灰をおとした。そしていった。

「では、私がいまスト解決をどう運ぼうと考えているかも、おみとおしだな?」

 巧はアレーを試すようにみた。

「ええ、わかります」アレーは襟を正していった。

「会長はまず、組合側の人間の出方を探ろうとしておられます」

「具体的にどう?」

「ストを陰に陽に扇動している男ふたりを懐柔できるかどうか、探ろうとしてらっしゃいます」

「男ふたりとは、だれとだれ?」

「ひとりは労働組合代表徐連雲、もうひとりは『上海時報』記者李龍平です」

「そのとおり」巧は感心したようにうなずくと、

「アレーのいったとおり、まずはそのふたりを個々に誘惑し、出方を探りたいと考えている。徐連雲には劉虎にあたらせるつもりだが」

 巧はなぜかここで間をいれ、アレーの目をじっとみていった。

「李龍平は君にやってもらいたい」

 とたんにアレーの目がなぜか異様に輝いた。

「ありがとうございます」

 感無量といったようにいった。巧もまたそれにこたえるようにいった。

「君は蒼刀会員ではないし中国人ではない。だが『上海時報』に『スト休止』の記事をのせられるのは、君のほかにないと確信している」

 

 二日後の七月七日、七夕の夜――、

 フランス租界の旧李花齢邸にはひさしぶりで赤々とした灯がともった。 この邸は二か月前に巧月生のものとなり、そのころは灯がつくことも珍しくなかったが、このごろでは皆無だった。

 けれども今宵は門前に黒ぬりの自動車がつめかけ、邸の内外には警備の人間が立っている。薔薇の咲きほこる前庭のむこうの、イタリア・ルネッサンス風の館の二階には、人影がみられる。

梅雨なのに雨がふりそうでふらない異様にじめじめとした晩だった。二階の客間の窓はあけはなたれていた。

 細長い立派なテーブルを巧月生、劉虎、アレー、白蘭の四人がかこんでいた。

 主人の手でグラスにそそがれていく薔薇酒をながめながら、白蘭はいい心持で説明に耳をかたむけている。薔薇酒とは、新鮮な薔薇の花びらを漬けてつくった自家製の酒だという。

 乾杯の声がかかると白蘭は心から微笑して、三人の男とグラスをあわせた。けれども微笑は、ひからびた悪魔みたいな巧や、あぶらぎった熊のような劉虎や、赤黒いたぬきのようなアレーにむけたものではなかった。自分に捧げるものだった。

 白蘭の視線の先には鏡がある。壁にかけられたその金枠の鏡には、うつっている――白蘭花をちらした旗袍をぴっちりと美しい肢体にまとった、あまりにも魅惑的な私白蘭が。

 なんどみても、うっとりする。私が上海を代表する男たちにそえる花として招待されたのはあたりまえだと思う。

 得意な気分で白蘭は煙草に火をつける。このごろではすっかり板についた変身のように、喫煙もすっかり板についている。煙なんて、いまではあたりまえに肺まで吸いこめる。

 私は白蘭。江田夕子とはちがう。

江田夕子のほうはあいもかわらず合宿所で泣かず飛ばずの待遇に甘んじている。最近雑用係を免除されたことだけが救いだった。雑用係は小山内千冬になった。千冬はチャリティ・イベント以来、麗生を見殺しにしたように思われて、いまでは最下位におちている。にもかかわらず生徒指導の講師エドワード・アンドリューは夕子を物置部屋から動かそうとしない。差別待遇は変わってない。ファイナリストのピラミッドの底辺にいるのも同じ。丁香以外には、まともに声もかけてもらえない。だから江田夕子は、いまでは白蘭こそがほんとうの自分だと思いこむようになっていた。

 なんといっても白蘭は人気者だ。知らない人に握手やサインを求められたことが、ここ二か月で何度あったかしれない。白蘭は、ルドルフを蘇州河につきおとした英雄として市民におぼえられている。

