発生点/転換点9

 先行したダイバーが逆噴射で急制動をかけるも、首なしが五機で襲いかかる。いま自分に何ができるというのか、咄嗟にコントロールユニットへと伸ばした手をルリエスに制止される。

 首なしのアームユニットが彼を蹂躙する。包囲し、無軌道に振り乱される首なし巨人たちの腕。亡者らにしがみつかれた彼のVLSは推力を乱し、ビルの外壁へと突っ込んでいく。

 その刹那に映った光景を、ハルタカにはなんと形容していいのかわからなかった。

 束ねられた光の道筋――おびただしいまでの光芒、可視光レーザーの奔流。この目に見えないはずのネットワーク網が、まるで可視化されたかの光景だった。

 繊細なレーザー光が百にも千にも拡散され、舞い踊るように宙で弧を描いていく。光線が狙う標的は、先のダイバーに群がる首なしたちだ。レーザー光が恐るべき精密な照準によって標的たちを焼き切っていく。後には首なしから分かたれた構成部品だけが漂っていた。

 船外服越しに思わぬ衝撃波を受け振り返る。ハルタカらが視線を向けた先――アガルタの地底面に穿たれた大穴から瓦礫が激しく噴き上がり、巨大な体躯を持つ影が急浮上してきた。


【――――待たせたわねハルッ!】


「スプトニカ!? 無事だったの!」


 薄紫の外装をしたAS――スプートニカハリオン。円環型ユニットを暗闇に輝かせ、ビル群を上回る巨躯が、この都市において異様なまでの存在感を放っている。


【ここから逃げたい人間はこっちに来なさい! うちが三〇〇秒間だけ敵を足止めするわ!】


 実体を持たないスプトニカがいかなる仕組みで実現せしめたのか、共用回線越しにこの場にいる全員へと宣告する。

 あの時、ノイズに包まれて消えた最後の光景に、スプトニカにも危機が迫ったことを直感した。それがこうして自分たちの窮地に飛び込んで来てくれたことがハルタカにはたまらなく嬉しい。ホログラムの彼女はもう見えないが、それでも顔が強く熱を帯びる。

 それなら今度は決断を見誤るな、と心の中の自分が叫ぶ。ルリエス機の元へとたどり着き、手を掴んで促す。

「今のうちに大穴から軌道船に戻ろう」と、生き延びられて放心状態だったダイバーにも告げる。

 スプトニカの円環型ユニットが何層かに展開し、収まっていた兵装ユニットからミサイル弾頭らしきものが射出された。さらに、段階的に四発。

 誘導弾か何かに思われたそれは、途中で四発から一六発に分かたれる。

 小型衛星に見える形状のそれらが、居住区上空に拡散する。首なしVLSの軍勢は、主人の命令を受けたのか一斉にスプトニカへと急加速を始めた。

 空中へと無造作に配置された一六基の小型衛星に向け、展開されたスプトニカの円環型ユニットから何らかの指向性エネルギー兵器が放射された。まばゆいばかりの白い光芒が、照明弾ほどの光量をもって都市を照らす。エネルギーの奔流を受けた小型衛星は、スプトニカの補助ユニットに相当するのか、応じて無数のレーザーを周囲に放射した。

 そうして先ほどの光景が再演された。放たれた奇跡の光が朽ちた都市上空で踊る。意思を得たかの軌跡を描くレーザー光がハルタカらを避け、精密に首なしVLSだけを薙ぎ払っていく。それも敵機を完膚なきまでに破壊し尽くして都市を火の海に変えるのではなく、的確に無効化する程度の出力で、だ。

 縦横無尽に飛び交うレーザー群の下を、ルリエスとともに低空飛行でハルタカが進む。


「これは奇跡だよルリ姉。あの子は――スプトニカはぼくたちを守ってくれてる!」


【…………きれい……あれ、なんだか……天使……みたい……………………】


 そうだ、確かに絵本で見た天使の輪みたいだと思った。天使から放たれる光の奇跡を見届け、ルリエスも息を呑んでいる。そんな感想は、なんだか自分のことのように照れくさかった。

