次世代少女通信衛星機構2
鈍色の地球から、人智の及ばない意志によって軌道投入されてくる箱舟たち。あれらは地上を征服したAI――未来予測機関たちの尖兵とされてきたが、何を目的に宇宙進出を試みているのかは誰も知ることができなかった。
だが、今や箱舟の目的が何らかの方向性に収束しつつあるのは明白だった。
現在、ルリエスハリオンのコントロールルーム内に身を寄せたハルタカは、全天球スクリーン上に姿を映すおびただしいまでの艦影に、沸き起こる戦慄を隠せないでいる。厚い大気の壁を乗り越えてきた箱舟の数が、前例を越えて増え続けているためだ。
「今のでちょうど五〇隻目だ。このままだとAS迎撃網の許容を越えかねない。これほどまでの敵に、君たちは対抗可能なの?」
【むー……どうあれ、うちらがやるっきゃないかしらね。今回は〈楽園〉が再生し始めてるのがうちらの追い風になってくれる。現存してるAS全基を軌道上に展開、完全包囲網を形成。上がってくるやつから順に、天罰の雷を浴びせてやるわ】
スプトニカのホログラムが天井で瞬く。ルリエスハリオンに代わって躯体を喪失した彼女は、〈楽園〉に残された
【うちの予測では、軌道に上がってきた箱舟どもを全滅させれば、〈楽園〉側に
「生命体だけが
箱舟たちが何をその素材に使ったのか、ハルタカ自身は想像したくもなかった。
【――いま戻りました、ねえさま。今回の作戦、他の娘たちに伝達はしましたわ】
【ありがと、アーネ。後は実行に移すのみだけど、みんなほんとにうちの言うこと聞いてくれるのかなあ……】
【だからこそスプートニカハリオンここに健在と宣言し、〈楽園〉の救世主として祭り上げ――こほん、最大の功労者として逆らわぬよう脅しをかけましたので、ご無用のご心配ですわ】
【……おい、金色てめえ今なんのためにわざわざ言い直した】
ハルタカの傍らにいたルリエスが袖を引いてくる。再会できてからずっとあのような雰囲気のふたりが、少しだけ羨ましく見えているのかもしれない。
「ねえ、ハルくん。アガルタ、をこわしたひとたち、どうするの?」
次いでそうルリエスが切り出してきたのも、ハルタカたちにとって見過ごせない障害だ。
【その件ですが、わたくしたちの観測網をもってしても、混迷を極めるこの戦況では反乱者の潜伏場所までは特定困難ですわ。疑うべきは、行方を眩ましたタウラスポートでしょうが】
アーネが予測するまでもない。ニルヴァら反乱者は、何らかの手段で二つの基地を掌握した。その一方であるカプリコーンポートをアガルタ破壊目的の兵器として使い捨て、残るタウラスポートを拠点にしたと考えるのが妥当だ。
「反乱したダイバーたちの次の動向が見えない限りは様子見するしかないよ。彼らはアガルタに潜伏していた箱舟を倒すって目的を果たした。その結果がこれだ。どうあれ彼らがこちらを妨害したり、箱舟以外を攻撃する意思を見せるまでは、いちいち相手してる余裕なんてない」
もう仲間同士で殺しあう展開にだけはならないでくれ、と願う。
そんな痛切な願いを掻き消すかのように、いつかの場面がフラッシュバックしてきた。網膜下端末はもはや何も映さないはずなのに、瞳に狂気の色を浮かべたニルヴァが迫り来る。かけがえのない姉の心臓を穿ち、磔にして殺した男だ。それだけに止まらず、あの男はさらに多くのものを奪おうと――
「――――ルくん……ハル、くん?」
じっとりと汗ばんでいた自分の額に、急に柔らかい感触がしたところで我に返った。
「……もしもし、だいじょぶハルくん? るーの声、きこえますかー?」
気づけば前髪を掻き上げられ、額にルリエスの右耳が当てられている。心の声でも聞こうとしてくれたのだろうか。吐息がかかる距離が恥ずかしくて、しな垂れかかってくる長いもみ上げの房を払う仕草にまでドギマギとさせられてしまう。
「ああ、う……うん。ごめん。ちょっと考えごとをしちゃってただけ。話を戻そっか」
肩をそっと押して適切な距離に戻してやると、小首を傾げられてしまった。
まったく、調子が狂うなと思う。今の無邪気なルリエスを前にしては、自分の内に淀んだ怒りや復讐心すらも、どう処理してよいのやら見当が付かなくなる。
「ぼくたちの基地は今、完全に板挟みの状態だ。アガルタの破片がすぐにでも飛来しかねないこの状況で、足もとから箱舟の大艦隊が迫り来ている。ぼくたちの基地では高い軌道まで逃げることができないし、ネットが断たれ大人たちからの援助も受けられなくなった」
こうしてオービタルダイバーの残る十基地が袋小路に追い詰められたのは、果たして偶然だろうか。ただその解を導き出す猶予もなく、この窮地を乗り越えなけば自分たちはどこにもたどり着けないだろう。
「とにかく、あとはみんなを信じるしかない。ぼくもVX9で出るよ。現状だと測位衛星が掴まらないから、そこはるーちゃんのセンサーに頼るしかないけど……お願いできるかな?」
〈楽園〉の復旧は、ルリエス自身にも恩恵をもたらした。こうして彼女らASがネットワーク機能を取り戻したため、あらゆる人工衛星と同等以上のデータをハルタカ自身も得ることが可能となったのだ。〈楽園〉側に侵攻した箱舟の空爆が続いているのが障害ではあるが、ASたちの繋がりは戻りつつある。
「いいよ。るー、はハルくんの星、になる」
星になる。人工衛星である彼女たちアリス=サットは、自身を星に喩えることがよくあった。けれども自分たち人間にとって、星になることに表裏となる解釈がある。
