発生点/転換点8
整備用ドックまで戻ったハルタカたちは、各々の軌道甲冑を装着して外へ出た。
VX9のバックパック部にある取っ手を、深紅のVLS――ルリエス機が掴んで飛ぶ。
【だいじょうぶハルくん? うまく飛べそう?】
居住区上空を彼女に曳行されていくハルタカ。
あれから意識自体は回復していたものの、異常を訴えていた網膜下端末が遂には強制終了してしまった。そして、これまで宇宙環境での活動を実現できてきたのは端末機能あってのものだったことが、ここで諸刃の剣となったのだ。
「体は大丈夫。飛ぶ分にはVX9がサポートしてくれるから何とかなりそうだけど、これ……網膜下端末が壊れたかもしれないな。地図が呼び出せないし、自分がどこを飛んでるのかもさっぱりだ。ルリ姉と一緒じゃないと基地に帰れそうにない……」
ただ、そう姉を気遣う余裕くらいならある。こうでも言わないと、ルリエスは自分を先に行かせて、ここに残ってあのクラゲ型箱舟を食い止めるなどと言いだしかねないからだ。
【なに、甘えてるの?】
そんなこちらの気持ちを見透かされたのか、張り詰めた声をして暗闇を突き進むルリエス。
箱舟が潜んでいたことを警戒してか、VLSのアームに武器を手にしていた。ストライカー専用兵装である対箱舟用の銛――ブラッドアンカー。VLS腕部から伸びる長大な砲身には、箱舟のコアに攻性ウィルスを送り込むための銛型弾頭が六発装填されている。
【戦闘は可能な限り避ける。
「バイタルまで取れてないって……弱ったな、ぼくは遂に死人になっちゃったのか……」
【問題ない、ハルタカ四級生はルリエス分隊長が生存確認済みだから。でも怪我が心配だから早く集中治療室に連れてきたい。網膜下端末、あのASと繋がってたせいで壊れたとか?】
肉体から診断情報が読み取れないということは、自分に埋め込まれている網膜下端末そのものが故障してしまった可能性があった。スプトニカが消えたのもそのせいだろうか。どのみち船外服を脱がなければ、自分の身体がどんなダメージを負ったのかすら判断できない。
「わからない。変なんだ、網膜スクリーン自体は生きてる。けど表示がおかしい。それに、あれからスプトニカから応答しないのが心配だ……ルリ姉は大丈夫なの?」
【わたしの網膜下端末なら復旧してる。ただ分隊のみんなと通信が繋がらないの。隊の座標も拾えてない。ジャミング衛星は壊れたのに。前に中継衛星を乗っ取られた時と同じみたい】
「やっぱり、スプトニカが言ってたとおり、アガルタで何かが起きてるんだ」
【……保育室にいたあいつ、結局何だったの? そのスプトニカがハルにあいつを探させようとしたということ?】
「それが、ここにあんなのがいたことまではスプトニカも把握できてなかったみたいなんだ。彼女は本来の性能が出せなくなってるって言ってたから」
それ以上自分にはルリエスの疑問に答えることができない。わからないことずくめのまま、くだんのスプトニカとの連絡手段が絶たれてしまった。
「ここのところ箱舟の出現頻度が異常に増えてる原因は、ASのネットワーク網に不具合が起きてるからなんだ。その原因がアガルタにあるって、スプトニカが助けを求めてきたのが始まりだった。どうあれ全ての元凶があの保育室にいたクラゲみたいなやつなのは間違いない。基地に戻ったら担当管理官にぼくから報告するよ」
もちろん確証なんてない。ないけれども、少なくとも人類領域に敵の尖兵が潜んでいたという事実がこれで明らかになった。全てはスプトニカの協力あってのものだから、たとえラムダ担当管理官であっても、ASが人類と共闘可能だということを実感するはずだ。
そんな自分がよほど深刻そうに見えたのか、警戒中なのにルリエスがまた気遣ってくれる。
【だいじょうぶ、わたしも目撃者のひとりだからいっしょに証言するよ。でも、あのクラゲ型が
「…………ちょっと想像もしたくないけれど…………エサだったらすごく厭だな」
言った自分から怖気が立った。箱舟の〝捕食行為〟の対象は、その巨大な躯体を構成するフューチャーマテリアルに変換可能な物質だけ――というのがこれまでの通説だったからだ。
突如の閃光がふたりの視界を覆ったのはこの時だった。密閉された黒一色の大シリンダー内を、超新星爆発を想起させる発光現象が照らし出す。
「――誰かが照明弾を撃ったんだ! 位置を知らせる合図なのか? 発射位置はどこ――」
さながら人工太陽のごとく、居住区上空から暴力的な白光を注ぐ照明弾。朽ち果てた都市の輪郭像がかすかに浮き上がり、隠されていたアガルタの全貌を暴き立てる。
さながら墓標めいて目に映る、背の低い台形のビル群。コロニー都市特有の景観だ。
一射目の輝きが衰えるのを待たず、二射目の照明弾が炸裂した。
【――何かいる! 戦闘!!】
最初はルリエスが何を指して言ったのか把握できなかった。
照明弾の光源下に曝け出されたものたち。航行ユニットを兼ねた長い脚部が独特の人型シルエット――軌道甲冑だ。
無数のVLSが、あるものは居住区の半壊したビル群を潜り抜け、またあるものはその上空を呆然と漂っている。さながら
今度は照明弾とは異なる光――青緑色の光線が地底側から放たれ、都市上空を扇状に薙いだ。
「あそこ! 何かをレーザースキャンしてる。まさか、居住区にまで箱舟が潜んでいたのか?」
あの光線はVLSのレーザー射出ユニットから放たれたものだ。攻撃兵装ではないため出力自体は微弱だが、銛手がブラッドアンカーを打ち込むソケット位置を特定するために必須だ。
