孤独の星々、最後に瞬く星5
ぼくの意識が〈楽園〉に
どうしてそんな仕組みになっているのか、まだ理屈はわからない。
でもぼくの体験した数々の奇跡は、きっとスプトニカがぼくの網膜下端末に出入りするようになったあの日から始まったのだ。彼女から未来を得たルリ姉だって、今もぼくの意識のそばにいてくれて、〈楽園〉まで連れて行ってくれているのだと信じるのもいい。
ルリ姉にぎゅっと手を握られる感触がして、重ったるい瞼を開ければ、少し見慣れない景色のさなかにぼくたちふたりはいた。
形容するなら、ここは森林の中――人類にとって原初の光景だ。
樹木に相当する緑色の
「――――――えっと、どこ、ここ……?」
ぼくは困惑するるーちゃんに引き寄せられ、何故だか騎士に守られる童話のお姫様みたいな体勢になってしまう。ここは以前に見た水没の大草原でも、雨降る花園でもない。
「るーちゃん。周りにある大きなのは〝樹〟だよ。地上国家時代に自生してた植物だ。植物は現在でもモチーフとしてならよく引用されるものだけど……〈楽園〉に降り立つ時って、出現座標を自由には選べないのかな?」
「んー……るー、にはわかんない。目をぎゅっ、おなかをグッとすると、こうなる」
知識と経験に欠けたASである今のるーちゃんに解説を求めるのも酷なことだった。
周囲を見渡せども、どこまでも同じ深緑色の光景が反復していた。基地内部のように明確な道筋などなく、この〈楽園〉とは地に足が付けられるだけの地球軌道そのものみたいだ。迂闊に駆け出せば、自分がどこにいるのかもわからなくなって迷子になりかねない。
「アーネはどこに行ったんだろ。あの雨みたいなのも稲光も止んだみたいだ。これで〈楽園〉が元通りになったと言われれば、こういうものなのかと信じてしまいそうだけれど……」
どこからともなく吹き寄せてきた外気が、木々の織りなす空間を流れ去っていく。
もう嗅ぎ慣れた植物や土の薫りとともに運び出されていく葉ずれの音。それ以外に聞こえてくる様々な音色は、梢や根幹に潜む他の生物たちが奏でるものだろうか。そうでなくとも、ぼくたちの皮膚に落ちた緑陰が動的に蠢き、この仮想空間がまさに生きているのだと実感させる。
「とにかく、他に誰かいないか探そう? るーちゃんもいっしょに来て」
頷いたるーちゃんが湿った土を蹴り、行き先を導くようにぼくの手を引いて駆け出した。
落ち葉に埋もれた道のりをひた走った。出っ張った根っこや地面の起伏に足を取られては、それでも手を繋ぎ合った片方が支えて、ふたりでさらに前へと往く。
ぼくたちの試みと消耗を代償に、景色は少しずつ在り方を変容させていった。
けれど、出会うものはいなかった。この世界が現実よりもゆっくりとした時間軸に乗っていることは以前に実感していたけれど、それでも焦りがじわじわと募りはじめる。
一層険しくなりつつあった小径で立ち止まり、
「ねえ、前にアーネがやったみたいに、魔法みたいなやつは使えないの? 遠距離の仲間に連絡をとったりとか、そういうの。ここがネット空間なら、理屈的には全てがデータでできてるんだ。足を使うよりも早く情報伝達させられる手段くらいあるはずなんだけど」
るーちゃんは無い知恵を絞り出すように顔色を変遷させる。そして案の定、最後には萎れるように肩を落としてしゃがみ込んでしまった。
自分でも無茶を言っているとわかっていた。もしヨンタから「お前は人間だから軌道船くらい操縦できるだろ?」なんて言われたら、ぼくだってそんな無茶には困惑してしまうから。
だからぼくはごめんと謝って、彼女に寄り添うように腰を落とし、頭では次を模索する。
どん、と地鳴りが尻を打って、ぼくのその模索が妨げられた。
「なに、いまの?」
