軌道をめぐる同行者8

 立ち並ぶ店舗のブースが途切れてできた大水槽広場には、その名のとおり床面から天井まで繋がる円筒形の巨大水槽が何基も鎮座している。各水槽内部には多種多様な海洋生物が泳ぎ、照明による演出効果も相まって、さながら旧世界の水族館を思わせる景観を生み出していた。

 この大水槽広場は基地の先達が残した力作で、死と隣り合わせの世界に日常を置く子どもたちにとって、その重圧から解放される場所の一つでもある。

 広場には大水槽から同心円状に人工芝生が広がっており、休暇を得た子どもたちが思い思いのやり方でくつろいでいる。


 ――さて、気乗りするしないに関係なく、ルリ姉を世話するのはぼくの日常だものな。


 ハルタカに気づいたルリエスが顔を上げる。表情は薄く、どこか不機嫌そうにさえ見えるが、ハルタカの知るいつもの〝ルリ姉の表向きの顔〟だ。

 ぼんやりと手を揃えて突っ立っているだけのルリエスだったが、傍らの風紀委員たちがスタイラス型端末を彼女の首元に当てる。それで特に何かが起きたように見えないものの、ルリエスは彼らの元から離れ、ハルタカの方へと駆けてくる。


【今の、網膜下端末のロックか何かを解除したのかしら?】


〝黙ってて。ルリ姉はああ見えてかなり鋭いから、迂闊なことしてると君のことがバレる〟


【ふうん。ちょっちソースコード覗かせてもらったけど、網膜下端末には手錠みたいな機能もあるのね。いや、首枷って表現した方がいいかも。恐るべき完全管理社会だわ、こわ……】


〝妙な解釈しないでよ。謹慎中はネットに閲覧制限かけられてただけで、別に担当管理官に逆らったからって爆発したりはしないから〟


 小さい頃、大人の命令に逆らったら爆発するなんていう冗談が囁かれていたことを思い出した。すると「ルリ姉は別の意味でよく爆発してるけど」と、ルリエスについて口にするのもはばかられることまで浮かんできてしまう。

 それを振り払い、ハルタカはルリエスとのおよそ一日ぶりの再会を果たした。


「おかえり、ルリ姉」


「うん、ただいまハル」


「ここのところ色々と起きすぎだけど……とにかく、すごく心配してた。でも、さすがはルリ姉だよ、ディスカバリー6にとどめの一撃を食らわせたんだってね」


 一度は取り逃がした箱舟・ディスカバリー6は、ルリエス分隊とニルヴァ分隊の合同作戦により撃沈された。しかも今回敵にとどめを刺した銛手はルリエスだったらしい。昨日ニルヴァが苛立っていたのは、自らの手で仲間の仇を討てなかったこともあるのだろう。


「わたしは平気。それよりハルこそ平気?」


 心配げな目じりになったルリエスに、頬やら額やらを撫でまわされてしまう。


「低酸素状態が長かったらしいけど、身体的な異常は見受けられず、って診断結果をもらってきたよ。あとカウンセリングも勧められたけど、機械なんかにメンタルケアされるよりは、今までどおりのルリ姉が戻ってきてくれた方が一番の薬になると思って」


 するとルリエスは言葉に詰まってしまったようだ。普段は表情を出さず口数も少ない彼女だ、相応しい言葉を見つけ出そうとしているのかもしれない。


「――危ない真似はしないで、ってルリ姉によく言われてきたけれど、ルリ姉も危ない真似はしないでほしい。ぼくからもお願いだ」


 彼女にこう伝えるのは、考えてみれば初めてのことだ。

 こちらが身を案じるまでもなく、ルリエスはハルタカを背中に守りながら過酷な宇宙環境を生き抜いてきた、生まれながらに強い人間だった。ルリエスはハルタカのことでしか泣かない。なのに自分がそんな姉の身を案じてしまった瞬間に、気がして。そうなれば自分が彼女を破滅に追い込んでしまうのだと、ハルタカはずっと恐れてきたのだ。


「戦闘の話? それとも、あいつを殴ったことを言ってる?」


「どっちもだよ。ルリ姉が危ない目にあうこと全部」


「危険な敵をぶっ飛ばすのは、ハルの身を守るために必要。これ、危ない真似?」


「どう考えても危ない真似です。ルリ姉はちょっと真っすぐ過ぎるから、もっとずるい人間になった方がいいと思う。まあ、確かにあのニルヴァをブッ飛ばしてくれて、ぼくもちょっとだけスカッとはしたけどさ」


 嘘をついた。思い出してみれば、あの時のニルヴァを前にして、惨さとか罪悪感の方が勝ってしまった。とは言え対話で解決できていた可能性なんてなかったし、己が無力さだけがひたすら募るばかりだ。

 すると、待って、と一呼吸おいて、外なのに珍しく本当の彼女の顔でルリエスが話し始めた。


「わかったよ、お姉ちゃんもうしないって約束する。ところでハルくん、今日はお休みをもらったの?」


 途端、押し込めていた表情が戻って、どことなく声に柔らかさが籠もる。


「……ああ、うん。体調自体は問題ないんだけど、療養休暇をもらえるって話だし、せっかくだから今日はのんびりすることにした」


「ああ、よかった。ハルくんってば、これからまた研究室に戻ってVX9を弄り始めたらどうお説教してあげようかなって、お姉ちゃんちょっと悩んでたんだから」


 ちょっと意地の悪い声色になったルリエスは、それが嬉しいのだとはにかみの表情を浮かべている。


「それも考えたんだけどね、VX9の破損状況も調べたかったし。でも、まずはルリ姉を迎えにいって。それからここで普段なら食べないものを食べて、新しい服や本も見て回りたい気分なんだ。もちろん付き合ってくれるよね?」


 自分でも自分がおかしな雰囲気に呑まれていると思う。気を紛らわせたい衝動もある。


「ぼくたち、お互いにずっと張りつめた感じがしてたからさ。そうだ、せっかくだから絵画の道具も見ていこうよ。ここんとこ出撃ばっかだったから、買いに行く余裕なかったでしょ?」


 でも、いま自分たちがこうしてここにいられるのは、ある不思議な女の子が導いてくれたおかげだ。そこに作為があったとしても、ハルタカには悪いことだとは思えない。


「うん、いいよ。今日はハルくんのしたいように時間を使いましょう」


 何より、すごくくすぐったそうに微笑むルリエスを前にすれば、理屈ばかりの冷たい人間だと他人から見なされてきた分、今回は選択を間違わなかったと救われた気持ちになれるのだ。

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