遠き楽園の娘たち8

 直前まで目を開けていたつもりが、ハルタカは再度瞼が開いた感覚に見舞われた。自分の意識が〈楽園〉から現実世界に戻ってきたのだ。今は無重力環境のさなかにいるのだと体が教えてくれて、自然と意識が切り替わる。

 上体を起こしたハルタカの鼻先を、膝を抱えた姿勢のルリエスハリオンがよぎっていった。

 遅れて目を見開いた彼女の前に投影されたのは、アーネミカヅキのホログラムだ。彼女の足もとにはあの縫いぐるみの〈召使い達〉まで、ホログラム姿で主人の周囲を取り巻いている。


【ルリエスハリオンの記憶領域データベースに呼びかけてみたです】

 【過去の記憶や経験に相当するデータがどこにも見当たらんかった】

  【お肌の隅々まで調べ尽くしたよ】

   【でも無いものは無いのだ】


 ライオンの着ぐるみを被った彼女らはアーネの分身で、一種の補助サポートプログラムなのだという。

 しばし答えあぐねていたアーネも、溜息を合図に結論らしきものを告げる。


【――はぁ、まったくもってお手上げですわね。肝心の、スプトニカねえさまの足取りも得られず。さすがのわたくしにも、何から何までわからないことずくめ。とにかく、新種のアリス=サットがいきなり湧いて出ただなんて話、前代未聞ですわ】


 コントロールルームの底面を蹴ってルリエスがこちらの傍らに来る。るー、と不平に口を尖らせてくる。彼女はまだアーネには慣れないのだと、そんな素振りだけでわかってしまった。


「それ、どういうこと? この子はぼくの名前を最初から知っていたんだ。それどころか〝ハルくん〟っていう愛称すら覚えていたし、自分のことを〝るー〟って言った。小さいころのルリ姉の口癖なんだ。もし何も覚えてないなら辻褄が合わないよ」


【勘違いなさらないで。わたくしが調べたのはあくまでデータ――つまりただの記録についてだけですわ。他人の心の奥深くをそうやすやすと覗くことなど、わたくしたちにだって不可能ですのよ。人類種がそうであるように】


 ぞっとさせられるほど澄み切った菫青色アイオライトの瞳が、ヒトごときの情緒すら他愛もなく見透かせているのだと、そう訴えかけるようにハルタカを射止めている。ただその金髪の上でひくひくと自己主張してくるライオン耳の愛らしさには、気を抜けば表情が緩んできてしまいそうだ。


「……たしかに、アーネの言うとおりだけど。ぼくも自分の家族がどう思ってたのかなんて、最後までわかってあげられなかったから……」


 そうなった結果が、いま目の前にある現実だ。自分を庇って死んだはずの姉が、形を変えてここにいる。ハルタカにもにわかに信じがたい、数奇なる現実だ。


「ごめん、今のは個人的な話だった。――ASが君たちの言う〝人類種〟から生まれたわけじゃないというのが事実だとして、ルリエスハリオンはその前提を覆した可能性があるのか」


【わたくしたちにとっての〝親〟と呼べるものは、未来予測機関プロフィット・エンジンの一基――〈イデア〉ですわ。が〈楽園〉とアリス=サットを創造し、地球の未来を託しました。箱舟の宇宙進出を阻止するように、と】


 アーネとハルタカの視線が同時に注がれる。それを受けたルリエスは、交互に見比べて戸惑い、作り笑いで口もとを引きつらせてしまった。


【……どうあれ、このような現実が目の前にあることに変わりありませんわ。ならば、わたくしは同じASであるあなたと手を取り合い、醜悪な箱舟どもによって閉ざされた〈楽園〉を取り戻すべく戦うべきでしょう】


 腕組みしたアーネのホログラムが、品定めするようにルリエスを見やる。前例のないASである彼女をどう受け入れればよいものやら、まだ態度を決めかねている様子だった。


【――だとして! いまわたくしが一番納得がいっていないのは、お前ですわ】


 そう吐き捨てて、半眼で底意地の悪い目付きをハルタカに送り付ける。


【耳冠を持たない人類種のお前までもが〈楽園〉に入ってこられること自体が異常事態。その娘が何らかの方法で手引きしているとしても、そのような能力を持ったASなど聞いたこともありませんし……】


 こちらの話を聞いてくれはするものの、根本的に好かれてはいないようだ。姿が互いに似かよっているのに、その耳冠とやらの有無だけで棲む世界を分け隔てられるのも納得がいかないものがある。


「君たちは量子ネットワークを利用して、地球軌道で独自の社会を築いて生きてきた。それが今、箱舟の侵略を受けている。それはぼくたち人間だって同じだ。今こそ互いに協力しあう機会だと思う。スプトニカにも考えがあってこうしたんだと思う。彼女だってきっとそう望むはずだよ」


【そう…………そのルリエスハリオンは、きっとお優しいスプトニカねえさまが最期に未来を託した希望の星なのかもしれませんわね……うぅっ……】


 途端に目元を悲痛に震わせて涙ぐむアーネである。接することになってまだ一時間と経っていないのに、想像以上に彼女はスプトニカのことを慕っているのがわかった。


「そんな……な、泣かないでよ。本当にスプトニカに何かあったのだとしたら、それはぼくの責任だ。彼女を傷つけた原因はぼくにもある」


【だったら裁判にかけよう】

 【推定有罪】

  【縛り首】

   【火刑がいい】

    【死んで英雄になれです】


 足もとでにわかに活気づくアーネの〈召使い達〉が、今のハルタカには不思議と頼もしく感じた。


【いいえ、いまこの男を裁くのすら時間が惜しいですわ。そんな他愛もないことよりも、スプトニカねえさまが託した未来を繋ぐ義務がこのわたくしにはあるのです!】


 意外と立ち直りが早い姿を見せ、金獅子のアーネが瞳に強い意志の炎をたぎらせる。


【よろしい、騎士の剣としての我が身、お前たちに預けましょう。だからわたくしを導きなさい。ねえさまが自らを賭して曝いたという、アガルタで行われた禁忌の儀式――その祭壇のある場所へと!】

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