発生点/転換点5


 アガルタ基底部への潜入を果たしたハルタカは、居住区整備用ドックでVX9を解装すると、船外服での移動に切り替えた。ドック格納庫で休憩とバッテリーの充電がてらに、残量が半分を切っていたエアの補充も終えた。

 複雑に入り組んだ基底部通路の隔壁扉も、スプトニカからのハッキングによって次々に開放されていく。こちらはナビゲーションに従い、ひたすら奥へと向かうだけの作業を繰り返した。


「ねえスプトニカ、人工子宮プラントが稼動してる理由を記録から調べることはできる?」


 荒廃した居住区とは異なり、基底部内は明かりも重力も空気もない以外は四年前当時の姿を保っていた。当時幼かったハルタカはこのような区画まで自由に出入りできたわけではないが、少なくとも荒れた形跡がないのはわかる。軌道船の衝突事故で損害を受けたのは居住区だけで、そこから独立した基底部は現在でも使用可能に見えた。


【残念だけど、うちが踏み込める範囲に記録は見当たらなかったわ。その手の記録が欲しければ、人類の中枢サーバーにアタックする以外にない――つまり、〈天蓋都市〉への攻撃ハッキングよ】


 〈天蓋都市〉なる名称が彼女の口から飛び出して、通路沿いを進んでいたハルタカも思わず急停止してしまった。


「〈天蓋都市〉へのハッキングだって!? あそこは担当管理官たちの本拠地だ。そんな真似したら、それこそASまで人類に敵対してるって見なされかねないよ!」


 それがどれほど危険なことか理解しているのか、視界の片隅で腕組みして難しげに目を閉じるスプトニカ。

 スプトニカによって問題の〈天蓋都市〉――軌道エレベーターの末端に建造されたトーラス型コロニーが網膜下端末上に描画される。天蓋の名に相応の傘型防護フィールドに守られた、人類圏最果ての居住区。オービタルダイバーの子どもたちは皆、〈天蓋都市〉への到達を目指して戦ってきた。あれこそが人類に残された安住の地であり、守るべき理想郷なのだと信じて。


【互いに争い合う理由がないことくらい理解してるわ。だからASは人類には干渉してこなかった。だからといって、ASが人類に従属する種じゃないことも忘れないで。ロボット三原則なんてうちらにはお門違い。このアガルタが〈楽園〉に呪いをもたらす元凶だと証明されれば、うちも黙っては見過ごせない】


 そう言われてしまったらハルタカにも返す言葉はない。


【だからこそ、ハルも一緒に見極めましょう? この先に隠されたものが、お互いの社会にとって何を意味するのかを】


 そして眼前には今、ナビゲーションの終着点を示す真っ赤なシンボルマークが点滅していた。

 到達した場所――入り組んだ通路の先は、開けた吹き抜けのホールになっていた。何階層分もの通路が合流するこのホールの突き当たりに、両開きの隔壁扉が立ち塞がっている。ライトを照らして確認する。扉の表面に記された〝第七保育室〟の文字が静かに事実を告げていた。


「そうだね、ふたりで見極めようスプトニカ」


 その決意を胸に、ハルタカは扉脇に設置された施錠端末に触れた。端末表示では施錠状態を意味する点灯のままで、しばらくしてスプトニカから【そこのロックはうちには解除できなかったわ。ちょっと時間がほしい】と応答があった。

 基地防災の講義で習った内容を思い出し、第七保育室内の状態を施錠端末で確認する。室内の気密消失、エア供給停止中、危険度大。気密服の事前着用ののち、室内外の気密環境が一致するまで解錠を許可できない旨の通知がされている。いま隔壁扉を開ければ、真空状態の室内側に吸い込まれるため危険だと訴えているのだ。


「変だな、こっち側も同じ気密環境のはずなんだけど。センサーが誤作動してる?」


 解錠操作を繰り返すが受け付けない。


「そもそもエアも重力も喪失した状態でも保育器は稼働できるものなのか」


 点灯したままのランプ。施錠状態をどうやれば解除できるのかわからない。

 と、それがハルタカの焦りに応じたかのように消灯する。


【いまそっちの電力供給を無理やり切った。ただハルが手動で開ける必要があるの。左脇の壁面パネルを壊して開けて。中にハッチを開けられるハンドルがあるわ】


 スプトニカの言ったとおりに、半透明の樹脂パネルがはまった壁面を蹴破り、内部にあった円形のハンドルを両手で掴む。

 低重力環境では踏ん張りがきかない。壁面の窪みに左脚を固定して一呼吸入れる。


【――――そこでなにしてるの、ハル】


 刹那に飛び込んできたその声に、ハルタカは気道が詰まるかの恐怖心を味わった。

 吹き抜けの上層側から、黒い影が着地する。床に堆積していた埃が周囲に舞い上がる。

 寸分遅れてライトが照らされた。背後に誰かがいる。首筋に何か硬い感触を覚え、危険を察知し背後を振り向くことができない。何かを突き付けられているのだ。ハンドルを掴んだままのこの体勢で、背後を取られては逃げ場がない。