 繰り返し放たれるレーザー光。首なしVLSがまた一機射止められる。ハルタカらの頭上で燦然と輝きを放つ、スプトニカという巨星。

 そして向かう前方でビルがいくつも倒壊し、道路上に大きく陥没した区画が見えた。自分たちがここへの侵入路に使った大穴だ。


「あそこ――大穴が見えた! ルリ姉は先に行って。ぼくはスプトニカの下で他のみんなが来るのを誘導するから」


【ならお姉ちゃんも残って援護する! ハルくんだけじゃ危険だよ】


 スプトニカの直下で逆噴射をかけると、先行したルリエスまで戻ってきてしまう。追随していたダイバーが一瞬戸惑いを見せるも、合図して返すと彼はすぐに大穴へと降下していった。


「じゃあ、スプトニカが後退を始めたら一緒に離脱しよう。そもそもぼくのVX9は武装してないから、ルリ姉がいてくれると……正直言って安心というか」


 考えてみたら自分自身、こういう実戦経験がなかったのに今さら気づく。大見得を切っても、自分には敵を倒す武器も腕もなく、VX9で逃げ回るくらいしかないのだと。


【ほら見なさい! ハルくんってば、そういうところで考えなしなんだから】


 居住区上空で繰り返されていたスプトニカからの全方位射撃が一旦止んだ。ようやく首なしの軍勢を殲滅しきったのだろうか。

 あたりに沈黙が戻ると、共用回線を通じてスプトニカから再び語りかけられる。


【――ハル、いまここで聞いてほしいことがあるの。うちはハルに謝らなければならない】


 この窮地を切り抜ける妙案についてかと思えば、至極私的なことだったので困惑する。


「急に何を言い出すの。そんな風に謝られるよりも、君がこうして助けに来てくれたことの方がぼくにとっては嬉しい」


【違うのよ。うちらはまんまと敵の罠にはまった。こんな事態になったのは全部うちのせい。……だから、ごめん】


 いつになく彼女は焦っていた。人間そっくりの性質を持ちながら、あくまでそれは表層上だけのものだとばかり思っていた。なのに今の彼女は、逸るあまりに合理性も冷静さも欠いている気がした。時に自分たち人間がそうなるみたいに。


「〝罠〟って――この状況、あの箱舟がぼくたちを陥れたって言いたいの?」


【最初からまんまとアガルタに誘導されてたのかどうかはまだ確証がないわ。でも、ハルの目で直接見るまで、ここに箱舟が潜伏してたことにうち自身が気づけてなかった。うちの備える〝目〟なら敵を絶対に見逃すはずないって甘く見ていた】


 それはハルタカの抱いていた疑問を氷解させる言葉だった。アガルタ周回上からあれほど高度な観測と解析をしてのけたにもかかわらず、スプトニカはいくつかのものを見過ごしていたからだ。


【ごめん、ハルの網膜下端末を潰したのはうちよ。あのクラゲ型がハルを踏み台にしてうちを電子攻撃ハックしようとしたから、ハルの生命を優先するためにもやむを得ない処置だった……】


 網膜下端末に受けたダメージ。あの瞬間、自分が網膜下端末経由で知覚した、膨大な情報と音声の奔流がまざまざとよみがえってくる。あれの正体は箱舟が送信してきたものだったのだ。


【うちが網膜下端末を間借りしてたことが箱舟にバレてた。だから敵は張った罠までうちらをおびき出した。うちが迂闊だったせいでハルを傷つける結果になった。……こんな最悪の結末をもたらした】


 そう吐露する声にも悲痛さが滲む。弱音など一度も吐いたことがなかった彼女が、選択を誤ったことに痛みを感じている。


「教えてくれてありがとう、ようやく辻褄が合ったよ。じゃあ、そんな芸当までできるのが保育室にいたあのクラゲ型だったってこと?」


【第七保育室にいたあいつが最終ターゲットで間違いないわ。おそらく、あいつが〈楽園〉に呪いをもたらした元凶】


「じゃあ、あいつを破壊すれば、スプトニカたちは元の機能を取り戻せるの?」


【ASの〈楽園〉の実体は、固有性を獲得した生命体だけに接続が許された量子ネットワーク空間よ。だから、ただの冷たい機械AIでしかない箱舟には覗き込むことすらできない――そのはずだった】


