遠き楽園の娘たち4
耳障りな警告音がコントロールルーム内を鳴り響いたのは、その刹那のことだ。
赤熱する明滅表示がスクリーンが埋め尽くされていく。
「アラートメッセージ! でも何が起こってるの、これ……」
緊急を要することだけは把握できたが、何の事態なのかわからなかった。
ならば警告内容を解析していくしかない。網膜下端末を失った自分を補助してくれるものはもう何もないのだから。
「衛星航法システムに緊急性のある障害……いや、座標系の異常? 進路補正を要請……」
天球が映し出す向かって左半分は地球が占めている。夢で見たのとは違い、フューチャーマテリアルに覆われた、あの見慣れた像を結んでいる。ただそれがやけに大きいことに違和感があって、警告表示の中にこの事態を説明するものをようやく見つけ出せた。
三次元で描かれた地球と軌道座標を表した模式図だ。赤点が自分の位置を示しているのだろう。軌道座標は地球を縦に割るIERS基準子午線を東進しながら通過し、
「――何てことだ! このままだと大気圏に落っこちるって言ってるんだ!!」
今後予測される軌道が、模式図上に線で描かれていた。一緒に覗き込んでくる彼女の肩を借りて、模式図を別の角度から眺め直す。軌道高度がこのまま下がり続けて、大気圏に突入することをコントロールルームが警告していたのだ。
「地球に落ちたら、いくらASでも助からない。早く軌道高度を上げないと。復帰できる?」
そう呼びかけてみるも、首を傾げられてしまう始末だ。
「ぼくにはうまく説明できないけれど、ここって……要するに君自身なのでしょう?」
ところが、彼女は困惑顔をして「るる」などと音を発するばかり。
考えてみれば、このコントロールルーム自体が理に叶っていなかった。座席も何もない、ただ真球状にくり抜かれただけの空間。確かに周囲の状況を把握するには適したインターフェースかもしれないが、これだけ容積があって体を支えるものが何もなければ、ただ宙を浮かんでいることしかできない。そもそもここは構造的に人を乗せて運ぶためのものなのか。
「だって、ぼくだって軌道船の操縦くらいなら見よう見まねで何とかなるかもだけど、こんな操縦桿も何もないのじゃ、どうにもできないよ」
だが、その言葉にも彼女は焦るような表情をして、遂には視線を周囲に泳がせる始末だ。
「……ひょっとして君、動かせない……とか?」
すると胸元に両手をすくめて、図星だったように目を見開いてしまう彼女。
結局この銀翼娘が何ものなのかハルタカにわかるはずもなかった。おそらくこのASの基幹となるパーツだろうことだけ。
ルリエスと似た容姿を持ち、ルリエスと同じ名を冠するAS。それも半分はスプートニカハリオンを継承したかのような響き。
ただ、そもそも彼女が姉ならこんな抜けた態度を取るはずがないし、ハルタカ自体を認識していない――つまり記憶にないような反応ばかり。容姿に姉との共通点があるのも、単に見てくれを姉の要素から写し取っただけという解釈もできる。
「君はルリ姉……じゃないのか。最期にスプトニカが言ってたんだ。ぼくの願いで魔法がどうとか。フューチャーマテリアルで、ルリ姉の行く先を見せるって」
あるいは彼女が死んだルリエスの空似でしかない見てくれどおりのASだとして、自分自身である躯体を動かせない理由がわからなかった。確かスプートニカハリオンだってただ地球軌道に身を任せているわけではなく、自身の軌道を自在に変えるための推進器をいくつも備えていたはずだから。
ただ、そんな推論をいくら重ねたところでらちが明かなかった。
「わからないなら、別の方法を探すしかない。なんとかできないか調べるから協力して」
今は無用の思考を押しやり、銀翼娘の肩を借りて天球スクリーンに取り付く。手で触れると、描き出されていた映像が反応して乱れるが、こうやって操作する類の代物ではなさそうだ。
「――ねえ、さっき君が飛びだしてきた穴はどうやったの? ここ以外に別の部屋があるってことだから、そっちが操縦席だったりしない?」
鼻先を過ぎっていく固形食を掴まえてそれを思い出した。
銀翼娘は首を横に振り、ハルタカの手に押されて反対側の壁を調べ始める。穴はもう塞がってしまったから、隔壁扉の一種と想定してそれを探す。あれが天球スクリーンのどこだったかもうわからなくなって、自分も手当たり次第にスクリーン上を這っては探していく。
だが、どれほど探してもハルタカでは無駄骨だった。
「君が自分自身の制御を失っているのだと仮定して。このまま大気圏に突入すれば――みんな燃え尽きてしまうか、万が一助かったとしても大気圏から再離脱することは不可能だ」
コントロールルームの情報群を見やる。そのひとつに、自称ルリエスハリオン――この銀翼娘のASとしての躯体を表すであろう図形があった。円環型ユニットを大小二基も頭上に掲げていて、そこから六基の花弁めいた翼が生えているのが特徴的だ。
スプートニカハリオンの外観といくつか共通点を持った、花冠型のAS。ただ、こんな複雑怪奇な構造をした人工衛星がどう足掻いても大気圏内から戻ってこられる見込みはない。ユニット同士を繋ぎ合わせる
間もなくして警告表示に変化が訪れた。
「これ、カウントダウンじゃ……」
数桁に刻まれた数値が途轍もない速さで
今ここで自分にできることがなくなって、最後の鍵となる少女にもう一度対話を試みた。
「なんとかならないの? 君自身にも危険が及ぶんだ。ぼくが助けられないなら、君が自分の力で助かるしか方法がない」
両の手のひらを掴み取って、迫真の視線で彼女に訴えかける。こちらの言葉はある程度理解できているか、システム経由で何らかの通訳くらいはされているのだろう。でも彼女は当初と変わらず「るー」と呟き、悲しげに目を伏せるばかりだ。
その間にもカウントダウンは危険域まで突き進んでいく。残された猶予はもはや数分とない。
「――くそっ、せめてVX9がここにあれば……」
つい汚い言葉まで出てしまう。今さら可能性のない選択肢にこだわってどうするのか。
すると、遂に銀翼娘がめそめそと泣き出してしまった。まるで自分が彼女を責め立てたみたいな気持ちだ。宇宙でなら、どんな窮地でも〝あの人〟が泣くはずなんてないのに。
スクリーン上に膝を付けると、傍らでまだ泣きべそをかく彼女を恐る恐る抱きすくめる。姉と同じやり方で慰めることができれば、せめて最後くらいは穏やかでいられるだろうか。
だがひとたび体温に身を委ねてしまえば、姉と同じ名を冠するこのASを解き明かしたいという欲望が、ハルタカの内から沸き上がってくる。
大切なものを失った自分には、まだこの先があるんだ、もっと先に進みたい、と――。
【――――てる――聞こえて――すの――――応答なさい――――――――――――】
聞き覚えのない声がコントロールルーム内に轟いたのはその時のことだ。
音声は急激に鮮明さを増していき、すぐに甲高い女性の怒鳴り声となって四方から飛び込んでくる。
【――――を優先します――――今すぐ衝撃に備えなさい!】
と、こちらに身を預けていた銀翼娘が、向かって地球の天頂側を指差した。促されてそちらを仰げば、何かがこちらに接触しかねない軌道をとって猛烈に迫り来ていた。
場違いなほどの黄金色に輝くそれが衝突間際に急上昇すると、直後に途轍もない衝撃がコントロールルーム内を揺さぶり、二人ともにスクリーンへと叩きつけられることになった。
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