Orbiting-3: 発生点/転換点
発生点/転換点1
【――VX9、切り離しシークエンスを完了。いつでもダイブできるぜ。どうぞ】
わずかな沈黙ののちの応答に、ハルタカは我に返った。
開けた瞼に網膜下端末が反応して、途端に視野を埋め尽くす投影グラフィックス。電子的に描かれた映像の向こう側に、気を抜けば引き込まれそうな鈍色の地球が横たわっている。
箱舟・ディスカバリー6が撃沈されて、あれから三日が過ぎ去っていた。
「――切り離しシークエンス完了を確認した、ヒューストン。ヨンタも荷運びで徹夜上がりのところ悪いけど、バックアップの方を頼む」
【へっ、どうしたよ急にかしこまって。てめえの心配だけしてやがれって】
ヒューストンのロボットアームから切り離され、地球軌道に解き放たれた軌道甲冑VX9。互いを結びつけていた接続部がゆっくりと遠ざかっていく。
「これより試作開発型軌道甲冑VX9の機動テストを開始する」
その交信を合図に、VX9が脚部航行ユニットで炎を蹴り、地平の彼方へと飛び立った。
腰部コントロールユニットを引き起こすと、VX9と一心同体となったハルタカの感覚は急変した。
五感が受け止める世界すべてが、驚くべきスピードで自分の神経系を過ぎ去ってゆく。半自動的なスラスター制御によってジグザグに軌跡を変え、自在に地球軌道を飛び回る。複雑な操縦をVX9自身が肩代わりすることで、かつて地球の空を席巻した鳥類さながらの
【――なんだよ、今日も絶好調じゃねえか! 一時はどうなることかと思ってたんだぜ?】
回線の向こうでこちらを静観していたヨンタだったが、VX9が一旦転回するために右ロールからの上方
「だからヨンタは心配しすぎだって。VLSと接触した時にアームが衝突ダメージを緩和してくれたから、こいつはアーム交換だけで済んだんだ。VX9は本当に運がよかった。だったらあの時、そのまま彼らも受け止めてやれたら……せめて一人は助けられたはずなんだ」
今さらどうしようもない仮定を口にして自嘲的な笑みがこぼれてしまうが、それもヨンタが一言でやり返してくれる。
【……ばーか、マシンのことじゃねえ。オレが心配してたのはお前のカラダの方だっての】
「はは……………………ありがとう、ヨンタ」
そう言われてしまえば、ハルタカにはもうそれ以上返せる言葉がなかった。
「あのさ、ヨンタにはまだ言ってなかったけど」
【ん、なんかあったのか?】
「ルリ姉が今朝から復帰した。今ごろラムダ担当管理官と面談中だと思う」
【ま、マジ? あの不機嫌女、ニルヴァの野郎をあんだけ爽快にボコっといて、もうシャバに出てきやがったのかよ】
「あはは……ここのところの箱舟の猛攻を阻止するには、我がジェミニポートも出し惜しみできなくなったってことだよ。そもそもルリ姉は基地のエースだしね。それにさ、ヨンタが出かけてた間に色々あったんだよ。ルリ姉には深く反省してもらった」
【えっ……ええっ!? あの鉄壁の不機嫌女が反省とか、ハルタカお前……オレの留守中になんかヤったのか??】
「それがさ、あのひとも小さいころの話を持ち出されると、案外弱いんだよ。ほら、そもそもぼくらは生まれ故郷が同じだからさ。昔の弱みとかもいっぱい握ってるわけで」
【――よし教えろ。洗いざらい吐け。極秘情報はネットでみんなと共有が鉄則だ】
「死んでも言えない。裸にひんむかれて天井から吊るされちゃうよ?」
【うおおぉぉ! ハルタカお前、いつの間にルリエスとそんなやべぇ関係に!?】
何やら盛大に勘違いしている口ぶり。天井から吊るされるというのは勿論、ヨンタがそういう目に遭わないよう忠告の意味を込めて言ったつもりなのだが。
【ていうかあらためて聞いたことなかったけどよ。お前ら、アガルタでいくつのころからそんな感じだったんだ?】
「そんな感じって、どんな感じのこと言ってるの……」
【だから、そういうさ……姉ちゃんと弟の関係だよ。オレらの誰と誰が血縁者かなんて、もう誰にもわかんなくなってんだろ?】
思い返せば、ハルタカとルリエスの人生はアガルタという宇宙コロニーから始まった。
現世代の子どもたちは、アガルタのような保育コロニーの中枢にある人工子宮プラントで生まれて幼年期を過ごし、個々の能力に沿った教育課程を経たのちに〈群島〉へと編入する。過去の人類を知るものたちの目には、残酷な管理社会にも映るだろう。だが、地球軌道に追いやられてからの人類は、過酷な宇宙環境で残された種を維持すべく、古来の家族制度を捨てざるを得なくなった。
「ルリ姉と初めて出会ったのは、ええと、いつだったっけな…………たしか、ぼくが五歳くらいのころだったかな。いじめられてたぼくを庇ってれたのがルリ姉だったのはよく覚えてる」
さも予想どおりだと言いたげに、ヨンタの吐息だけが返ってくる。
