遠き楽園の娘たち9

 ハルタカがASルリエスハリオンのから抜け出ることができたのも、全てアーネの助力あってのものだった。

 アリス=サットなる人工衛星の躯体は、中枢となるコントロールルームからいくつかの隔壁と連絡チューブを通じて体外へと出られる構造をしていた。

 コントロールルームから連絡チューブを潜った先に、ハルタカは自分の船外服が引っかかっていたのを見つけた。ここでルリエスに引っ剥がされたらしい。


【まったく。あまりに想像外の面倒ばかり起きすぎて、こちらも頭がどうにかなりそうですわ】


 それを装着している途中で、ヘッドセットのスピーカー越しにアーネの小言が届く。


「ふふ……色々とすまない――いや、感謝するべきかな、アーネ。でも、所属する社会も立場も違う君とこうしてお話できているのって、掛け値なしに素晴らしいことだと思うんだけど」


【ふん、上っ面だけのお世辞など無用ですわ。ある意味、わたくしたちの体内と呼べる領域に人間を取り込んでいたこと自体、とても正気とは思えないのですけれど】


「アーネの言うことはもっともだ。ぼくがもし力も悪意もある人間だったら、君たちを内側から傷つけてしまうかもしれない」


 ASは機械であると同時に、フューチャーマテリアルという細胞によって成り立つ一種の生命体だと知った。だからその頭脳そのものと言える少女たちの明確な意思がなければ、出入りどころか、軌道すら満足に維持できないようだ。


【そちらの軌道は安定したようですわね。その調子でおひとりでも上手に飛べられるよう、あなた専用に最適化カスタマイズしたサポートプログラムを送っておきましたの。それに助けてもらえば、当面は大気圏に落っこちることも、箱舟にやられてしまうこともないでしょう】


 こちらをワイヤーケーブルで曳航してくれるアーネは、他にもあれこれ手ほどきしてくれた。その甲斐あって、ルリエスハリオンはASとしてのを理解しつつあった。


【但し、くれぐれもご注意なさいなルリエスハリオン。わたくしがあなたにこうして手ほどきできるのは、このワイヤーを切り離すまでの間です。〈楽園〉が閉ざされてしまった今となっては、わたくしたちはどうしてもひとりで戦っていくしかないのです】


 ルリエスに合図すると、目前に塞がっていた最後の隔壁が口を開けた。

 ハルタカの眼前には、もう随分と見ていなかった宇宙が広がっている。アーネから得た情報によれば、アガルタでの惨事から最低でも二十四時間以上は過ぎていた。

 ASアーネミカヅキからASルリエスハリオン側に伸ばされたワイヤーケーブルに、命綱のバックルを固定する。

 ハルタカの頭上には、ASアーネミカヅキの本体――黄金の剣めいた造型の、人工衛星とはにわかに信じがたいものが視界に入った。軌道上で稼動しているASたちの中でも、ハルタカが初めて見る個体だ。

 一呼吸置いて恐怖心を押しやり、ワイヤーケーブルを伝ってアーネ側へとよじ登っていく。


「アーネには助けてもらっただけじゃなくて、ぼくのVX9を回収してくれてたことにも感謝しておかないといけないな」


 ワイヤーケーブルは、黄金剣の大仰な〝鍔〟に相当する部分から射出する仕組みになっていた。その〝鍔〟の片隅に、ワイヤーで絡め取られて運ばれていたのはハルタカのVX9だ。


【――そもそも今回お前たちを捕捉できたことの発端は、この軌道甲冑ですのよ。主人もなしに軌道上を漂流していたこれを回収して調査してみれば、ねえさまからのメッセージが残されていましてね】


 ハルタカは平然を務めたけれど、推進剤の尽きた状況での船外活動は命がけだ。

 人力だけでようやくアーネ側まで辿り着けて、彼女が新たに伸ばしてくれたワイヤーに掴まり、目標のVX9へと潜り込む。


「スプトニカからのメッセージは、なんて?」


【残念ながら特定の誰かに宛てたメッセージではありませんわ。ただ、VX9これの持ち主を頼れ、とだけ】


 VX9のメインシステムを起動する。機体はアーネ側と有線接続されており、バッテリーの充電状態も良好だ。網膜下端末が機能しない点だけが、VX9を操る支障にならなければよいが、と思う。


【……こんなことを人類種のお前に語るのも癪ですけれど。スプトニカねえさまは、三か月前のあの日……〈楽園〉に異変が起きた直後ですわ。真っ先に飛びだしていって、そのまま行方知れずになっていましてね】


 腰部コントロールユニットを引き絞り、アーネからVX9を離脱させる。スラスターはまだ正常に作動するようだ。


【〈楽園〉という繋がりなしには、この宇宙では言葉を交わすこともできない。いなくなったスプトニカねえさまの痕跡を追い続けてきたわたくしが、まさかこんな形で再会を果たすことになるだなんて――悲劇と喩えるべきか、あるいは奇跡でしょうか……】


「少なくとも、ぼくが見届けたスプトニカの姿は、悲壮なものではなかったように思う。むしろ袋小路に追い込まれたぼくたちに奇跡を見せてくれようとした。ぼくはそう信じたい」


 放たれたワイヤーケーブルがゆっくりとアーネの〝鍔〟に巻き取られていく。その束縛から解放されたASルリエスハリオンが、スラスターからぎこちなく推進剤が噴射している。彼女もまた、この地球軌道を巡る衛星のひとつなのだ。

 外部からあらためて眺めるASルリエスハリオンの姿は、やはりスプートニカハリオンに似かよったものだった。茜色と白を基調にしたカラーリングが彼女と異なるものの、躯体を囲う巨大な円環型ユニットがそう強く印象付けてくる。

 かつてのスプトニカよりも、頭上にあるアーネよりもさらに大柄なルリエスハリオンの躯体は、ハルタカがこれまでに地球軌道上で出会ったASの中でも最大級を誇るものだ。

 ハルタカはVX9をルリエスハリオン側へとアプローチさせ、共用回線越しに語りかける。


「君がスプトニカの生まれ変わりなのか、それともルリ姉の生まれ変わりと受け止めたらいいのかわからない。ぼくに決めつけることもできない。けれど、同じ世界でこうして再会できた。だからぼくといっしょに来て、るーちゃん――」


 求めに応じるかのように円環型ユニットが光を点し、機能を目覚めさせたように蠢きだす。

 VX9のアームで掴んだルリエスハリオンの躯体から、すぐに鈍い振動が伝わってくる。回転を始めた、二層の円環型ユニット。そしてメインユニットから生える六基の花弁めいた大型フレームが蠢いて、さながら彼女の翼であるかのように自らの機能を確かめる。


【――――るー、ハルくん、と行くよ。るー、も自分をわかりたい。ハルくん、をわかりたい】


 そうやって少しずつ、彼女の言葉や声色がかつての〝るーちゃん〟と同じ情感をなぞっていく様に、ハルタカの内に喩えようのない感情が沸き起こって熱と痛みとを覚えた。

 あのとき命を散らせた姉の、魂の行き先。人間たちが想像もしなかった――スプトニカが残してくれた未来の在り方。

 網膜下端末を失った自分にはもう見えないはずのホログラムが、ヘルメットバイザーの片隅を蝶のように瞬いた気がした。

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