「……まさか、と思うけど。人間の振りをする箱舟を知っている。以前ぼくたちを襲った箱舟が、ヨンタの声真似をして見せたんだ。なら、ASの振りをする箱舟が現れる可能性は……」


【ハルが見つけたあのクラゲ型。おそらくここの保育器を利用して、人間の胎児を生体部品に、ASの代用品を生み出したとしたら……〈楽園〉に呪いウィルスをばらまくことだってできるかも】


 彼女が始めた推論から、想像するのもおぞましいことが行われていたのだけはわかる。脳裏によみがえってくる、あのクラゲ型が抱えていた保育器。ただの機械でしかない箱舟が倫理観や人道に則るはずもないが、だからと言って沸き起こる不快感を止めることなどできない。


【――教えてほしい。そんなことをして箱舟は何がしたいの。あいつら、赤ん坊の命を弄んでるってこと?】


 意外にもルリエスがスプトニカとの交信に割って入ってきた。どことなく言葉にとげを感じるが、憤りが向けられているのは箱舟に対してだろう。


【弄ぶなんて概念は箱舟にはないわ。あいつらはあくまで地上を支配する未来予測機関――旧いAIどもの端末よ。殺戮兵器でもなければ、人喰いモンスターみたいな欲望もない。あいつらがどんな演算結果に準じて行動を決めているのかなんて、うちらにだってわからないの】


【…………箱舟は〈群島〉を襲うから、わたしたちの敵。あいつらがデブリ帯みたいな災厄のひとつだとしても、大切なものを守るためには戦わなければいけいない】


【ならこれも知っておいて。AIの尖兵である箱舟の優位性は、他の機械を支配できるその一点にある。人類が地上を奪われた敗因は、どんなに高性能で強力な兵器を配備しても、それが機械である限りすべて箱舟に掌握されてしまったからよ。ただ、やつらにも支配できない唯一のものがあるわ】


【…………それが、あなたたちだと言いたいの?】


【そう、アリス=サット。より正確にいえば、箱舟が支配できない唯一のものとは生き物――つまり生命体の枠組の中にいるものたちよ。人間だって支配されることはない。だからハルの網膜下端末を乗っ取ることができても、心までは操れなかった】


 首筋にまだ残る鈍い痛み。機能を失った網膜スクリーン。中継衛星や首なしVLSの軍勢だってそうだ。AIの尖兵である箱舟は、あらゆる機械を電子的なやり口で支配してしまえる。


「だったら、このまま撤退したらもっと後悔するよ。こっちにはルリ姉とニルヴァのブラッドアンカーがあるから、今から第七保育室に戻ってあのクラゲ型を倒すこともできる。それで人類もASも救われるのなら、この選択肢は検討の余地がある」


 英雄などいなくても、歴史を変える発明者か改革者さえ登場すればいい。そう考えてきた自分の内に、今は戦うことを選ぶべきだと囃し立てるものがいる。だが――


【駄目よハル、それを実行するのは判断の誤り。みんなと基地に戻るのが唯一の選択肢だわ】


 そうスプトニカが結論付けた。それにルリエスまでこちらの行く手を阻んでくる。


【ハルくんは行かせない。お姉ちゃんが連れて帰る】


「…………いまアレを叩いておかないと、もっと大勢の人間が死ぬ結果に繋がる。基地に戻って態勢を立て直してる間に、また新たな箱舟がASの迎撃網を突破してくる」


【うちはもうこれ以上手伝えないから、犠牲者を増やさないためにも撤退を決断すべきよ】


「そんな。もう手伝えないって、約束はここまでってこと?」


【そうじゃないの。うちの躯体カラダじゃ基底部までは行くことができない。最大出力でアガルタもろともブッ壊すことならできるわ。でもね、ここを沈めれば、とんでもない規模のデブリ帯となるわ。そうなれば、今度はハルたちの暮らす世界にまで呪いをもたらすことになる】


