No. 005 / Thinking 01 「マイナスの正しい取り扱い」

 私には一つの疑問があります。

 自分を『ネガティブで駄目な奴だ』と思い込んでいる人は、果たして本気で自分自身を否定しているのでしょうか?

『自分はネガティブである』という看板を背負いさえすれば、必要となる努力を回避できる、そう考えてはいないでしょうか?



 マイナス思考とは、文字通りマイナスの思考です。プラス思考の反対に位置していて、プラスは『良いもの』でありマイナスは『悪いもの』であるという認識が多いかと思われます。

 単純な比較だけをすればそうなるのかもしれません。明るい人間と暗い人間から一人を選べと言われたなら、大半の人間が前者を選ぶことでしょう。


 しかし、それらはあくまで印象の話であり、事実とは異なっています。

 思考とは方法を導くための手段です。念力でも飛ばさない限り、自らの考えが直接現実に影響を及ぼすことはありません。思考は行動に反映されることで初めて他人からの評価を受けることになります。ですから、思考自体を善や悪で二分することはできないのです。

 人の思考が方法を模索し可能性を見出すために行われるのであれば、プラスもマイナスも性質が違うだけで、本質にあるものは同じなのかもしれません。



 事実、思考は可能性を見出すためにあるとするなら。

 私たちはどれだけのことを『考えている』のだろう。


 それこそが、私が文頭で示した問いに当たるのです。


 ここでもしも自分のことをネガティブな人間であると思うのなら、なおのこと本気でマイナスと向き合うべきだと私は考えています。半端な位置での足踏みに留まるのなら、いっそ突き抜けてみるのです。

 自分について深く知るためには自分が思うことをとことんまで考え詰めていく必要があります。『ネガティブだから駄目なんだ』と言って思考にふたをせず、ネガティブにかたよってしまう自分の『本当に駄目な部分』はどこかを突き止めるのです。


 このようにして現実問題と対峙することこそが本来のマイナス思考であり、『負の側面と向き合う営み』なのではないでしょうか。そこまでの深い自己分析がなされることで、人の思考は価値を生むのではないでしょうか。


 加えて、マイナス思考において重要なのは、否定できないものを見つけることにあります。悪い部分が見えてくれば、相対的に良い部分も見えてくるかもしれません。考えを深めれば深めるほど、浅いマイナスでは望めなかった景色を知ることができるでしょう。



 ――さらに、こういった上記のようなことを掲げる時、それこそポジティブな人間の楽観的な提案だと揶揄やゆする声が上がったとします。

 希望的観測であると指摘する人がいた場合に、私から言えることは一つです。


『悲観的観測を徹底して行い、

 それでも自らに眠る可能性は皆無なのだと信じ、

 すべてを諦めることができた者だけに、

 希望的観測を批難する権利がある』




 さて。

 あなたは今、自分の中にある負の感情をどれだけ理解していますか?

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