遠き楽園の娘たち7

 銀翼のルリエスハリオンがぎゅっと目をつむって、いやいやをしながらぼくの胸にしがみついてくる。この肩を押さえつけるのにはちょっと良心が痛むけれど、そんなのお構いなしのアーネが彼女の頭を鷲掴みにする。


「大人しくなさいな。これはあなたのためにわざわざ労力リソースを割いて差し上げてるのでしてよ」


「る、るぅうー! やぁ――」


 大人しくする気のないルリエスハリオンが泣きべそ顔をしてぼくに助けを求めてくる。

 なんだか子どものころに戻ったみたいな――そう、たとえば予防接種の注射なんかに怯える〝るーちゃん〟と同じ顔付きを見せるこの娘に、ぼくもどう応じたらいいのかわからなくなってきた。


「やーぁ! ざわざわ。ざわざわする。ざわざわする! るー、に何か、はいってきてる!?」


 目を白黒とさせる彼女に、こちらまで肌がざわついてしまう。

 最初に出会った時よりも明らかに口数が増えてきたこの銀翼娘。彼女は過去の記憶を失ったわけではなく、混濁した記憶情報の最適化が必要なのだとアーネは言った。

 アーネが触れた部分から魔術めいた電子デジタルの図式が生み出され、ルリエスハリオン自身を侵蝕していく様をいま目の当たりにしている。それも仮想現実空間で引き起こされた演出イリュージョンなどではない、本物の魔法だ。

 いまアーネがやろうとしていることは、ルリエスハリオンの記憶や成り立ちの調査だ。〈楽園〉なるネットワーク世界にいる間なら、この世界独自の法則が働く。だから〈楽園〉の住人たるASたちなら、この手の魔法くらい自在に操れるのだとアーネは胸を張った。


「強引にしてごめん、〝るーちゃん〟。でも、ぼくだって君自身のことをちゃんと知らなければいけないんだ。だからアーネの指示に従ってあげて」


 呼び名が定まらない銀翼娘を便宜上〝るーちゃん〟と呼ぶしかなくて、咄嗟にそう口にしてしまう。小さいころならいざ知らず、気恥ずしさから顔が熱くなってきた気がした。

 そうしたら彼女もぼくの気恥ずかしさが伝染したように頬を上気させてしまったから、ぼくも慌てて自分の額に手を当ててみる。帯びた熱の生々しさ。なんてリアルな世界なんだろう。

 〝るーちゃん〟もそのまま大人しく黙りこくってしまったので、余計に気まずくなる始末だった。


「あれ、おかしなこと言ったかな。……なんか、ごめん。〝るーちゃん〟って感じだったから」


「んーん、いい。るー、は、ハルくん、の、るー、でいい……」


 見てくれはルリ姉の生き写しみたいなのに、まるで幼児退行したかのように振る舞う彼女。

 もっとも、ぼくが知っているアガルタ時代のルリ姉は、こんなにも素直で自由奔放な性格ではなかったはずだ。いじめっ子からぼくを庇ってくれたルリ姉は、もっと寡黙で、他者に心を許さなくて、そして自分を守るために戦い続けていた。

 とにかくぼくは、このルリエスハリオンの正体が何なのかを知りたくて仕方がなかった。


「――だいたい、言葉もうまく話せないアウラなど、わたくし寡聞にして存じませんわ。それに、ルリエスハリオン・トゥエルヴスプローラなどというご立派な個体識別名称を持っていながら、それ以外の記憶があやふやなんていうのも前代未聞です」


「その、〝アウラ〟ってのは何? スプトニカも同じ言葉を使っていた気がするけど」


「アウラとはわたくしたちアリス=サットの〈個体/個性アウラグラム〉のこと。この量子ネットワーク空間に萌芽した個性や意識、感情がひとつの形をなした姿――つまり〈楽園〉で暮らすわたくしたち自身のことですわ」


「アウラグラム――要するに、仮想現実空間でいう代理身体アバターのこと?」


「……失礼ね、お前。生まれ持ったこの姿の、どこをどう見たらアバターですって?」


 途端にアーネが眉根を寄せ、気品のある顔が「お前は私を怒らせた」のだと訴えた。見てくれどおりの煌びやかに着飾った年下の女の子――程度の応対をしていたら、この金色乙女の機嫌をすぐに損ねてしまうそうだ。


「えっ、違うの? だって、スプトニカもホログラム姿で出てきたから、てっきり……」


「アウラはわたくしたちASの――そう、お前たちの文化で喩えるなら〝魂〟ですわ。そういえば、お前はもう知ってしまったのでしたわね、現実世界でのわたくしたちの肉体がフューチャーマテリアルでできていることを」


 黙って頷く。それを知ったのは、スプトニカとの別れの際だったから。


「魂、か。そんなもの、人間が地上で暮らしてたころの信仰だって思ってた」


 ハルタカはそれ以外にも多くの知識を、旧世界遺産――つまり地上国家時代の知識が蓄積されたデータベースから学んだ。だが、それら知識はあくまでただの情報に過ぎず、今や形のない空虚なものばかりだ。


「ルリ姉の魂の行き先を見せる――スプトニカはそう言い残して消えてしまった。その結果がこの子だというのなら、ぼくは彼女のことをちゃんと受け止めて、ともに前に進まなければならない」


 アーネが呼び出したであろう電子的魔術――その図式と文字列が、〝るーちゃん〟の全身をぐるぐると巡り、次第にヴェールのように覆っていく。キラキラと輝くそれらは、不思議と害意を感じさせない。


「そのルリエス何某とかおっしゃる人類種がASに生まれ変わるなど、いくらなんでも荒唐無稽に過ぎますわ。それよりもスプトニカねえさまの行方! 知らぬ存ぜぬでは通しませんので。さあ、あなたにはここで洗いざらい全部を吐いていただきますわっ!!」


 そう声を張ったアーネが、楽園の騎士というよりはルリエスハリオンを苛める悪い魔法使いみたいな所作で大仰に両手を掲げた。

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