発生点/転換点4

 スプトニカの提案により、ハルタカはアガルタ外壁部の損傷個所から内部に突入することになった。

 外壁部との接触を避けるべく、減速して慣性力を追い風にVX9を接近させる。シリンダー側面に穿たれた大穴は、機体が近づくにつれ想像していたものよりもずっと大きいことを実感させられる。アガルタ自体の巨大さにスケール感が狂わせられていたのだ。


「これくらい大きな穴ならスプトニカでも余裕で通り抜けられそうだね」


【うちはよしておくわ。狭いところじゃ〝袋のネズミ〟ってやつになりそうだから】


「それも例のコトワザ? しかしこの穴、想像してたのと違うな。軌道船の衝突でできた亀裂だと思ってたけど、切り口が綺麗すぎる。それに内側と外側、どっちからダメージを受けたのかわからない壊れ方をしてる」


 真円に近いこの大穴は、軌道船の爆発によって開いたものというよりは、外壁の構成材を円状に解体したようにも見えた。しかも、コロニー内の気密が失われた後にできたものだろうと推測できる。もし気密状態でこれほどの大きさの穴が開く現象が起きれば、内側からの圧を受けて外側に亀裂が広がる様が感覚的にイメージされるから。


【記録を読んだけど、問題の事故で開いた穴って、当時はもっと小さなものだったみたい。今のこれは補修工事の産物ね。壊れた部位を解体除去パージして、新しい部品で塞ぎ直そうとした】


「修理するのを諦めたのは間違いないのか。コロニーは〈群島〉と違って、モジュール単位の継ぎはぎでは成立し得ない構造だから、資源が貴重な時代にはそぐわないけれど」


 ちょうどいま開放部をVX9で通過した。かすかに届いていた太陽光すら遮られ、完全な闇の中に自身が没していく感覚。VX9のライトを点灯させ、スプトニカから送信されたアガルタ内部のナビゲーションを視野と連動させる。


「もう居住区近くまで到達したのか。暗くてなんにも見えないな」


 送られた地図によれば、VX9は大穴に沿ってアガルタのシリンダーを垂直に降りるルートを辿っている。既に分厚い外壁層を何層も通過していた。アガルタは外壁側が重力の底面となるため、暗くて気づかないままかつて自分が暮らしていた町を飛び抜けたことになる。

 時折こつんと、ヘルメット越しに小さな浮遊物が当たる音が届く。ライトで周囲を照らすが、光源内に捉えられるのは宙を漂う氷や塵ばかりで、反射するものはない。光を照らし返さないほどにあらゆる全てが遠く、まるで星が一切存在しない無の空間をさまよっているかのような気分にさせられる。

 いまや光も重力も失われたアガルタの町並みは、廃墟と呼ぶに相応の静けさに沈んでいた。


【シリンダーの回転軸シャフトが視認できる距離まで来たら、次はそれに沿って基底部に向かうわよ。方向感覚が狂うだろうから、うちのナビに従って】


 間もなくして彼女が予告したとおりに、前方の暗闇にVX9のライトを受け止めるものが見えてきた。逆噴射で減速し、ナビゲーションの指し示す方角へと機体を向ける。コロニーの回転軸と言ったが、ハルタカから見れば果てのない天井にしか見えなかった。


【今のスピードと視界なら、そのまま進んでだいたい二分くらいでコロニー基底部の外壁が見えてくるわ。整備用の搬入口エアロックをさっき開けたから、そこから中に侵入して。そこでエアとバッテリーの補給ができるけど、VX9が使えるのはそこまでよ】


「その先は降りて進む必要があるってことか」


 このように打ち捨てられた廃墟の探索任務も、ハルタカは過去に何度か経験していた。ただ大抵は遺跡化した旧世界の宇宙ステーションや宇宙船舶の類だったため、ここまで規模の大きなものは初めてだ。

 一八〇度ロールして、回転軸を下方に置きひた進む。

 前方に、ゴミや瓦礫の吹き溜まりになっている場所をライトが捉える。速度をさらに落とし、機体の高度を上げてやり過ごす。これらは重力が静止した後に漂着したものだろう。砕けた建材や、ひしゃげて窓の抜けた搬送車コミューター、それに片方だけの子どもの靴が視界に入り、まるで引き寄せれるようにハルタカは周囲を漂うゴミの一つを手に取っていた。

 グローブでつかみ取ったそれは、いつだったか見た映画に登場した、軌道甲冑の主人公専用機体・VLSAデュランダールの模型だった。ずっと麻痺したままだったハルタカの意識が、途端に現実へと引き戻される。

 見上げた頭上の遥か先は、おそらくアガルタの地底面だ。今は夜景ですらない暗闇の底だが、かつて自分がルリエスの背を追った町並みもあのどこかに残っているのかもしれなかった。

 自分がここを離れてたった四年あまりで、あの情景が宇宙の冷気に飲み込まれた。思い出の場所がこうも変貌した現実を、ハルタカはにわかには受け止めがたかった。


【外っ面は綺麗なものだったのに、中は劣化がひどいものね。記録では、事故が起きてすぐに、保育機能が他所の〈群島〉に移管されてるわ。じゃあ、保育機能の維持を諦めたのに、まだプラントを生かしてる理由はなにかしら?】


「……想像つかない。事故でプラントも止められたはずなんだ。なのに、こんな呼吸もできない重力喪失環境で稼動させる意味がわからないし、育てられもしない子どもを生み出すメリットなんて今の人類にはないよ。スプトニカにはこういう場合、いくつかの可能性を予測演算したりはできないの?」


【……むー、ハルってば、またうちのことすっごく便利なAIか何かと勘違いしてない?】


「あの、ごめんなさい……」


 ここまであまりに万能な相棒を演じてくれていたおかげで、そもそも彼女が何ものなのか意識しなくなっていたことに気づく。彼女にもできないことがあるからこそ救いを求められ、こうして自分がこの場にいるのだった。


【間もなく基底部よ。さっき搬入口の灯りをつけた。赤いランプが点灯してるとこを目指して】


 余計な思索はここまでだとばかりに、VX9の前方に人工光が見え始めた。


「これ以上先に進めば、漂流中ここに偶然迷い込んだなんて言い訳もできなくなるな」


【ハルはこわくなった?】


「……うん、そうだね。そうだと思う」


 この行いが知られることになれば、自分はただの懲罰対象としてだけでなく、人類全体への禁忌を犯したことになるやもしれない。指揮室から許可を受けたテスト飛行中における脱走行為。担当管理官からの命令もない。そしてオービタルダイバーの管轄下にない施設への無断侵入。人類社会の法規を無視した独断行動だ。

 今後ジェミニポートに戻ることがあったとしても、自分はきっと厳しい罰を受けることになる。ASとの対話協力に成功した史上初の人間であるという成果も、双方の社会に望まれないばかりか紛争の火種となる恐れだってある。


 ――お前は戦士でもなければ、英雄にもなれない、か。ルリ姉にも怒られる……というより、むちゃくちゃ泣かれるだろうな……。


 だが――――


「――恐れて立ち止まってたって、ぼくらは何も変われない。了解したスプートニカハリオン。これよりアガルタ基底部への潜入を開始する」


 全ての呪いを振り払うように、自分を見守ってくれる奇跡の星へと交信を返した。

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