 彼女の言ったとおり、コロニー規模のデブリ帯がすぐにでも〈群島〉の軌道へと降りかかるだろう。犠牲者数は想像もつかない。彼女はそれに警鐘を鳴らしているのだ。


【だからアガルタをどうするのかは、人間たちの手で決めて。うちらの命運はハルに託すわ】


「そんな…………いや、わかった。……こんな時なのに迷ってごめんルリ姉。予定通り、みんなと合流したら撤退しよう」


 こんなことで目先のことだけに捕らわれ、希望を見失う自分が忌々しかった。

 スプトニカたちASは、〈楽園〉という社会の繋がりを失ったと言った。分断された彼女らを、地球軌道という過酷な戦場が刻一刻と蝕んでいくだろうことは自分にだって想像できる。だから早急に対策を考えないと、人類とAS、どちらにも犠牲者が増えるばかりなのだ。


【ところで挨拶が遅れたわね、ルリエス。正式には初めまして……かしら?】


【外観なら何度か見てきたけど、あなたの声を聞くのは初めて。ハルを危険に巻き込んだことはまだ許してない。でも、この子を守ってくれたことはありがとう、そこは感謝してる】


【ルリエスには別のお願いがあるの。ハルを無事に基地まで送り届けてほしい。箱舟の秘密を暴いたのよ。このままおとなしく逃がしてくれるとは考えにくいわ。この場はうちが死守するけど、退路が安全とは限らないから】


【…………わかった、個人的な貸しにしといてあげる。返済を忘れたら許さない。その装甲に耐熱ペンキで落書きしてやるから】


【ふふ、絵を描くのが好きなんだって聞いてたから楽しみにしておくわ。さあ、そろそろお仲間の到着。まだ敵影はないけど、慎重にね】


 遅れて二機の白いVLSが戻ってきた。ルリエスが手を振って大穴の方を促す。彼らもニルヴァ分隊の面子だろう。さらに別の道路の方からもう一機接近してくる。

 ただ、低空飛行で向かい来たもう一機が奇妙な挙動を見せた。どうしたのか大穴へは向かわず、急旋回し上昇していく。


【ニルヴァ? 何……するつもりなの?】


 ルリエスと同じブラッドアンカーを構えた純白のVLS――ニルヴァ機だ。

 スラスターを全開に噴いたニルヴァ機が目指す先――それは、上空で滞空し続けているスプトニカの底部だった。


【――気高い僕たちの戦場を荒らすんじゃないよ、血も涙もない糞AIどもがっ――――!!】


 やめろ――と。声ある限り、ハルタカは回線に向け叫んでいた。

 スプトニカの胴体部ユニット目がけて、放たれたブラッドアンカー。彼女には回避できない。

 銛状の細長い弾頭が胴部に突き立てられ、青白い電光が躯体全身に行き渡るように弾けた。

 とどめのように、至近距離からさらにもう一発のブラッドアンカーが打ち込まれる。


【――――――――――――きゃ……――――あぁ――――――ああぁッ――――!?】


 回線越しに、苦痛に歪んだスプトニカの悲鳴が届く。箱舟ではない彼女に、ブラッドアンカーがどのような影響をもたらしたのかはわからない。だが電光がじりじりと躯体を迸り、円環型ユニットの発光部が息絶えたように消える。


「お前――――――ニルヴァッ! 彼女に一体何をした!!」


 無防備になっていたニルヴァ機の足下からVX9で体当たりし、払いのけようとする。だがニルヴァ機は難なくひらりとかわしてみせ、こちらと距離を取った。


【――んだよ、気持ち悪い飛び方するやつだと思えば、VX9! ハルタカじゃないか! 探したよ、人類の反逆者】


 こちらに振り返り対峙するニルヴァ機。ブラッドアンカーの砲身を向けてくる。あれは本来なら対人兵器などではないが、反逆者相手なら心臓を貫くことも辞さないと言いたいようだ。