激しい葉鳴りを伴い、生息していた無数の有翼生物たちが上空へと逃げ去っていく行く。ざわめき立つ森の音色に煽られる危機感。収まりつつあった動悸がぶり返してきた。
やはりこの世界は生きていて、これは異変の警告だ。ぼくはルリ姉を立ち上がらせると、可能な限りの方位を警戒する。
「ハルくん、あそこ! なにか、来る――――」
彼女が指差したのは、この森林地帯を覆い隠す樹木の屋根だ。その葉の間から覗く青い地球に、奇怪なシルエットが黒く映っていた。
「あれは……なんでこんな場所に……箱舟が…………」
群青の大気層に映り込む巨大な艦影――あれはどう見ても箱舟のシルエットだ。それもひとつやふたつではなく、十隻はくだらない箱舟の艦隊。これほど軍勢と一度に遭遇した事例はぼくも聞いたことがない。
再び鈍い震動が地面を震わせる。今度は大きい――いや、距離が近いと言うべきだ。途轍もなく重量のある何かが衝突したかのような衝撃が、ぼくたちのいる場所まで近づいてきていた。
るーちゃんがぼくの肩を抱いて、傍らの樹木に身を潜ませる。
直後、途方もなく大きなものが森へと影を落とし、それ自体がまき散らす圧で木々の枝葉をしならさせながら通り過ぎていった。
ぼくたちを遮る樹木の向こうで、どんと破裂音がした。耳をつんざくような衝撃波とともに周りの土まで飛び散ってきた。得も言えない恐怖心に身がすくんで、今ぼくたちの頭上を飛び去っていったあれも箱舟なのだと、本能が訴えてきた。
「どうして〈楽園〉にまで箱舟がいるの。それも、こんな低いところを飛んでるなんて」
恐る恐るあちら側を覗き込めば、さっき破裂音がしたあたり一帯が陥没し、木々も砕け空が開けていた。空爆という言葉を連想させる惨状。箱舟は軌道上で活動するためにエネルギー弾頭型兵器しか備わっていないことは理解している。でも、やつらの根源がAIである以上、〈楽園〉での最適な攻撃手段をとっても不思議じゃない。
「わからない。わからないけど、〈楽園〉が箱舟の攻撃を受けてるんだ。見て、あそこ。やつらの姿がどこかヘンだ」
彼女にもそれを伝えようと空を指す。〈楽園〉の地球軌道を侵攻する箱舟たちは、そのどれもが現実世界のものとは異なる、邪悪で禍々しいとしか形容できないオーラをその巨躯に帯びているのだ。
その様に、いつかのスプトニカの言葉がよみがえった。〈楽園〉は、ただの冷たい機械でしかない箱舟には覗き込むことすらできない。〈楽園〉が受け入れるのは生命体だけだ、と。
生命体の振りをした機械が〈楽園〉に侵攻したのだ。少女達の輝かしき園にまで踏み入ってきた箱舟たちが、ここでも慈悲のない蹂躙を繰り返そうとしている。
「――ハルくん、こっち!」
唐突にるーちゃんがぼくの手を引っ張って、力任せに駆け出していく。思考が断たれたぼくはほとんど引きずられるような格好で、息を切らせながら彼女の背を追って爆心地を迂回する。
道もない、絡まるように生い茂った緑のカーテンを突き抜けた先で、ぼくたちは見つけた。
最初は退路か何かだと思った。
土の上に、アーネが横たわっている。頬を汚し、張りつくドレスもボロボロになっていた。
「るーっ!? アーネっ、けが、したの…………」
こんな状態のアーネに、咄嗟に死を連想させられたぼく。それを押し退け、深刻な表情をしてるーちゃんが彼女を抱き上げる。姉のこんな行動なんて初めて見たから、ぼくもぼくでやるべきことに手間取ってしまっていた。
短く呻き声を上げたアーネの胸はゆっくりと上下している。現実世界の生命原理がここでも働くことを今さら自覚して、ぼくまでホッとしてしまった。
「アーネ、ダメージの状態は答えられる?」
ぼくもなるだけ傍に寄って、アーネの容体を伺った。転倒して唇を切ったのか、口もとに血まで滲んでいた。先ほどの爆風をかなり近くで受けた可能性がある。周囲にあのにぎやかなサポートプログラムたちの姿もなく、それがより深刻さを訴えかけてきた。
