群島と子どもたち4

 閉じ込められた部屋を見回して溜息をつくと、ハルタカはベッドに腰かけた。

 基地所属者に割り当てられる個室は狭い。相部屋ではないルリエスの部屋でも、ベッド一つ設置するのが限界だ。他は壁に収納された簡易デスクとクローゼットくらい。もっとも彼女の場合、それ以外の雑多なものがスペースを圧迫しているせいもあるのだが。

 壁のあちこちに張り付けてある、目が痛くなるような模様で塗りたくられた絵画用の着彩板キャンバスボード。方々に脱ぎ散らかされた衣服。照明具に引っかかった、今の彼女の印象からすれば可愛らしいデザインの下着。きっとメンテナンスで重力が途切れた際に散乱したのだろう。だから片付けろと助言したのに。


「あーあ、折角仲良くなれるチャンスだったのに、彼女たちに悪いよ。あとでぼくがフォローしておくから、ちゃんとしてあげて」


 ルリエスというこの女子との関係について、ハルタカはもう思い悩むのを諦めていた。どうあれ彼女にとってハルタカは特別で、自分にとってもルリエスが特別である現実からは逃れようがないからだ。


「…………で? 今回のぼくは、ルリエスお姉様にどんな釈明をしたらいいの?」


 ドアの前でわななくその背中を眺めていれば、振り返ったルリエスが勢いよく胸に飛び込んできた。


「ばか、バカ、馬鹿馬鹿ハルくんの大馬鹿野郎ッ! お姉ちゃんってば、ほんとの本当にめちゃくちゃ心配してたのにッ! うわ~ん!!」


 思わぬタックルに腹部を強打、息が詰まり鼻水まで出そうになった。なのに彼女から先にずるずると崩れ落ちてしまう。

 慌てて引きずり起こしてやれば、涙と鼻水とで満身創痍。口をだらしなく開け、輪をかけてひどい〝ルリ姉〟の表情に頭の中が真っ白になってしまった。


「いや、大げさでしょう……そこまで泣かなくてもいいじゃない……」


「ぐすっ……ひっく、だって…………軌道甲冑が座標を見失ったら危ないもん。基地に帰ってこられなくなるもん! たたでさえいまは敵がすごい多くて危険なのに、どうしてハルくんってば、いっつもひとりで突っ走っちゃうのっ!!」


 先ほどまでの気迫はどこへやら、駄々をこねる幼児めいたの姿には絶句するしかない。


「……ひっく、ハルくんがあのまま戻ってこなかったらどうしようって、お姉ちゃん、お姉ちゃんもう何もわかんなくなって……ひっく……」


 ただ、彼女が自分の前でだけこうものを昔から知っているから、こうして見せてくれた振る舞いを呆れたり軽んじることなどできない。


「うん、ごめん、ルリ姉。危ないことはしないで、って。何度も約束されてたもんね」


 と、こちらがまじめな気持ちになっていたどさくさに、手を腰に回されルリエスにしがみつかれてしまう。こっちの胸に鼻をうずめて深呼吸までしてくる始末だった。


「わ……ちょっと、ルリ姉!」


 苦しい、というか暑苦しいし色々と気まずかった。ハルタカは大人の女性を直接見た経験がないが、ルリエスは女子の中でも一番大人に近い体つきをしているから、否応なしに性差を意識してしまうのだ。特に視覚触覚の両面から主張アプローチしてくる姉の乳房とか、もはや危険深度まで踏み入っていると言えよう。


 ――マズい、深度を安全域に保て、深度を安全域に保て――。


 旧世界遺産からの情報によれば、姉弟とは現代では失われた血縁関係であるらしい。そこに性差を意識することなどあってはならない。努めて冷静に振る舞うのがお互いのためだ。

 そんなハルタカの苦悩などつゆ知らず、ルリエスは嗚咽を詰まらせながら縋るように胸元を掴んできた。

 人前ではああして他人に冷淡な戦士を振る舞ってきた彼女も、ひとたび緊張が解ければこうなる。濡れた大粒の瞳が訴えてくるものに言葉はない。信頼、絆を確かめたいのか――あるいは関係が失われるのを恐れているのかもしれない。


「ねえ、いい、ハルくん? お願いだから無茶しないで。もう危ないことしないで。ハルくんを守るのがお姉ちゃんの役目なのに、ハルくんから飛び出してったらわたしどうにもできない。本当なら宇宙にだって出てほしくないくらい」