 構わずにハルタカは、スプトニカに刺さったブラッドアンカーを引き抜こうとする。


「返事をしてくれスプトニカ! いまこいつを抜くから、無事なら返事してよっ――」


 アームユニットで掴み逆噴射をかけるが、埋没した先端部からねじ切れてしまった。それにスプトニカへの物理的ダメージなど軽微で、それ以外の――つまり対箱舟用の攻性ウィルスで苦しんでいるようにも見えた。一旦注入されたそれを解毒するワクチンなど存在しない。


「彼女はぼくたちを助けに来てくれたんだ! 彼女は人間の味方だ。これ以上こんな真似を続けるなら……ぼくはニルヴァ、お前を許さない」


 引き抜いたブラッドアンカーをニルヴァへと突き付ける。こんなものでニルヴァに対抗できるはずがなかった。だが、それにも増して彼への怒りを抑えられない。もう、これを理性で許すことができない。


【へえ、それで? そこのデカブツが味方って、一体何の冗談なの? 僕たちは信頼関係の下に集った戦士だ。なのに人間すら信じなかったお前がAIを信じろとか、どの口でこの僕に指図すんだよ】


「信じる信じないの問題じゃない。分隊長のお前がいま果たすべきことは、ここから仲間を無事に撤退させることだ。ここであった全てを担当管理官に報告することだ。そして次の任務に備えることだ。それを成し遂げろ。それすらできないなら仲間とか信頼とか口にするな」


【…………ハ? お前ってさ、前から頭おかしいって思ってたけど、遂にAIの操り人形になっちゃったの? ならそんなやつ、もうヒトとして更生不可能だよねえ】


 嘲るようなニルヴァの声が回線越しに浴びせられる。不愉快で、もう耳に入れることすら耐えきれなかった。


「黙るんだニルヴァ。もうここで話すことなんてない」


【いいから聞きなよ、ハルタカ。このアガルタは僕の出生地なんだ。ルリエスのことも小さなころからよく知ってたよ。でも僕たちの経験したあの思い出ってさ、みんな大人たちに用意された偽物の仮想体験だったんだ。さすがにお利口なお前でもこいつは知らなかったでしょ?】


「……お前が何を言ってるのかわからない。関心もない」


【だって、ここってたった四年前まで暮らしてたはずの町だろ? 普通に考えたら、こんなにもボロボロなわけないよね? 見なよ、ここはまるっきり旧世界の遺跡みたいじゃない】


 己に陶酔したかのような口振りのニルヴァが、上空から都市を指し示す。それからVLSのアームユニットに抱えていた大きな板状のものを、こちらに投げ付けてきた。

 それがハルタカのすぐ足もとの路面に突き刺さる。

 見れば、それは緩やかに湾曲した金属板の破片だった。表面の一部に刻印された番号と文字列。すぐさまその意味を悟り、絶句する。


【――見覚えあるだろ? そいつは人工子宮プラントで使ってる保育器の破片だ】


 何故そんなものが居住区にあったのか、咄嗟にはわからなかった。ただ、刻印された番号だけははっきりと覚えている。


 ――なんだ……これ。2のF40って、ルリ姉の……小さいころのクラス番号じゃないか。


【ここの居住区ってさ、みんなが通ってた学校の跡地があるんだよ。僕も懐かしくなってさ。で、中を調べてみりゃ、ふざけてんのは大人どもの方だってわかっちゃった。だってさ――ずうっと学校だと思ってた施設の中に、そんな保育器が何百個も並んでたんだもんね】


 もはや彼が何を言っているのかわからない。気が遠くなりそうだった。


【オービタルダイバーってさ、元々はこのアガルタで複製少年兵アンライツをダイバーとして戦わせるための収容所だったんだってさ】


 自分たちが複製された子どもだから何だというのか。それを知って生き方が変わるのか。己の出自を知って憤慨しているのか。大人たちの選んだ方法論に納得がいかないだけなのか。