ルリエスは不思議と慣れた手つきで、自らの銀白の髪を束ね始める。それすら、かつての姉を思い起こさせる仕草だ。いつしか、自分はこうやって延々とした〝姉〟という幻想に捕らわれてきたのだと、いい加減認めざるを得なくて。
だから果てしない後悔と少しばかりの寂寥感に後押しされ、ずっと抱えてきた衝動を抑えきれなくなった。
「るーちゃん――ううん、君はルリエスハリオン、と呼んだ方がいいのかな」
唐突な切り出し方だったと思う。不慣れな呼び名に、言った自分が厭な距離感を覚える。
真球状にくり抜かれたコントロールルーム内。重力の束縛から解き放たれたふたりは、その中心からゆっくりと漂い、次第に離れていく。丸く目を見開いたルリエスの唇が、言葉を選ぶことに悩んで幾度も開いては封じられる。
「前にヨンタと話せた時、ようやく気づけたんだ。ニルヴァがあんなことをしたのを知った時も、目を背けようとした。それは、君がぼくにとって誰なのか――という、ぼくの勘違い」
ホログラムたちが神妙な顔をしつつ静観してくれている中で、ハルタカは思いつく限りの言葉で続けた。
「ぼくは君に、かつてのルリ姉を垣間見てきた。スプトニカの話してくれた言葉を勝手に――自分に都合よく解釈していたし、ルリ姉に似てる要素ばかりを見つけ出そうとした。もしかしたら、いつかルリ姉の記憶が戻ってくれるのかなって期待してた」
そう吐露する自分の言葉に、手放しがたい思い出が遠のき、抜け落ちていく気すらした。
「……わかんない。るー、は、るーだよ? ハルくん、の知ってる、るーだよ」
疑問などくだらないことのように、素っ頓狂な表情を返してくるルリエス。知っている、と答えてくれた意味だって、ハルタカの求めているものとは違うのがわかって切なかった。
「――うん、君は、君だよ。それはわかってるんだ。よくわかってる」
伝えたいはずの言葉を、自分で難しく伝えようとしている気がして。でもそれは難しくなくしたら、それだけ言葉の力が強く、鋭くなっていく。
それで彼女を傷つける結果になるのが怖かったのに、言い終えるまではもう止まれない。
「ただね……ぼくの知ってる〝るーちゃん〟は、君とは別の人間だ。……ぼくのおねえちゃんだったあのルリエスは、死んじゃった。もう戻ってこないんだ」
言ってしまってから後悔だけが、溢れるように喉の奥からせり上がってくる。それを自分の甘えだと飲み下し、自分の欲した結論を最後まで言葉にする。
「だから。君をいなくなったルリ姉の代わりに見るのは、もうやめにしようって決めた」
最後に流れ着いた天球の果て。スクリーンを踵でそっと蹴る。もう一度歩み寄るべく、全てを曝け出した上で彼女の元へと迫る。
「君はルリ姉ではなくて、アリス=サットのルリエスだ。そういう風にぼくの中で気持ちの整理をつけることにした」
そうして彼女に手のひらを差し出す。
「だから、君には今のままで、これからもぼくと一緒にいてくれないか」
これは彼女のためにではなく、自分のためにこそ必要な訣別だ。心の内のどこかで、まだ姉が生きているのではないか、奇跡が起きて生き返ったのではないかという願望がずっとくすぶり続けていた。でもそれは過ちで、だから姉の代わりではない、それから独立したひとりの他者としての彼女を認め、当たり前に受け入れなければ嘘だ。
「るー、を見つけてくれたのはハルくんだよ。名前、好きに呼ぶといいの」
なのに、そんな突き放すような言葉にも耳を傾けてくれたルリエスは、困惑から決意めいたものへと表情を変え、この手を取ってくれる。ただそれは承諾の意味とは異なる、もっと強い意志によるもので。
「でもね、るー、がハルくんの〝るりねえ〟からはじまったから、〝るりねえ〟はもう、るー、の一部なんだよ。るー、が〝るりねえ〟を思いだせなくても、もうココに記憶されてる」
代えがたい自分なのだと、左の薬指に大切そうに触れ、それを胸に抱いて目を閉じる。彼女にはもう、指輪にまつわる姉との逸話まで知らせてしまっていたのだ。
「ハルくんと、るーも。スプトニカとアーネも。わたしたちは、みんな、記憶するいきものだ」
そして顔を上げた彼女のこんなにも愛おしげな表情は、やはり彼女特有のもので。心も真っさらなまま軌道世界に生まれ落ちたこのアリス=サットに、無理を演じさせていたのを思い知らされた気がした。
「そっか、ごめん。ぼくが馬鹿だった。君がどこから来た何ものであろうと、ルリ姉があった先にいるのが君なことは、もう変えがたい大切なものだってわかったから」
結ばれた互いの指に、かつての契りが銀の光沢を返している。結ばれた相手は、もう会えなくなった姉の魂が行き着いたもの。もう手が届かなくとも、こうして彼女はここにいる。
「ぼくの話、聞いてくれてありがとう、るーちゃん。これから命がけの戦いが始まろうとしてる。だからその前に、お互いの気持ちをきちんと確認できてよかった」
ルリエスの表情は曇りから晴れて、そのまま引き寄せられる。
「るー、もハルくんのこと、わかれてうれしい。じゃあ、これはシステムの予報、です。ハルくんはこれからも、るー、と繋がりあうでしょう」
そうして強引な口づけを求めるようにアプローチしてきた額同士が、優しくこつんと合わさった。
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