 白蘭の地位はチャリティ・イベント以来、格段にあがっている。

蒼刀会員もちやほやしてくれる。巧会長が自分を高くかってくれているからだろう、蒼刀会に入ったわけでもないのに、街にでれば守ってもらえる。租界はいまスト騒ぎでたいへんなのに、白蘭は危険とは無縁だった。いたるところにひそんでいる会員が、それとなくみまもっていてくれるからだ。ひとりでも安心して買い物ができる。白蘭は買物の味をおぼえた。

 いまはフランス租界にはまっている。英米租界よりも小さくて瀟洒な建物が多くて、歩いていると白系ロシア人経営のおしゃれなブティックや、アクセサリー店、菓子店などがひょっこり顔をのぞかせてくるのがいい。おしゃれな旗袍をきていくのが楽しみだ。

 特にお気に入りなのは、アヴェニュー・ジョッフルのカフェ・ド・レーブ(夢珈琲)。杏色のプリーツ加工したランプカバーをぼんやり眺めながら、 珈琲(カフェ・グラッセ)を味わう時間はなんにもかえがたい。お城のような映画館キャセイ・シアターや、工部局交響楽団の演奏がきけるライシャム・シアターですごす時間も、もちろん大好きだ。

 今日も花園のレッスンがおわるなり、アレーのマンションで変身して、映画を一本みてきた。ただし今日はストーリーがあまり頭に入らなかった。今夜の招待を思って興奮していたからだ。

白蘭が巧邸に招待されたのは今日がはじめてだった。本邸ではなく別邸だが光栄なことに変わりはない。男三人の会合に花をそえるためだけによばれたにすぎないとしても、白蘭は巧に正式に認められたということだ。どうしてわくわくせずにいられよう。

もっとも態度にはだしてない。この席ではお酒が入って気がゆるみそうになっても、まじめに、おとなしくふるまっている。退屈なストの話にも熱心に耳をかたむけているふりをしている。実際三人とも白蘭の存在を忘れたように話に夢中だった。

「――徐連雲のやつ、誘惑にのってきませんよ」

 劉虎はグイと酒をあおっていった。スト扇動者の懐柔が話題だった。

「そっちは、どうですか?」

 劉虎はアレーにきいた。充血した目で挑戦するようにみている。同じ仕事を任せられた人間として、李龍平の懐柔はどうなったか、気になってしかたないらしい。アレーは苦笑していった。

「こっちもうまくはいってませんよ。せっかくの誘惑も李龍平は『断固拒絶』って、つっぱねてます」

 劉虎は安堵したように目の色をやわらげて、

「いや、徐連雲も同じです。断固拒絶の一点ばりですよ」

 と、いったが、巧月生に目を転じると、とりいるようにいった。

「こうなったら、汪正寿にやったのと同じ手段をとるしかありませんね、ボス」

 汪正寿とは以前蒼刀会が暗殺した共産党員だ。汪正寿同様、徐連雲と李龍平も暗殺しますか、と劉虎はきいたのである。

「それはまだ・・・・・・早いだろう」

 巧は言葉を濁した。なぜか顔色が変わり、青ざめている。劉虎は心中に首をひねった。以前の巧月生ならふたつ返事でやらせたものだった。やはり会長は以前とは別人のようだ。

巧は弁解するようにいった。

「スト解決のためには厳しい措置をとらなくてはなるまいが、しかし、ひとまずは別の手段でいきたい」

「別の手段というと――ハメますか」

 劉虎がいうと、巧はアレーと目をみあわせた。しばらくしてからアレーが劉虎にいった。

「徐連雲はハメられても、李龍平はどうですかね? 新聞記者だから変に頭がまわりますよ」

「記者ったって二十四歳の若造でしょうが」

 四十代の劉虎は口をとがらせた。

「でも李花齢の息子ですからね、手ごわいですよ」

「だからなんですか。世間に見捨てられて死んだ女の息子じゃないですか。罠にかけるぐらい簡単ですよ、李龍平ごとき」

 劉虎は思わず声が荒くなった。李龍平には恨みがある。チャリティ・イベントで旧李花齢邸に巧を破滅させる書類があるといわれたのを信じて、いっぱいくわされている。あのあとボスにみつかる危険をおかしてこの邸にしのびこんだが、いわれた場所に重要書類などはなかった。