【僕たちってさ、ラムダや他の大人どもにずっと騙されてたんだよ。戦果を上げれば〈天蓋都市〉で暮らせるなんてのも嘘っぱちだ。アガルタで過ごした日々も、網膜下端末で見たまぼろしだ。そんなことも知らず、のうのうと保育器の中の世界で夢を見てたんだよ】


 そんなもの自分にはくだらない真実だ、目の前の現実に比べれば。


【本当、ガキどもはラムダに従順で都合のいい実験動物だってわかって、僕なんてもう吐いちゃいそうだ】


 怒りばかりが沸き立ち、ニルヴァの狂気なんて理解できない。自分に何を訴えたいのかも。


「――黙れ。仲間を連れて基地に戻れ」


【黙れって? この世界の真実がどうあろうと、お前は本質的に悪なことに変わりはないんだよ。悪が序列一位ヒーローに口答えすんな。ASに取り入って、アガルタで何するつもりだったのかは知んないけど、どうあれお前は仲間を裏切った。罪を犯したんなら、罰を受けなよ】


 黙れ、と繰り返す。自分の声色に憎悪が滲んでいくことへの恐れすら消え失せた。


【ふうん、やっぱお前、ラムダには味方するんだ。もしかしてさ、AIと大人どもはグルだったりすんの? じゃあさ、お前もついでに死ねば? 誰も悲しまないし。そうだ、それ、いいね。そうしよっか】


 自分へと向けられるブラッドアンカーの砲口。ちょっとした悪ふざけのような口調で、それは躊躇いなく放たれる。


【おおっと、今ので残弾が二発になっちゃった。ブラッドアンカーは貴重だからね、僕なら最悪の事態を想定して、一発だけは基地に戻るまでに残しておく】


 わざと外したのか、発射された弾頭はVX9をわずかにかすめ、背後のビルに突き立った。


「罪というなら、殺しは未遂でも重罪だ。基地に戻るつもりなら、お前にも罰を受けさせる」


【こういうのさ、何ルーレットって言うんだっけ? まあ呼び名なんてどうでもいいや。次の一発が命中しなかったら、この賭けはお前の勝ちってことにしてやってもいいよ】


 再び突き付けられたニルヴァ機のブラッドアンカー。

 彼はきっと嘘を言っている。自分を本気で殺すつもりなのかどうかはわからない。この男が人間殺しまでやってのけるほど愚かだったとは思いたくもない。当てつけで機体を壊したいだけなのかもしれない。だが、もし本気であれを当てるつもりなら、一発目を囮に、かわすのを想定した二発目を先読みして発射しても不思議ではない男なのだ。


【命乞いしても止まんないよ? ほら、五、四、三――――】


 唐突にカウントダウンを始めたニルヴァ。こちらの判断を迷わせるための奇策なのか。

 ただ、今はニルヴァの注意が自分に向いている。スプトニカは上空に浮かんだまま一切の動きを見せない。無防備になった彼女に三発目を打ち込まれるくらいなら、あえて撃たせて残弾をゼロにさせた方が得策だろう。

 首なしVLSの機影も、今は視界には見当たらない。眼下にいるルリエスが割って入ろうとするのを手で制止する。こちらに勝機が来るとすれば、調子に乗ったニルヴァの意識をあくまで自分ひとりに誘導できてこそだ。


【――――――――ゼロ!】


 冷酷に告げられる最終宣告。

 だが思わぬことに、ニルヴァの銃口はハルタカではなく、VX9の滞空する下方――ルリエス機へと突然に向けられた。


「しまった――ルリねえッ――――――――!?」


 二発目が発射される。電磁誘導の電光と火花とを上げ、砲塔から撃ち出された銛。表面を赤熱させ、真っ向からルリエスを目指す。

 咄嗟にVX9のコントロールユニットを押し込んでいた。ハルタカの意思を先読みした機体が加速の炎を噴き、姉を射殺そうとするブラッドアンカーの軌跡に喰らい付く。

 たとえ自分が判断を誤ったとしても、せめて最悪の結果だけは回避したいと願って。

 ニルヴァの一射目は、ルリエスの足もとに着弾した。薄らとながら気づいていた。ニルヴァがルリエスを慕っていたことくらいハルタカも察していた。だから最初から彼女に当てる気などなく、これは自分がまんまと誘導されたのだと思い知る。

