群島と子どもたち6

 ブリーフィングから遡ること、およそ一〇時間前。現在の人類が踏み入ることができるであろう、地球深度の最深部に近い軌道領域。

 銀色の地表を遠景に、ジェミニポート最高位ダイバーに名を連ねるニルヴァ分隊は、標的となる箱舟・ディスカバリー6との交戦状況へと突入していた。

 ニルヴァ機を始めとする五機の軌道甲冑・VLSは、そのどれもが純白ホワイトに塗装され、各々にイメージカラーのアクセントで区別されている。その先頭を切る青藍インディゴアクセントの機体が、自らの分隊の銛手でもあるニルヴァだ。


「――ひゅう! 今日もツキが向いてるじゃないの僕ってばさあ! こんな超弩級の獲物を独り占めできちゃうってことは、ますます基地の三下どもとランク差が付いちゃうねえ」


 眼下の軌道には、基地の指揮室がディスカバリー6などと命名した鈍色の巨大構造物が巡航している。全長二〇〇メートル前後の、途轍もなく大きなクジラ型のそれは、地上にこびり付くフューチャーマテリアルが意思を持った群体となって集まり、旧世界遺産でいうロケットみたいに打ち上げられてきたもののなれの果てだ。

 そんな旧世界の亡霊をあえて宗教遺物になぞらえたのは何の自虐かと、ニルヴァは内心嘲る。


 ――フン、何も救えないあのデカブツが箱舟だっていうなら、ゴミ溜めの地上にはもう英雄も救世主もいないってことだね!


 威容を誇るディスカバリー6を前にしながらも余裕を演じられるニルヴァだったが、とはいえジェミニポートきっての戦士ダイバーとしての本能を鈍らせているわけでもない。

 それは、いま相対している脅威にではなく、より大局的な脅威に対してのものだ。


「問題はこいつじゃないって、三下どもはまるで理解しちゃいないから困るんだよね。こいつみたいな親玉級の箱舟が、なぜ基地近くまで来られてる? じゃあ、これまではなぜ来られてなかった? 敵が強くなったから? 味方が弱くなったから? 武器や兵隊が足りないから? こんなのちょっと頭使えばわかりそうなものなのにねえ――」


【やっぱASたちに何かトラブルあって、これまで箱舟を堰き止めてきた迎撃網に風穴が空いちまったんじゃないかって。たしか開発んとこのハルタカがそんなこと言ってたっスよ……】


 躊躇いがちな声が回線に割り込んできた。後続する分隊の仲間たちからだ。


「――ハルタカぁ!? あのメカおたくの腰抜け野郎、なにメカ以外にまで口出ししやがってんのっ!」


 聞きたくもない名前を戦場で耳にすれば高揚感が削がれるし、胸糞まで悪くなってきた。


「だいたいASなんてさ、旧世界のAIどもが置き去りにしたオンボロ兵器じゃないの。今やメンテナンスするやつがどこにもいない兵器が老朽化するなんて、新入りのチビだってわかる」


【あの、それで……ニルヴァ分隊長に報告なんですがぁ……】


「今度はなんだよっ、歯切れが悪いこと言ってんじゃないよ。報告くらい一回で済ませなよって言ってるじゃんか、僕がいっつもさ――」


【それがその、ハズレの獲物の方を追っかけてったルリエス分隊の連中ですが、そいつを早々に撃沈しちまったらしくて、オレらに加勢しに向かってきてるって指揮室から連絡が……】


「――ハァッ!? なんで? こっち来んの? あの女が?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまい、ニルヴァはちょっと恥ずかしくなり慌てて咳払いする。


「ふぅん、ルリエス来んのね。んだよ、勝手に来てんじゃないよルリエス、ルリエスルリエスルリエス……ヘンな名前だし、いちいち僕の戦場まで出しゃばって来るめんどくさいやつ!」


 途端、誰に向けたのかもわからない独り言をぼやきだすニルヴァに、仲間たちも二の句を告げなくなる。ことルリエスのこととなると雄弁さがさらに増すこの分隊長には、相棒たちも深入りしたくない気持ちで満場一致した。

 作戦任務中にもかかわらず、どことなく緊張感に欠けた彼ら。


「……まぁいいや。なんか思ってたよりニブそうだし、三分くらいでさっさと片づけちゃおっか、こいつさぁ」


 自分たちの足下の軌道を邁進するディスカバリー6の巨躯を眺める。こちらから見れば敵艦の動きは恐ろしく鈍重に見えるが、こうして地球軌道にいる以上、それも相対速度でしかない。地球深層の景色が途方もない速度で流れ去っていく様はいつ見ても異様だ。

 対箱舟戦のセオリーは、敵の頭上を制することにある。軌道上での戦闘は、敵の軌道と同期し、より高い軌道側から低軌道側の敵を攻めるのが鉄則だ。この戦場を舞台にする限り、あらゆる物体は地球の引力などの物理法則に縛られ続けるため、高みにいる側が有利なのが現実だ。


「いいかい四人とも! 奴から距離を開けて、徹底的にレーザーを浴びせ続けなよ! バッテリーが空になるまで、徹底的にだ。やつが反撃態勢に入る暇も与えずに墜とす。ヒーローの出番を焦らせんなよ?」


 ニルヴァ分隊の面子は敵艦と接触後に各機散開。VLS四機による、敵艦のを開始させる。


「さあ、最初にこのデカブツの入出力端子ソケットを見つけ出せたやつには、いつもどおりこの僕からボーナスポイントだ。今日は三〇秒刻みでポイントが下がるゲームシステムで行こっか」