「慎重にやればいけますよ」

 劉虎は拳に力をこめていった。

「どんな罠なら確実か」

 巧がいった。その言葉をきっかけに三人はあれこれ案をだしはじめた。「龍平(ロンピン)」という言葉がやたらと白蘭の耳に入る。

三人の会話をきいているうちに、白蘭はいやでも龍平を思い出した。チャリティ・イベント以来、李龍平のことは考えるのもけがらわしい気がして、つとめて思考の外においやってきた。もらったレコードもみたくないから物置部屋のほこりだらけの場所に放置してある。それでも捨ててはいないのは自分が龍平に気があるからだとは、夕子の白蘭は気づいていなかった。レコードをもらったときも、ほんとうはうれしかったのだ。でも龍平が照れた顔で「ラブ」と口にしたから拒否反応がおこってしまった。

 前にもいったとおり、夕子は「愛」ときいただけで吐き気をもよおす。だから「ラブ」と口にした龍平は――曲名の英訳を口にしたにすぎなくとも気持ちのこもった声だったので――その瞬間から生理的にうけつけない生き物に変わった。そんなものにすこしでも好意を抱いた自分まで気持ち悪く思えた。不快感をすこしでも消したくて、この二か月近く必死で自分の愛を否定し、彼を否定してきた。

 そのあいだ、李龍平は合宿所に姿をあらわさなかった。チャリティ・イベント以来、ルドルフとハルトンを批判する記事を書きまくるのに忙しいらしかった。記事でストを煽っている。もともとそういう人だったらしいけど、麗生が殺されて、行動まで変わってしまったようだ。

会わなくてすむのはいいけど、私を無視してるようなのは気に入らない。人から手紙をもらったら、ちゃんと返事をだせ、といいたい。江田夕子のだした手紙に李龍平は返事をくれなかった。もうすぐで二か月になる。べつに返事がほしいわけではないけれど、麗生の死で忘れられたみたいなのは腹が立つ。

幸い李龍平は罰をうける。いまこうして泣く子も黙る男たちが、李龍平を黙らせる方法を話しあっているのだ。あんな男、どうにでもなれ。自業自得だ。私の手紙に返事を書かなかった男。ほんと、あの男に手紙をだしたのは失敗だった。どうしてあんな思わせぶりな手紙をだしちゃったんだろう。あの男の頭から私の手紙をよんだ記憶を抹消できないのが残念でならない。あの男を抹消するにはどうしたらいいのか。

 そのときふいにある考えが白蘭の頭に電光のようにひらめいた。

 ――そうだ、あのレコードを利用すればいいんだ。その方法なら確実だ。

白蘭、夕子は思いあがっていた。白蘭としてなんの苦労もなしに人からちやほやされるようになっただけに、自分をすごい人間だとかんちがいするようになっていた。気にくわない人間をつぶすぐらい、自分の腕にかかれば簡単だぐらいに思っていた。

 白蘭は自分のアイデアを巧たちに伝えることにした。幸い彼らは龍平をハメる方法を考えあぐねている――。


 翌七月八日、フランス租界の里弄(※上海独特の集合住宅)にある李龍平宅を租界警察の特高刑事と警官二十名が急襲した。

 家宅捜索の結果、大量の共産党のビラが押収された。ビラには「ストにたちあがり、租界当局の圧政に反対しよう」という文句が印字されてあった。ビラの原本は、部屋の片隅にあったマレーネ・ディートリッヒのレコードジャケットのなかから発見された。

共産党員とみなせば問答無用で逮捕するのが当時の租界警察だった。警官たちは動かぬ証拠をつかんだとして、李龍平をその場で逮捕した。

 龍平は身にいっさいおぼえがないと主張したが、警官はレコードのジャケットにあったメモが龍平の筆跡に一致するとして、拘置所に送りこんだ。

 龍平はハメられた。

 警察が証拠としたビラは特高部が偽造したものだったし、原本がでてきたとされたレコードは巧月生(正確には白蘭)が提供したものだった。それを警官たちは隠しもって突入し、さも龍平の部屋から発見したような顔をしたのだった。