 連続して二射目が放たれていた。VX9の背後から迫るブラッドアンカー。ニルヴァはきっと嘘を言った。だから研ぎ澄まされた神経系が咄嗟に機体をロールさせる。かすめたアーム部の装甲が削ぎ取られるが、直撃は辛うじて回避する。

 これでニルヴァの手駒は尽きた。もう終わりなのだと。


【ハルく――――】


 ルリエスが急上昇してこっちに飛び込んでくる。最初は意味がわからなくて、まさかニルヴァとの賭けに勝った自分を褒めてくれるのかと勘違いして。ああ、でも考えてみれば姉の場合、ニルヴァにきつい一発をお見舞いするのが主義らしいだろうか。


「ルリ……………………ねえ…………?」


 ――なのに、真紅の船外服を、放たれた三射目が貫いていた。

 愚かな自分を庇ったルリエスが、力なく覆い被さってくる。直後に受けた途轍もない力に吹き飛ばされ、縺れ合ったふたりが地面に叩きつけられた。

 痛みを感じる余裕はなかった。震えが止まらない。何だろう、これは。真紅の船外服の胸元から突き出たブラッドアンカー。朽ちた道路に串刺しにされて――。

 まるではりつけになったみたいな姉の体を揺さぶる。路面に激しく激突した衝撃なのか、彼女のひび入っていたヘルメットバイザーの樹脂が遂には砕け散った。

 青ざめたルリエスの表情が、もう何も映さなくなった瞳が、バレッタが外れて解けた長い茜色の前髪が、凍えんばかりの真空下に晒されている。一瞬に氷塊と化した血液がこぼれ出てきて、割れた樹脂に混じって涙のように流れ散らばっていく。


 ――――ハルくんは、お姉ちゃんが――――


 ルリエスが死んだ。

 命が尽きる瞬間、すぐ傍にいて、なのに何も届かなかった。

 一切の感情が揺れ動かなかった。言葉も、声すらも忘れた。ただ空虚なまでの――ちょうどこのアガルタが内包する真空の闇のように、自分の意識が急速に熱を失っていくのをただ傍観していた。


【ル……リエス? お前……お前のせいだッ! ルリエスに当たるようお前が仕向けたな!】


 狂騒の声を上げたニルヴァが頭を抱え、そのまま逃げ出すように飛び去っていった。だがハルタカにはもう彼を罰する意思もない。ルリエスに残された可能性に賭けることもできない。

 殉職した人間の蘇生にあたる行為は無意味だ。状況を確認し、遺体の回収が困難だと判断されれば、それを放棄して基地への帰還を優先する。

 ブラッドアンカーを引き抜き、VLSから姉の亡骸を引きずり出す。そして重みすら感じられない彼女を抱きかかえ、大切なバレッタも回収して前髪を止めてやったけどうまく整えられず、ただ悲しみも何も湧き起こらないまま縋ることしかできなかった。

 明かりの落ちた、かつての故郷にこうして立っていることだけが奇妙な現実感を伴っていた。

 そんなふたりに、ゆっくりと影が落とされる。未だに電光を帯びたままのスプトニカがこちらまで降りてきていた。

 最後の一滴を振り絞るように、眩いばかりの光がスプトニカから放たれた。直線的に放射された高エネルギー体が居住区の路面を融解させ、真円状に穿っていく。

 そしてスプトニカに押しやられるように、開かれたトンネルの暗闇をハルタカとルリエスも沈んでいく。それはまるで、生という役割を終えた魚があぶくを吐きながら水底に沈殿していくように、ゆっくりと、ゆっくりと。

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