次世代少女通信衛星機構3

 ASルリエスハリオンに係留されていたVX9を纏い、ハルタカは地球軌道への潜降ダイブを開始した。

 腰部コントロールユニットを強く倒し込む。みるみる深度計が危険域側へと急降下していく。前方視界に鈍色の姿を映す、箱舟たち軍勢。VX9一機に対する砲撃の気配はまだない。

 VX9上方へと離れていくルリエスハリオンから、六基の探査衛星が分離した。母機から遠隔操縦されるそれら花弁たちが、折り紙のように装甲を組み替え、次には軌道甲冑を模した人型へと変形した。

 VX9に追随したのち、四方に散開する無人甲冑たち。すぐに高軌道側からの一斉射撃が始まった。

 クジラ型をした箱舟たちの背が腫瘍状に膨張し、破裂して反撃の一射が放たれる。縺れ合うようなその射線上に飛び込んでいたハルタカは、VX9に実装した予測プログラムの追い風を受け、砲撃の雨を掻い潜っていく。そして、取るに足らないはずのこの双眸で、戦場を余すことなく観測していく。

 ハルタカ自身が演舞の指揮者であるかのように、VX9を中心とした一種の分隊が形成されていた。

 四機の無人甲冑が箱船の一隻を包囲、ゼロ距離でレーザーを浴びせたのちに腹の下を潜り離脱――あのトリッキーな機動は、確かにルリエスが軌道甲冑VLSを駆ってみせたころと同じものだった。

 中央処理装置を破壊され、形態を維持できなくなって自壊していく箱舟たち。そして近傍軌道に残存した三隻を、地平の彼方より猛追する閃光があった。

 突如として飛来した黄金剣――ASアーネミカヅキは、躯体そのものである鋭利な刃にエネルギー力場を帯びて、自らで箱舟を串刺しにする。それに貫かれた三隻まとめてが切断面を赤熱させ、真っ二つに千切れて沈んでいった。


【――相変わらずふざけてるにもほどがあるわね、アーネの戦い方はさ。そんなでもまだ人工衛星と言い張るか】


【そんな、スプトニカねえさまよりお褒めにあずかり、とってもこそばゆいですわ。どこであれ騎士らしく振る舞う。矜持という冗長性こそ、この宇宙で燦然と輝きますの!】


 アーネとスプトニカの声が〈楽園〉越しにハルタカの耳にも飛び込んでくる。ルリエスが傍にいる間は、彼女がふたりの様子まで中継してくれた。


「大艦隊の方は、他のASたちに時間稼ぎをしてもらうしかない。ぼくたちは、彼女たちからもらった貴重な時間でやれるすべてのことをしよう」


【――ハルくん。ASのみんなのうち、協力してくれた十基、がオービタルダイバー各基地を捕捉、しました。これより九〇秒、後に、各担当基地、への接触を開始します】


 ルリエスからの報告どおり、スプトニカの作戦に同調してくれた十基のASたちが、各々に受け持った基地に向け、次の行動に移ろうとしていた。


「ありがとう。じゃあ予定どおり、ぼくの姿と声を中継して」


【りょーかい。カウントダウン、開始します、どうぞ】


 投影モニター上で開始されるカウントダウン。

 ルリエスハリオンの二層円環型ユニットが光背のごとく閃光を放ち、センサーアレイが全展開する。彼女と軌道を同期させたVX9に追従する、六機の無人甲冑たち。無数のレンズが細密にVX9を捉え、電子的解釈を経て〈楽園〉に転送アップロードされていく。


 ――そうしてカウントゼロとともに、この軌道世界において前例のない物語が幕開けた。


「――聞こえますか。こちら〝F・G・T〟――次世代少女通信衛星機構フューチャーガールズ・テレサット。人類とアリス=サットの間に結ばれた新しい関係。ぼくたちは宇宙で孤立した人々に、こうしてホログラムで呼びかけています――」