 白蘭は自分のアイデアと、提供したレコードがもとで龍平が拘置所に送りこまれたときくと、勝ち誇ったように冷たい笑いをうかべた。

ざまあみろ、李龍平、私の力を思い知ったか。私ほどの人間に礼儀を欠いた当然の報いだ。白蘭サマにさからうとひどい目にあうと思いしるがいい。私はエライのだから、強いのだから・・・・・・。あの男がひどい目にあったって私の心はちっとも痛まない。私みたいな尊い女は、とるにたりない存在は気にしたりしない。こっちのしたことがむこうにばれたって平気。白蘭はそう心にうそぶいて、龍平が拘置所に入った晩もいつもと同じように華麗に着飾った。ライシャム・シアターの桟敷席をとり、優雅にバレエ鑑賞をする自分を楽しんだ。

自分が愛とむきあうのをおそれているだけとは、けっして考えなかった――。

 同じころ、労働組合代表の徐連雲も李龍平と似たやり方で逮捕されている。

 翌日になると労働者全般にたいするスト弾圧が、本格的にはじまった。

 巧月生は労働組合に潜入している蒼刀会員を使い、「スト継続を主張すれば共産党員とみなされて、徐連雲たちと同じ目にあうぞ」というデマをばらまいた。市長は申しあわせたように「スト厳禁」の布告をはりだした。

 ストは急速に勢いを弱めつつあった。


「さっさと自白すりゃいいんだ」

 看守は悪態をついて、ずぶぬれの青年を監房に投げもどした。

 別室で拷問された青年の顔は、濃桃色に腫れあがり、目もまともにひらかない。床にたたきつけられた青年はそれでも髪から流れおちる水が口に入ると、反抗的にぺっと吐きだしてみせた。

 看守はうすく笑って鉄格子をしめ、

「現実を認めろ。おまえの未来はない。仮に保釈されたってな、母親と同じ運命をたどるのがおちなんだよ」

 いいすて、去っていった。

 青年――龍平はいい返す力がなかった。消耗しきっている。なにしろ別室で唐辛子入りの湯に何度も顔をおしつけられ、生死の境をさまよわされた直後なのだ。

 今日は七月十二日――収監されてもう五日目になる。

同じ拘置所でも、ここは租界ではない。共産党員の墓場といわれる、龍華寺の隣のあの拘置所だった。

 入所時、近くの緑の波からはえる龍華寺の仏塔をみたとき、二か月前麗生に呼ばれて龍華寺にいったときのことを思い出し、自分がこうなることはあのときすでに心の底で予期していたような気がした。

 じめついた監房には龍平のような男がたくさんほうりこまれている。みな拷問で疲れきり、ぼろきれのようにうずくまっている。共産党員と疑われた男たちだ。実際はそうでない者のほうが多かった。だが尋問にたえかね、党員と「自白」して処刑される者はすくなくない。龍平がきてからだけでも、もう何人がこの世から去っただろう。

ここからでたければ、だれかに保釈金を払ってもらうしかない。龍平にそのあてはなかった。それでも屈する気はなかった。身に覚えのないことを「自白」するくらいなら、拷問されたほうがマシだった。死もおそれはしない。スト支援の記事だって覚悟がなかったら書けなかった。

 麗生が殺されてからの二か月間、俺はルドルフ批判、ハルトン批判、スト支援の記事を執拗に書いてきた。そしてハルトンをようやく追いつめつつあった。

だがあと一歩というところで、蒼刀会が横槍を入れてきた。そのこと自体は意外ではなかった。とうとうきたか、と思った。おそらく蒼刀会は――というより巧月生は、ハルトンにスト調停の依頼をうけて動きだしたのだろう。俺はアレーにスト支援記事を書くのをやめるよう、暗にすすめられた。やめれば、俺の望みのものをくれる、といったような口ぶりだった。アレーは巧の代理だ。蒼刀会はあきらかに俺を懐柔しようとしていた。だが俺はきっぱり断ってやった。そしたら案の定このザマだ。蒼刀会は強硬手段にでた。蒼刀会ボスにとって租界警察を動かすくらい朝飯前だ。俺に無実の罪をきせて拘置所にほうりこみやがった。