【やっぱ、そんときもそのいじめっこどもをボコったのか、あいつ?】
「あはは、それがさ、あのころのルリ姉はもっとおとなしかったんだ。ふたり一緒にこてんぱんにされて泣いてた覚えがあるよ」
思い出話みたいに口にして、苦い思い出だったはずなのに不思議と憤りが湧き起らなかったことに気づく。あの時も、傍らの姉の存在が救いになっていたのだと。
【そっか。じゃあ、色々あったお前らもここまでたどり着いたってことだな。アガルタも今はボロボロの廃墟だっつうし、時間の流れなんてホントあっという間だわ】
「アガルタか……解体工事の計画がもう二年近く頓挫してるって話だし、だったらなくなる前にもう一度くらいは見ておきたかったな」
【オレが言えた義理じゃねえが、あんま冒険が過ぎると、今度はお前が懲罰房行きになんぞ? あそこはそもそもオービタルダイバーの管轄内じゃねえし、下手すりゃラムダの上がお出ましになる】
冗談めいた口調で脅しをかけてくるヨンタ。彼のような輸送班は、基地と他の〈群島〉間での物資輸送を請け負う関係で、軌道上のルールについては詳しい。
「やっぱり、無断で見に行ったら怒られるのかな? 機密事項に抵触する、とか」
【天下のハルタカ先生が馬鹿言ってんじゃないの。そもそもよ、アガルタが廃虚になっちまった直接の原因が軌道船の衝突事故なんだぜ? コントロール不能に陥った船が外壁に突っ込んじまって、確か千人単位で人が死んだ、って】
何か言いかけて、しかしハルタカは口を閉ざすしかなかった。おそらく自分の後輩にあたる子どもたちがあの場所で大勢命を落としたのだ。自分がもしその場にいたら、命運を同じくしていたかもしれなかった。
【元々ああいうコロニー周辺は、指定の輸送船を除いて航行禁止区域になるのが通例なんだ。下手くそが操縦ミスってコロニーに穴でも開けてみろ、運が悪けりゃデブリ大発生のケスラーシンドローム地獄、周辺基地を巻き添えにして大量虐殺犯の誕生。最悪、人類存亡の危機だぞ】
「そいつはこわい」
だから気を紛らわせたくて、ヨンタに合わせてわざとおどけてみせる。
【それにメンテ対象から外されたアガルタは老朽化がひどいって噂だ。ともかく触らぬ何とかにタタリなしだって。それによ、まず貴重な燃料の無駄遣いだ。オレらはテスト名目でVX9を自由に飛ばせられるだけまだ恵まれてる】
だからこそ恵まれている自分たちは上層部から贔屓されていると見なされ、基地内での風当たりも芳しくないのだ。ダイバー訓練生の多くは燃料節約との兼ね合いから実機を飛ばせられず、シミュレーター訓練が主体になりがちだったのだから。
「だったらなおのこと、ぼくが成果を出して〝人類〟に貢献しないとね」
ちょっとわざとらしく大仰な言い回しをしてやる。普段なら絶対にそんなことは言わなかったから、さすがに口が滑ったと後悔しても後の祭りだ。当然それはヨンタにも見透かされて、
【んだよハルタカ。お前、ニルヴァの吹かしに感化されたんじゃねえよな? 人類の英雄がどうとか、あんなのマジに受け取んなよ】
彼の声色が途端に真剣さを帯びたとわかった。
「……………………………………ごめん。今のぼくは焦ってるのかもしれない」
【焦ってる、って。何もお前が焦るこたぁねえだろ。あんな事件があったばっかだし。それによ、お前はちゃんと結果を出してる。このままVX9が量産体制に向かえば、それこそ人類への貢献だ。地球からどんな強え箱舟がやって来ようと、絶対に負けねえ。……量産化できなくても、お前の研究は必ず軌道甲冑の発展に繋がる。必ず、だ】
ヨンタはまるで自分の発明のように力説してくれる。互いを繋げるものが何もない軌道上で、見えない回線越しの言葉であっても、思いは固く繋がっているような気持ちにさせられて。
だから、ハルタカは後ろめたさに、軋むような痛みを胸が訴えた。
「ぼくには英雄になりたいとか、そういう大それた願いはないよ。でも、やっぱり焦ってるのかもしれない。ただ、今このタイミングを逃したら、絶対に後悔するのが目に見えてるから」
そして意識からずっと押しやっていたつもりだったのに、ルリエスの顔が無意識に浮かんできてしまう。
危ないことはしないで――という姉の懇願が、まだ鼓膜の内側にこびり付いているような気がした。
「自分にしかできないことが目の前にあるなら、どんな危険があっても躊躇わずに踏み出したい――――だからヨンタ………………ごめん」
――――ルリ姉も、ごめん。
【――なっ、急になんの話だよハルタカ? なんだ……VX9の軌道が逸れてんぞ――いや、違う。また衛星の
どこか遠いところでヨンタが慌てふためく声。ハルタカは罪悪感に身を焦がしながら、それを黙って聞き届けることしかできなかった。
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