 ルリエスが見つめたハルタカの姿が、〈楽園〉の量子の波に乗って地球軌道を巡り、十の基地すべてに現れていた。

 それは、各基地近傍に現れたアリス=サットたちの、躯体上に投影されたホログラムとして。


「――今からおよそ十時間前、コロニー・アガルタが破壊されました。撒き散らされたその破片が膨大な量のデブリ帯となり、いつかあなたがたの暮らす軌道にまで押し寄せる可能性があります――」


 ルリエスが耳を傾けたハルタカの声が、衛星を奪われ孤立したものたちの耳に届けられた。

 メッセージは余すことなく、音声、文字、信号――あらゆる原始的な手段に変換され伝達された。


「――これから安全な軌道座標を送信し、あなたがたの基地を誘導します。どうか、ぼくたちの言葉に耳を傾けてもらえることを願います――」


 この呼びかけを受信できたものたちに、果たしてどれほどの願いが伝わったのだろうか。

 自分にも不安がないわけではない。未来予測機関AIから生まれたであろうASは、本質的には箱舟と同じ人類領域を脅かすものだと見なされてきたのだから。

 だが、それでも彼女らが寄る辺を選べない子どもたちにとっての道標――一条の光明となることができれば、それはどんなに素敵な未来になるだろうかと信じて。


【――――――――そのペテン師くさい口を塞ぎなよ、ハルタカッ――――!】


 ――声を妨げるものがいた。

 忘れもしない、狂乱に満ちたその声。それが何ものであるかを示すように、ルリエスによって捕捉された新たな動体座標がこちらのモニター上に送られてくる。それも一機だけではなく、レーダーマップに現れたのは計三〇機だ。


「まさか来るとは思ってなかったけど、ニルヴァ。お前の蛮勇を止めようとする仲間がいなかったことに失望しているところだ」


 こんな挑発の言葉も、あらかじめ用意しておいたものだ。あらゆる展開が織り込み済みでなければ、こうして歩み寄ってくれたの機嫌を損ねることになりかねないから。

 孤立した基地に向けメッセージを送っていたVX9――その後方から迫り来ていた機影は、軌道甲冑・VLSだ。カラーリングから、先行する十機はジェミニポート所属機で、純白に青藍アクセントのVLSがその先陣を切る。ニルヴァ機だ。


【バカか? これって、お前の裏切りが引き起こした事態なのに、まだ自覚ないの? 人間側のくせに勝手にASと手を組むとか、人類の正統な後継者たる僕たちを武力とテクノロジーとでねじ伏せようって企んでんだろうがっ!】


「ニルヴァ、お前の理屈はとうに破綻してる。まず深呼吸して回れ右しろ。基地に戻って甘いカフェオレでも飲むといい。お前のその無駄なエネルギーは、己の生活を守るために再利用した方が環境に優しいし社会貢献できる」


【……ハァ? それって挑発のつもり? 守るためにお前が邪魔なんだって言ってんだよ】


 引き連れた仲間たちのVLSを制止させると、ニルヴァ機がハルタカの方に距離を詰めてくる。その両アームユニットには、巨大なブラッドアンカーが二挺も携えられていた。


「ひとりで来ればよかったのに、どうしてそんなぞろぞろと引き連れてきたの? 箱舟の艦隊と戦ってくれるのなら止めないけど、を傷つけるつもりなら許さない」


 淡々と告げてやる。それ以上の感情など込めようがない。わずかにでも気を抜けば、この男が奪ったものの最期の光景が、己を復讐へと駆り立ててしまうから。それはあまりにも考えなしで、今の自分には必要のないことだから。


【ASってさ、対箱舟用の兵器だから、人間を攻撃するようにはできてないんでしょ? だったらお前がASに命令して人間を攻撃しないように、人類もこうやって手を取り合うんだよ!】