 回線越しに、言いかけた不平を飲み込む仲間の声が聞こえた気がした。

 が、ニルヴァはそれも意に介さない。自分より劣る他人がモタつく様は不愉快だから、いちいち相手にしてこちらのメンタルを害する時間すら無駄だった。

 散開した四機が、ディスカバリー6目がけてレーザー射出ユニットからの一斉照射を開始する。箱舟の巨躯を嘗めるように円を描くVLSから放たれる、青緑色のレーザー光。

 このレーザー照射は、箱舟の外殻のどこかに秘匿された部位――入出力端子の発見スキャンに必須の工程だ。対箱舟戦の定石だが、まったく教科書どおりの面白みのない戦術。

 だが人類側の兵器で箱舟の柔軟なフューチャーマテリアル装甲を突破することなど不可能なのが現実だった。だから箱舟を墜とすために編み出された唯一の手段が、スキャンで特定したソケット経由で攻性ウィルス送信用の〝銛〟アンカーを打ち込むこと。箱舟の中央処理装置コアに強制介入アクセスして、強制的な自壊を働きかけることでしかこの巨艦は墜とせないことくらい、ニルヴァも実戦で思い知らされてきた。

 だからこそ、銛手として箱舟にとどめの一撃を刺す快楽がニルヴァにはたまらない。


「ほらほら、みんな早くしなよ! 待ちきれないなあ。もうフライングしちゃおっか――――」


 言い終えるまでもなく、自機の腰部コントロールユニットを引き絞っていた。ブースターで宙を蹴っ飛ばして、急激な負荷にすらも歓喜に震えながら、瞬時に敵艦の懐へと肉薄する。

 挑発するかのように直径五〇メートルはある胴体を至近距離からぐるりと一周してやるが、ディスカバリー6からの反撃の兆候はない。箱舟は根本的に対人兵装を備えていないため、自分を攻撃する要因を認識次第、自身を構成するフューチャーマテリアルを構造変換させて対策を取り始める。


「何だよ、やっぱこいつ反応が鈍いねえ。おまえ僕をなめてんの? 向かってくるのがASじゃなけりゃ、取るに足らないザコだってAIの判断なの? だったらアタマ悪すぎじゃん。AIなんて、やっぱ人間様以下かあ」


 この未知の巨大兵器たちは、AIによって生み出されたという事実を除いて、目的が不明だ。

 箱舟は、勝手に地上からやって来て、軌道上にあるもの全てを勝手に喰らっていく。それが軌道上に散らばるデブリであろうと、あるいは〈群島〉であろうとお構いなしだ。


 ――だからこそ、人類のヒーローたるこの僕がひとつ残らずブッ潰さないとね!


「フフ――こいつさ、これまでで最大級の獲物じゃない! なんで上の連中って、敵のデカさで僕らの評価を上げるシステムにしてくんないの? そういう肝心なとこで大人たちがバカだから、僕がいちいちゲームにして楽しみを見出さなくちゃって、毎回苦労するんじゃないか」


 こういう馬鹿げたお喋りも、ニルヴァにとっては一種の儀式だった。自らの言葉に昂ぶらせた本能というエンジンに火が入り、VLSの機動を、反応をより研ぎ澄まさせてくれる。

 と、敵外殻部にわずかな発光現象スパークを捉えた。仲間の一機がレーザーで嘗めた後の部位だ。


「――ひゅぅ、ソケット発見! 早速のだっ!」


 ニルヴァ機の急加速が仲間からの報告に先んじた。アームユニットに装着アタッチメントされた全長二メートルの砲身――ストライカー専用兵装である対箱舟用の銛ブラッドアンカーを構え、発光部位目がけて突撃体勢に入る。

 ブラッドアンカーに装填された銛型弾頭がソケットに撃ち込まれるまで、たったの二秒しかかからない。そうするためにこそ、敵艦への近接という危険を冒したのだから。

 弾頭経由でディスカバリー6のコアに強制送信された攻性ウィルスが、間もなくこのフューチャーマテリアル群体を人為的な自死アポトーシスへと仕向けるだろう。

 自壊の光を放ち始めたディスカバリー6。砕け始めたそのクジラ型が、何故か奇妙に規則性のある断面から複数片に分かれていくのに気付く。


「なんだ……こいつ面白くない? ――――なんで真ん中から四つに……分かれる?」


 最初は単に撃沈し損ねたのかと思った。自壊が不完全なまま敵を取り逃がしてしまったケースも記憶にある。ならば、さらなる一撃を食らわすのみ、とニルヴァはブラッドアンカーに次弾を装填する。

 だが――――


【――隊長ッ――――こいつから離れろっ――――!!】


 回線越しにがなり立ててきた仲間の予想外の声に、ニルヴァは判断を誤った。

 ディスカバリー6の新たな異変を警告したわけではなかった。

 そうではなく、四隻に分かたれていく箱舟の異様な姿を背に、想定外のブースター点火を始めた仲間の一機。不必要にスピードを加速させたVLSが一直線に目指す先は、ニルヴァ機だ。


「ワッツ、お前ッ、戦闘中にナニふざてんだよっ――!?」


 激突の寸前で、辛うじて交わせた。だが相手のVLSは止まることなく、それどころかまともに操縦できているとは思えない出鱈目な機動で、みるみる低軌道側へと急降下していく。


【――ワッツ! 何やってんだ、ちゃんとコントロール取り戻せ、どうしたワッツ――!!】


 地球の危険深度へと墜ちていく仲間の名を、恐怖のあまり動揺した他の連中が連呼している。

 彼の機体が火の尾を引くまでに時間はかからなかった。

 四隻に分離したディスカバリー6が、薄気味の悪い泡をぶくぶくと噴きながら次第に推進力を取り戻していく様を、ニルヴァは仲間たちに羽交い締めにされながらただ眺めることしかできなかった。

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