「何ものかに拘束を受けた――何がどうなってるのスプトニカ!」


 反射的に声に出してしまう。迂闊だった。知られるべきでない名まで口にしてしまった。

 それに、この声は――


【黙って。動かないで。それからゆっくりと手を離しなさい。余計な真似したら実力行使する】


「――待ってよ、どうしてこんな場所にいるの、ルリ姉」


 自分が聞き間違えるはずがない、ヘッドセット越しに聞こえたのは、確かにルリエスの声だ。ハンドルからそっと手を離し、抵抗しない意思を示すため頭上に掲げる。

 そのまま恐る恐る振り返る。ライトを向け立ち塞がっていたのは、やはり紅い船外服姿だった。手にした刺股でこちらの首根っこが押さえつけられている。基地で暴力沙汰が起きた場合などに持ち出される非殺傷武器だが、その気になれば先端から粘着性バルーンを噴き付けられ、こちらを行動不能にできる代物だ。


【……やっぱり。ハルは誰かと話してた。〝スプトニカ〟って誰のこと?】


 現れたのがルリエスだったのは幸いだった――とは素直に思えなかった。厭な胸騒ぎがする。

 そもそもこの状況は全ての辻褄が合わなかった。自分以外の人間がアガルタにいたなら、いつの間に到着したのか。何故スプトニカのセンサーでは捕捉できなかったのか。軌道船がなければここまでたどり着けないはずだし、最初からこちらの行動が筒抜けだったとしか思えない。

 網膜下端末経由でスプトニカにテキストメッセージを送る。が、応答がない。ネットワークが見つからない旨の表示が出ているのに今さら気づく。


【網膜下端末なら、今は繋がらなくしてある。これで余計な邪魔者は消えた】


 そう言ってルリエスが差し出したのは、超小型サイズの妨害衛星ジャミングサテライトだった。妨害ノイズを発生させることでネット通信を一時的に打ち消し、箱舟からのハッキング攻撃から身を守るためのダイバー装備――ハルタカ自身が過去に開発したものだ。が、それは同時にダイバー自身まで危険に晒すことを意味する。


「ルリ姉、どうしてこんな場所でそれを使ったの! ジャミング衛星は網膜下端末まで使えなくなるじゃない。ただでさえここは危険な場所なんだ、早くそれを切って――」


【――いいから答えて。ハルくんはの?】


 再度繰り返される問いかけ。スプトニカとの接続がバレていたのだ。もう言い逃れのしようがない。そうでなくとも無数の疑問が脳裏を駆けめぐり、立ち塞がった姉を相手にどう行動すべきかの判断が鈍る。

 口ごもったままのこちらに踏み込むように、ルリエスはなおも続ける。


【あれからハルくん、なんか様子がおかしいってお姉ちゃんも気づいてた。この前にハルくんが漂流したときね、わたしにハルくんの居場所を教えてくれたひとがいたの。それが誰なのかずっとわからなかった。でも、何となくそうじゃないかって思ってたよ。ハルくんは


 ヘルメット越しでは表情すらわからない。ただ演じるのをやめた姉の声色から、何が言いたいのか、自分をどうしたいのかを直感で察する。


「隠すつもりはなかった――なんて言わないよ。うん、そのとおり。ぼくはASと繋がりを持った。名前、スプトニカっていうんだ。みんなには秘密にしてほしいって言われて、ぼくも了承した」


 いつかこうなることを想定していなかったわけではない。もし基地の人間たちに全てを知られたら、その時は釈明できないだろうと考えていた。ただ、そのタイミングが今だったなんて想像もしていなかったのだ。

 ルリエスの呼吸音ばかりが回線越しに届いてくる。応答の言葉はないが、代わりに、首根っこに押しつけられていた刺股が慎重に引っ込められる。


「……嘘をついてごめん、ルリ姉。彼女とたくさん話をして、いろんな秘密を教えてもらって。それで、どうしてもぼくひとりでやらなければいけないことができたんだ」


【それでハルくんはこんなところまで来たの? ひとりだけで? ASに騙されて、都合よく利用されたんじゃなくて?】


「たとえ利用されたんだとしても、人類側にもメリットがあればそれでいいって思った。スプトニカはぼくたちがこれまで知ることのなかった、たくさんの奇跡を見せてくれたんだ。それは間違いなく嘘じゃなかった。ASと繋がりを持てたこと自体に意味がある。だからぼくは彼女の手助けがしたい」


【ハルくんは裏切り者だ】


 どくり、と鼓動が跳ね上がる。息が胸腔で詰まり、行き場を失うような感覚。姉の口からそんな言葉が向けられるなんて嘘であってほしい。

 もう全てが頭の中から消し飛んで、たった一つだけのことを今すぐに確かめたくなる。


「――ぼくはルリ姉を裏切っていない!! 基地とか、誰にそう思われても構わない。でもルリ姉だけは絶対に裏切るつもりなんてない! 証明するよ、だからぼくを信じてよっ!!」