レーザー光が繰り返し闇夜を踊る。出鱈目に射出されるレーザーには標的などなく、何も射止めることないまま闇に減衰していく。
それらが止んだ直後、ビル群のあたりで真っ赤な爆炎が上がり、そこで誰かのVLSが墜落したのだとようやく実感させられることになった。
こちらを掴んでいたルリエス機に、唐突に突き飛ばされた。
自分たちが先ほどまでとどまっていた位置を高速で通過したのは、一機のVLSだ。こちらがまるで視界に入っていなかったのか、ダイバーは無我夢中でスラスターを噴き、直上のコロニー回転軸側へと急上昇していく。
それを追随するものがあった。減光しつつある照明弾の下で視認できた姿に、ハルタカは的確な言葉を見つけ出せない。
逃げ惑うVLSを追跡していた敵機――それは言わば、首なしのVLSだった。
正確には、ダイバーが装着する前の、軌道甲冑本体だけの形態でそれは飛んでいた。他の機体もそう。そもそも計算が合わない機体数がアガルタ居住区内を飛び交っている。基地を離脱したハルタカを確保すべく送り込まれた二個分隊、十機どころではない。所属不明の機体が、乗り手もいない抜け殻のままに人間たちを追い散らしていたのだ。
慣性のままに辿り着いたビルの外壁にしがみ付き、ルリエスの行方を目で追う。網膜下端末が機能しないため、肉眼で視認できるものしか捕捉できない。
ルリエス機が猛スピードで首なしVLSの背後に付き、ブラッドアンカーを射出した。それが脚部航行ユニットを貫通し、燃料ポンプから発火して爆発炎上した首なしは、破片と火の粉をまき散らせながら都市部へと墜落していった。
追われていた方のダイバーにルリエスが取りついて交信した。
【ネット回線は乗っ取られてて繋がらない。
【…………ルリエス分隊長! た、助かったぁ】
交信相手の声に聞き覚えがある。白をベースにした塗装パターンと刻印された機体番号から、あのダイバーはニルヴァ分隊の三番手――確かこの前に絡んできた三人組のどれかだろう。
【ニルヴァ分隊長……なんか居住区でおかしななものを見付けたから調べるって言ってて、俺らが先行してたんだ。そしたら、あいつらが急に出てきやがったんだって! 通信も繋がらねえし、アガルタの亡霊どもがよみがえったっちまったのか……さっきの以外に三匹墜としたが全然キリがねえし……】
【わたしの隊のみんなはどこ?】
【あんたの分隊の連中は一旦軌道船まで退避したよ。連絡が取れなくなったのはそのあとだから、あっちがどうなったかもわからん】
ハルタカも周辺を警戒しつつ、ビルから離れて彼女らに合流する。ルリエスとダイバーはこの一帯で一番高いビルの外壁に掴まり、混迷する戦況を見渡している。
「ルリ姉。さっき首なし、バックパックと航行ユニットの形から見て、アガルタに配備されてた初期型VLSだよ。あのタイプが実戦配備されなくなった理由は、システムに脆弱性があったからなんだ。やっぱり箱舟からハッキングを受けて操られてると見ていい」
【としたら、操ってる親玉はさっきのクラゲ型?】
「あの一匹だけと限定するのは危険だ。誰か居住区で箱舟らしきものを見ましたか?」
唐突に話を向けられたダイバーは、不審げに言葉を濁して【見てねえ】とだけ応答した。
「ニルヴァに深追いをやめさせて、皆を撤退させよう。軌道船はどこにありますか?」
【……来た大穴の途中に停泊してる。…………てめえ、ハルタカだろう。今さら戻ってきて、てめえが仕切れると思うなよ】
最後にダイバーから疑念に満ちた声が返ってくる。ただ相手もこの状況で言い争うつもりはないらしく、こちらにもそんな余裕などない。
「それよりもあの首なし、動きはやたら早いくせに飛び方が正確じゃなかった」
【どういう意味、ハル? 無人だから、その分軽量化されてスピードが出せるってこと?】
「それもあるけど、ダイバーが操縦する軌道甲冑と違って、あいつらには前が見えてなかった感じがした」
ルリエスが首を傾げる。これはスプトニカと出会ってから意識できるようになった観点だが、他の人間には伝わりにくいニュアンスだったかもしれない。
「簡単に言えば、標的を目じゃなくて座標で追ってるって意味。だってあの首なしにはダイバーという〝目〟がない。箱舟がどこかから遠隔操作してるわけだから。VLSの搭載カメラはそんなに精度がよくないせいで、三次元的な動きに追随しきれてなかった感じがしたんだ」
この分析がどこまで正しいか、自分にも確証はない。
「それでも今こんな開けた場所で戦う方が敵に有利だと思う。一刻も早く大穴の方に戻ろう。あそこなら狭くて視界が悪いから、首なしが追ってきても性能を削げる可能性がある」
それを聞いて合点が行ったのかダイバーは離脱し、分隊長のニルヴァを連れ戻しに向かった。
再び上空に照明弾が昇る。まぶしさに耐え切れずグローブで覆ったその先に、想像したくなかったものまで照らし出されていた。
その光景には、ルリエスまで息を呑んでいた。アガルタの亡霊――箱舟に操られた首なしVLSの増援が、ハルタカらの前方から向かい来ていたのだ。それに側方からも。
周囲をぐるりと見渡せば、二個分隊を遥かに超える数がこちらを完全に包囲していた。
「まさか、アガルタにまだこんな数の機体が保管されてたの…………」
行く手を阻止するものたちは亡霊か、あるいは死神か。自分たちに絶望をもたらす何かには違いなかった。
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