軌道をめぐる同行者9

 スプトニカがハルタカに突きつけた要求ミッション。それは、〝ハルタカの網膜下端末を介して人間社会を体験させろ〟という、彼女の突飛な言動に反して至極ささやかな要求だった。

 穿った見方をしなければ、ハルタカにも彼女の望みくらい想像できる。意思を持った兵器である彼女は、であるが故に人間という未知の存在に憧れているのだ。感情が芽生えたロボットが人間になりたがるのは、旧世界遺産から発掘サルベージされた昔日の創作物語アニメでも王道だったから。

 ただ、ハルタカにはスプトニカの送りつけた指示がまるで理解できなかった。


指令ミッションその1――ハルは親しい女の子と、町で楽しい一時をすごしなさい】


 とは言えハルタカは、ASの秘密を知るためならどんな迷いも振り払うことができた。何故ならASとの対話と信頼関係の構築こそが、自分たっての夢なのだから。

 となれば作戦の立案、計画、そして即時実行である。

 まず〝親しい女の子〟などと言われてもルリエス以外に選択肢がなかったから、慌てて指揮室に直訴し、謹慎中の彼女に対する早期更生プログラムへの参加を名乗り出た。組織内の規律を乱した素行不良者に対して、仲間からの友情をもって理想的な社会復帰を促すシステムだ。

 だが、ハルタカもここまで来てようやく我に返った。そもそもスプトニカの秘密の目的と〝ハルタカが親しい女子と遊ぶ〟行為の間に何の因果関係があるのか、と。

 時すでに遅し、スプトニカの思惑どおりに流れ始めた時間は、もはや自分でも止められない。

 そのことを意識の片隅に押しやったハルタカは、ルリエスとともに早めの昼食をオープンテラスの旧世界料理屋で済ませてから、雑貨屋に立ち寄って部屋着を物色することにした。制服着用義務が適用されないモジュール内でなら、思い思いのファッションができるのだ。


「ルリ姉はさ、物持ちがいいところは長所でもあるけど、傷んできたやつまでずっと使い続けなくてもいいんだよ。いま着てるピンク色のパーカーも、かなり縮んじゃってるでしょう?」


「ええ~、ひどい! 服が縮んだんじゃなくって、お姉ちゃんが大っきくなっただけだもん!」


 小さい子みたいに頬を膨らせる姉の態度が、今日ばかりは頼もしくすら感じられた。

 でも、近ごろは体のラインが浮き出るようになって色々とマズいのをふと思い出す。ダイバーとして有能な反面、生活能力に著しく欠ける姉にはとにかく世話が焼ける。部屋の中でもいつもみたいに毅然とした態度でいてくれれば、と望むのは酷なことだが。


「それにお姉ちゃんがほしいのはあの色のだもん!」


 ルリエスは基地内でも唯一である茜色の髪が自慢だったから、それに合わせて自分用の船外服やVLSまで赤系に塗装し直すほどのこだわりがある。

 趣味の絵画でも、自分の端末を駆使しての、常人には理解の及ばない怪作を幾つも完成させてきたし、彼女が理屈よりも感性を重んじるタイプなのは昔からだった。


「しょうがないよ、女子自体が少ないんだから。ほら、これなんか女子向けでデザインが凝ってると思うんだけど。ルリ姉的にはどうかな?」


 ハンガーにぶら下がった一着を直感的に取って見せる。

 暗灰色の染織が他に比べて地味ではあったが、要所に複雑なフリルが施された品だ。工場群島には船外服などの設計以外にもこのような服飾を好んで扱う部門があったが、昔の人間のファッションスタイルに近く見えたので目に留まったのだ。


「えっと、ハルくんはこれを……お姉ちゃんに着てほしいのかな?」


 ルリエスはちょっと困った顔をすると、受け取った部屋着を広げて自分の胸に当ててみせた。

 よくよく観察してみれば、色が地味かなんてさしたる問題ではなかった。まず大胆に胸元が開いている。あとパンツ丈が短すぎて、太股まで露出してしまうのは避けられないだろう。


【――お姉ちゃんに着てほしいと頼め。実際にこれから部屋で生着替えプレイを実行す――】


 視界の脇でやけにスプトニカがはしゃいでいるのに無視を決め込み、


「とっても動きやすそうだけど、これじゃルリ姉が今まで以上に部屋から出なくなりそうだ」


 苦し紛れの話題そらしでしかなかったが、いつものお節介な弟の態度で平然を装う。


「……もう。ハルくん、お姉ちゃんをからかってるでしょう?」


 と、ルリエスがあからさまに拗ねて頬まで膨らませてしまった。自分以外には絶対に見せない姉の仕草には敵わなくて、こちらも無防備になるしかない。

 だから髪の毛のにおいが突然に鼻先をくすぐってきたのに、懐に踏み込んできたルリエスに反応できなかった。

 そう認識できた時にはもう脇を潜り抜けられて、気づけば背後から羽交い絞めにされていた。


「えっ、あの、ルリ姉……こんなとこでこれは――」


 制服越しに体温と柔らかさが伝わってきては、抵抗どころか突き放すことさえできない。

 そんな迂闊な自分の鼓膜に粗い鼻息が急接近してきたのを感じた直後、耳たぶを柔く噛みしめられてしまった。


「――ひゃっ!?」


「…………ハルくん、お姉ちゃんをからかっちゃだめだよ? さっき誰と話してたの? 今日お姉ちゃんをかまってくれたの、もしかしてヨンタの入れ知恵だったの?」


 バレていた。ルリエスは基地内でも一二を争うほど身体能力に秀でているだけでなく、感覚も異常に鋭い。視線や瞳孔の動きで網膜下端末の動作まで読み取られた可能性があった。


「違うよ、ヨンタに何か言われたわけじゃない。ルリ姉と町に出ようって決めたのは、ちゃんとしたぼくの意思だ」


 でもハルタカだって嘘つきにはなりたくなかったから、そのように事実を述べた。スプトニカについてだけは巧妙に伏せざるを得なかったため、罪悪感にはかられたけれど。


「ふぅん。なんだか、いつになく一生懸命だね」


 薄暗い店内で耳に姉の吐息を感じながら、鼓動に静まれと念じ続ける。幸い他人の視線はないが、監視カメラが状況を記録し続けているだろうし、それよりも自分自身がルリエスの熱に溶かされてしまいそうだ。


「わかったよ、信じる。じゃあ、ハルくんの意思によれば、このあとお姉ちゃんをどうしてくれるのかな?」


 そう囁いたルリエスにようやく解放される。数歩よろけてから振り向くと、にいと意地悪な笑みを浮かべたルリエスがハルタカをまだ品定めしていた。


「な、何もないよ。そんな大層な話じゃないし、ぼくはこういうとき考えなしだから」


 平静を装うのは慣れっこだ。まだ心臓が危なっかしい挙動をして胸の内側から主張してくる。

 ただルリエスの方はフッと嘆息して、こちらへの疑念などさもつまらないことだったかのように、緊張感の薄い顔に戻った。


「それじゃ、今日はこのあともお姉ちゃんに付き合ってもらおっかな。考えなしの方のハルくんはとっても可愛げがあるもの、お姉ちゃんでもおうちに帰したくなくなるんだよ」


 そう言って、いつも姉であろうと務めてきたこの女子は、さあ先へ進もうとばかりにこの腕を引っ張るのだ。

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