アレーを拒絶した時点で、ある程度予測はしていたことだから逮捕自体にはそれほど驚かなかった。俺がショックだったのは、「動かぬ証拠」としてつきつけられたのが、あのディートリッヒのレコードだったことだ。

 警官は俺が「共産党員である動かぬ証拠」として、したり顔でレコードのジャケットから「共産党のビラの原本」をとりだしたものである。

 たしかにあのレコードは俺のものだった。ジャケットに入っていたメモや、傷の具合がそれを証明していた。でも二か月前から俺のものではなくなっていた。江田夕子に贈ったものだからだ。それがどうして警官の手にあったのか。俺をハメるために手に入れたのだろうが、どうやって入手したのか。

まさか江田夕子がみずから警察に提供したのか? 龍平はそう思いたくはなかった。だが自信がなかった。というのも龍平は逮捕される前から、夕子にふられたと思っていたからだ。

 二か月前、龍平は夕子から手紙をもらった。読むとすぐに返事を書き、ポストに投函した。夕子をそれとなく映画の試写会に誘う文面をそえていた。映画の試写会は七月七日の夜だった。夕子はこなかった。手紙がなにかの手ちがいで夕子のもとに届かなかったことを龍平は知らなかった。龍平はふられたと思った。眠れない夜をすごした明け方、警官が自宅を急襲した。警官は龍平が夕子にあげたはずのレコードを持っていた。龍平は逮捕された。

 ショックつづきのために、マイナス思考になっているのかもしれない。つい夕子を疑ってしまう。でも龍平は夕子を悪者にしたくなかった。だから白蘭を悪者にすることにした。

 レコードを警官に渡したのは白蘭だと思うことにした。白蘭は夕子にレコードを渡さなかったのだろう。俺が美人の白蘭をさしおいて夕子ばかりほめたのをやっかんで、いじわるしたのだろう。巧のお気に入りの女だ。それぐらいのことはやりかねない。白蘭はレコードを二か月近くも手もとにおいていたのだろう。そのあいだに巧たちが俺をハメて逮捕するといいだした。それを耳にした白蘭は「このレコードなら『証拠品』に使えますよ」とでもいって、俺からあずかったレコードを手柄のように巧たちにさしだしたのだろう。その「証拠品」を巧はうまく利用し、租界警察に俺を逮捕させた・・・・・・。

かゆい。足もとを虫がはっている。

白蘭が自分の考えたとおりの行動をとったかはともかく、蒼刀会が俺をハメたのはまちがいない。龍平は足で虫をはらった。けった。蒼刀会が憎い。しかし蒼刀会にたよったハルトンはもっと憎かった。

 あの資本家は甥のルドルフ――いや、愛妾のルドルフが麗生を殺したというのに、それをかばうのみならず、労働組合の集会を警察に襲わせ、五人の死者をだしても当然のような顔をしている。謝罪はいっさいない。チャリティ・イベント主催者がきいてあきれる。ストを終わらせるためだったら、どんな残酷非道なこともやる男。

 あいつは、俺や労働組合の幹部を逮捕して問題を終わりにしようとしている。

 ふたたび龍平の尋問の番がまわってきた。監房の外につれだされ、「自白」をうながされ、全身殴られけられた。唐辛子入りの水に顔をつけられたとき、まぶたの裏にハルトンの冷笑がみえた気がした。

 あのおっさんは、もともと残酷だった。母親を見捨てた男だ。母親を愛人としてもてはやしていたくせに、『乙報』がちょっと母親の中傷記事をのせたとたん、邸からほうりだした。

 ――そう、思いだしたくもないが、あいつは母親の愛人だった。

 母親はなぜハルトンの愛人などになったのか? 龍平は知らなかった。知りたくなかったから、知ろうとしなかった。

考えればふしぎだ。母親はハルトンのことは、それまで愛人にした三人の男とはちがって愛してないようだった。おっさんのほうも母親に特別な愛情は感じてないようだった。かといって肉体的に離れられない仲というわけでもなさそうだった。

 あのふたりは、なぜくっついたのだろう?