 そうしてルリエスが左手でハルタカの右手を取る。彼女に導かれるように手のひらが重ね合わせられ、互いの薬指で光沢を返す指輪が、かすかに擦れてかちりと音を立てた。


「ごめん、でもダメだよ。ぼくが出ないとVX9のテストができないから。ぼくたちのチームが軌道甲冑を改良することは、基地のみんなが生き延びることに繋がる」


「うん、それはわかってるよ……ハルくんのお仕事も大事」


「ルリ姉だってジェミニポートでも一線級のダイバーだ。ルリ姉がいてくれるから、いつも頑張ってくれてるからこそ、基地のみんなが怖い目にあわなくて済んでる」


 誇張でない事実を述べる。ルリエスがジェミニポートの守護神と言えるダイバーだということは、こと軌道甲冑の操縦技術においては彼女に到底並び立つことができないハルタカ自身が一番よく知っていた。


「でも、いくらルリ姉がエースだからって、軌道甲冑がより高性能で安全になることは悪い話じゃないでしょう? ルリ姉が戦闘で危険な目に遭うこともうんと減らせるし、なにより確実にぼくを守れるじゃない?」


 諭すように伝えると、黙って頷いてくれた。そのまま彼女を支えベッドに腰かけさせる。


「――でもね、ハルくん。わたしね、ハルくんにASには近づかないでほしい、かも……」


 想定していなかった話題の切り返しに意表を突かれ、心臓が厭な鼓動を打った。それが表情にまで出てしまったかもしれなかった。彼女はそういう隙は見逃さないから、追求は止まない。


「ハルくん、機械には何にでも興味持つの知ってるよ。昔からそう。でも、アレはだめ……」


 先までの泣き顔が落ち着いたかと思えば、次は懇願の眼差しがハルタカの動揺を逃さない。


「でもさ、ASは特別な研究対象なんだ。ぼくたちは誰もたちについて知らない。ううん、何故なのかこれまで知ろうとしてこなかった。たちをもっと調査することで、人類を救うための新しい技術や可能性が――」


「――味方とは限らない。これまでASを調べてこなかったのにもきっと事情があるんだよ。ハルくん、わたしたちが戦っている敵がなんだかわかってる?」


 そんな建前口上は遮られ、毅然とした口調でルリエスが問い返す。


「……そうだね、ぼくたちの敵は、意思を持った機械――AIだ。〈箱舟〉。オービタルダイバーは、AIが地球から打ち上げてくる箱舟と戦ってる」


 そう、自分たちは敵を箱舟と呼んでいる。暴走したフューチャーマテリアルに飲み干された地上よりあれはやって来る。忘れるはずがない。あの途方もなく巨大でおぞましい姿が、自分の記憶に深く焼きついているからだ。


「そうだよ。箱舟も、ASも、血の通ってないAIマシンなのはおんなじ。わたしたち人間とは根底から違う。わたしたちが戦ってる相手は、地球をあんなのにした怖いAIなんだよ。そしてわたしには敵からハルくんを守る力がある。ううん、守らなくちゃいけない。お姉ちゃんの義務」


 ふと呼び覚まされる重苦しい記憶。その暗い奥底に差し込むようなルリエスの眼差しが、迷うハルタカを射止める。見開かれた姉の瞳は、自分にだけ見せてくれる明るく優しい輝きを放っている。それ見つめ返して、高ぶりつつあった心がようやく落ち着きを取り戻せた。


「ASたちは、人類じゃない何ものかの命令プログラムに従って箱舟と戦ってる。軌道投入されてくる箱舟をたちが迎撃してくれるから、ぼくたちは本来より少ない敵を相手にするだけでよかったし、だからこそASがぼくたちの味方になってくれるって思えてた」


「でも、ASはわたしたちと言葉が通じるわけじゃない。〝痛い〟とか〝悲しい〟とかわかるはずない。そんなの相手にハルくんだけが危ないことして、基地のみんなにヘンな目で見られるの、わたしもう耐えられないよ……」


「理解はしてるんだ。人類はたまたまASの恩恵を受けてきただけで、敵の敵が味方とは限らないって理屈は正しい。ぼくはまだ訓練生でも技術者だから、論理的に行く主義だから」


 と、今度はルリエスから立ち上がると、胸元に抱き寄せられてしまった。


「いつかの約束、わたし忘れてないよ。ふたりで一緒に頑張って、みんなに認めてもらって。それでね、大人になったら安全な〈天蓋都市〉に行こう。そこでずっと幸せに暮らそう」


 彼女が口にしたのは、いつだったか語ってくれた夢だ。人類の英雄として功績を残して、〈群島〉よりもずっと高い軌道にある大人たちの都市で暮らそう。もう何ものにも脅かされることなく。そんな願いは、未だ姉の中で強く揺らめいているのだ。


「でもそれはハルくんといっしょじゃなきゃ駄目。お姉ちゃんにハルくんを守らせてほしい。あの日ハルくんとした約束があるから、わたしはこうして飛べる。だからお願い……生きて、ハルくん」


 そうされてしまったら、ハルタカにはもう論理も理屈もなく、ただ黙ってうなずくしかない。

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