「…………わたくしを見くびらないで……いただきたいわ……それよりも、お前たち……ここから早く去り……なさい――」
「アーネ、るー、もほっとけない!」
るーちゃんがアーネを抱きかかえようと、首と膝裏とを両手で支える。スプトニカと同じくらい小柄なアーネに比べれば、るーちゃんの方が体格が大きいから抱き上げられそうだ。
ただ、何故なのかアーネが身じろぎして抵抗する。
「足手まといになんてなってやるものですか…………いい、から………はやく……」
アーネの震える指先が、天上を指差した。
「――――わたくしなんていいから逃げてっ!!」
その形相が、そして絞り出すような叫び声が、直後に降りかかるであろう全ての予兆だった。
ぼくたちの頭上に開けた、青い地球――その中心を、高周波の風切り音を伴って、真っ黒な闇が墜ちてくる。
それが箱舟から投下された爆弾なのだと悟った時、ぼくはるーちゃんの手を引こうとした。
なのに、るーちゃんはぼくを引っ張ると、目を見開いたアーネもろともに覆い被さってきた。
爆弾が地上への到達前に炸裂する。弾けて分かたれた赤熱の塊が、方々に飛び散って、この深緑の世界を穿ち、構造物を削り取ってゆく。
そしてぼくたちは、その絶望的な様の目撃者となっていた。
妖精みたいに輝く蝶が傍らに降り立っていた。カラスアゲハを纏った、淡い髪色の少女。
「…………スプ……トニカ……?」
地球から墜とされてきた破滅の火は、とんがり耳をした少女の掲げた手のひらが遮っている。薄く発光する電子仕掛けの
【――チッ、まさか次の手があったとはね。アガルタのクラゲ野郎は〈楽園〉に
透きとおるマフラーを払いのけ、何故だか久しぶりのしたり顔に泣きそうになってきた。
【――ふふん、なんて顔してんのよ、ハル。ちょっと待たせすぎたかしら? やっぱうちみたいな孤高のヒロインってやつは最悪で最高のタイミングに颯爽と現れてこそのうぴゃあっ――】
最後まで言い切ることをアーネが許さなかった。さっきまで満身創痍だったのに、スプトニカに馬乗りになって言葉にならない何かをわめき立てている。金色乙女は案外と頑丈らしい。
「ね、ねえ――さまがッ!! スプトニカねえさまの亡霊ッ!! いけない、早く浄化しないと!」
「るーッ!?」
【やめっ――アーネ! 今はてめえと乳繰りあってるバヤイじゃねー! って、てめえ、血が! だいたい亡霊じゃないってのよ、いつ時代のオカルトだよ】
「ねえさま、ねえさまねえさまねえさまねえさまっ! ねえさまっ!! ねえさまねえさま――」
【落ち着きなさいって――だからてめえ血が! 要するに今のうちはこういう緊急時に残しといた
「る、るぅう~!!」
そんな彼女らの姿に、ぼくも何故だかいつもの冷静さを取り戻してしまって。
「ほら、ちょっと注目! 事情なんて後だよ、みんな」
彼女らと出会う以前なら、自分のタスクそっちのけで揉みくちゃになってるこんなのが、まさか人類の技術的特異点すら凌駕した未来の知的生命体だなんて想像もしなかったろう。
でも実際の彼女らはそんな小難しいやつらじゃなくて、だからこそ託せることもある。
手を叩いて注目を促し、そして僕たちがこれからなすべきタスクを告げる。
「――ぼくたちはこうしてもう一度繋がれた。互いの言葉を理解し合える関係だ。だから、今は協力し合おう。アガルタの巻き添えになる基地を救って、あの箱舟の艦隊を阻止しよう」
さすがに力みすぎた宣言だと後悔した。
でも、そんなぼくに振り向いてくれたアリス=サット――人知れぬ量子の楽園に棲まう三体の
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