母親は「ハルトンとは長いつきあいだから」と、いいわけのように俺にいってたっけ。いつからのつきあいなのかは、きかなかった。けがらわしい気がして、きく気がしなかった。だがハルトンはたしか母親を娘時代から知っているといっていた。

ハルトンは若いころ父親の財産を使って各地を遊び歩いていたといっていた。イギリス人の父親が駐日公使をしていた関係で、日本にも日露戦争がおわったころ半年ちかく滞在していたという。それがたしか一九〇六年、いまから二十五年前だ――そこまで考えて龍平はハッとした。小山内駿吉にチャリティ・イベントでいわれた言葉を思い出したのだ。

 「もう二十五年も前になりますか、花齢さんが日本にいたころの話です。あ、そのころは花齢さんではなく、如莉(るり)さんと呼んでました。本人がそう名のっていたので」、「私はそのころ東京で陸軍士官学校の教官をしていましたが、いきつけの店に飯田橋の富士見楼という中華料理屋がありましてね、そこで如莉さんと出会ったんです。私も常連でしたが如莉さんも当時常連客だったので」

二十五年前、小山内駿吉も東京にいた。母とハルトンがいたのと同時期である――。

 なぜいままでそのことに思いあたらなかったのか。このことをきいたときは麗生が実行する命令のことで頭がいっぱいだったし、そのあとは麗生が殺されてそれどころではなかった。

そういえば――と龍平はまたあることに気づいてハッとした。たしか蒋介石も二十五年前の東京にいた。蒋介石の御用新聞『乙報』で読んだおぼえがある。そこには富士見楼のことも書いてあった。

龍平はその記事の全内容を頭によみがえらせた。一九三一年二月八日付『乙報』掲載の「李花齢、衝撃の過去」と題する記事の内容は次のようなものだった。

 ――「『乙報』はこのたび一流写真家・李花齢に関する驚くべき情報を入手した。消息すじによると李花齢という人間は、なんとこの世に存在しないという。李花齢はパリ生まれで父親はフランス人、母親は中国人と自称していたが、すべてまったくのうそで、李花齢という名前も偽名だという。

李花齢の本名は裕如莉という。裕如莉は一八八六年湖北省武昌にて清国官僚裕康とフランス人の母とのあいだに生まれた。裕康は外交官で海外赴任に家族をともなった。その関係で如莉は少女時代を日本で三年間、フランスで四年間をすごした。

フランスから帰国したのは一九〇三年、如莉が十六才のときである。一家は時の権力者、西太后に北京の頤和園に招待された。如莉はそのときにみそめられ、西太后の身のまわりの世話をする女官に採用された。生まれつき気のつく性格だった裕如莉はたいへん好かれ、信頼されたという。

三年後の一九〇六年、如莉は密命をおびて日本へ派遣された。密命は中国革命同盟会の監視、および妨害をすることであった。中国革命同盟会は、清朝打倒と民主政府樹立を目標に一九〇五年、孫文らが東京で結成した組織である。当時東京に滞在中だった多数の中国人留学生が参加している。現国民政府蒋介石主席もそのひとりだった。

 東京飯田橋の中華料理店『富士見楼』は、中国革命同盟会の活動拠点だった。

そこで一九〇六年八月、予定されていた演説会に突然日本の官憲がおどりこんだ。幸い会員は逮捕を免れたが、同盟会は一時解散の危機においこまれた。

密告者は日本人の同盟会員、吉永義一とされた。吉永義一は当時陸軍士官学校生、革命にロマンチシズムを抱く十九歳の青年だった。革命同盟会の数少ない日本人会員だったのである。