 背後に控える二十九機のVLSたちは、要するにニルヴァ自身を守る盾とでも言いたいのか。そんな真似をせずとも、ニルヴァよりも知性のあるASたちが人間に砲口を向けることなどあり得ないのに。


「人類を名乗るなら、担当管理官の指示に従うんだ。ラムダ担当管理官不在の今は、ネイディア代表代行がお前の上司であり保護者だ」


【……お前みたいなのが体制のイヌ、って言うんだよ。ハルタカ、お前は植えつけられた網膜下端末をなくした癖に、なにひとつ現実に目覚めなかった。大人どもの洗脳に抗おうなんて考えもしなかった。そうやって大人どもの都合のいい操り人形として利用され続けるのがお前にはお似合いだ】


 ニルヴァは躊躇いなくブラッドアンカーを突き付けてきた。もはや理屈ではなく、この場で己が正しさを証明することこそが正義なのだと。


「で、ぼくを殺してニルヴァは何を得る? お前って、もうさ――んだけど」


 ザワついてくる胸の内側。鼓動がアンダースーツ越しにVX9をノックするかの昂ぶり。今は全く恐怖心が湧いてこない。自制の箍が外れることはとても怖いことなのだと、いつもなら立ち返ることもできたろうに。


【なんでお前って私怨の話にすげ替えてんの? みっともない逆恨み? 視点を間違えんなよ、ガキが。そうやってASをしもべにしたお前は、人類にもっと恐ろしい大量破壊兵器を突き付けてんだよ。そういう出過ぎた力を手に入れた狂信者どもが、地球をあんな凄惨にした】


 ニルヴァは手を大仰に広げて、軌道世界から一望できる銀染めの地球を促す。

 低軌道側でまだ止まない交戦の炎。彼の背後で隊列を組むVLSたちの兵団と、ハルタカの頭上で警戒態勢を維持するルリエスハリオンたち。この奇妙に沈黙した膠着状態に、誰もが地球の引力だけに身を任せていた。


【だからさあ、おとなしく僕に倒されなよ。せっかくだから一対一の決闘にしてやろっか】


 そう吐き捨てると、ニルヴァが一挺のブラッドアンカー射出ユニットを取り外すと、こちらへと投げ付けてきた。

 ――それが決闘の合図だ。緩やかに回転しながらVX9側へと向かい来るブラッドアンカー。ハルタカはキャッチせず、アームユニットを展開して後方へと払いのける。


【――ハッ、お前バカか? 武器もなしに序列一位の僕とどうやってやり合うつもりなの?】


 ヘッドセット越しに押し寄せる、狂乱に歪んだ声。それすらも置き去りに、ブースター点火して瞬時に距離を詰める純白のVLS。


「お前の身勝手な酔狂に付き合ってやる義理なんてない。このVX9がぼくの武器だ」


 腰部コントロールユニットを引き絞る。一直線に向かい来るVLSを右ロールでかわす。

 通過したVLSは脚部航行ユニットの関節を奇妙に曲げ再点火し、急減速。その間、わずか二秒。驚くべきスラスターコントロールをこなしてVX9の背面へと回り込む。


【――機体性能ばっかに頼る素人はこれだからダメなんだ。英雄として人類の前に立つには素質が足りないよっ!】


 ニルヴァ機がブラッドアンカー射出ユニットそのものを固定解除デタッチし、VX9目がけて投げ付けてきた。至近距離で避けきれず、VX9のバックパックに接触して軌道が乱れる。そのわずかな隙に追い付かれ、VLSのアームユニットがVX9を羽交い締めにした。