 そう、堪えきれない衝動が溢れ出て、思わぬほどの声を張り上げていた。


【………………………………うらぎりもの】


 応答は、たったその一言だけ。あとは地面を蹴って飛び込んできたルリエスが、気づけば自分を胸の中に掴まえていた。


「――ッ!? ………………………………ルリ……姉……?」


 床から離れ浮き上がったふたりが、そのままゆっくりと吹き抜けのホール上層へと漂っていく。不器用な姉はそれ以上何も伝えてくれないが、船外服越しの抱擁だけでも何となくわかってしまう。彼女がいま胸の内にどんな感情を抱えているとしても、それをこうすることで葛藤をどうにかしたいのだと、自分のかけがえのない弟であるハルタカに訴えているのだ。


「…………あのね、ルリ姉。やっぱり最初に相談すればよかった、っていますごく後悔してるところ」


 言葉足らずな言い方になってしまった。もう考えなしになった自分からは大した言葉も出てこなくて、それでも伝われと抱擁の力を強めるしかない。


【…………うん、ハルくんはいつも失敗ばかり。ふふ……お姉ちゃんもいっしょ、失敗ばかり】


 初めてルリエスが明るい声をしてくれた。たったそれだけで、ざわついていた胸が澄み渡ったかのような気分になれた。抱き留めていた腕が離され、代わりに繋がれる。そのまま窒素ジェットを噴いた彼女に地面へと引き戻されていく。


「まさかルリ姉ひとりでここまで来たわけじゃないんでしょう? ジェミニポートの皆は?」


【ラムダ担当管理官の指示のもと、ハルタカ脱走兵の確保に二個分隊が投入された。ターゲットを確保次第、その場で祖国への忠誠を確認し、反逆の意思があれば銃殺刑に処すよう命令を受けている】


 グローブで古めかしい短銃の形を真似ると、こちらのヘルメットを小突いてきた。


「あはは……じゃあ、まずは銃と弾薬の密造から始めないとね」


 毒のある言い回しにドキリとされられるも、精一杯の冗談でやり返してやる。


【みんなで手分けしてハルくんを探してたところ。今はたぶん居住区の方で作戦行動してる。それよりさっきまでニルヴァがすごいうるさかった。裏切り者を裁けって、あいつが今日一番やる気出してる。もうここに置いて帰ろっかな】


 やはりニルヴァも来ているらしく、早くも頭痛がしてきた。ただルリエスがさも鬱陶しそうな声色をするので、釣られて苦笑してしまう。


「でもさ、どうしてルリ姉たちは見つからずにここまでこれたの? スプトニカのセンサーなら、軌道船なんてすぐに捕捉できたはずなのに」


 壁に固定されていた妨害衛星をルリエスが回収する。


【……? 知らないよ。ハルくんがアガルタに向かうのは予測できてたから、ダミーの迎撃作戦に出発して、先に隠れて待ち伏せしてたんだけど】


 それは変だな、と思わず声に出てしまう。人工子宮プラントの稼働が捉えられたなら、人体だって熱赤外センサーあたりに引っかかって当然だとばかり思っていた。


【あとね、ハルくん。ヨンタを泣かせたよ。あいつ、ショック受けて今は基地で寝込んでる】


「そうなの……うん、ヨンタにも悪いことしたってわかってる。わかってて、でも行くしかなかった。彼の怒りも受け入れる覚悟はあるよ」


 覚悟ができていたとはいえ、あらためてそう知らされると胸が痛んだ。ルリエスには裏切り者と言われたけれど、それが彼女やヨンタにとって事実なのを受け止めなければならない。

 そんな疑問を残しながらも、ルリエスが妨害衛星のスイッチを切ろうとするのを

「切るのはちょっと待って」と制止する。


「…………あのね、ルリ姉にお願いがある。五分だけでいい、ぼくに時間をもらえないかな」


 意図を掴みかねたのだろう、ルリエスに首を傾げられてしまう。

 いまネット通信が復旧することは同時に、切断状態オフラインだったルリエスの網膜下端末が分隊の仲間たちと繋がることを意味する。そうなればニルヴァがすぐさまこちらの位置を特定して乗り込んでくることは確実だ。その前に済ませておくべきことが目の前にある。


「スプトニカとの約束を守らなければならない。だから、せめてこのハッチを開けさせて。中を確認したら、そのあとはおとなしくルリ姉に従う。基地の一員としての責任もちゃんと取るから」


【……了解。担当管理官からは何も触るなとまでは指示されなかったから問題ない。わたしはいなくなったハルを見つけるためにこのハッチを開けることになった。そこでハルを発見し確保した】


 涼しい口調で方便を言い、自分からハンドルに手をかけるルリエス。ハルタカも慌てて反対側を掴み、鈍い軋み音を上げたハンドルが回り始める。

 そうして噛み合った歯車が動き出し、扉の向こう側が明らかになる――――

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