しかし信頼すべきすじがわれわれに話してくれたところによると、真の密告者はほかの人間だという。だれか。なんと裕如莉だ。裕如莉はそれまで富士見楼になにかと出入りし、同盟会の動きを探っていた。演説会開催の情報を耳にすると、ここぞとばかりに密告したという。日本の官憲は同盟会の活動に目を光らせていたから、とびついた。裕如莉は清朝スパイとしての任務を果たしたのである・・・・・・云々」

この記事がでたのはリラダン事件の三か月前。これをきっかけとして当時社交界の花だった李花齢は転落の一途をたどった。『乙報』は興味本位の記事が多いが、人びとはゴシップにとびついた。好んで李花齢を悪人と信じた。記事のでた三週間後、母は「国家反逆罪のかどで」などといわれ、租界警察に逮捕された。正当な理由なく一か月近く勾留されたのである。

 本来龍平は母を擁護すべき立場だったが、それができなかった。記事は中傷だと思ったが、母の態度から、そうでもないらしいことが感じられ、記事の内容がまったくのデタラメと思えなくなり、母を信用できなくなった。裏切られたという思いがした。龍平にとって裕如莉という名も、二十五年前の東京の話も、すべてはじめてきくことばかりだった。ショックで癪で、母にほんとうのことを問いただす気にもなれなかった。龍平はその記事を記憶の底に埋めた。

だが、いま記事を思い出し、リラダン事件のことを思いあわせると、あの記事には龍平が考えていた以上の深い意味があったように思われてくる――。

『乙報』は蒋介石の御用新聞だ。それが今年の二月、突然二十五年前の母について書きたてた。

 その約二か月後に母は殺され、リラダンは爆破された。

 麗生によると、リラダン事件は「中日の共同計画だった」という。ともにリラダンにある宝がねらいだったという。その宝とはなにか? そもそも母はなぜそんな宝を持っていたのか? まさか西太后や頤和園と関係が? 母は『乙報』の書くように、ほんとうに清朝のスパイだったのか?

小山内駿吉の言葉が脳裏によみがえる――「富士見楼は裏口のほうでサブローという犬を飼っていたんですが――おとなしい、いい犬で、だれにも吠えなかったんですが――それが如莉さんにだけは吠えたんですね。何度来店しても絶対になれなかった」

 あれは母が清朝スパイだったことの皮肉か? あるいはほかにも意味があるのか?

リラダン事件は「中日の共同計画」で、実行部隊は蒼刀会と日本特務だったと、麗生はいった。事実なら背後にはそれぞれ蒋介石と小山内駿吉がいることになる。ふたりは一時陰で手を結んでいたということか。だとすれば、なにがふたりを結びつけた?

考えて龍平はハッとした。

 蒋介石と小山内駿吉は旧友だったのではないだろうか。

 ふたりとも一九〇六年の東京にいた。いや、ふたりだけではない。そこには母も、ハルトンもいたとされる。

そのことがなにを意味するか。

 四人は当時から知りあいだったのかもしれない。その可能性は高い。ハルトンはともかく、ほかの三人は富士見楼の常連だった。

なぜいままで気づかなかったのか。すべての根源は当時の東京にあるのではないか?