 唐突なる衝撃とGの急変に臓器を揺さぶられ、ハルタカは一瞬意識を喪失しかけた。


「ぐっ――――驚いたな……お前がブラッドアンカーを捨てるとか。あの時みたいにカウントダウンでもしてくれるのかなって、ちょっと期待してたんだけど……」


【へぇ……スリルがあっていいねそれ、お望みならそうしてやろっか?】


 ニルヴァのVLSが小刻みにスラスターから推進剤を吹き続ける。背後から羽交い締めにされた機体の天地がぐるりと裏返り、互いの頭上がちょうど地球側を向いた。


【さあ、それじゃあ決着のカウントを始めよっか、ハルタカ――――】


 最初はこの男が何をしでかすのかと想像が付かなかった。

 意図を読み取った時には既に、ニルヴァはハルタカもろともに地球の大気圏目がけて急降下を始めていた。


【どう? 怖いだろ? 逃げてみなよ腰抜けハルタカ。軌道ってのはさ、降りるより上る方が難しいんだよね。燃料配分ひとつミスっても、上がってこられなくなるよ?】


 さらに猛加速する。気でも触れたのか、ありったけの燃料をブースターに供給させ、重力と大気の海原へと自ら沈んでいく。一度墜ちたら二度と這い上がることは叶わない重力の底へと。自殺行為に等しかった。


【まあさ、運と判断力を味方に付ければ生きて戻ってこられるかもね。ほら、いくよっ、十、九、八――――】


 計器が瞬く間にレッドを示す危険深度側へと下降していく。耳障りな警告音が鼓膜を刺激する。目まぐるしいロールを繰り返す視界。抵抗すべくVX9が噴射したスラスターも、両者が錐もみ状に横軸回転するに止まってしまう。


【七、六、五――――】


 スクリューのように渦巻く両者が、死の淵へと飛び降りていく。

 このままでは共倒れだ。あるいは――――


「――五、四、三――――」


 ――が、そこで腰部コントロールユニットにしがみつくと、ハルタカ自身がカウントダウンを引き継いだ。


【は……ハルタカお前、今さらアタマおかしくなったんじゃないの――】


「――二、一、ゼロ――――………………起動を頼む、ルリ姉――」


【ルリ――!? え…………え?? お前、ナニわけわかんないこと言ってんの――――?!】


【――はろー、ハルくん。VX9、機体制御システムのプロテクト、を解放モードに移行します、どうぞ】


 ニルヴァの喉が衝撃と動揺とに言葉を失った。縺れ合う硬質な機体越しに、この男の身震いすら伝わってきた気がした。

 VX9の機体制御システムに施された安全装置プロテクトが、ルリエスハリオンからの遠隔操作で解除された。そうして電子的な封印から解き放たれたのは、旧世界遺産から発掘してVX9に移植した、宇宙戦闘機動用の自己学習プログラムだ。

 落下中で意識を保つのも困難なこの状況下で、VX9に背面マウントされたアームユニットがバラバラに駆動を始め、力任せに押さえ込もうとしてくるVLSの裏をかいて一気に引き剥がす。同時に機体各所に備わるスラスターノズルから、実装したAIの予測演算に基づいたタイミングで段階的な噴射が繰り返され、軌道の支配権をVX9が徐々に奪い返していく。

 整備用マニピュレーターでニルヴァのヘルメットを叩きつける。アームでVLSの捕縛を振り切って突き放し、脚部航行ユニットで蹴り飛ばす。

 と同時にブースター点火――全推力を後方へと吐き出して離脱。直後に点火カット、全スラスターで急制動。自動姿勢復帰システム緊急作動により、機体の安定を取り戻していく。

 絶望の淵に滑り落ち、天上へと手を差し伸ばすかの体勢のまま、ニルヴァのVLSは吹き飛ばされ地平の彼方へと遠退いていく。その様を、ハルタカにはただ見届けることしかできない。


「……運と判断力を味方に付ければ生きて戻ってこられる。ニルヴァ、お前が実践して見せろ」


 地平より昇り始めた太陽を照り返すニルヴァの姿は、最後の化学反応を終え燃え尽きる照明弾のごとく、ゆっくりとその光量を失っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る