 一九〇六年、東京――。

 そこで母、ハルトン、小山内駿吉、蒋介石のあいだでなにがあったのか、知りたい。 監房にふたたびほりこまれた龍平はいま切実にそう思った。

真相さえわかれば復讐できるかもしれない、

 ――復讐。

龍平は腫れたまぶたをあげ、鉄格子に吸いつくような視線をなげた。

 ここから、でられさえしたら、俺はすぐにも真実を追究する。それからできるなら母や俺を苦しめた人間たちに復讐したい。

 だが、でられるみこみはなかった。それどころか、いつ首をきりおとされてもおかしくなかった。


 翌七月十三日、スト弾圧がはじまってから五日目、巧月生がはじめて表だってスト調停にのりだした。

 具体的な行動としてはまず、労働組合に「スト後援会」を組織させていた国民党員陸慶士とともに、組合側の要求をもりこんだ六か条のスト解決案をハルトン洋行側に提出した。

 ハルトンはそのなかの「賃上げ」「スト期間中の賃金補償」等の三条件はのめないとつっぱねた。

 一方、以下はうけいれるとした。「不当解雇の撤廃」、「逮捕者(徐連雲、李龍平)の釈放」、「殺人犯ルドルフ・ルイスの処分」である。

 三つ目の条件をうけいれたのは実に驚くべきことだったが、双方の要求額に二十五万元の差額が生じた。

 その差額を巧がうめた。二十五万元、ぴたりと私財をなげうって提供したのだった。

 これが美談となって巧月生の名は一躍上海にとどろきわたった。

 市民は李龍平を逮捕させたのもまた巧月生だとは知らなかった。うすうすは感じていたかもしれないが、悪いのはあくまで租界警察だと思いこんだ。騒ぎが大きければ大きいほど収束させた人間は偉大にみえる。

スト解決後、巧月生はまたたくまに、おしもおされぬ人気者となった。あちこちのイベントにひっぱりだこになった。銀華デパートが繁盛したのはいうまでもない。

 しかも巧が獲得したのは市民の人気だけではなかった。中英外交にも暗い陰をなげかけていたストだっただけに、収束させた巧の手腕はイギリス人に高くかわれた。つまり巧は租界当局の信頼をも同時に獲得したのである。そのあかしに巧はミス摩登コンテストの審査員に選ばれている。依頼したのはコンテストの副会長ハルトンだ。

 いまやすべてが巧のねらいどおりに運ぼうとしていた。目標である共同租界工部局参事の座につく日も近いと思われた。

 それでもけっして巧はおごった態度はみせなかった。それどころか「義侠の士」にふさわしい行動をとっている。デパートの売上げがあがれば、あがったぶんを従業員にわけ与え、自分の臨時収入がふえればそのぶんを蒼刀会の配下の給金にまわし、幹部クラスの人間には社会的地位にふさわしい家をたてられるように段どりをつけてやったりした。

 さらにチャリティ・イベントでルドルフ相手にみごとな活躍をみせた白蘭には、旧李花齢邸をプレゼントしている。

 その日、白蘭は広間のソファでひとりゆったりと手足をのばし、夏の残照に光る庭園を眺めながら、ルドルフのことなどを考えて優越感をさらに高めていた。

 人間ああなったら、おわり。人を殺して逮捕されて、スター復活はもうむりだね。いくら私を好きだからって、私のために麗生を殺すなんて、ほんとにばかな人。でもおかげで私は麗生を殺してもらえたし、英雄にもなれたし、感謝はしてる。感謝といえば、ストを起こしてくれた李龍平にも感謝しないとね。ストがなかったら巧さんはいまほど人気者になってはいなかった。私がこの邸をもらえることもなかった。でもこの邸はいまや私のもの――。白蘭は満ちたりた思いで、芝刈り機の眠気をさそうブーンという音に耳をかたむけていた。

 この邸は私のもの。もっとも一日の半分はまだ江田夕子として合宿所にいなくてはならないけれど、コンテストが終わればその義務も終わる。そしたら私はここに引越して、本格的に豪華な租界暮らしをはじめよう。白蘭として有名人として、地位も名誉も私の思うまま、薔薇色ならぬ白蘭色の生活を送るのだ。夢ははてしなくひろがる。

 その夢が夢想にすぎないとは、このときの白蘭は思ってもいなかった。いまの二重生活さえ、長くつづかないとは、考えもしなかった――。

 そのころ李龍平は上海を離れていた。

彼は船にいた。船は日本にむかっている。

 三日前の七月十四日に釈放されたとき、拘置所の人間は龍平に告げた――釈放されたのは巧月生のおかげということと、上海時報社が龍平を解雇したことを。

 龍平はただ失笑苦笑を顔に刻んだ。

 そして今日、彼はやつれた体に鞭うって船にのりこみ、旅立った。

七月十七日金曜の午後四時、日本行きの船は虹口の匯山碼頭を出港した。

 偶然にも同じころ、ルドルフがハルトンの手によって共同租界の拘置所からひそかに釈放されている――。

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